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「はじまりのみち」
2012年・日本
「はじまりのみち」製作委員会・松竹
○監督・脚本:原恵一○脚本協力:丸尾みほ○撮影:池内義浩○美術:西村貴志○音楽:富貴晴美
加瀬亮(木下恵介)、田中裕子(木下たま)、ユースケ・サンタマリア(木下敏三)、濱田岳(便利屋)、宮崎あおい(学校の先生/ナレーション)、大杉漣(城戸四郎)ほか




  木下恵介生誕百周年映画。木下恵介は大正元年(1912)生まれだったのだ。「二十四の瞳」「カルメン故郷に帰る」「喜びも悲しみも幾年月」などなど、多くの名作を世に送り出し、日本映画史上の大監督とされる木下恵介だが、僕自身はどうも食指が動かないジャンルが多いということもあって、これまでこの監督の映画で全編ちゃんと鑑賞したのは戦時中に製作された「陸軍」一本だけだったりする。そしてこの「はじまりのみち」はその「陸軍」と深く結び付く内容だと聞いたので鑑賞してみる気になった。
 それともう一つ、この映画には話題があった。「クレヨンしんちゃん」劇場版のアニメ監督として高い評価を受けた原恵一監督の初実写映画でもあったのだ。それもこの映画に興味を抱いた一因だったのだが、白状すると原監督のアニメ映画も現時点では一本も見ていない。僕が少年時代に大好きだった「かっぱおおさわぎ」を執念でアニメ化したと知った時に大いに興味を抱いた監督なんだけど、ついついこれまでアニメ作品については未鑑賞で、気がついたらこの初実写映画を最初に見る羽目になってしまった。

 太平洋戦争のさなか、当時気鋭の新人監督であった木下恵介は映画「陸軍」を製作する。名前が示すとおり、これは陸軍肝煎りの戦意高揚映画で、明治時代から昭和前期までの陸軍と関わり続けるある一家の歴史を描く内容だったのだが、ラストシーンが軍部の怒りを買ってしまう。出征する息子を、最初は見送るまいと気丈にふるまう母親(演:田中絹代)だったが、ついに耐え切れなくなって息子を追って走り出し、町中を行進する出征兵士たちの中から息子を見つけ出して並走、涙ながらに見送るというラストなのだ。別に反戦を唱えたわけではなく、出征を見送る母親の心情をそのままに描いただけなのだが、これが軍の情報局から「めめしい」とにらまれてしまったのだ。

 この逸話自体は僕も「陸軍」鑑賞前に知ってはいた。そして実際に見てみても、問題のラストシーンの唐突さに驚いた覚えがある。唐突というか、それまでの映画の流れとの違和感というのか、お国へのご奉公な話から、最後に個人の感情の爆発が起こるクライマックスは、反軍反戦の意図はないとしても映画本来の流れからの逸脱は明らかにあった。そこに木下の意図がどれほどこめられていたのかはわからないけど。ただ、戦後に日本の戦意高揚映画をチェックしたアメリカ人が「これは反戦映画か」と言ったとされるほど日本の「戦意高揚映画」は悲壮感を盛り上げる傾向があって、案外「陸軍」もその流れだったかもしれないのだ。

 それはそれとして、「陸軍」の内容が軍部ににらまれた木下は、松竹に辞表を出して故郷の浜松に帰ってしまう。その浜松の町も空襲にあい、実家も焼けてしまって木下一家は少し離れた山間部の親族のところに疎開することになる。しかし寝たきりの母親をどうやって運ぶかという問題になり、木下恵介自身がリヤカーに母親を乗せて現地まで歩いていくという、かなり無茶な強行軍を実行することになる。さすがに恵介一人では無理なので兄の敏三(演:ユースケ・サンタマリア)とアルバイトで雇った便利屋の若者(演:濱田岳)一人が同行、映画はこの四人のロードムービー(?)の様相を呈することになる。リヤカー移動のロードムービーというのも初めてだろうな。

 母親をいたわって黙々とリヤカーを引き続ける恵介、それを支える敏三、そしてブツブツ文句を言ったり、宿泊先の女の子にちょっかい出したりと軽薄な印象を与える便利屋の三人のアンサンブルが退屈になりそうな話をうまいこと引っ張ってゆく。特に、僕も実を言うとCMの「金太郎」でしか知らなかった濱田岳の便利屋が実に美味しいポジション。チャランポランな軟派男と思っていたら、恵介が映画監督だとは知らぬまま、終盤唐突に映画「陸軍」を見たこと、そのラストシーンで感動したことを作り手本人の前で語りだすという展開が見事。恵介は彼の言葉により、自分の映画作りが間違っていなかったこと、自分の映画をしっかりと受け止めてくれたごく普通の一般大衆がいたことを身をもって知って、さらに母親の後押しもあって一度は投げ出していた映画製作へと戻るキッカケとなるわけだ。
 このリヤカー強行軍の話自体は実話らしいが(エンディングで泊まった旅館の現在の姿が出てくる)、この便利屋さんのエピソードが元ネタありなのかどうか気になる。また、この旅路の途中でちらちらと思わせぶりな演技や風景が映されるが、これはいずれも後に作られた数々の木下作品のシーンの「引用」とのこと。僕自身はほとんど見てないからわかんなかったんだけど、途中で明らかに「二十四の瞳」だな、と分かるシーンがあったので、そうなんだろうと察しはしたが。

 一行は無事に目的地につき、便利屋は帰ってゆき、母親が恵介に映画監督に戻るよう諭して、あっさりと話は終わる。そのあとは字幕で木下の映画界復帰が語られ、戦後に木下恵介が作った名作の名場面の数々がメドレーのように流されてゆく。これ、見たことのある人には「ああ、あの場面も、このシーンも!」と感動ものなのであろうけど、見てない者としては…もともと木下恵介記念企画なんだし、先に木下映画を見た人が見るべき映画なんだろうな、本来。
 このラスト、たとえて言えば「ニュー・シネマ・パラダイス」のラストシーンみたいな効果はあるんだけど、見てない映画ばかりのせいか、僕にはかなり過剰な連続上映にも思えた。ちゃんと測ったわけではないが、この「木下恵介アワー」、10分弱くらいなかったか?もともとそういう企画だから…といえばその通りなんだけど、松竹自体が製作してるせいもあって力が入りまくり、実質松竹の抱える映画ソフトの宣伝のような気までしてくる。映画本編だけでは釈が足りない、ということもあったのかもしれないけど、一本の独立した映画作品としてはやりすぎだろう。映画本編は小品ながらしっかりとまとまっているだけに、「おまけ」が豪華すぎてせっかくの本編の価値を落としてしまったようにも見えたんだよな。(2016/5/28)




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