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「日本の黒い夏・冤罪」

2001年・日活
○監督。脚本:熊井啓〇撮影:奥原一男〇美術:木村威夫〇音楽:松村禎三
中井貴一(笹野誠)細川直美(花沢圭子)遠野凪子(島尾エミ)石橋蓮司(吉田警部)寺尾聡(神部俊夫)ほか




  長いタイトルだなぁ、というのがこの映画の題名を聞いたときの第一印象。ベタなタイトルだと思い、また「日本の黒い夏」あたりで止められなかったかな、などと感じてしまった。「冤罪」っていうのが作者の最も採り上げたいテーマであったことは分かってはいたけれども。

 ただ、この熊井啓監督のフィルモグラフィーを見るとこうした系統の題名を持つ作品がいくつかあったことがわかる。熊井監督の第一作が「帝銀事件・死刑囚」、また「謀殺・下山事件」という作品もあった。いずれも実際に起きて日本を震撼させた事件を題材にとりあげたドキュメンタリー調社会派作品だ。いずれもタイトルは知っていたんだけど残念ながら現時点で僕は未見である。熊井監督の作品というと「天平の甍」とか「千利休・本覚坊遺文」といった歴史ものの話題作は見ているのだが…未見で観たいものに三船・石原プロ合作の大作「黒部の太陽」もあるな。他にも遠藤周作文学の映像化も多い。こうして並べてみると実に作品の幅が広い監督だなと思わされる。

 そして今回の「日本の黒い夏・冤罪」だ。タイトルからして熊井監督の「帝銀事件」や「下山事件」の系譜に繋がる映画であることが明白に分かる。制作発表時から話題になっていたので僕も採り上げるテーマはかなり早い段階から耳にしていた。そう、1994年の「松本サリン事件」が題材なのだ。説明の必要はほとんど無いと思うが、オウム真理教の信者が係争中の裁判を妨害する目的で無差別に猛毒ガス・サリンを住宅地で噴霧し、死者7名を含む多数の被害者を出してしまった凶悪事件だ。これが伏線となって翌年三月の「地下鉄サリン事件」へと繋がっていく。この日本中はおろか世界中を震撼させた大事件がとうとう映画の題材としてとりあげられることになったわけだ。

 ただし、これもわざわざ説明することは無いとは思うけど、この映画は厳密にはカルト教団による凶悪事件を描くことが趣旨ではない。タイトルに「冤罪」とあるように、本作の主なテーマは、この事件の被害者の一人で第一通報者である河野義行さん(映画では「神部」となっている)が、警察やマスコミ、世間から「疑惑の人物」と見なされ、ほとんど犯人扱いされた、「冤罪」に危うく至りそうになった状況にメスを入れることだ。この事件の時にある程度の年齢に達していた人には共通して記憶にあるテーマである。かく言う僕だって河野さんが自ら某局のTVに出てくるまではかなり「犯人じゃないか」と思っていたものだ。「犯人」とまでいかなくても「事故を起こした人」とは思っていた。あのとき日本中の多くの人が同じことを考えていただろう。もちろん化学の詳しい知識のある人は毒性物質が「サリン」と判明した時点でとても河野さんみたいな人が出来ることではないと分かったようだけど。

 どうして「第一通報者の会社員が怪しい」と当時の僕が思ったか。それは警察が大急ぎで河野さん宅を家宅捜索をしたこと、実際にあれこれと薬物が出たこと、それをマスコミが大々的に報じ、この「会社員」がかなり怪しいという報道の仕方をしたのが確かに大きい。よく覚えているんだけど、某局のニュースでアナウンサーがその「第一通報者宅」前で「この凶悪な事件が、近所の住民によって起こされたとは、何ともやりきれない気持ちです」などと興奮して報告していた。この映像を見ていた僕は「おいおい、それはまだわからんだろう」と一応ツッコミは入れていたんだけど、それからしばらく続いた狂騒の中で「事故ぐらいは起こしたかも」というぐらいに考えるようになっていた。某週刊誌は河野さんの先祖まで遡った話を書き立てていたっけ。

 もちろん、今から自分なりに分析してみると僕がそうした報道をある程度受け入れる原因も確かにあった。とにかく事件発生時は何が起こったのかサッパリ分からず、その甚大な被害もあいまって、ただただ恐怖心だけがつのっていたわけだ。人間、「分からない」ことに対する恐怖ってのが実は一番怖い。そこへ「発生場所の家の人が薬物を持っていた」あるいは「薬物調合に失敗したと言っていた」という話を耳にすると、「あぁ、そうなのか」と勝手に納得して安心してしまうのである。自分が理解できる範囲に話を持ってこれるわけだ。実際にはそんな理解の範囲を飛び越えたところに真相があったわけだけど…たぶん疑惑報道を信じた多くの人が同じような心理でいたのではなかろうか。

