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「チャイナ・シンドローム」
The China Syndrome
1979年・アメリカ
○製作:マイケル=ダグラス○監督:ジェームズ=ブリッジズ○脚本:マイク=グレイ○撮影:ジェームズ=クレイブ○音楽:スティーブン=ビショップ
ジェーン=フォンダ(キンバリー)、マイケル=ダグラス(リチャード)、ジャック=レモン(ジャック=ゴデル)ほか




  「チャイナ・シンドローム(中国症候群)」というタイトルの中国歴史小説集があった。もちろん「本来の意味」からすればそっちのほうが「正しい」使い方のはずなんだけど、この映画で使われているように「原発事故で炉心溶融、収拾のつかない状態になる」ことを指す。なんでそこに「チャイナ(中国)」が冠せられるのかというと、アメリカでは「地球の裏側は中国」という感覚が一般的にあり(正確な「裏側」ではなく、緯度をそのままに掘って行くと中国に出る、ということらしい。中国現代史の専門家のアメリカ人も子どもの時からそう考えていたとTVで言ってた)、炉心溶融が起こると核燃料のブレーキが利かなくなりそのまんま地球を貫いて行って中国まで行ってしまう、という意味。中国で原発事故が起こったら「アメリカン・シンドローム」と言うんだろうか。
 もちろんどんなに暴走したって地球の裏まで行くはずはなく一種のジョークなのだが、この映画で使われたことで世界的によく知られた言葉となってしまい、中には本気で暴走した核燃料は地球を貫くんだと思っている人もいるらしい。

 この映画を2011年年末にNHK衛星が放映したのは、もちろんこの年に東日本大震災に連動して起きた原発事故にからめてのものだろう。反原発テーマの映画としては古典的作品である。出演もしているマイケル=ダグラス(当たり前だが若ぇ!)が製作者としても名を連ねているが、彼自身が反原発運動家であり、明確に意識してこの映画を製作している。ただ内容的にはバランスも考えたのだろう、原発の危険性をテーマにしつつも原発運営側の重要キャラも出し、原発が必要との意見に一定程度耳を傾けてはいる。
 しかしなんといってもこの映画が有名になったのは、映画公開直後に映画の中で懸念されていた「原発事故」が実際に起こってしまったためだ。「スリーマイル原発放射能漏れ事故」がそれ。その後のチェルノブイリや福島第一の事故を経た今ではまだ軽い事故の方だったのだが、原発史上初の深刻なレベルの事故で、「原発の危険性」を世間に強く印象付けた事故だ。アイザック=アシモフの未来史SFミステリでも「スリーマイル」がキーワードに使われるエピソードがあったほどで、それ以後アメリカでは新規の原発建設が長いこと行われなかった。皮肉にも新規建設が決定したのは福島原発事故の直後のことだ。

 映画のストーリーは地方テレビ局の女性リポーター、キンバリーを中心に展開される。演じるはジェーン=フォンダ。この当時はベトナム反戦運動など反戦・反体制の象徴的女優となっていて、この「反原発映画」に主演したのもその流れであったと思われる。この映画の中での彼女は社会派の大ネタを扱いたいと思いながらも、くだらない世間話のニュースばかり担当させられて不満を抱いているリポーターで、そんな彼女がたまたま原子力発電所の見学取材をすることになる。そしてそこで偶然「何らかのトラブル」が起こって発電所所員たちがあわてふためく様子を目撃、そしてその様子を同行したカメラマンのリチャード(マイケル=ダグラス)がうまい具合に隠し撮りしてフィルムに収めてしまう。
 大ネタをつかんだと大喜びするキンバリーだったが実際に事故があったわけでもないので放送は簡単にはいかない。原発の管理技術者であるゴデル(ジャック=レモン)も酒場で会ったキンバリーに原発の必要性を訴える。だがそのゴデルも施設内の不自然な「振動」に気付き、不安を覚えていた。そしてリチャードが隠し撮りしたフィルムを原発専門家に見せると、これは重大事故発生の一歩手前という深刻な事態だったことが明らかになる。

 映画後半はほとんどゴデルが主役扱い。不安を抱いた彼が調べてみると配管の一部に手抜きがあり、検査にも不正が行われていた。全て「経済性優先」の企業姿勢のためだ。原発を一時停止して徹底検査を主張するも「一日でも莫大な赤字が出る」と会社側は認めない。原発を愛するゴデルはこれに危機感を抱き、ついに会社を出し抜いて情報をリークしようとするが、会社側は手段を選ばず資料の運び役の車を襲撃、事故に追い込んでしまう(この辺、いかにもスパイ映画チックで、正直「そこまでするかなぁ」という気もしてしまう)。焦ったゴデルは武器を手に原発のコントロールルームを乗っ取り、キンバリーを呼び出してこの事態をテレビで放映させようとするが、会社側は警察と共にこれを実力で阻止しようとする。

 映画全体のノリは「社会派サスペンス」といったところだろうか。安全性よりも経済効率を優先する企業の姿勢が問われるのであって、一応原発そのものへの批判は事前に予想していたよりは控えめ。あくまで原発の必要性を主張する人間が企業姿勢を批判する展開はうまいシナリオと言えるだろう。劇中、子どもたちの写真を掲げて原発建設に強硬に反対する団体が出てくるが、そのTV映像に対して原発職員たちが「じゃああんたの孫の暖房はどうするんだ?」とツッコミを入れる場面もある。
 序盤の事故寸前の場面なんかはなかなかリアルで、昨年の福島原発の報道に一喜一憂し、ある程度知識も得た今見ると「何が起こっているのか」が以前に比べればよくわかり、それこそゴデルともども手に汗を握ってしまう。そのぶん後半は「効率優先の企業」との対決という展開になり、せんじつめてしまえば原発テーマはどっか行っちゃった「個人対巨大組織」の攻防戦という雰囲気になってしまう。2時間の枠内で収めるにはそうするしかなかったのかもしれないけど、ゴデルの行動は観客にも「暴走」としか見えず、企業側のスパイ映画もどきな対応もあってちとリアリティに欠けるきらいもある。僕なんかは見終えた感想としては「有名な割にノリの軽い映画だな」と思ってしまった。

 なお、この映画を見た直後にたまたま劇画「ゴルゴ13」の一編「2万5千年の荒野」を読んだ(1984年7月作品)。これも原発事故をテーマにしていて、効率優先の企業と原発の技師の対立、事故寸前の事態に陥る展開、原発の危険性を指摘しつつも「ではどうすればいいのか?」と終えるラストなど、「チャイナ・シンドローム」を参考にしたとしか思えない内容となっている(そこにスナイパーのゴルゴがどう絡むのかは見てのお楽しみ…というか、テーマを決めてからそれを必死に考えたんだろうなぁ)(2012/2/11)
 


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