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「ウィンストン・チャーチル
/ヒトラーから世界を救った男」
Darkest Hour


2017年・イギリス
○監督:ジョー=ライト○脚本:アンソニー=マクカーテン○撮影:ブリュノ=デルボイル○音楽:ダリオ=マリアネッリ○製作:ティム=ビーヴァン/リサ=ブルース/エリック=フェルナー/アンソニー=マクカーテン/ダグラス=アーバンスキー〇製作総指揮:ジェームズ=ビドル
ゲイリー=オールドマン(チャーチル)、クリスティン=スコット(クレメンティーン)、スtィーブン=ディレイン(ハリファックス)、ロナルド=ピックアップ(チェンバレン)、リリー=ジェイムズ(エリザベス・レイトン)、ベン=メンデルスゾーン(ジョージ6世)ほか




 まずタイトルに「なんじゃこりゃ」と思った。原題の「DarkestHour」(一番暗い時)じゃピンとこないというのはわかるのだが、「チャーチル」あたりで止めておけばいいのに、「ウィンストン。チャーチル」とファーストネームつき、それでもまだ足りないとばかりに「ヒトラーから世界を救った男」なんて仰々しいサブタイトルまでつけてしまった。どうすれば客を呼べるかと配給元が考えてつけるのだろうが、ここまで来ると客の知識レベルをバカにしとらんか?と思えてくる。もっと短いタイトルで分からない客じゃ、そもそもこんな長いタイトルの映画には来ないと思うぞ。
 「イギリス首相映画」では「Iron Lady」(鉄の女)が「マーガレット・サッチャー/鉄の女の涙」になってしまった例もある。こと外国の歴史もの映画には最近やたらと説明的な邦題がついてる気がするんだよな。

 さて本作は原題が示すように、第二次世界大戦序盤においてイギリス、および首相に引っ張り出されたチャーチルが直面した「最悪の日々」をテーマにしている。その日々とは1940年5月中のおよそ18日間。この間にナチス・ドイツ軍はフランス領内へと侵攻、大陸にいたイギリス軍は本国への撤退を余儀なくされるという連合国側大ピンチの情勢が進行している。この難局にあたって首相となったチャーチルがドイツに対して講和すべきか、それとも徹底抗戦かと悩む、というのがこの映画が描くテーマだ。

 邦題ではチャーチルの伝記映画っぽいが、彼の人生をまともに映画化したら2時間でまとまるはずもなく、この映画はチャーチルが首相となった最初期の時期だけに絞った内容となった。まぁこれはこれで一つの選択だろう。一部では続編の製作の計画もうわさされてるし。
 ただそうした一時期だけをとりあげているので、この事態にいたるまでの経緯をある程度知らないとを状況が飲み込みにくい。映画中にも出てくるネヴィル=チェンバレンがチャーチルの前任の首相なのだが、彼は領土拡大を進めるナチス・ドイツに対して「ミュンヘン会談」をするなど宥和的な外交を進め、結果的にヒトラーにそれを利用され、ポーランド侵攻をきっかけにフランスと共にドイツに宣戦、「第二次世界大戦」となったのがこの映画の時点の前年、1939年9月のことだ。このチェンバレンの対独宥和政策はのちのちまで歴史的誤りと評されることになるのだけど、英仏政府ともに再びの大戦は避けたいという思いと共に、スターリンのソ連の方が怖いのでヒトラーのドイツがその防御壁になってくれると助かる、という思惑もあって、実際に大戦勃発となっても積極攻勢に出ない「奇妙な戦争」状態を続けた。そしてこの1940年5月にドイツ軍が一気にフランスへ侵攻、情勢があっという間に悪化してしまった…というのがこの映画の時点だ。
 昨年公開された「ダンケルク」も同じ時点を戦場に絞って描いていて、イギリスの指導部について一切描かなかったが、ちょうどこの映画がその指導部の状況に絞って描く形になっている。別に両者で「手分け」したわけでもないんだろうけど…

 さてチャーチルはというと、チェンバレンの対独宥和姿勢に批判的で、ナチス・ドイツの危険性を警告していた。状況を完全に見誤った形のチェンバレンの後釜として戦争指導する首相の地位にチャーチルが来るのは当然ではあったのだが、そのチャーチルにしてもドイツの圧倒的優勢、フランス敗北必至、下手するとイギリス本土への攻撃もある、という切羽詰まった状況の中ではいろいろ迷いもしただろう。この辺、僕は史実の事情は良く知らないのだが、この映画でのチャーチルは従来言われていたよりは「迷う政治家」として描くところがポイントになっている。