 映画についての話がなかなか出てこず、個人的な思い出話がダラダラと続いてしまっているようだが、この映画を見る人は誰もが似たようなことをそれぞれに考えさせられるのだ。この映画は、主に河野さんをモデルにした神部さん、警察、地元マスコミの人々を中心に描かれているが、実は観客の大半もこの映画の「登場人物」の一人なのだ。これがこの映画の面白さであり、怖さでもある。
 映画は高校の報道部員が松本サリンの冤罪事件をテーマにドキュメンタリーを製作し、その中で神部さんや地元TV局の報道部スタッフに取材していく過程を主軸にしている。脚色はかなりされているのだろうが、高校生達がTV局スタッフを取材したという事実はあったようだ。当初この設定を聞いたときは何だかウソっぽい語り口になってしまうんじゃないかという恐れを抱いたものだが、実際に見てみるとこれはこれで正解だったと思えた。聞き手の高校生役の遠野凪子は純真で真摯な名演を見せ、この映画を決して暗い印象だけにしないことに貢献している。 これに誠実に応対する報道部長役の中井貴一も落ち着いた熱演で、いかにもそれっぽいキャラクターとなって映画全体を引き締めている。

 高校生達の「なぜ冤罪報道が生まれたのか?」という取材にTVスタッフらが応じる中で、事件発生から無実が確定するまでの過程が映画の中で再構成されていく。セミ・ドキュメンタリーとでも言うべきスタイルで、緊迫感はかなりのものだ。実際に松本市内でのロケも多く、当時の報道の過熱ぶりがリアルに再現されている(リアルと言えばサリン中毒になる被害者の映像もゾッとするほどリアルなものだ)。
 報道ばかりではない。それに情報を提供し、「神部犯人説」を固める警察の動きもTVスタッフを通して細かく語られる。特に神部を参考聴取(とは名ばかりの尋問)するシーンは、刑事役のお二人の不気味な迫力もあってとにかく怖い。いやホント、こんな調子で「自白」をさせられてしまうんだろうなというリアルな恐怖を感じる。

 しかし石橋蓮司の演じる刑事は単純な悪役ではない。むしろ劇中では警察の上層部の体質をえぐり出す役割を担っている。正義感に燃え、被害者のためにも絶対に犯人を挙げると誓うこの警部は、神部を尋問する過程で「限りなくシロに近いダーク」という印象を受ける。しかしいったん「犯人」と見なした警察上層部は何としても「神部逮捕」に執念を燃やし続ける。このあたりを中井貴一の報道部長に警部が吐き捨てるように激白するシーンは、この映画のキモといえるだろう。
 しかもこのシーンの重要な点がもう一つある。この場面自体はフィクションであるが、この中で警部が「富士山麓のカルト集団が異臭騒ぎを起こし、サリンの材料を大量に購入しているのが分かった」と情報を漏らす。これは実際にこの時点ですでに警察が入手していた情報だったのだ。じゃあなぜそちらに調べが行かないのか…と誰もが思っちゃう所だが、この辺りもこの映画は断定は避けつつも「地下鉄サリン事件」につながる警察上層部(特に東京の警察庁が深く関わる)の体質にメスを入れていくのだ。

 警察、そして報道。この中井貴一の報道部長が率いるニュース番組では調査の上で「神部シロ説」を組みたて、番組を制作する。しかし単純な正義感からの行動とは描かないところがミソで、実は中井貴一の報道部長は内心「他局と違うことをやれば視聴率が稼げる」という実に民間TVマンらしい思惑を持っているのだ。彼の部下の一人に生き馬の目を抜くような視聴率競争の持論を展開し、「神部クロ説」で突き進むTVマンが出てくるが、結局の所両者のゴールは一緒だったと報道部長は高校生達に説明する。この辺も冤罪が生まれてくる背景を語る上で欠かせない要素としてじっくりと描かれる。

 そして最後にその報道を受ける一般市民の問題だ。「神部シロ説」を展開した特番は高視聴率を獲得するが、視聴者から怒りの抗議電話が局に殺到する。視聴者もまたやり玉に挙げる憎むべき「犯人」を欲しているのだ。また、神部宅への嫌がらせ電話などの一般市民による迫害の様子も丁寧に描かれ、「冤罪」を生み出すもう一つの、そしてある意味最大の要素を映画は告発してくるのだ。このシーン、自分の身に覚えが誰にでも多少はあるはずで、自分にもあるであろう人間の非常に醜い部分をズキズキとえぐられる思いがする。

 ともあれ、サブタイトルに「冤罪」と入った理由が映画を見通すとよく分かる。ただ、それに話を絞った方が良いんじゃないかなぁと思ったところもある。映画の終盤、事件が「カルト教団」の仕業であったことが判明したところで、映画は松本サリン事件の徹底再現をした映像をクライマックスのように流し出すのだ。これはこれで実に力作であるし、平和な一般市民の日常が凶悪な犯罪によって破壊される様子を見事に再現していると評価できるのだが、一方でこの映画のメインテーマである「冤罪」とは直接的には繋がらないんじゃないか、ちと浮いてるぞ、という感想も持った。これはこれで別の映画が一本出来るなと思っちゃったものだ。(2001/4/9)


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