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「日本の熱い日々・謀殺下山事件」

1980年・俳優座映画放送製作・松竹配給
○監督:熊井啓○脚本:菊島隆三○撮影:中尾駿一郎○美術:木村威夫○音楽:佐藤勝○原作:矢田喜美雄○製作:佐藤正之・阿部野人
仲代達矢(矢代記者)、山本圭(大島刑事)、浅茅陽子(川田記者)、中谷一郎(遠山部長)、岩崎加根子(下山芳子)、平幹二朗(奥野警視総監)、神山繁(伊庭次席検事)、井川比佐志(李中漢)、大滝秀治(唐沢)、隆大介(丸山)ほか




 以前からタイトルだけは知っていて、どんなもんだか見てみたいとは思っていた一本。BS11なんてところでひょっこり放映していることにその日に気付き、録画して初鑑賞した。
 知ってる人には説明不要なんだが、どうしてもこの映画については映画の話の前に取り扱われている「下山事件」について触れておかねばならない。僕もこの映画を観る前に一応の事前勉強をしておいたが、この手の映画にはやはり必要な作業だろう。

 「下山事件」はまだ日本が占領下にある昭和24年(1949)7月5日に起こった。当時の国鉄総裁・下山定則が突然失踪し、常磐線北千住駅近くの線路上で轢死体となって発見された。当時国鉄は大量の人員整理(首切り)を行って労働組合と激しく対立している状況で、下山の死は自殺なのか他殺なのか、捜査関係者や報道機関で両説が乱れ飛んで大きな関心を呼んだ。直後に「三鷹事件」「松山事件」と国鉄に絡んだ不可解な事件が続いて合わせて「国鉄三大ミステリー」と呼ばれ、いずれも左翼運動家による犯行と疑われて結果的にその後の日本の占領政策や独立後の日米関係に有利な流れを作ったことからアメリカや右派勢力の謀略ではないかとの説も根強くささやかれている。

 この映画、タイトルからして「謀殺」なので、当然下山事件は「謀略」とほぼ断定する内容だ。そもそも原作が当初から下山事件を他殺、謀殺の線から取材を進めていた朝日新聞の矢田喜美雄の著作「謀殺・下山事件」であり、仲代達矢が演じる映画の主人公も矢田をモデルとした「矢代」記者である。原作の本は読んでいないのだけど、映画も矢田の著作を大筋でなぞる形で脚色しているようだ(脚本の菊島隆三は本作以前にも下山事件を描いた「黒い潮」の脚本を書いている)。もちろんそのまんまではなく、一部人物や場所については特定を避けるために変更しているようだけど。
 監督はしばしば「社会派」と評される熊井啓。映画の製作は劇団「俳優座」の映画部門という変わり種で(そのためこの手の映画にしてはキャストが豪華)、協力には当時の国鉄の労働組合である「国労」「動労」が一緒にクレジットされている。こういう布陣なら「下山事件は組合つぶし、日本の右旋回を狙った謀略である」との説を主張するのは当然だろう。それだけに鑑賞する側としては映画に対して少し距離を置いて冷静に見る必要があるかな、と思う。

 映画はもちろん下山事件発生のその日から語られるわけだが、主人公の矢代記者はシベリア抑留帰りの労働者たちが「まるで革命前夜」のように騒いでいる様子を取材している。シベリア抑留をしたのはもちろんソ連で、ソ連は抑留者たちに「思想教育」を行うことで帰国後日本で社会主義革命を起こさせようという意図は実際にあったとされる。結論から言うとその多くは俗に言う「赤カブ」(表面が赤いだけ)で帰国後は割とさっさと態度を変えて革命なんぞ起こさなかったのだが、その当時においてはアメリカや日本政府にとって「脅威」と映っていたのは確かだろう。
 思えばこの1949年には中国で共産党が勝利し「中華人民共和国」が建国され、翌年には冷戦の中の熱い戦争と呼ばれる朝鮮戦争が勃発する。もしかしたら日本でも社会主義革命か、という空気がある程度あったことは下山事件をどう見るかとは別にこの時代を知る上で念頭に置く必要はあるだろう。この映画はまずそんなところからさりげなく描き始め、「冷戦」の真っ最中における占領下日本の騒然とした雰囲気を「事件を産みだした背景」として持ってくるわけだ。

 国鉄の大リストラが行われる直前に下山が常磐線で凄惨な轢死体となって発見される。警察では捜査一課が自殺説、二課が他殺を疑い、検察も他殺説にかなり傾く。両説の根拠となる死体が「死後轢断」なのか「生体轢断」なのかという判断も東大・慶応亮医学部で真っ二つに分かれ、マスコミでは主人公の矢代が属する新聞(朝日がモデル)は他殺説を展開するが、ライバル紙(毎日がモデル)は自殺説を強く主張する。特に矢代は単なる取材にとどまらず、線路上の血痕をルミノール反応で確認したり、他殺を確信する二課の刑事と共に聞き込み捜査にまわるなど、ほとんど刑事同然に動き回る。
 原作本は読んでいないが、恐らくはこうした展開自体は事実にのっとって映像化しているのだろう。本作は1980年公開の映画だが全編をあえて白黒で撮影していて、当時の記録映像なども交えてなかなかリアルな「ドキュメント調」に見せることに成功している。

