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「王将」

1948年・日本・大映
○監督・脚本:伊藤大輔○撮影:石本秀雄○原作:北条秀司
阪東妻三郎(坂田三吉)、水戸光子(小春)、三條美紀(玉江)、奈加テルコ(玉江少女時代)、滝沢修(関根八段)ほか




  映画を見るのは初めてだったが、「吹けば飛ぶよな将棋の駒に〜♪」という演歌「王将」のフレーズは知っていた。坂田三吉という伝説的な将棋指しが実在したことも一応知ってたが、それ以上は何も知らない状態。NHKの衛星で山田洋次が選ぶ邦画シリーズでこの1948年版「王将」が放送されたので、初めて映画を見ることになった。

 映画自体1948年、つまり戦後まだ3年という古さだが、物語の年代は明治末から大正初期にかけてである。映画公開時から見ればかなり近い時代の話であり、映画中に描かれる街並みなどは明治末だろうが敗戦直後だろうが、あまり変わらない気もする。前半の舞台となる長屋の向こうにミニチュアセットで見えるのは現在のものとは違う初代の「通天閣」だ。長屋のすぐそばの崖下(切通し?)に鉄道線路がある設定で、ときどき汽笛が鳴ったり蒸気機関車の排煙が走り抜けていったりするが、明らかに室内セットで撮影されているのでスモークを走らせながらたいているのだと思う。

 主演はバンツマこと阪東妻三郎。戦前、それも無声映画時代からの大スターで、この映画から五年後に51歳の若さで死去している。僕も含めて今の人たちには田村高廣・田村正和・田村亮の「田村三兄弟」の父親、というほうが話が速かったりする。僕も阪東妻三郎の映画というと、それこそ大昔の無声映画「雄呂血」(1925!)しか見たことがなく、あれは若いころの代表作でメイクもきついから顔の印象があまり残っていないのだが、今度「王将」を見て、「ああっ!田村高廣ソックリ!」と驚いちゃったものだ。もちろん話はアベコベで長男の高廣さんが父親に瓜二つ、というべきなんだろうけど。その高廣さんも今や亡き人だ。

 かつてチャンバラ時代劇のスターであったバンツマだが、この「王将」では貧困な環境で育った文盲の天才棋士という変わり種の人物を、まさに「なりきり」の熱演。坂田三吉当人を僕は知らないが、少なくともこの映画の中ではバンツマは三吉そのものである。
 明治の末、坂田三吉はわらじ作りで日銭を稼ぐ極貧の生活で妻・小春(演:水戸光子)と娘・玉江と長屋暮らしをしている。そのわらじ作りも三吉の眼病のためにままならない。その上文字も読めないのにルールを覚えて将棋にのめりこんでしまった三吉は、その天才的な将棋の才能を発揮して大会で「賞金稼ぎ」をする。ここで関根八段(演:滝沢修)を相手に「千日手」で反則負けになってしまった三吉は本格的に将棋にのめりこむのだが、大会に参加するにも金がいり、家財を質に入れる始末。三吉の子供っぽさを愛する妻・小春も大切にしていた仏壇を質に入れられてついにキレてしまい、娘ともども列車に飛び込んで心中を企てる。
 さすがに反省して一度は将棋を捨てようと思った三吉だったが、小春も「この人から将棋をとったら何もない」と理解していっそう将棋の精進をさせる。幸い三吉の才能を見こんだ関西棋界の人々の支援で彼の眼病も治療され、関東の雄・関根八段との宿命的な対決が繰り返される。一気に羽振りがよくなった三吉だったが、成長した娘は三吉の「邪道」の将棋を鋭く見抜いていた。いっそう将棋の腕と共に人間的にも磨かれてゆく三吉はかつての怨念を超えて関根の名人襲名を素直に祝いに行くが、糟糠の妻・小春は死の床についていた――と、そんなストーリーである。

 原作は北条秀司の戯曲だそうで、実話に取材しつつもかなり創作が入っていて、実際には妻も「小春」ではなかったし、子供ももっと大勢いたそうである。ただし列車で心中しようとしたという逸話は本当だそうだし、三吉が文盲の世間知らずで映画で描かれたような奇矯な行動も実際にしていたらしい(映画で繰り返される「お辞儀が長い」のも事実)。バンツマ当人はもちろんまるっきり違う境遇の人なのだが、この映画で見てると実に自然に、本人そのものにしか見えないくらいの存在感を放っている。
 その三吉を支える小春役は水戸光子。僕はこの人は「戦争と人間」の女中役(といっても実は家の主人の内縁の妻に近い)でしか知らず、若いころの姿はこれで初めて見た。三吉の存在感が凄すぎるのだが、物語的には実はこちらの方が主役じゃないのかと思えるほど重要な役どころ。「子供みたいな人」と夫を支える場面もいいが、仏壇を質入れされてついにブチ切れる場面もいい(笑)。
 そしてなんといっても娘の少女時代を演じた子役・奈加テルコの名演!非関西文化圏人から見ると、この関西弁でけなげにセリフを連打するこの幼い女の子、バンツマ並みにどこまで演技なのか分からなくなるほど。前半の貧乏時代のみの登場だが、このパートはこの子の目線から見た構図にもなっていて、これまた実質的主役だと言える。大変な名子役だと思うのだけど、ネットで調べた限りでは他に出演作が見つからない。その後どうしたんだろう?

 原作が戯曲と言われてみれば、なるほど全体的に場面も少なく、ストーリーもこじんまりとまとまっていて、舞台チックではある。その代わり実に映画チックな部分もちゃんとあって、とくに「小春が列車に飛び込んだ」と聞かされた三吉が大慌てで将棋会場から自宅へ走る場面では、町中を走り抜ける三吉の視線そのままの「主観映像」が目を引く。本人の目線なので当然三吉は映っていないのだが、彼が猛スピードで走っている様子を、たぶんコマ落としを使ってビデオの早送りみたいに見せるのだ。これ、古い映画に限らずかなり珍しい演出なんじゃないかなぁ。
 映画的と言えば、ラストの東京と大阪の二つの場面が電話でつながり、同時進行になるところも映画ならでは(戯曲ではどうなってたのか気になる)。この辺りは日本人好みの浪花節、というか、「泣かせ」の場面ですなぁ。個人的にはそういうの苦手なんで、ちと「しつこい」と思っちゃったけど。すっかり大物になってしまった三吉が自身の原点である貧乏長屋に戻って来て通天閣を見てたたずむラストシーンの方が素直に泣けた。

 僕は将棋の事はルールしか知らず、てんで弱い。だから将棋の対戦シーンで勝負の展開がどうなってるのか今一つ分からないのだが、三吉が苦し紛れに適当に打った手で相手の心理的動揺を誘う、というあたりは面白かった。なお、この映画には「将棋監修」なるクレジットがちゃんとあったりする。
 脚本・監督の伊藤大輔は坂田三吉がすっかり気に入ってしまったらしく、その後も辰巳柳太郎、三國連太郎の主演でリメイクを繰り返している(三國は「無法松」でも阪妻と同役)。調べてみたら伊藤監督のものではないが勝新太郎が三吉を演じた映画も存在した。実は実在の三吉当人も自身の生涯が劇的なのを自覚していて、自分を主役にした芝居や活動写真(彼の時代はもっぱら映画はこう呼ばれた)になると予言していたそうである。(2012/5/2)



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