映画のトップページに戻る
「ゆきゆきて、神軍」

1987年・疾走プロダクション/日本
○監督・撮影:原一男○企画:今村昌平
奥崎謙三ほか




  以前から名前だけはよく知る映画だった。「ドキュメンタリー映画」というジャンルは僕もあまり見ないのだが、この映画のタイトルだけは日本を代表するドキュメンタリー映画の傑作として書籍等で目にしていた。ドキュメンタリー映画といえば最近のマイケル=ムーア監督の諸作品が世界的に話題となったが、そのムーア監督も実はこの「ゆきゆきて、神軍」を鑑賞して感銘を受けたとか何かで読んだことがある。実は世界的に有名な作品でもあるようだ。
 そんなわけでいつか見ておこうと思いつつズルズルと見逃していたのだが、つい先日この映画の主人公である奥崎謙三氏が亡くなった。その話題を自分のHPの記事に使おうという事になり、ビデオを借りてきてようやく初鑑賞となった次第だ。

 ドロン、ドロンと不気味かつ勇壮な和太鼓の響きとともに映画は始まる。最初に映るのが神戸市内にある奥崎氏の作業場兼自宅。正面のシャッターには「人類を啓蒙する手段として田中角栄を殺すために記す」と、奥崎氏の著書のタイトルがデカデカと書かれ、他にも「宇宙人の聖書」とか「神軍」とか、いろんな文章がびっしりと書かれているのが目に入ってきて、いきなり大インパクトがある。田中角栄に何の恨みがあったのかは映画中でも言及が無いが、この本を出したために奥崎氏は殺人準備罪で送検されたりもしたらしい。同様の文字ビッシリ状態は彼が運転する街宣車も同様で、日の丸の旗を掲げたりして一見右翼風なのだが、田中角栄のみならず「天皇裕仁」への怨念が執拗に書き連ねられているところが一般的な右翼と異なる。
 その目立つ車で彼は知人の結婚式に仲人として出席する。その花婿も彼と一緒に反体制活動で捕まったことがあるそうなのだが、婚儀の場で奥崎氏は彼と自らの「前科」を誇らしげに語る。奥崎氏はこの映画以前の段階で、まず傷害致死が一件あり(具体的なことは分からないが本人は「殺した」と繰り返し言っている)、名高い一般参賀で昭和天皇に向けパチンコ玉を発射した事件、そして天皇ポルノビラをデパートからまいた事件の前科があった。それらを誇らしげにとうとうと語るなかで、「国家というのは人間同士を隔絶させるもの…私はひいては家族もそうだと思ってるんです」なんて深いことを言ったりもするのだが、結婚式の場で言うのはどうかという気も(汗)。
 この人、仮釈放後状態のためなのだろう、遠くへの移動にあたっては担当の警察官にそれを事前に報告する。その模様も映像に収められているのだが、非常に紳士的かつ低姿勢であるのが印象的。ふだんはそうなんだけどそれが突如として豹変するのがこの人の不思議なところで、このあと東京へ行って国会議事堂周辺を例の目立つ街宣車で回ろうとして警察に止められ、押し問答するあたりからそんな特徴が見え始める。

 奥崎氏は戦時中(この映画制作の時点では戦後40年)にニューギニア戦線に動員され、灼熱の戦場で辛酸を舐めている。それは敵軍(現地住民含む)との戦闘のみならず、いやむしろ飢餓と疫病とに苦しめられた地獄の戦場だった。彼は戦場で悲惨な死に方をした戦友たちの墓を訪ね歩き、その「怨霊」を慰めるための慰霊塔を建てていく。死んだ戦友の母親に自分の母親のように接し、一緒に墓参りするあたりなどは奥崎氏の非常に優しい、思いやりのある一面を見せるところで、それが彼が時おり見せる凶暴性と表裏一体になっていることを映画は映し出していく。自らも辛酸を舐め、戦友たちを悲惨な死に導いた「戦争」に対する強烈な憎悪が奥崎氏を突き動かす原動力となっており、その怒りの矛先は当時の上官や戦争指導者、そして天皇にまでいきつく。そして彼が起こす行動がパチンコ玉だったりポルノビラだったりという奇矯なものなのが問題なのだが(笑)、戦後日本が「一億総懺悔」してあっさりと頭を切り替え、表層的な平和主義に溺れて反省と追及をしっかりしてこなかったことが今日いろんなひずみを生んでいることを思うと、奥崎氏の奇矯な行動を単純には笑えない。果たして狂っているのはどっちなのか?という、黒澤明の不遇な問題作「生きものの記録」のテーマを僕は連想してしまっていた。
 
