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「竜馬暗殺」

1974年・映画同人社・ATG
○監督:黒木和雄○脚本:清水邦夫・田辺泰志
原田芳雄(坂本竜馬)石橋蓮司(中岡慎太郎)中川梨絵(幡)松田優作(右太)ほか



  NHK衛星放送でやっていたので録画して数日後には観賞。しかしこの「日記」は一ヶ月もたった今頃になって書いている。まぁこういうのは気分的なもんに左右されがちだ。
 さて、この『竜馬暗殺』であるが、内容はそのままズバリで、あの坂本龍馬の暗殺をテーマにしている。似たような作品としては萩原健一主演の「竜馬を斬った男」(竜馬役は根津甚八)というのもあるが、この「竜馬暗殺」はかなり異色というかいささか前衛的、実験作品に近い狙いの映画となっている。この制作時期にも関わらず全編白黒。物語も竜馬暗殺にいたる三日間だけに話を絞り、ちょっと不気味な音楽ともども独特の暗さを醸し出す作品だ。そして全編にわたってどこかブラックなユーモアを漂わせており、「竜馬」というと連想しがちな「さわやか青春時代劇」という一般の期待からはかなりかけ離れた印象を与える。
 主演の竜馬役が原田芳雄とくれば「さわやか竜馬」にはとてもなりそうもないことは容易に予想されるだろう。実際、この映画における竜馬と来たら、泥臭く、暑苦しく、女たらしで、かつひどく臆病。物語は大政奉還実現直後から始まるのだが、冒頭で暗殺を恐れて変装し近江屋の土蔵の二階にコソコソと逃げ込み、以後ひたすら隠れ、逃げ、その最中に女とべったりという生活が淡々と描かれていく。竜馬の歴史的意義とか当時の政治情勢なんてのは映画のメインとはあまりなっていない。もちろん竜馬が時折吐くセリフの中に日本をどうするか、といった話題は出てくるのだが、映画の作者の意図はむしろ「革命」を進めた竜馬が血みどろの権力闘争に巻き込まれて右往左往して苦しむ姿そのものを描くことの方にあるようだ。

 竜馬の相棒である中岡慎太郎を演じるのが石橋蓮司。これまた濃い配役で、予想通りかなり不気味で怖い存在感の中岡慎太郎だ。この映画での中岡は竜馬とは変な意味でツーカーの仲なのだが、同時に竜馬と少しでも意見が異なると何度もその命を奪おうと斬りかかる。これまた一般のイメージとはかけ離れた中岡像だ。そして中岡もまた自らが率いる「陸援隊」の隊士たちからしばしば命を狙われたりしており、総じてこの映画は幕末京都で展開される血で血を洗うような内ゲバ抗争の様相を描いていくのだ。竜馬と中岡はもちろん史実どおり暗殺されるが、その犯人が誰なのか、この映画は別に明らかにしようとはしていない。誰に殺されてもおかしくない状態を描くことがこの映画の趣旨なのだ。
 それでいてこの映画、どこかとぼけた味というかユーモラスな空気を漂わせている。竜馬と中岡が斬り合ったと思えばすぐ仲良くなっちゃったりするあたりなどはほとんど漫才状態。竜馬を暗殺しようとするがなかなか手が出せない松田優作の存在もどこか可笑しみがあるし、劇中何度も出てくる字幕ナレーションも現代風のギャグ(例えば、竜馬が西洋靴を履いていることを説明して「幕末の孤独な長距離ランナーであった」なんてやったりする)を散りばめ、思わずニヤリとさせられる。それがこの映画全体の暗いトーン(白黒映像はそのへんを狙ったわけだろう)と絶妙なバランスで混じり合ってこの映画を一種独特の作品に仕立てている。そこには作者のかなりの計算が働いていることが感じられ、全体の完成度を高めている印象を受けた。「通ごのみ」と言いますかね、娯楽歴史劇とは言い難いだろうな。

 ところでこう書いてくると、この映画はいったいどういう狙いで製作されたのか疑問もわいてくる。ATG映画らしい前衛性・実験性にあふれているとは言えるものの、とてもじゃないが一般的な「竜馬ファン」を対象にしているとは思えない。しかもどうも史実の「竜馬」を描こうとか、知られざる竜馬像を提示してみせようといった意図も特に無いように感じられる。いかにも現代風の字幕ナレーションの突き放したような態度がまさにそれを現している。下手すると竜馬が主役である必要も無かったのではないかと思えるぐらいだ。
 これは僕の勝手な推測だが、この映画の作者はいつの時代にも現れる「革命幻想」とそれへの幻滅を描こうとしたのではなかったろうか。製作時期は1970年代。この映画の中でこれでもかと描かれる、お互いに「裏切り者」呼ばわりして殺しあう幕末の志士達の姿は、どこかあの「連合赤軍」の姿を彷彿とさせる。この映画はそんな状況の中で悩む竜馬というキャラクター、そしてそんな内ゲバ状況を突き放してユーモラスに語る字幕ナレーションを通して、哀しい「革命戦士」たちへの鎮魂歌を送っているように思えるのだ。 (2001/3/26)



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