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「人間の條件」

1959〜1961年・日本
○監督:小林正樹○脚本;松山善三・小林正樹○撮影:宮島義勇○音楽:木下忠司○原作:五味川純平
仲代達矢(梶)新珠三千代(美千子)
第一・第二部…山村聡(沖島)石浜朗(陳)宮口精二(王享立)淡島千景(王東福)有馬稲子(楊春蘭)南原宏治(高)ほか
第三・第四部…佐田啓二(影山)佐藤慶(新城)田中邦衛(小原)藤田進(鳴戸)内藤武敏(丹下)川津祐介(寺田)ほか
第五・第六部…岸田今日子(竜子)金子信雄(桐原)中村玉緒(避難民少女)高峰秀子(避難民女)笠智衆(避難民長老)ほか




  NHKのBSプレミアム、山田洋次が選ぶ「家族の映画100選」の一作として6夜連続で放映されたので(「家族の映画」はコジツケで、実質終戦記念日前後の戦争特集の一環だと思う)、このたび初めて全編を見る機会を得た。以前レンタルでVHSを借りて第一部、第二部までは見たことがあったのだが、それっきり続きを見るのがおっくうになっていた。それだけ実に「重い」映画なのだ。

 全6部作、合計およそ9時間30分、という日本映画史上最長の超大作だ。ある時点まで「世界最長」との評価もあり、ギネスブックに載っていたこともあるという。ただこの手の映画は一挙に製作・公開されることはまずなく、何部作かに分けるのが通例で、それを一続きの映画と見なせるのか、という問題もある。この「人間の條件」も二部ずつ三度に分けて製作・公開されていた。
 ついでなんで「長い映画」について脱線話をすると、ストーリーが完全にひとつながりになっている映画ということでは「ロード・オブ・ザ・リング」三部作のスペシャルエディション版が現時点では世界最長の映画と思われる(劇場公開版で9時間19分だが、スペシャル版は11時間21分ある)。ソ連の戦争映画・文芸映画にも長いものが多く、「戦争と平和」四部作とか「ヨーロッパの解放」みたいに7時間、8時間超えの作品もある。僕は一度「戦争と平和」が錦糸町の映画館で一挙上映された時に見に行ったことがあるが、あそこまで来ると映画鑑賞もマラソン並みだなと思ったものだ。

 日本映画で「人間の條件」に続く長さなのが日活映画「戦争と人間」(山本薩夫監督)の三部作9時間20分。実はこれ、「人間の條件」と同じく原作が五味川純平の大河小説だ。「戦争と人間」は膨大な数の架空人物を登場させ、満州事変から太平洋戦争に至る史実と巧みにからめた群像劇作品だったが、「人間の條件」は梶という主人公一人をど真ん中に据えて、戦時の満州を舞台にその苦難の彷徨を直球勝負で描いた。物語としてはこちらの方が感情移入しやすくとっつきやすいのは確かで、原作小説が当時大ベストセラーとなったのもうなづける。
 ベストセラーになった小説だけに映画化の企画は自然と出て来たようだが、これだけの超大作、しかも娯楽作ではない社会派問題作が製作可能だったのはやはり日本映画の全盛期にあたっていたからだろう(それでもこの映画を製作した「にんじんくらぶ」はその後まもなく倒産する)。今回のNHKでの放映では主演の仲代達矢の結構長めのインタビューが流れたのだが、それによると映画化決定後、主人公「梶」役を誰が射止めるのか、業界内では自薦他薦が入り乱れ、なかなかの争奪戦であったらしい。小林正樹監督も梶役を誰にするか迷いに迷い、ふと一度仕事をしたまだ当時は新人と言ってよかった仲代達矢を起用してみる気になったとのこと。結局これが大当たりとなり、梶と言えば仲代達矢、というほどに一体化したイメージとなり、仲代達矢もこの梶役で一気に映画スターの地位を確立することになった。