 映画のメインとなるのは、奥崎氏がかつて所属していた連隊で「終戦」後23日という時期に数人の兵士が「敵前逃亡」の罪で処刑されていた(戦傷死ということで片付けられた)という事実について、奥崎氏が当時の上官らを訪ね歩いて真相追及をしていく過程だ。当然映画の撮影隊も引き連れていくわけで、訪ねられた関係者らは多くは困惑。中には口を濁したりほとんど追い返そうとする人も出てくる。すると寸前まで極めて紳士的に振舞っていた奥崎氏が突如ブチ切れて相手に襲い掛かり、殴るわ蹴るわの乱暴をはたらき始める。驚いて相手の家族が止めに入ったり奥崎氏が自ら「警察を呼べ」と言ったりの大騒ぎになるのだが、その間もカメラはじっとその様子を撮り続ける(撮影スタッフが止めろよ、と思わないでもない(笑))
 奥崎氏は処刑された兵士それぞれの姉と弟に同行してもらって(このうちお一人が巫女さん?でやや神がかった観があるのが気になる)、処刑の現場に立ち会った人々に次々と追及を行っていく。聞かれた人々は「自分は撃たなかった」と主張したり「40年前のことをほじくりかえすな」と口を閉ざしたりと、反応はさまざまで、奥崎氏は例によってブチ切れスレスレのところで執拗に追及をしていく。処刑された兵士の遺族は処刑の背景に飢餓状態の中での「人肉食」があったのではと確信し、その点をとくに追及していくが、とりあえず映画の中ではこの真偽は判然としないまま。ただ質問に応じた一人(元衛生兵)は実際に連隊の中で人肉食が行われていたことは認めている。
 しかし追及の途中で遺族達は奥崎氏との同行を断ってしまう。理由の説明は無いのだが、どうも奥崎氏の暴走傾向に嫌気が刺したというのが真相みたい(実際、質問された元将兵の一人が「奥崎氏がいなければ話す」と言う場面がある)。すると奥崎氏、自分の妻と知人を遺族の役を演じさせて関係者訪問を続けるという奇策に出る(笑)。確かに処刑された当人の遺族がいるといないでは相手に与えるプレッシャーが違い、相手に完全に騙されてあれこれしゃべってしまうことになるのだが、いいのか、それ?と思わないでもない。
 さらに他にもいた処刑された兵士についても追及を始め、友人のアナーキストをその「兄」に仕立てて上官のもとを訪れる場面もスリリング(笑)。もう体も不自由になっている上官に執拗に追及を加えてゆき、相手が「慰霊に靖国にも行ってる」と口にしたところでとうとう激昂して相手を押し倒し殴りかかるところは圧巻(止めに入った奥崎氏の妻も負傷する)。それでまた自分で警察を呼んだりするのだが、そのあとはまた紳士的なやりとりに戻っていったりするのがまた不思議。

 その後、奥崎氏は戦友たちの慰霊のためニューギニアへ旅立つ。以前に「一緒に行きましょう」と約束していた、死んだ戦友の母親はすでに亡くなっており、その墓の前でパスポートを開く奥崎氏の姿が物悲しい。このあと撮影隊も奥崎氏に同行してニューギニアへ行ったそうなのだが、インドネシア政府にフィルムを没収されてしまい、その部分は映画中には無いというのが悔やまれる。
 そこで終わりか…と思ったら、撮影終了後にとんでもない事件が起こる。奥崎氏が映画中でも追及していた元上官の自宅に拳銃を手に押しかけ(映画では語られないが当時奥崎氏は衆院選に立候補しており、その絡みもあったのか…?)、本人ではなくその息子を銃撃して重傷を負わせてしまうのだ。奥崎氏は逃亡したが間もなく逮捕。映画はその経緯を新聞記事を映して語った上で、拘置所に面会に行った奥崎氏の妻へのインタビューを収録している。そしてこの妻が間もなく亡くなり、奥崎氏が懲役12年の実刑判決を受けた…というところで冒頭と同じ和太鼓のリズムとともに映画は幕を閉じる。


 二時間があっという間に過ぎ、確かに下手な劇映画よりはずっと面白かった(笑)。テレビのドキュメントとはまた違う、やはり「映画」として見事に完成された一本だと思う。とくに主人公に肩入れするわけでもなく、一歩引いてその奇矯な言動を客観的に写し、その背景に戦後日本が見てみぬフリをしがちだった戦争の暗部を浮かび上がらせるという強いテーマ性を持った編集と演出の巧みさ。「昭和」という時代の貴重な歴史資料として、これからも多くの人に見てもらいたい映画だ。 (2005/7/14)  


映画のトップページに戻る