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「ショージとタカオ」

2010年・日本
○監督・撮影・編集:井手洋子○音楽:寺嶋琢哉
桜井昌司、杉山卓男ほか




  「布川事件」という冤罪事件がある。正確を期すなら今年、2011年5月の再審地裁判決で「冤罪」であったことが確定された事件だ。事件そのものが発生したのは1967年8月、実に44年も前の事件なのである。
 「布川」という土地は茨城県南部の利根町という町の利根川のほとりにある。僕はその利根町の西隣にある取手市の東端側に在住しているので、まさに目と鼻の先にある土地だ。また事件の捜査にあたったのは取手警察署。映画を見たあとで聞き知ったことだが、この映画の主人公である「ショージ」「タカオ」のお二人は僕の母校と同じ高校に進学している(中退したけど)。そんなわけで事件自体はとても身近な存在だった。もちろん40年以上も前の話だから、再審運動が活発化した最近になって聞き知るようになり、僕の母がその運動に参加してなおさら良く知るようになったわけなのだが。

 1967年8月30日、利根町布川で一人暮らしの62歳の男性が他殺体で発見された。盗まれたものは判然としないが家には物色された跡があり、強盗殺人事件として警察の捜査が始まる。そして10月になって、それぞれ別件(ズボン窃盗と殴打の容疑)で地元の若いチンピラであった、桜井昌司杉山卓男の二人が逮捕された。二人は刑事の厳しい取り調べを受けて犯行を「自白」、現場には彼らの指紋がないなど物的証拠はまったくなかったにも関わらず、犯行直後に現場を通りかかった目撃者の「桜井・杉山の二人を見た」という証言(同じ人物はその前には「誰も見てない」と証言していたのだが半年後に具体的証言をした)が決定的証拠とされて二人は強盗殺人容疑で起訴される。
 公判では桜井・杉山の二人は「自白は強要されたもの」として無実を主張したが、結局その自白が最大の証拠とされて地裁一審で無期懲役判決。控訴、上告も棄却されて1978年に無期懲役が確定。二人は刑務所で服役することになるが、獄中からも無実を訴えて再審請求を行った。しかしこれも却下され、結局二人は1996年に仮釈放されるまで、実に29年にわたって獄中(確定までは拘置所、確定後は刑務所)で暮らし続けることとなった。事件発生当時20歳と21歳だった二人は、「シャバ」に出て来た時すでに50前後のオジサンになっていたのである。

 この映画は、この二人の支援をしている団体のコンサートの模様の撮影を、たまたま依頼されたところから始まる。その二人が近く仮釈放になることを知った井手洋子監督は興味を持ち、仮釈放されたその日から二人に密着取材を始める。当初は冤罪事件ウンヌンよりも、長らく刑務所にいた人間がどのように社会に復帰するのか、という点に監督の興味があったようにも思え、映画の序盤ではカメラは30年近くぶりにシャバに出て来たオジサン二人の「浦島太郎」ぶりを撮ってゆく。
 テレホンカードの電話、オレンジカードの電車切符販売機(これらは今から見ると懐かしいなぁ)、そしてミニスカートの女子高生に「大丈夫なのか」と戸惑う(笑)。それぞれ住まいを見つけ(一人は生家に帰り修理して住む)、仕事を見つけ、生活の基盤を作って社会復帰を進めていくのだが、そこは仮釈放の身、しかも「強盗殺人犯」である。支援者たちの援助にも限度はあり、世間の風は決して温かいものばかりではない。「ショージ」の方は割とスムーズに行ってるように見えるのだが、「タカオ」の方はなかなかうまくいかずに悩み、「刑務所の中なら衣食住もあるし…」とつぶやいてしまうほど。それでもどうにか落ち着いた生活を始めた二人、それぞれ恋の相手を見つけて結婚し、「タカオ」の方は子供まで出来て、逮捕以前にも縁が薄かった家庭的な幸せを手に入れることになる。映画前半はそういったオジサン二人の奮闘ぶりを、どこかユーモラスに切り取って行く。撮られる二人の方も「冤罪事件の被害者」から連想する暗さはあまり感じられず、前向きに明るく(少なくとも表面的には)生きていこうとしている印象で、それがこの映画全体を肩の凝らないものにしてくれている。

