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「光州5・18」

2010年・韓国
○監督:キム=ジフン○脚色:ナ=ヒョン○原案:パク=サンヨン○撮影:イ=ドュマン○音楽:キム=ソンヒョン
キム=サンギョン(カン=ミヌ)、イ=ヨウォン(パク=シネ)、アン=ソンギ(パク=フンス)、イ=ジュンギ(カン=ジヌ)ほか




 2000年代に入ったあたりから韓流だのなんだのといったブームが起き、なんだかオシャレなイメージがつきまとうようになった韓国だが、つい2、30年前までは軍事政権下にあり、下手すると北朝鮮といい勝負で国民の自由や権利が侵されていた国だということを知らない人は結構多い(ま、それ以前は韓国そのものをよく知らない人が多かったが)。僕が大学に入ったころは韓国はまだ「民主化運動」の最中であり、韓国からの留学生の中にはその運動家もいて、「民主化と統一は同時になされねばならない」「政府のスパイが留学生の中にいる」なんて話を僕に緊張しながら話していたこともあったぐらいで、ソウルで大学生が焼身自殺、なんてニュースが聞こえてきたりしたのもそんなに昔のことではない。例えば、よく書く話題なのだが、手塚治虫の「ブラックジャック」の一話「パク船長」(「隣国」からの亡命者を乗せた船の話)について北朝鮮のことと解説するような本があったが、あれは明らかに韓国の話なのである(亡命者の話自体はフィクションだけど)

 1960年代から70年代にかけて、韓国では軍人出身の朴正熙大統領が独裁体制を敷き、民主化運動を弾圧して体制を維持しつつ、対抗馬で亡命中だった金大中(のちに大統領になる)の抹殺を図る「金大中事件」などを起こした。こうした政治状況は韓国映画「大統領の理髪師」「シルミド」、日本映画「KT」で見ることができる。1979年にその朴正熙が暗殺されるとその部下の軍人・全斗煥がクーデターで政権掌握、1980年5月17日に戒厳令を敷いて金大中ら有力政治家を拘束する。その翌日の5月18日に、金大中の支持基盤である全羅南道の光州で市民がデモを起こし、これに対して軍が鎮圧行動に出て多数の死傷者が出た。これが「光州事件」だ。
 この事件は当時はもちろん政府によって隠蔽されたし(海外で報道はされた)、軍事政権が続く間はその真相追及もまともには行われなかった。民主化が進んで文民大統領が登場した1990年代半ばになってからようやく事件の責任追及と犠牲者の顕彰が行われるようになったのだ。事件自体は30年前のことだが、公に語られるようになってのはようやく十数年前のこと、ようやく今になってこうして映画が作られるようになった、ということだ。

 映画は冒頭からかなりの時間を割いて、5月18日の光州市民のごく平穏な日常を描いてゆく。主人公の青年ミヌ(キム=サンギョン)はタクシー運転手で、秀才高校生の弟ジヌ(イ=ジュンギ)と兄弟二人の貧しくも先行き明るい暮らしを送り、教会で見かけた美人看護師シネ(イ=ヨウォン)に一目惚れ。なんとか思いを打ち明けて恋人になりたいが恋愛オクテのミヌはタクシー運転手の兄貴分から「恋愛指南」を受けて不器用にシネに接近する。シネも戸惑いつつ悪い気はせず、父親のフンス(アン=ソンギ)に恋人候補がいることをほのめかす。実はフンスはミヌのタクシー会社の上司の元軍人で、ミヌの優しい人柄を温かく見守っていた。このほかミヌの兄貴分のタクシー運転手がキザでナンパなチンピラ男を客に乗せてトラブルになるなど、映画の序盤はおよそ光州事件とは関係ない微笑ましい庶民の日常描写が淡々と描かれてゆく。それに挿入する形でジヌたち学生らが反クーデターのデモをしたり、光州に軍の空挺部隊が飛来するなど「悲劇」の予兆がさりげなく示される。

