映画のトップページに戻る
「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」

2012年日本・若松プロダクション/スコーレ
○監督:若松孝二○脚本:掛川正幸/若松孝二○撮影:辻智彦/満若勇咲○音楽:板橋文夫
井浦新(三島由紀夫)、満島真之介(森田必勝)、寺島しのぶ(瑤子)、岩間天嗣(古賀浩靖)、永岡佑(小賀正義)、鈴之助(小川正洋)、渋川清彦(持丸博)、水上竜士(山本舜勝)ほか




 このところビックリするほどのハイペースで話題作を製作・公開している若松孝二。かつてピンク映画の黒澤明と言われたなんていう過去は僕は全然知らず、本人も関わりのある連合赤軍事件を「総括」した2007年の「実録・連合赤軍〜あさま山荘への道程〜」で初めてこの人の映画を見た。そっちの感想は後日書くことにして、この「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」はその「実録・連合赤軍」と対をなす「70年代実録映画」で、だからこそ僕も見に行く気になった。「連合赤軍」にしても「三島事件」にしても現代史ものの「歴史映画」としてまず興味があったのだ。それにしてもどっちもやたら長いタイトルなのはなぜなんだ。

 僕は三島由紀夫の小説は一冊も読んだことがない。白状すれば、僕はブンガク青年度はかなり低く、古今東西の有名小説で手をつけたのはごくごくわずかだ。だが三島由紀夫、三島事件には大いに興味はあった。事件そのものの異様さもさることながら、実はこの事件、僕が生まれる直前に起こっていて、僕が自分の生まれた時期の新聞縮刷版を読んでいたらこの事件が生々しく語られていたので余計に印象が強かった。そのためこの事件についてはいろいろ調べてみたことがある。
 ノーベル賞確実とまで言われていた大作家が市ヶ谷駐屯地の東部方面総監を人質にとり、自衛隊によるクーデター、憲法改正をとなえて演説、そのあげくに切腹・介錯で自決。青年一人もその後を追って同様に切腹して果てた。とにかくあらゆる意味で異様な事件で、今日に至るまでさまざまに解釈・論議がなされてきた。映画界ではコッポラとルーカスがプロデュース、ポール=シュレイダー監督、三島役を緒形拳というなかなか豪華な顔触れでこの事件が映像化されたこともあるが、三島由紀夫の未亡人の反発で日本国内では公開されなかった(以前、この映画のビデオを都内で数万円で売ってるのを目撃したことがあったなぁ)。この三島夫人が三島由紀夫関連のものの多くにイチャモンを付けつぶしてきたことは有名だが、彼女の死後、そういう圧力は低下したらしく、この映画が実現したのもそのおかげでもあるのだろう。

  「実録・連合赤軍」もそうだったが、この三島事件映画も事件の結末に至る過程をほぼ時系列順に淡々とまとめてゆき、事件そのものの異様さの割に落ち着いた雰囲気で、客観的姿勢で映像が流れてゆく。結局のところ三島が何を考えてああいう行動に出てしまったのかは本人のみが知ることだし(いや、本人もよく分かってなかったかもと僕は思うが)、三島の内面までは深くは踏み込まず、こう淡々と出来事を並べていくやり方は正解だと思う。僕が知る限りでは映画はオリジナルの創作はほとんど入れずに実際に起こった出来事、発せられた発言を並べていたと思われ、判断は観客にゆだねられているように受け止めた。「楯の会」会員はじめ監修についている鈴木邦男など直接・間接に事件を知る関係者がシナリオ作成に関わっていることもあって大胆な創作はできなかったろうし、パンフレットのコメントを見る限り関係者は一様に内容を評価してるので「正確さ」は期しているのだと思う。初めてこの事件に触れる人が事件の流れを知るにはちょうどいい内容という気もする(これも「連合赤軍」と同様)

 映画オリジナルの部分を挙げると、やはり「連合赤軍」と同じことになるのだが、当時の「時代」の空気を濃厚にからめるところ。どちらの事件も起こした当人たちだけの心情・言動だけで説明できるものではなく、それをとりまく時代がきっちり理解されなければならない。歴史ものにおいては大前提だと思うのだけど、意外とこれをちゃんとやってる映画は少ないのだ。
 21世紀初頭の今の時代だって後世から見れば大騒ぎの時代と思われる可能性はあるんだけど、今から見ると60年代〜70年代初頭というのは大変騒がしい時代に見える。世界的には冷戦構造のなかでイデオロギー対立と世代間対立があり、多くの人が非常に政治的に思考・行動していた。それが実のところどこまで「本気」だったのか僕なんかは疑問を感じてもいるんだけど、とかく当時の若者たちは彼らなりに真剣に国家や政治や哲学を論じ、激しやすく即行動に出がちではあった。そういう時代の「極左」世界を描いたのが「実録・連合赤軍」で、「極右」世界を描いたのが本作ということになるのだが、映画の中で描かれるように実は両者は根っこがよく似てもいた。

