映画のトップページに戻る
「マンデラの名もなき看守」
GoodbyeBafana
2007年・ドイツ/フランス/ベルギー/南ア/イタリア/イギリス/ルクセンブルク
○監督:ビレ=アウグスト○脚本:グレッグ=ラター/ビレ=アウグスト○撮影:ロベール=フレス○音楽:ダリオ=マリアネッリ
ジョゼフ=ファインズ(ジェームズ=グレゴリー)、デニス=ヘイスバート(ネルソン=マンデラ)、ダイアン=クルーガ―(グロリア)ほか




 公開時には全く気がつかず、NHK衛星で放送したのを録画して初めて鑑賞した。当サイトではかねて「歴史映像名画座」なるコーナーをやっていて古今東西の歴史映画を網羅しようとたくらんでいるのだが、そのうちアフリカ史部分がどうしても本数が少ない。考えてみれば南アフリカのアパルトヘイト関連で何本かあるんじゃないか…と思っていたところへこの一本が放送され、いい機会なのでこれに続けて「遠い夜明け」「インビクタス/負けざる者たち」といった南ア関連の映画を立てつづけに見てみることにした。

 よくあることではあるが、この映画、邦題と原題がまるっきり異なる。邦題は内容の分かりやすさを狙ったものだが「名もなき」というのが意味不明。まぁ「マンデラの看守」じゃあ客が来にくそうではあり、妙なブンガク的付け足しをするのはこの業界よくあることではあるのだが…。しかし「名もなき」といったって当然名前はあるし、知名度は確かにマンデラには劣るかもしれないがレッキとした実在人物で報道でもとりあげられたし、その著書が映画の原作となっているわけだから決して「無名」というわけでもない。
 原題の「Goodbye Bafana(さよなら、バファナ)」の方も、そのままでは意味不明だろう。これは映画でも描かれるのだが、主人公の看守・ジェームズ=グレゴリー(演:ジョゼフ=ファインズ)が少年時代に一緒に遊んだ黒人の子供の名前が「バファナ」で、彼との別れの言葉がタイトルになっている。映画の原作となった著書も同タイトルだったそうで、それなりに良いタイトルではあるんだけど、予備知識なしでは何の映画か分からないのも確か。

 今さらネルソン=マンデラの名を知らない人も少ないだろうが、南アフリカ共和国がアパルトヘイト(人種隔離政策)をようやく放棄し、ネルソン=マンデラが長い獄中生活から解放されたのはほんの20年ほど前の話。ネルソン=マンデラ当人は90過ぎの高齢ながらまだ健在だ。一方でこの映画の主人公グレゴリーの方は映画を見ることなく2003年にこの世を去っている。

 主人公ジェームズ=グレゴリーは刑務所の看守。少年時代に黒人の子バファナと一緒に遊んだ経験から、この地方の黒人の言語である「コサ語」の読み書き話しができたため、マンデラが収監されているロベン島の刑務所に赴任、ここでマンデラに送られてくる手紙を盗み読みしたり、面会の会話を聞きとる仕事につくことになる。彼自身はいたって平均的な南アフリカ白人市民であり、アパルトヘイトに特に疑問を抱くわけでもなく、マンデラについても共産主義系テロリストと認識していて、マンデラ絡みの仕事につくことは出世につながると家族ともども喜んで任地に赴く。

 能力を生かし忠実に仕事に励むグレゴリーだったが、言葉が通じるがゆえにマンデラと個人的接触を重ねるようになり、その人格に次第に敬意を覚えるようになっていく。自身が読みとったコサ語の手紙の情報がマンデラの息子を死なせる結果になったのかもしれないという精神的負い目や、子供たちと共に刑務所や町で黒人への迫害を目の当たりに見たことでアパルトヘイトそのものへの疑問も抱くようになり、マンデラたちの掲げる「自由憲章」の内容を確かめるべく禁書扱いになっている本文を半ば強引に読んで確認するという大胆なことまでするようになる。

 結局マンデラに便宜を図ってやったことがバレて、周囲の白人たちから白い目で見られ、ときには暴力までふるわれるなど彼自身が迫害を受ける立場になってしまい、彼ら一家はロベン島を離れる。その後、黒人たちの抵抗の激化と外国からの強い圧力を受けて南アフリカ政府もアパルトヘイトの見直しを余儀なくされ、マンデラもロベン島からより待遇のよい刑務所に移されて、ここでまたグレゴリーがマンデラの看守となって、より友好的な「交渉役」に近い立場でマンデラと接するようになる。そしてついにマンデラ解放の日がやってくることになる。

 マンデラも重要な登場人物だが、やはり主人公は看守のグレゴリーの方。演じるのはジョゼフ=ファインズで、僕にはちょっと懐かしい顔だった。1990年代の終わりごろに「恋に落ちたシェークスピア」「エリザベス」「スターリングラード」と、次から次へと主役でこそないものの重要な役どころで大作に出続けたが、その後は映画ではあまり顔を見かけなくなってしまった(お兄さんの方は良く見たんだけど)。僕としてはかなり久々の「再会」で、「さすがに老けて来たなぁ」などと思ってしまった。メイクのせいもあるのだろうが、やはり貫禄がついてきたというか。
 対するマンデラの方はデニス=ヘイスバートという俳優さんが演じてるのだが、オリジナルの当人の顔をよく知っているので、どうしても「似てない」ことが気になってしまう…若いころのマンデラさんならあれでもよかったのかな。「インビクタス」のモーガン=フリーマンはハマってたがなぁ…。

 この手の「実録系」映画は、どうしても「どこまでが史実なのか」が気になってしまう。グレゴリー氏本人の著書が原作だからおおむね史実なんだろうと思いたいが、ロベン島でマンデラと接近していく過程はちとドラマチックに過ぎる気はした。実際、マンデラ自身の自伝ではグレゴリーとの接触についてはロベン島を出て以後しか触れておらず、グレゴリーはロベン島でマンデラの手紙の検閲などはしていても個人的に親しく接近するようなことはしなかったという見方もあるらしい。確かに映画的にはこのロベン島のくだりが劇的で見所になっているのだけど、原作者当人の思い込み、自己宣伝の可能性もあるということで。
 基本的にはアパルトヘイトを批判し、マンデラを魅力的に描くこの映画だが、バランスをとる意味もあったのか、マンデラらの組織が爆弾テロを起こし、一般市民を含む17名の死者が出た事件が後半に挿入されている。この事件にグレゴリーは珍しく激怒し、マンデラらに詰め寄るが、「ソウェトで170人も殺しておいて、たった17人で大騒ぎか」とやり返されるやりとりは短いものの印象に残ってしまう。このソウェトでの事件は「遠い夜明け」で再現されているので、そっちも見てみると吉。

 世界中あちこちで人種・民族の対立があって、なかなか容易に解決できない。その中でこのグレゴリーという平凡な一個人が人種対立を乗り越えて理解し合い、友情を結び合えたところがこの映画の感動ポイントなのだが、思えば原作の題名にもあったように、もともとこの人、少年時代に黒人の友達がいた人であり、南アフリカの白人社会の中では黒人に理解のある人だったのではないかと思える。また逆に、子どもの時は友情が結べたのに大人になると…というようなテーマも重ねてもっと強調すれば、よりうまい盛り上がりになったかもしれない。(2012/8/13)
 


映画のトップページに戻る