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「インビクタス/負けざる者たち」
Invictus
2010年・アメリカ
○監督:クリント=イーストウッド○脚本:アンソニー=ベッカム○撮影:トム=スターン○音楽:カイル=イーストウッド/マイケル=スティーブンス
モーガン=フリーマン(ネルソン=マンデラ)、マット=デイモン(フランソワ=ピナール)、トニー=クゴロギ(ジェイソン=ジャバララ)、ジュリアン=ルイス=ジョーンズ(エティエンウ=ファイダー)、パトリック=モフォケン(リンガ=ムーンサミ)ほか




  「マンデラの名もなき看守」から始まり、「遠い夜明け」を経て、この「インビクタス/負けざる者たち」まで、南アフリカ現代史もの3作を立てつづけに見てみた。この「インビクタス」はアパルトヘイト廃止後の南アを描いているので、最後に見てちょうどよかった感じ。とくに主役がネルソン=マンデラ当人(演じるはモーガン=フリーマン)ということもあり、「マンデラの名もなき看守」とのつながりがかなりある。

 映画はネルソン=マンデラが解放された直後から始まる。白人たちがラグビーをプレイしているグラウンドの、道路を挟んだ反対側では貧しい黒人たちがサッカーに興じている。その道路を釈放されたマンデラを乗せた車が走ってゆき、黒人たちは熱狂、白人たちは当然面白くなく今後に不安を覚えるという、道路を挟んで見事に対照を浮かび上がらせるなかなか巧みなオープニングだ。劇中でも説明があるが、当時の南アではラグビーは白人たちのスポーツであり、黒人たちは手軽なサッカーが主流でラグビーとはてんで縁がなかったという。

 間もなくアパルトヘイトは廃止され、黒人も参加した大統領選挙によりマンデラが南ア初の黒人大統領に就任する。ついこのあいだまで犯罪者、テロリストとして刑務所に長いこと収監されていた人物が国の頂点に立ったわけで、白人たちとしては当然面白くない事態であった。大統領府のスタッフの白人たちも追い出されると覚悟していたが、マンデラは黒人と白人の融和を説き、スタッフをそのまま混在させる。映画ではとくに大統領の警護チームに焦点を当てて、それまでマンデラら黒人運動家を弾圧していた白人たちと、マンデラを崇拝する黒人たちという、いわば「旧敵」どうしが合同チームを作らされ、当初の軋轢から次第に和解して行く過程が印象的に描かれてゆく。

 話のメインとなっているのは南アフリカのラグビーナショナルチーム「スプリングボクス」だ。もともと南アはラグビー強国だったが、プレイしているのは本来少数派の白人ばかり。おまけにアパルトヘイトへの批判から国際大会への出場は長い間認められず、映画の中でもその時期に現役だったラグビー協会幹部が低迷する現役プレイヤーに八つ当たりしてる場面がある。アパルトヘイト廃止により南アが開催国となって1995年のラグビーワールドカップに参加できることになるのだが、チームの成績は低迷しっぱなし、おまけに黒人たちからアパルトヘイトの象徴的存在としてチームカラーと名前の変更を迫られるという状況だった。
 だがマンデラはこの「スプリングボクス」こそが人種融和の象徴になれると直感し、そのチームカラーと名前を守り、キャプテンのフランソワ=ピナール(演:マット=デイモン)を大統領官邸に呼び出して激励する。スプリングボクスは黒人たち相手のラグビー教室を各地で開催するなどラグビーになじみのない黒人たちへのアピールに狩りだされ、唯一の黒人選手チェスター=ウィリアムズは人種融和の象徴的存在としてスターに祭り上げられる。こういう政治的な「ちょっかい」に不満を抱くメンバーもいたが、キャプテンのピナールは次第にマンデラの人柄にひかれてゆき、その理想実現のためにもチームの勝利を目指そうとする。

 見ようによっては見事なまでに「スポーツの政治利用」なのだけれど、一歩間違えれば「白人への報復」になりかねない状況の中で「人種融和」を説き、その象徴としてラグビーチームをみんなで応援しよう、という「理想的政治利用」として映画の中では描かれている。後半は「強大な敵・オールブラックス」相手に挑んでゆくスポーツ映画王道な展開になってゆき、史実の通り優勝しちゃって(事実だから変えなかったんだろうけど、トライが一度もないラグビーはつまらんなぁ)黒人も白人も仲良く応援、警備チームも一体感を持って大いに盛り上がることになる。ただ聞いた話では実際には映画のように綺麗にはいかなかったようで、黒人側もそううまい具合にみんなでラグビーで盛り上がったというわけでもないようだ。ま、この辺は映画ならではのウソもある、ということで。

 オールブラックスと言えば、日本人には「ガンバッテー、ガンバッテー」でおなじみ(笑)の「ウォークライ」もちゃんと出てくる。そのオールブラックスの無敵の戦歴をマンデラがチェックする場面で、「145対17」という凄まじいスコアで日本を破ったというセリフが出てくるが、これはこの1995年ワールドカップの予選で実際に記録されたもの。

 マンデラを演じたモーガン=フリーマンは、マンデラご自身のご指名だったとかで。まぁそういえば風貌は似てなくもない。反感も抱いていた白人が接するうちに次第にその人格に魅入られて行くという描写は「名もなき看守」にも見られるものだが、モーガン=フリーマンが演じるとなおさら説得力がある。といって「神格化」しようというわけでもなく、この映画ではマンデラが意外とお茶目な一面も見せるし、家庭内不和の問題も描かれるなど、「人間マンデラ」にささやかに迫る描写もある。
 決勝戦を前にスプリングボクスの選手たちが、かつてマンデラが収監されていたロベン島の刑務所を尋ねる場面も印象深い。マンデラの独房に入り、マンデラが石を割る作業をさせられていた中庭を見たりするのだが、「マンデラの名もなき看守」を先に見ていると、「あ、あそこだ!」とつながりが実感できてしまう(ロケ地が同じかどうかは知らないが、まるっきり同じに見える)。この刑務所を見たピナールは「あれだけの目にあって、どうして許すということができるんだろう?」と考えこむのだが、これなどは世界中にある人種・民族対立の解決といったところだろう。

 監督はもはや職人的名監督として定評のついたクリント=イーストウッド。モーガン=フリーマンとは何度も一緒に仕事してるし(「許されざる者」でのガンマン仲間ぶりは当人同士そのままみたい)、フリーマンの方からイーストウッドに話をもちかけてこの映画の監督を引き受けることになったという。特に良い出来、というものでもないけど脚本をしっかりと盛り上げる映画に仕立ててるあたり、やはり職人的と思う。考えてみりゃもう80になろうっていう高齢監督なのに、こんなスポーツネタ映画を南アまで出かけて撮るんだから大したもの。良く見れば音楽担当とラグビーチーム一員に息子さんが配されている(笑)。(2012/8/15)



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