 それでも事件について忘れるはずはない。仮釈放後、二人は支援してくれる弁護士達の協力のもと、二度目の再審請求を行う。今度は専門の弁護士たちが全力で応援してくれ、犯行現場の再検証、検察が握っていながら提示しなかった二人にとって有利な証拠探しなどを行い、事件の疑問点をより詳細に暴き出してゆく。ここで観客はこの冤罪事件のひどさをようやく実感することになるのだが、以前からこの事件についていろいろ聞いていた僕からすると、この映画のまとめ方は少々荒っぽく、「冤罪事件検証映画」としてはやや物足りない。だがあくまでこの映画は「ショージとタカオ」の二人を追いかけるものであり、事件そのものの検証は二の次に置いているところがあるのかもしれない。
 だから二人の口から語られる、「自白」に追い込む刑事達の執拗かつ強引な捜査ぶりが、かえって真に迫って来る。もう最初から犯人と決めつけて追及し、アリバイ主張は一切無視、刑事の描いた筋書きを認めるまで絶対に許さない。「認めないと死刑だぞ」「お前の母親はもう認めてるぞ」といったウソの脅しも平気で使い、ついには「嘘発見器にかける」と言い出す。それなら真実が明らかになると「ショージ」は喜んで受けるが、その結果も見せずに刑事は「残念だったな。俺にはお前ぐらいの息子がいるんで無実だと信じていたんだが…」と切り出し嘘発見器でウソが全て判明したと言い放ったという。もうこれにはショージもガックリきて抵抗をあきらめてしまう。ショージが先に「自白」して「タカオ」の方を巻き込むことになるのだが、これは当時当人同士は仲が悪く、ショージは内心タカオが実際にやったのではないかと思っていた、という事情もあったらしい。ともかくこれで二人は犯行を自供したことになり、刑事の作ったシナリオに沿って犯行の一部始終が詳細に調書にとられ、「これだけ説明できるのは犯人自身に他ならない」という理屈で裁判官は全て彼らの有罪を断じてしまうのだ。
 これが40年前のことだから、こんな捜査も…と思った人は甘い。こうした取り調べの仕方は他の冤罪事件でも同様に見られ、警察では「犯人を落とす」ためのマニュアル化してるのではないかと思えるほどに同じパターンだ(もちろん実際に犯人である人間を落とすのにも役立つのだろうが)。つい最近のいくつかの冤罪事件でも似たような話を聞くし、ここに出て来た「嘘発見器」を使うテクニックは、驚くなかれ、今度この記事を書くために調べていて偶然見つけた、2006年の、それも同じ取手署管内で起こった痴漢冤罪事件(正確には誤認逮捕)でも全くソックリに使われているのだ。

 刑事には屈してしまった二人だが、「裁判官は分かってくれる」と裁判に期待をかけ、公判では無実を主張した。ちゃんと調べてくれれば当日のアリバイ(二人とも東京に出かけており、証人もいた)もあることだし真実は明らかになるはずと思ったのだ。ところがどっこい、裁判官は警察・検察の主張を全面的に受け入れ、二人に有罪・無期懲役の判決を下す。物的証拠が何もなく、あやふやな目撃証言だけしかないはずなのだが、刑事が「作文」した自供が「何よりの証拠」とされてしまうのだ。あとから分かったことだが、当日のアリバイ証言だけでなく、現場付近で他の人物を見た目撃者がいたことや、犯行供述と凶器の矛盾、指紋の問題など、検察側は自分達に不利、すなわち被告人二人にとって有利になる証拠を入手していながら全て隠していたのである。これ、聞くからに恐ろしい話なのだが、痴漢冤罪を扱って話題になった映画「それでもボクはやってない」(周防正行監督)でも「検察は不都合な証拠は隠して出さない」ことが明らかにされていて、僕同様にあれで初めて知って驚いた人も多かったと思う。法律に素人の人間には「裁判ってそんなに検察有利なの?」と驚いてしまう話なのだが、日本では当たり前のことになっちゃってるのだ。
 とくに布川事件の場合、警察がそろえた「目撃証言」があとから出てくる不自然さ、最初に担当した検事が二人の主張に耳を貸して否認調書を作るものの、検事が交代して強引に調書を作文して認めさせ、起訴に持って行くという異例の展開があったことから、攻める側の警察・検察もいくばくかの疑問があることは承知していたはずなのだ。そこを逆にメンツにかけて有罪に持ち込んでしまうという方向に力を注いだ疑いが濃厚なのだが。
 冤罪事件は「代用監獄」を利用した刑事の強引な取り調べに注目が集まりがちだが、それを受けて裁判で強引な立証をした検察、そしてその主張をうのみにして被告人の声に一切耳を貸さずに有罪判決を下した裁判官たちの責任も問われなければならないんじゃないかと、この事件について知れば知るほど切実に思う。だが制度的には警察・検察・裁判官の直接の責任は問えないようになってるのが実態だ。

 仮出所後の一年余りを密着していたこの映画だが、途中からその密着度が飛び飛びになってゆく。これは二人がそれぞれ家庭を持ったためでもあるようだが、映画では語られない事情を小耳にはさんだところによると、記録した映像の利用をめぐって監督とショージ・タカオ二人の間でいささか軋轢があり、一時すっかり疎遠になっていたということのようだ。それが2005年の水戸地裁の再審開始判断を受けて両者が和解し再び記録をとることになった。仮出所から再審開始までの足かけ14年の記録映画ながら、実のところは最初の1、2年と最後の数年に集中しているわけだ。監督も被写体の二人も、こういう映画になるとは当初は思ってもいなかったということでもある。

