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「1911」
辛亥革命

2011年・中国/香港
○総監督:ジャッキー=チェン○監督:張黎○脚本:王興東/陳宝光○撮影:黄偉○音楽:丁薇○美術:趙海○アクション監督:伍剛
ジャッキー=チェン(黄興)、ウィンストン=チャオ(孫文)、リー=ビンビン(徐宗漢)、ジョアン=チェン(隆裕皇太后)、スン=チュン(袁世凱)、ユィ=シャオチュン(汪兆銘)、姜武(黎元洪)ほか


 

  1911年10月10日は「辛亥革命」の発端となった「武昌蜂起」の始まった日。中国では「双十節」と呼ばれている。この蜂起をきっかけにそれまでたまりにたまっていた革命のエネルギーが解放されて各地で清朝からの離脱が始まる。そして海外から革命を指揮していた孫文が帰国、1912年1月1日をもって中国初の共和国「中華民国」の成立を宣言しその大総統となった。だが清朝を打倒するために清の実力者であった袁世凱と取引がなされ、2月に袁世凱が清朝最後の皇帝・溥儀(言うまでもなく「ラストエンペラー」の主役のあの人)を退位させ、孫文から譲られる形で自らが臨時大総統となった。つまり「中華民国」の建国者として知られる孫文が大総統の地位にあったのは2ヶ月にも満たない。
 ところで「辛亥」というのは「十干十二支」の組み合わせの一つで、革命が起きた年が「辛亥の年」にあたっていたため。「あれ?でも中華民国建国は1912年だから辛亥にならないんじゃ?」と思っちゃう人もいそうだが、旧暦ではその時点でもまだ「辛亥」なのだ。この映画は邦題では「1911」と数字のタイトルにされちゃったが、原題はずばり「辛亥革命」とそのまんま。百周年に合わせた記念映画であることは言うまでもない。

 総監督、および実質的主演がジャッキー=チェンである。長年のファンからすると企画・役がらともにミスマッチな気がしてしまうが、香港映画でスターとなったジャッキーながら、香港返還前後から割と「中国寄り」な姿勢は指摘されてはいた(微妙な表現だったが「ポリスストーリー3」にその萌芽は見られた)。まぁ長期的に見ればその方が身の振り方としては正解なのだろうけど、台湾の一部から強い反感を買うこともあると聞いている。そんな彼だけに「辛亥革命記念映画」の総監督と聞いた時は実はそれほど意外には思わなかった。また彼も年をとってきて老け役がなかなか板についてきて、アクションからの引退もささやかれる昨今、これまでとは全く異なる真面目なジャンルに挑戦してみようという気もあっただろう。聞いたところでは割とノリノリでやった仕事のようだ。
 ただあくまで彼のクレジットは「総監督」であり、「監督(導演)」とクレジットされているのは張黎。ジャッキー自身も映画監督としての実績はあるのだけど、やはりこの手のジャンルは不慣れでもあり、実質的な監督はそちらに任せて映画のプロデュース、兼「看板」的役割を受け持ったんじゃないかと思う。出演だって興行上の要請から出ることにしたんじゃなかろうか。出番がチョコチョコと小出しなのもそのせいという気もしている。

 さて、この映画はタイトルの通りで、基本的には「実録辛亥革命」の映画である。創作が全くないわけではないのだろうが、なんだか革命の経緯を年表通りに映画にしてみました、という印象で、映画的な見せ場は思ったほどない。
 「辛亥革命」と題しながらも、映画の前半はその革命が現実になるまでの孫文や黄興たちが繰り返す蜂起とその失敗が延々と続く。革命に参加して空しく犠牲になっていった若者たち(みんな実在人物)一人一人の生きざま死にざまを描いてゆき、彼らの死を悼みつつ「その犠牲は無駄ではなかったのだ!」としつこく訴える展開だ。この重い部分がこの映画の最大のテーマになっているのは明らかで、実のところ武昌蜂起以降のトントン拍子の革命進行はあまりに記憶に残らなかった。