 全6部作となったこの映画は一年に二部ずつ公開された。劇場によって扱いが異なったらしいが、一応間に休憩をはさんで二部を続けて上映するスタイルが基本だったらしい。このためオープニングのキャスト・スタッフクレジットも一部、三部、五部の冒頭にだけ置かれている。
 物語は全編、日本が支配していた満州を舞台に展開される。主人公・梶はインテリのヒューマニストで、美しき新妻・美千子(新珠三千代)と共に満州のとある鉱山に赴く。そこで中国人労働者の管理を任されることになり、多くの日本人監督が中国人労働者を奴隷のようにこき使う現状を改善しようと奮闘する。そこへ憲兵により中国人捕虜(実態は普通の村人を強制連行)たちが大量に連れて来られ、梶は彼らを人間らしく扱おうとしつつもその逃亡を許すことはできないという難しい立場に立たされてしまう。捕虜たちも梶の性格につけこむ形で脱走を繰り返し、とうとう憲兵による試し切り同然の処刑が始まり、板挟みで苦しむ梶はついに憲兵に反抗して捕虜たちを救う。だがそのために梶は軍隊に徴兵されることとなる。
 なるべくネタばれ回避で書いて、ここまでが第一部・第二部の約3時間。ロケは大半が北海道のどこかの鉱山なのだろう。数多く登場する中国人たちも全て日本の俳優で中国語を話している。中でも宮口精二(「七人の侍」の直後ぐらいの出演)の中国人っぷりは堂に入ったもの。これを中国の人が見たらどう感じるか、聞いてみたいところだが。なおタイトルの「人間の條件」につながる「これはあなたが人間でいられるかどうかの分かれ道だ」という趣旨のセリフは宮口の口から発せられる。五味川純平の経歴をみると実際に満州の鉱山で働いた時期があるそうで、ここで描かれた過酷な状況もそこでの体験がもとなのだろう。

 続く第三部・第四部は軍隊編。満州とソ連の国境近くの部隊に配属された梶は、もともと憲兵に「アカ」とにらまれている上に、新入り兵士の常で同じ内務班の上等兵たちにいじめられまくる。古今東西軍隊というのはそういう体質であるらしいが、とくに日本陸軍のいじめ構造というのは凄まじいものがあったようで(今だって部活動の一部に似たような光景があるし)、とくに大学出のインテリなんていうと、ここぞとばかりにいじめのターゲットにされたものらしい。こうした内務班の実態は山本薩夫監督の「真空地帯」や、同じ山本監督の「戦争と人間」でも見ることができる。本作でのそうした内務班描写も凄まじいばかりで、ヒューマニスト・梶がそんな軍隊の中でも自分の部下達には人間らしく接しようとすることでかえって軋轢を生む、という構図は第一・第二部にも通じるところ。
 この軍隊編で印象的に登場するのが、これまた当時新人であった佐藤慶と田中邦衛。いずれも「この役にいい人いない?」と監督に聞かれた仲代達矢が、自身の所属する俳優座の仲間の中から推薦し、見事にハマり役になったものだそうで。佐藤慶が演じるのは明らかに左翼思想に染まったインテリ兵士で、国境を越えてソ連への亡命を図る。かたや田中邦衛は何をやってもドジばかりでいじめられまくる兵士役で、とうとう最後には銃で自殺してしまう。その自殺も何度も失敗し、「生きよう」と思いなおした途端に「成功」してしまうという、ついつい笑ってしまうような哀しい最期である。
 第五部ではついにソ連軍が満州へとなだれこんでくる。自衛隊の協力を得て演習場で撮影されたという戦闘シーンは白黒映画のせいもあってかなかなかの迫力だ。さすがにソ連軍の戦車が調達できるわけもなく、自衛隊が所有する戦車に草木のカモフラージュをしてゴマカシている。仲代達矢自身もインタビューで「若かったんですな」と言っていた、戦車をギリギリ避けて塹壕に飛びこみ、その上を戦車が走り抜ける危険なカットもあって見どころ十分だ。