 再審の扉というのは実際かなり重い。それを動かせたのは、支援弁護団の努力により検察が隠していた有利な証拠の発見、再現実験による犯行自白の矛盾の確認、取り調べ録音テープに編集の痕跡が確認されるなど(この件は映画では出てこなかったな)、冤罪を強く疑わせる証拠がそろったからだ。裁判所が「再審」を決定したということは、事実上かつての有罪判決をひっくり返す判断をしたことになる。
 しかし検察は激しく抵抗した。水戸地裁の決定を受けてただちに高裁に抗告したのだ。そして3年後(再審を始めるかどうかだけでこんなにかかるのか…)の2008年に高裁がこの抗告を棄却して再審開始を支持。ここまで来ると普通は検察もさすがに諦めるのだが、この件では検察内部で強硬意見が根強かったらしく、締め切りギリギリになって最高裁に異例の「特別抗告」を行ってさらなる抵抗を続けた。その知らせが入るシーンが映画にも出てくるのだが、ショージとタカオの二人や弁護団もかなり唖然とする様子が映っている。それだけ検察としてはこの事件を「冤罪」と認めたくなかったわけで、それはもう検察のメンツだけを最優先に考えていたとしか思えない。
 そして2009年の12月に最高裁が検察の特別抗告を棄却して、ついに再審開始が確定した。これからようやくやり直しの裁判が始まるというわけなのだが、それまでにまたなんと手間のかかることだろう。そして2010年7月に水戸地裁土浦支部で再審の公判が開始されるが、先ごろ話題となった冤罪事件「足利事件」などとは違い、検察はあくまで「ショージ」「タカオ」の二人を実行犯であると主張し続けた。映画は2010年に製作されたものなので再審開始のあたりで終わっているが、2011年5月に判決公判があり、強盗殺人事件について二人は晴れて無罪の判決を受けた。検察側の対応が注目されたが、さすがにこれ以上は勝負にならないと見て、検察は控訴を断念、無罪判決が確定した。だが映画上映のあとで舞台あいさつに出た桜井昌司さん本人が語っていたが、それでも検察内部には「控訴すべきだった」という声がかなりあったそうだから驚く。桜井さんは昨年大きな話題となった厚生労働省事件の検察の証拠捏造問題も引き合いにして日本の検察の体質を批判していたが、ホントに怖くなってくる話である。

 そうそう、今書いたように、僕が見たこの上映会では、上映終了後に「ショージとタカオ」ご本人と監督による舞台あいさつがあったのだ。さっきまでスクリーンの中で映っていて、実に14年という時間をダイジェストで見せてくれた当人たちが、生で目の前に現れるという不思議な光景を目にすることになった。
 映画でもその変化の様子がうかがえたが、仮出所直後はかなり口ベタなオジサン二人も、再審運動のなか各地で講演やスピーチを繰り返したこともあって、今やかなりのタレントぶりすら発揮している。まず「ショージ」の方が映画の内容を受けて警察・検察・裁判の批判と、布川事件以外の冤罪事件の問題を語り、さらには冤罪の被害者ではあるがそのおかげで幸福な人生でもあると感じている等々、まじめな話をする。これを受けて「タカオ」は「こちらが高尚な話をしましたので、私はふざけた話を…」と切り出し、昨日の酒がまだ残っているとか、昔の同級生が会場に来ている、彼らも知らない自分のチンピラ時代の悪さぶりなどを観客を笑わせつつ語って(実質地元の話なので良く分かる)うまいこと締めていた。身長も好対照で、見た目にもいい凸凹コンビ。もっとも二人は個人的にはそれほど気の合う方ではないらしく(事件発生当時もむしろ仲が悪かった)、事件関連のことでは顔を合わせるが個人的交流はほとんどしていないそうである。今後についても「ショージ」さんの方は他の冤罪事件の支援活動などを続けていく気だそうだが、「タカオ」さんの方は奥さんと息子さんを大切にしたいので運動にはあまり関わらない方針だそうである。

 すでに完全に無罪となり「フツーの人」になれた(それまでの15年間はあくまで「仮釈放」の身であり行動に規制があった)二人だけに、非常に明るくふるまい、人を笑わせもし、自分達にふりかかった不幸もそのおかげで幸福な人生を歩めたと肯定的に語りさえもしていた。しかし考えてみるとこの人たちは身に覚えのない罪により30年近くも獄中にあったのだ。映画は仮出所後に焦点を当てているのでこの点をともすると忘れがちだが(獄中で二人がやりとりした手紙などは紹介される)、やはり30年近くの入獄という時間はハンパではない。当人たちも語りたくないのかもしれないが、映画中で「ショージ」の方が奥さんに「夜、団地の窓のそばに立っていると飛び降りたくなる衝動にかられる」と恐怖を訴えたことが語られる場面がある。この1シーンに二人が内面に抱えているであろう深い苦悩の一端がのぞいたようにも思えた。

 冤罪問題を扱った映画には違いないが、それをテーマの軸の一つには置いていても、この映画はむしろそういう理不尽な目に遭い、一度は社会と切り離されたフツーの人たちが、いかにして再び社会に参加し、フツーの人間らしい人生を取り返してゆくかを描いた、人間賛歌のドキュメンタリーというべきだろう。(2011/9/22)

  

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