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「トラフィック」
Traffic
2001年・アメリカ
○監督:スティーブン=ソダバーグ〇脚本:スティーブン=ギャガン〇撮影:ピーター=アンドリュー〇音楽:クリフ=マルティネス
マイケル=ダグラス(ロバート)、ベニチオ=デル=トロ(ハビエル)、ドン=チードル(ゴードン)ほか




 うーん、こういう「日記」というものは観てからとっとと書かないとズルズルとためこんでしまうものだ。なんと鑑賞後半年にしてこの「日記」を書いている。「栄耀映画」コーナーもちったぁ力を入れんとアクセスも伸びんわな、と思いつつようやく重い腰をあげて書き始めた次第。
 半年もたつと最近鑑賞ペースの落ちている僕でも結構本数がたまってくる。そして映画内容についての記憶のほうも曖昧になってくる。よっぽど強烈な内容の映画でないと細かい内容なんてアッサリと忘れるものだ。こうして書き始めてみても内容がどこまで「再生」できるものか不安を覚えつつ書いているのだが…。
 で、ためにためこんだ「映画日記」の最初の一本が「トラフィック」である。観た正確な日付は忘れたが、確か5月あたまぐらいじゃなかったかな。それも「スターリングラード」を観に行く予定が時間が食い違ったため(その映画館では「クレヨンしんちゃん」と交代で上映していたのだ)、「第二候補」という形での鑑賞だった。すでにこの「トラフィック」、アカデミー賞で作品賞にノミネートされ、監督賞と脚色賞を受賞した話題作で、内容の地味さの割に観客はかなり入っていた(あくまでその映画館にしては、だけど)。

 「トラフィック」はひとことで言ってしまえば麻薬問題を扱った映画である。ともすると「社会派」と言われそうな映画だが、正直なところ僕が見終えたときの印象はそれほど「社会派作品」を観たというものでもなかった。いや、もちろん映画自体の問題提起はちゃんとあって訴えかけるものも大きいのだが(それでも麻薬問題と身近に戦っているアメリカ人ほどには深く感じられないだろうけど)、観終えて「そうだ!麻薬を撲滅しなきゃダメだ!」と発奮するような映画だったとも思わない(思った方もいたとは思うけど)。僕はこの映画の描く「麻薬問題」にはどこか諦観というのかな、人間はしょーもないというか、一歩突き放して見ているような印象を受けたのだ。そしてかえってそれだけに事態の深刻さに迫れたところもあると思う。
 この映画は群像劇のスタイルを取っている。麻薬の「供給元」であるメキシコ側国境付近の人々、その密輸を請け負うアメリカ側国境の街サンディエゴの人々、アメリカ麻薬取締局の捜査官たち、シンシナティに住む上流階級一家、と大雑把に分けて4つのパートに分かれ、それぞれに同時進行のドラマを展開する。これら全てのドラマを結びつけるのは「麻薬」だけ。この手の群像同時進行ドラマはたいていそれが一本の物語に集約されていくのが定番だが(タランティーノの「パルプ・フィクション」なんかはこの好例だろう)、この映画はかなり意図的にそれを避けており、4つの物語はほとんどつながりをもたない(唯一、麻薬取締官とサンディエゴのドラマはつながる)。パート間のちょっとしたニアミスも描かれたりもするが、ドラマ進行上は全く意味を持たない形になっている。この映画、さきごろ結婚したマイケル=ダグラスとキャサリン=ゼタ=ジョーンズの「夫婦初共演映画」だったりするのだが、それぞれ別パートの役なので「共演」シーンは全く存在しない。

 こんな構成なので、映画を見始めてしばらく観客は物語の整理に神経を使わなければならない。僕などは事前にそういう設定だと聞いていたからそれなりに心の準備もあったけど、事前情報も無く何気なく観に来た人は混乱したするケースが多いと思う。準備していた僕ですらパートが4つあるとは思っていなかったから一時とまどいもあった。
 つくる方もそれは承知のうえだから、整理しやすいように努力はしていた。それぞれのパートの映画的質感がちゃんと計算され区別されている。印象的なのがメキシコのパートで、ここは手持ちカメラで暑苦しくザラザラした印象の映像に仕上げている。ここは区別が明瞭だったんだけど、サンディエゴとシンシナティのパートはやや混乱するところもあったかな。ま、時間が経てばわかってくるんだけど(シナリオもよく観ればいろいろと工夫していることが分かる)、再見必至の映画ですな。二度目からが美味しいかもしれない。
 メキシコパートは「麻薬供給元」の国の貧困と腐敗、その中で刑事(ベニチオ=デル=トロ…スポーツ評論家の二宮清純氏に妙に似ている)が苦心の捜査を進めていく。アメリカ映画にありがちな単純な正義感刑事ものではなく、かなり泥臭いキャラクターばかりのドラマだ。これを極端にすると崔洋一監督の「犬、走る」みたいなアウトロー刑事ものになりそう。
 サンディエゴ編は実は裏で麻薬王をやっていた事業家の夫を逮捕された妊娠中の妻(ゼタ=ジョーンズ)がメイン。夫が逮捕されてビックリ、なのだが家族を守るために自ら麻薬取引に近づいていく。ここらへんは裁判ドラマのノリもある。このゼタ=ジョーンズがエカテリーナ女帝を演じたドラマを見たことがあるが、悪女役が向いている人なのかもしれない。
 麻薬取締官パートのドラマはここに付随する形だが、これはこれで名作「フレンチ・コネクション」のような警察アクション映画のノリが強い(ソダバーグ監督自身も「フレンチ・コネクション」を念頭に置いていたようだ)。派手な銃撃戦や爆発シーンなど、動きの多いパートだ。
 そしてシンシナティ編。社会派性が一番強いのがこのパートだろう。ホワイトハウスから麻薬取締総責任者に任命された父(マイケル=ダグラス)と興味本位で麻薬中毒におぼれて転落の一途をたどっていく娘(エリカ=クリステンセン)の家庭内葛藤が中心。ここは麻薬の「消費者」の部分を描くわけですな。麻薬の恐ろしさを具体的に強調する部分でもある。ダグラス演じる父はまず政治的に麻薬と対決し、その撲滅の困難さをもっとも身近な人間から知らされることとなり、最終的には一人の父として麻薬と立ち向かうことになる。ドンパチも爆発もなく、ホームドラマ的印象を受けるこのパートは特にアメリカの観客には身近な恐怖と共感を呼ぶところだろう。

 …とまとめてみると、この映画じつに様々な顔を見せてくれる。考えようによっては別ジャンルの映画4本いっぺんに観られてお得な作品である(笑)。どれか一つだけにドラマを絞って観るも良し(DVDが発売されたらまさにそれが可能になる!)
 もちろん製作者の意図はそれらが全て混然一体となって一つの「映画」になることの面白さを提供することにある。麻薬問題を単に消費者や流通ルートや供給元だけにターゲットを絞ってそれと戦う映画はくさるほどあったはず。この映画はそれをいっぺんに見せちゃうことで麻薬問題のそこの深さを提起しつつ、「映画」としての面白さをも観客に提示しようとしている。そこらへんに僕があまり「社会派っぽさ」を感じなかった原因がありそうだ。(2001/9/20)




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