 ジャッキーが演じている「黄興」という人物、僕はこの映画で初めて知った体たらくだが、レッキとした実在人物。実際どういう生涯だったのかは鑑賞後に調べて知ったので、映画を見ている間はこの人がどうなるのかは全く予想がつかなかった。確かに孫文の指導のもと蜂起を現場で指揮する人なので重要人物ではあるのだが、「主役」というには出番が少ない。しかも最初の方で蜂起に失敗して建物の中に埋もれていくような描写があり、あとのシーンで出て来て「あれ、あんた、死んだんじゃなかったっけ?」と驚いたこともあった(笑)。飛び飛びの出番のせいもあって、女性革命家の徐宗漢といつの間にやら良い仲になっちゃってお子様まで作っちゃってるのにも驚かされた(笑)。
 なお、僕はこの映画を吹き替え版で見たのだが、ジャッキーの声はやっぱり石丸博也。テレビのジャッキー映画でもさんざんおなじみの声で嬉しいのだが、感動の再会シーンにあのノリで「そんぶ〜〜ん!」とか呼びかけられると、ついつい笑ってしまう。日本語版では面倒だから「孫文」で通していたけど、中国では彼を実名で呼び捨てにすることはまずなく、「孫中山」だの「孫逸仙」だのと呼ぶのが通例。この「そんぶ〜〜ん」と呼ぶシーンも、原語ではたぶんそっちで呼んでいたはずだ。
 そういやその孫文との再会シーンの直後、孫文を狙う刺客団が船の中に潜んでいて、それをジャッキーがいつもの調子であっさり叩きのめしてしまうという唐突なアクションシーンがある。どう考えても浮いたシーンだが、ジャッキーが入れろと言ったのか、それともジャッキーが出てるんだからアクションやってもらわないと、とスタッフが頼んだのか。

 映画後半はすっかり年表映画状態になってしまった印象だが、あちらでは誰もが知るエピソードなので、ということもあったのかも。僕自身は清朝軍人でありながら革命側に説得されて革命軍指揮官を成り行きのようにやらされてしまう黎元洪(演:姜武)のコミカルなエピソードが気に入った。あとで調べたらこの人、中華民国総統になっちゃってたんだな。
 清朝朝廷側の動向もところどころで入る。当時清朝皇室を代表する立場にあった劉裕皇太后を演じているのがジョアン=チェン!そう、「ラストエンペラー」で婉容皇后を演じた彼女なのだ。これは歴史映画ファンには嬉しい配役。当然ながら「ラストエンペラー」の主役・溥儀も子役で登場している。
 そういえば肝心の孫文を演じたウィンストン=チャオ「宋家の三姉妹」でも孫文役。僕は未見だが他にも映画・ドラマ数本で孫文を演じている「孫文役者」だ。中国ではしばしばある歴史人物ソックリさん俳優というやつである。

 映画はあくまで「辛亥革命」であって、孫文が袁世凱に大総統の地位を譲ったところでほとんど終わってしまう。その後袁世凱が皇帝になったり、孫文が第二革命を起こしたりといった展開があるのだが、それは見る側も分かっていることでもあり、触れないままだ。「その後」に触れないと言えば、のちの日中戦争時に日本によって蒋介石に対抗する政権首班に擁立され、今でも売国奴と批判される汪兆銘が孫文の部下としてチョコチョコ顔を出している。実際にいたんだからしょうがない、とも思えるが、彼に対する現在の中国政府の「公式見解」からすると割と肯定的に描かれてるようにも見え、少なくとも悪しざまに描くようなことはしていないことに僕は注目した。

 映画の最後、「その後中国は孫文の遺志を受け継いで革命は達成され…」といったような日本語字幕が表示されていたが(うろ覚えですいません、だいたいそんな内容)、中国語原文では「中国共産党は孫中山先生の遺志を受け継ぎ…」ともっと直接的な表現だった。ま、中国で作るだけに当然そうなるだろうし、そこらへんをボカしておこうと思った日本の興行側の意図も分かるんだけどね。(2012/4/23)



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