 映画の中では数々の政治家たちとの折衝場面が出て来て、チェンバレンはやはり対独講和をチャーチルに勧める。アメリカのルーズベルト大統領もこの映画ではあまり協力的な感じではなく、チャーチル自身も自国と自国民を危険にさらすよりは…と講和に傾くようにも見えて来てしまう。
 ここで映画では国王ジョージ6世(演:ベン=メンデルスゾーン)がお忍びでチャーチル私邸を訪問、チャーチルの本来の主張である徹底抗戦論を後押しする。ジョージ6世といえば現女王エリザベス2世の父親で、吃音を克服して国民に戦意高揚のスピーチを行う内容の映画「英国王の」スピーチ」の主役としても知られる王様である。一応「君臨すれども統治せず」の英国王がこのときチャーチル帝にお忍びでおしかけて主戦論を支持するなんて史実があるのかいな、と気になってしまったのだが、ともかくこの場面で国王から「国民の声を聞け」とのアドバイスを受けたチャーチルは、突然公用車から降りて地下鉄に乗り込み、イギリス一般庶民の声を聴く、という展開になる。

 ここで地下鉄に乗りあわせた老若男女人種民族もさまざまな市民たち(当時のイギリスでも黒人はいたとは思うけど、こんなふうに現代的に混じってたのか気になったが)が口をそろえてナチス・ドイツへの徹底抗戦を主張し、それに押されてチャーチルが決断、議会で抗戦の演説をする…という流れになるわけだが、この映画中重大なシーンについてパンフレットに載る専門家の解説にも「創作」とはっきり書かれていた。だよなぁ、いきなり地下鉄に乗って…ってのがそもそもチャーチルのキャラじゃないし、あれでかなりの階級社会であるイギリスらしくもない。また、乗ってる市民たちがそろいもそろって「反ナチス」を口にするのも正直疑問。それは完全に戦後の価値観、その後の歴史の展開を知ってる者たちの言い草だろう、と見ていて疑問符だらけになってしまった。
 見ていて思いついたのが「日本のいちばん長い日」のパロディだ。無条件降伏か否か悩む笠智衆演じる鈴木貫太郎首相が銀座線に乗り込んで庶民の声を聴いてみたら、みんな口をそろえて「本土決戦!一億玉砕!」と叫ぶもんで(あの段階から確実にそうなる)意を決してそっちに決めてしまう、というやつで。いやいや、庶民の声をそういう形で聞くのって正直あぶないですよ、と。

 僕の持っている知識や印象によるところでは、チャーチルってのは百戦錬磨のしたたかな計算高い政治家で、ドイツに対する徹底抗戦だってそれなりの情勢判断から決断したはずなのだ。このあとドイツ軍はイギリスを空襲、いわゆる「バトル・オブ・ブリテン」となって、映画「空軍大戦略」で描かれたりもするわけだが、チャーチルは自国の空軍力にしっかりとした根拠から自信を持っていたと言われる。迷いは当然あっただろうけど、そんな地下鉄で市民の意見を聞いて…なんて水戸黄門だか暴れん坊将軍だかみたいなやり方で政策を決めたりしないでしょ。
 歴史映画にフィクションは当然つきものだけど、これは分かりやすい感動を狙ってあざとく作りすぎた、と僕は思うんだよね。

 チャーチルを演じたのはこれまでも数々の個性的な役を演じてきた名優ゲイリー=オールドマン。最初にキャスティングを聞いた時は僕も「はぁ?」と思ってしまったが、ほとんど別人といっていいほどのメイクでチャーチルそっくりになって貫禄の演じっぷりとなった。これが評価されて米アカデミー賞では主演男優賞とメイクアップ賞を授与されることになった。
 …まぁそれはそれで凄いとは思ったけど、全然似てない役者がメイクでほとんど別人になってまで演じるのって、そこまですることあるのかなぁという思いも正直ある。怪盗ルパンの変装レベルってくらいかなぁと変なことも考えたが。今後の洋の東西の歴史映画の作り方にもなにがしか影響を与えるかもしれない。。(2018/7/9)




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