 空挺部隊が市内にやって来てデモを暴力(さすがにこの時点では殺害はない)で鎮圧を図り、ミヌやジヌ、シネもそれに巻き込まれる。軍の横暴に怒った学生・市民達は大規模なデモを起こして軍と対峙する。この時点でも映画は序盤の「庶民的日常」描写を続けていて、ミヌはむしろこの騒動を利用してシネにさらなる接近を図ってるし、兄貴分のタクシー運転手や例のチンピラ男は政治的なことではなくどちらかというとお祭り気分でデモに参加し、兵士たちをさんざんからかう。空挺部隊は撤退するとの情報も流れ、楽観ムードが人々を覆っていた時、いきなり空挺部隊は市民に向けて実弾を発射する。映画的なフィクションだとは思うのだが、この銃撃シーン、正午に韓国国歌が流れ、デモの市民達が厳粛に歌うなか、兵士たちが冷然とその市民を殺戮し始める描写が強烈だ。市民達は自分たちこそが国家を体現する愛国者だと思っているのだが、軍人たちは彼らを反国家的な暴徒としか見なしていない、ということを視覚的にはっきり見せてくれる。

 ここからはさすがに一気に悲劇、凄惨な場面の連続。市民達に兵士が銃弾を浴びせる場面は歴史上何度となく繰り返されてきたが、とくにこの韓国映画におけるその描写はかなり「痛い」。男子高生・女子高生だろうが親子連れだろうがみんな容赦なく銃弾で撃ち抜いていく。病院での血の海の描写もまさに戦場そのものだ。前半までが楽しげな描写ばかりだっただけになおさら強烈(もちろん意図したシナリオだろうが)
 しかし市民達が泣き寝入りせず、自ら武器庫を襲って武装し、空挺部隊に激しい反撃を開始するところがこの事件の凄いところ。映画でも描かれるがそこは韓国、市民でも軍隊経験がある人が多く、武器の扱いに慣れているのだ。映画でアン=ソンギ演じる人物が元軍人で司令官役を務めるのはフィクションだろうとは思うが、モデルになる人物はいるのかもしれない。
 この市民達の反撃がかなりのもので、空挺部隊もいったんは撤退を余儀なくされる。ここで登場人物たちはまた序盤の明るさを取り戻し、半ばお祭り気分で戦闘をして、ひとまずの勝利を得ることになる。しかし光州市は軍に封鎖されて孤立状態、報道も統制され一部海外メディアが報じるも助けは間に合わない。翌日には軍の総攻撃が想定され、一部参加者は家族の懇願もあって市民軍を離脱、主人公のミヌもいったんはシネとともに市民軍から離れる。このあたりの描写は泣かせる展開になっているが、どうも史実では市民軍の中で強硬派と和平派の対立があり、この映画で描き方よりはドロドロとした実態であったようだ。

 歴史的事実だからしかたがないが、道庁に立てこもった市民軍は軍の攻撃を受けて壮絶に全滅する。映画に出てくる人物達はいずれもフィクションキャラなので逃がそうと思えば逃がせるはずで、事実ハリウッド映画なら確実に生き延びそうな展開も出てくるのだが、あっけないほどに全滅してしまう。それまでの明るい描写がかえって最後の悲劇性を増大する仕掛けで、ラストシーンは「この事件がなければありえたはずの幸福」が映されて、それが幻と消えてしまったという現実が観客に示され苦い余韻を残して映画は終わる。
 こうした歴史的悲劇を描く映画はいくつか見ているが、この映画は悲劇の強調の仕方が一味違う。あくまで映画として、前半特に楽しく見られる喜劇的な作りになっているのが特徴だ。そのために特に政治的意識が強いわけでもない庶民目線の悲劇がリアリティをもって描けたのだと思うが、その一方で当時の政治的背景の説明がほとんどないのが不満でもある(韓国ではみんな承知してるから、ということもあるんだろうが…)。総じて現代史暗部の告発というよりはエンターテイメント性が高く、この点では「シルミド」とよく似た映画と言えるだろう。

 なお、このところ韓国歴史ドラマを良く見ている僕には、主要キャストが「あら、この人がここに」という顔ぶれで面白かった。主人公ミヌは大河ドラマ「大王世宗」の世宗役、弟のジヌは韓国で大ヒットした映画「王の男」で妖艶な美少年役、ヒロインのシネは大河ドラマ「善徳女王」の善徳女王役だ。そして相変わらず韓国映画の話題作というといつも顔を見せてる気がするアン=ソンギ(笑)。この人がいると他の若手をうまいこと締めて映画に重みを与えてくれる。(2011/10/11)



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