 しかし捜査が進むにつれ、他殺説の線の捜査は「どこからかの圧力」により妨害されてしまう。矢代自身も駅のホームから突き落とされて危うく轢死体になりかけたり、二課の刑事と共に捜査中に「深入りするな」との脅迫状を突きつけられたりする。さらには裏事情を知るという韓国人(演:井川比佐志)や、実際に下山を運んだと告白する謎の男・丸山(演:隆大介)はいずれも何者かに「消された」としか思えない死を遂げてしまう。こうした描写が続くと鑑賞者としてはそのサスペンスフルな展開に引き込まれ、当然「下山事件は巨大組織による謀略」との印象を受けざるを得ないわけだが、この「面白すぎる展開」がクセモノ。映画後半のこの展開はポリティカル・サスペンス映画として見れば「よくできてる」と言っていいのだが、ドキュメント調の作りであるだけに「あぶなっかしさ」も感じてしまう。

 ある巨大な謀略があり、その真相に迫る動きに圧力がかかり、真相を知る人物が「消される」というのは、あまりにも「よくあるパターン」と言っていいのだが、この映画の場合、そもそも真相に一番迫っているとしか思えない矢代自身が最後まで無事なのがヘンである(途中で襲われるとはいえ)。似たような映画としてケネディ暗殺を扱った「JFK」があるが、あれも関係者が次々消されるのに主人公が全く無事という矛盾があった(「完全版」では主人公が襲われかかるシーンがあり、この辺も「下山事件」と似てる)。そんなに凄い謀略が進められているなら、そんな分かりやす過ぎる脅迫なんてしないだろ?と脅迫状のシーンではツッコんでしまった。

 捜査への圧力の件にしても証言者の「抹殺」の件にしてもあくまで主人公の「推測」に過ぎず、捜査の途中で浮上する事件の黒幕と思われる唐沢(演:大滝秀治)だって直接的な関与の証拠は出てこない。全ては主人公の妄想ではあるまいか…?という疑念まで抱いてしまうのは僕がもともと謀略説に懐疑的だからかもしれないが。
 映画から離れて事件についての僕の考えを言うと、当時いくら政治情勢が緊迫していたからといって、アメリカなり日本の右派なりがそんな手間暇かけて下山個人を謀殺するなんて面倒なことをする理由がそもそもないし(別に下山が死ななくても大量首切り実行は確定していた)、やった上で必死に自殺に見せようとする方が不自然だ(むしろ国労側による他殺に見せかけた方が効果的)。起こってしまった「事件」を効果的に政治利用する、ということはあるとは思うし、その後の「三鷹」「松山」にヒントを与えた可能性はありえるとは思うのだけど、下山事件を政治的謀殺とするのはやはり無理が多々あり、この映画を見ていても「あぶなっかしさ」を節々に感じるところがあった。

 ただ、そういう「あぶなっかしさ」を作り手もあえて狙ったかもしれないな、と思わせるのが、隆大介演じる「丸山」の証言シーンだ。事件に直接関与したこの人物、確かに他殺説の線の証言はするのだが、重大な部分で矢代たちが持つ情報と大きく食い違う証言をしてしまう。金目当てにデタラメをしゃべっているのでは…との疑念を主人公たちが口にするし、ここで真相が暴かれると期待した観客も「あれ?」と肩透かしを食ってしまうのだ。この辺も原作本にある部分なのかもしれないが(ちょこっとネットで調べた限りでは矢田記者はこの人物のモデルと思しき人物に会ってはいるらしい)、映画としてはギリギリのところでスッと観客の首根っこを引っ張って「現実」に引き戻してるようにも見える。

 もちろん映画自体の姿勢は謀殺説なので、映画のラストではあくまで想像の情景として、丸山が目撃した「下山事件」の一部始終が再現される。熊井監督はのちに松本サリン事件を扱った「日本の黒い夏・冤罪でも同様の「事件の再現演出」をやっていて、今回これを見て「ああ、こっちがルーツだったか」と確認できた。そもそも「日本の黒い夏」といえば、推理作家の松本清張が下山事件をアメリカの謀略とした作品のタイトルであり、話は微妙につながっている。もっともこの「日本の熱い日々・謀殺下山事件」は清張が主張した説とはまた違う線で事件を考察していて、清張説のキモで現在は完全に否定されている下山を米軍用列車で運んだとする説は採用していない。

 …とまぁ、こういろいろと難癖をつけるようなことを書いたが、困ったことに(?)この作品、映画としての出来は確かにいい。だからその主張と一定の距離を置いてみる分には戦後史映画の傑作としてお薦めしてもいいと思う。
 映画の冒頭部分で、「革命前夜」のような様相だった占領期のムードを描き、その後の事件捜査の進展を描く中で朝鮮戦争と特需景気、講和と主権回復、60年安保といった世相を巧みに織り込んでいて、事件を通してまさに「戦後」の歴史が通して見られる映画でもある。事件の証言者となる人物が謎の死を遂げるラストが、高度成長を象徴する東京オリンピックの開催と重ねられているのも「戦後の終わり」を印象付ける見事な構成だ。

 ところでこの映画、前述のように出演陣がなかなか豪華なのだが、主演の仲代達矢の教え子である「無名塾」所属の若手役者たちがちょこちょこと顔を出しているのも見どころ。「影武者」同様に大役をもらった隆大介はもちろんのこと、序盤でまだ無名時代の役所広司が仲代の後輩の記者役で顔を見せているほか(さすがに若いのだが、思いのほか顔が変わってない気もする)、事件の実行メンバーの中には益岡徹の姿も見える。その意味でも目を通す価値のある一本だ。(2014/8/11)



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