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「卑弥呼」

1974年・日本・創造社、ATG
○監督:篠田正浩○脚本:富岡多恵子/篠田正浩○撮影:鈴木達夫○音楽:武満徹○美術:粟津潔○製作:岩下清/加藤正夫/葛井欣士郎
岩下志麻(卑弥呼)草刈正雄(タケヒコ)三國連太郎(ナシメ)加藤嘉(オオキミ)横山リエ(アダヒメ)ほか




  かなり前から「歴史映像名画座」にその名を載せておきながら未だに見ていなかった作品。ようやく見ることが出来たわけだが、それにしても日本古代史最大のスターとも言うべき「卑弥呼」を主人公にし映画ってのはこれ一本しか無いというのもちょっと意外の観もある。
 監督は篠田正浩。とくれば主役の卑弥呼を演じるのは夫人の岩下志麻だということは同監督の作品を見慣れている人には容易に予測できること。なおかつこれまた適役、と思わずにはいられない…つっても実在の「卑弥呼」のイメージなんて誰も分かりゃしないわけだが。
 篠田正浩監督といえば最近でも「写楽」とか「梟の城」といった歴史物を手がけ、かなり前からあの「ゾルゲ事件」の映画化を熱望している、歴史映画オタクには注目の作家である。最近の一連の作品は「正統派」というか「正攻法」な映画作りをしているが、この人そもそも「松竹ヌーベルヴァーグ」と称された前衛的映画作家の一人(大島渚・吉田喜重もこう称される)。まだ未見なんだけど某「近松」ものの映画では浄瑠璃よろしく黒子まで登場させたという実験映画的作品を作っていた人である。この「卑弥呼」は松竹を退社したあとの作品だが時期が時期ということもありかなり「前衛的」なのでは…と予測はしていた。で、その予測は概ね当たっていた。

 映画全体のコンセプトは実に舞台劇的。九州の火山地帯を思わせる荒野(実際のロケ地がどこかは知らないが)もしばしば舞台となるが、大半は邪馬台国の宮殿(神殿?)の実にシンプルなセットでドラマは展開される。なーんとなく「邪馬台国九州説」なのかな〜?などと見ているとそうでもないらしく、この辺については諸説混ぜ合わせと言う感じがする。卑弥呼を始め巫女達はビックリするほどの白塗り化粧、男性陣も時代考証というよりは意識的にシンプルなつくりの衣装を身につけている。そして映画中たびたび登場する不気味な異形の踊り手達(良くは知らないが「暗黒舞踊」の人達が協力したようだ)。何の意味があるかは分からないがしばしば登場し、映画全体の雰囲気作りに貢献している…と思っていたら、やっぱり最後に重要な役どころがあったりする。
 こういうデザインの映画だからセリフも極力シンプルなため難解なところが多く(邪馬台国の政治・宗教関係はしばらく見ていないと実態がよく分からない)抽象的な表現も多い。正直なところ「卑弥呼」ミステリーに挑んだ仮想歴史ドラマを期待すると肩すかしを食うかも知れない。

 この映画では邪馬台国は「オオキミ」という男の王(加藤嘉)が治めており、その娘ヒミコが神の声を聞いて政治の方向を指し示している設定になっている。そこへヒミコの異母弟のタケヒコ(草刈正雄)が遠い異国の旅から帰ってくる。たくましく成長した弟に激しく恋をするヒミコは、タケヒコの心をつかむために「天つ神」を祭る邪馬台国が「国つ神」も祭るように、という神託を下す(この映画ではもともと「国つ神」を祭っていたこの地方を「天つ神」を祭る邪馬台国がよそからやってきて征服したという設定であるらしい。「騎馬民族説」かな、この辺は)。このヒミコの神託にオオキミは激しく怒り、神託を聞こうとしないがその混乱の内に大臣のナシメ(三国連太郎)によって密かに殺され、「神罰」がくだったということにされてしまう。このあたりは「古事記」の伝える仲哀天皇と神功皇后のストーリーをベースにしていて、「神功皇后=卑弥呼」説もバッチリ取り入れていますな。ちなみにオオキミの跡継ぎ争いがこの後起こり、「ミマキ」という息子が跡を継ぐが、これは恐らく「ミマキイリヒコ」こと崇神天皇がモデルだろう。記紀マニアとしてもいろいろと楽しめるところがありますね。
 三国連太郎が毎度ながら強烈な印象を残す。忠臣づらをして不気味に陰謀を巡らす大臣役、しかも密かにヒミコを恋い慕っていたりもする複雑な役どころだ。

 恋に溺れていくヒミコだったが、タケヒコはアダヒメという別の巫女と愛し合うようになる。ヒミコは嫉妬に狂い、神託によりタケヒコを捕らえ残酷な罰を加えて追放する。タケヒコは邪馬台国の政治を正すべく兵を挙げるが…という感じで映画は終盤一気に話を収拾していく。淡々とした描写が多い映画でちょっとした戦闘シーンもあるんだけど、盛り上がりという点は今ひとつ(ま、それは意識してやってるんだろうけど)
 森の中で三国連太郎のナシメが「ヒミコよ!」と叫び続けるラストシーン。この場面、空撮なんだけどよく見ているとヘリの影がバッチリ映っている。「おいおい!」と思っていたら、これミスではないんですね。そのままカメラは空へと上がって行き、卑弥呼の墓とも言われるあの「箸墓古墳」の現在の姿を映していくのだ(当然周囲の住宅などもそのまま入っている)。ここで一気に時代を飛び越える、というよりはこの映画全体が一つの「劇」なんだよ、ということなのかな。箸墓が映るので「邪馬台国畿内説」か!などと言っていたらあちこちの古墳を映してゆき、なんかゴマかされたような印象も(笑)。映画の作り手も「フィクション」とは思いつつ、「邪馬台国論争」ファンの反応を気にしているのかな。
(2001/2/9)


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