 映画の冒頭は事件をさかのぼること10年前の1960年に起きた「浅沼稲次郎暗殺事件」と、その犯人である右翼少年の自殺シーンから始まる。この事件と三島の関係は直接的には確認できないが、映画では三島がこれに触発されたように描かれている。これ以外に「金嬉老事件」の報道を見て「人質をとって立てこもり、アピールをする」という手法にヒントを得る描写もあるし、「よど号ハイジャック事件」の報道を見て「先を越された」と口走る場面もある。面白いのが極左連中が起こした「よど号事件」に触発されていることで(パンフレットに出ていた証言によると実際にそういう発言はあったという)、よど号事件に「先を越された」という発言は「実録・連合赤軍」のなかで赤軍派メンバーの口からも出ていた。政治的立場は正反対に見えるが「行動を起こす」ことに焦るという点においては両者はおんなじだった、ということなのだ。三島自身の意図は治安出動・クーデターという別のところにあったとはいえ、左翼運動が警察力によって封じ込まれてゆく状況を悔しがるシーンにもそれを感じる。

 三島が東大の全共闘集会に招かれて議論を戦わす場面もある。これは有名な討論会で、僕もこの映画を見る以前に何かの本でやりとりを読んだことがあった。映画でもその討論が実にうまく再現されていて、三島が「君たちが天皇と言ってくれれば共闘できる」などと発言して彼らにある種の共感を抱いていたことが示されている。ただしここで三島の言う「天皇」というのは現実に存在する昭和天皇個人のことではなく、三島が脳内に思い描いた理想的かつ観念的なものであることもこの討論での発言で明らかになるのだが。

 自衛隊に体験入隊し、自衛官ともパイプを持って国軍化や憲法改正を企図する三島だが、映画でも彼が非常に観念的にそれを考えていて、現実の自衛官の方がかえって「引いて」しまう様子が描かれている。クーデター計画だって銃火器がなきゃどうしようもないだろうに、三島は「あくまで日本刀によらなければならない!」なんてムチャなことを口にしている。じゃあ純和風に徹しているのかと言えば自宅は見事なまでに古代ヨーロッパ風だし、「楯の会」の制服もバリバリの洋風軍服(前から言われているが、あれって一種の制服フェチだったんじゃないかと)。日本の右翼って妙に「洋風コンプレックス」であるのは三島に限ったことではないが、三島の場合作家だけに観念的美意識が暴走して、さらに左翼運動の行き詰まりと過激化に刺激されてああいう行動を起こすことになっちゃったんじゃないか、と映画を見ていてそんなふうにまとめていた。

 それと映画のもう一人の主人公、森田必勝の存在がある。こちらは過激なまでに純粋無垢な美青年で、三島以上に観念的かつ行動的。味方と信じていた者たちが現実的な判断から「裏切って」ゆくのに幻滅する一方で三島はこの自分より過激に純粋な青年にのめりこみ、逆に彼に触発されてゆく。事件自体実は森田の方がけしかけていて三島がひきずられたという見方もなくはなく、この映画でも見ようによってはそう見えるようになっている。
 明確に分かることではないから映画でも深入りはしなかったのだろうけど、三島につきまとう同性愛嗜好の件もこれに大きく影響していたはずだ。三島の文学は分からないが「先生のためなら死ねます」などと告白してくる森田の目がキラキラと輝くカットにそういうところがほのめかされてはいた(絶対狙って撮ってるよな、あれ)。演じた満島真之介は森田必勝の実兄にアポなしで会いに行って一瞬「弟が帰って来た」とお兄さんが思ったぐらい雰囲気がよく似ているそうで、映画でも全編存在感ありまくりだ。

 総監室占拠から自決に至る過程もほぼ忠実に再現されていたが、ちと残念だったのはよく知られるバルコニーからの演説シーンが本物の旧大本営の建物で撮影されていなかったこと。一目で別の建物だと分かってしまう(静岡の市役所だそうで)のだが、本物の建物の方は撮影許可がおりなかったのだろう。だが井浦新演じる三島はこのシーンではその制服姿もあいまって本人を彷彿とさせる名演。わめくように演説しながら誰も聞いてくれていない様子はよく再現されていて、パンフレットにあった演者当人のコメントによると実際に通行人が往来するのを目の前にあの熱演をしていたという。
 切腹し、介錯がされる場面では桜の散るカットに切り替わる。直接的に描くわけにはいかないとはいえ、ベタな演出だなぁ、とここはやや残念。加減が難しいがこの場面はあえてグロに描いてしまうのも手だったように思う。ラストに二人の首を切り落とした古賀が三島の妻・瑤子(演:寺島しのぶ)にその時の思いを聞かれて、二人の首の重さを思い返すように両手を上に向けるカットにかえってグロさもあったが(こういうのって一歩間違えるとエロにもなるんだよな)
 その直前のシーンで瑤子がかつて夫が自衛隊に体験入隊した富士の裾野を歩いて「何にも変わってない」とつぶやく。三島の事件は大いに世間を騒がせたが、結局何も変わらなかった、ということでもある。こういうところ、「連合赤軍」と同じで当人たちは必死なんだろうがハタから見ていると滑稽でもある。どっちの映画でも僕が思ったのは「純粋ってあんまりいいことじゃないな」という感想だった。 (2012/5/2)



映画のトップページに戻る