 そして梶の属する部隊がほぼ全滅したところから始まる第五・第六部は、敗残兵となった梶たちがひたすら満州の原野を放浪するストーリー。これも原作者の五味川純平が実際に部隊全滅(生き残ったのは彼自身を含む数名程度)の憂き目を見た体験をもとにしているという。梶たちは他の逃亡兵や難民たちと共に、飢えと疲労、そしてソ連軍や中国民兵らの攻撃に耐えながら生きる道を探し求める。第一・第二部では支配的立場の日本人の横暴、第三・第四部では軍隊と戦争の非人間性が描かれたが、この第五・第六部で描かれるのは敗戦がもたらす悲惨な現実だ。キツさということではここが一番キツいかもしれない。
 突然難民の立場に転落した日本人たちが遭遇する理不尽な悲劇。とくにこの第五・第六部では女性たちの悲劇が多く描かれ、やりきれなさがいっそう増す。単に被害者になるだけでなくしたたかに生きていく「女の強さ」を描くところもあるのだが。あまりにも悲しい運命に見舞われる「美少女」を中村玉緒が演じているのが今見るとビックリかも。淡々とした口調であきらめの境地に達したような中年女を演じた高峰秀子も忘れ難い。
 主人公・梶も驚異的な正義感と生命力を保っているが、次から次へと襲ってくる現実にだんだんやさぐれていく感もある。「なんで全滅しなかった」と怒鳴る日本軍人にもキレるし、容赦なく襲ってくる中国人に対してもさすがに嫌悪感を抱きだす。そして梶自身はそうでもないが登場人物たちの何人かがシンパシーを感じていた社会主義国ソ連もまた、現実には横暴きわまる存在であることが明らかになる。梶たちは最後にはソ連軍の捕虜となり今度は悲惨な強制労働を課せられることになり、おまけにそこに終盤一貫して悪役の金子信雄が要領よく立ち回って梶をいじめに来るからたまらない。ついに梶は最後の手段に打って出てしまうのだが、鑑賞者としてはついつい溜飲が下がる思いをしてしまった。金子信雄、このころからさすがだ。

 この部分を見ていて思い出したのが、十年ほど前に中国にツアー旅行した際、同行していたある老人の体験談だ。その人も敗戦時の満州で部隊が散り散りとなり(戦闘によるものではなく指揮官がいなくなっての自然解散だったとか)、原野を延々と放浪した末にようやく町にたどりつき、そこでまず散髪をしたのが嬉しくてしかたがなかった、という話をしていた。その後ソ連軍の捕虜となってシベリア抑留も体験したそうだが、シベリアに送られる前に収容されていた牢で、牢番をしていた朝鮮人兵士から日本語でなぐさめられ、かえってそれで自分たちがどんな支配をしてきたのかと思い知らされ愕然とした、という話もしていた。「人間の條件」のこの部分をその老人がご覧になったかは知らないが、かなり重なるのではないかと思ったものだ。
 この満州原野の放浪部分も当然北海道ロケ。まぁ見ている限りではそれほど不自然には見えない。ラストシーンはサロベツ原野だったと仲代達矢が証言していた。

 ラストはあえて書くまい。僕は父が原作のファンだったのでラストは知っていた。もちろんモデルの原作者自身はシベリア抑留からも無事に生還しているから小説が書けたわけだが、小説としてはこういう終わり方にせざるを得なかったかもしれない。
 主人公・梶のヒューマニストぶり、強靭な生命力を持つ正義感の持ち主であることには、「あんなに強い人間はいないよ」という批判もあった、とその梶を演じた仲代達矢は語っていた。でもそういう絵に描いたような「ヒーロー」がいたからこの小説は感情移入もしやすく、読者の共感を呼んだのだろう。もちろん正義が勝つ、なんてことはなく、主人公が正義を貫こうとすればするほどひどい目にあうというお話であるわけだが。
 全編見終えてみると、「人間の條件」というタイトルも実に意味深だ。狂気の時代の中で主人公がより「人間」たろうとする物語であるわけだが、彼にとって「非人間的」と思われることをやってしまうのもまた「人間」の実態なのだ。戦争の時代という異常な状況を描きつつ、「人間性」ってなんだろう、という根本的な問いかけもこの作品にはある。

 五味川純平はこの原作の大ヒットののち、梶のような一個人から見た戦争ではなく、日本が戦争を起こし、破滅に向かっていた原動力はなんだったのかを問うべく、よりスケールの大きい群像劇を小説にした。それが「戦争と人間」で、こちらも超大作映画として製作されるわけだが、それについてはそちらの方で。(2011/9/16)



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