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「人斬り」

1969年・勝プロダクション/フジテレビジョン
○監督:五社英雄○脚本:橋本忍(参考:司馬遼太郎「人斬り以蔵」)○撮影:森田富士郎○美術:西岡善信○音楽:佐藤勝○製作:村上七郎/法亢堯次
勝新太郎(岡田以蔵)、仲代達矢(武市半平太)、石原裕次郎央(坂本龍馬)、三島由紀夫(田中新兵衛)、倍賞美津子(おみの)、山本圭(皆川一郎)、山内明(勝海舟)、辰巳柳太郎(吉田東洋)ほか




  今頃になって初鑑賞したが、存在自体はずいぶん前から知っていた。我が家の本棚にずいぶん古い文庫本「人斬り以蔵」(司馬遼太郎の短編集)が転がっていて、確か高校生の時に初めて読んでいる。表題作「人斬り以蔵」のほか、長編「花神」の原型となった「鬼謀の人」や、他の司馬幕末小説に挿話として描かれる周辺逸話をとりあげた作品が収録されている短編集で、特に表題作だけあって「人斬り以蔵」は強烈な読後感を残す。以蔵については司馬の代表的長編「竜馬がゆく」でも描かれるがあちらはあくまで脇役の一人にすぎず、主役となったこちらの方が圧倒的な存在感があるのだ。

 そしてその文庫本の巻末解説に「人斬り以蔵」について、「映画『人斬り』の下敷きになった異色作」とか説明されていて、映画が存在したことを知ったのだ。ただしこの映画は「人斬り以蔵」を「原作」とはせず、あくまで「参考」として名を挙げているだけだ。自作の映像化には割と鷹揚だった気がする司馬遼太郎だが、何か問題があったのか、あるいはもとが短編なので映画にするとかなりふくらまさなきゃいけないから「原作」とは言い難いほど変わってしまったからかもしれない。
 あと、僕の記憶ではこの映画、1990年前後のころにリバイバル上映をやってたはず。当時新聞の映画広告スペースに勝新の以蔵、仲代の半平太、三島の新兵衛、裕次郎の竜馬が並べられた広告を確かに見た覚えがあるからだ。

 長らく見てみたいとは思ってたが、なかなか機会がなかった。というか、いま調べてみたら過去にVHSやLDでのソフト化はあったものの、DVD化はまだだった。アマゾンで調べたらなぜかフランス発売版があったけど…。製作元が勝プロとフジテレビの共同なので権利関係がややこしいのかも。ようやく見る機会を得たのはBSの民放でノーカット放映されたからなのだが、そういえば最近石原プロもこれまで門外不出状態だった自社製作映画をBSで流したりソフト化したりしてるから、これもその流れなんだろうか。
 説明不要だが勝プロダクションとは主演している勝新太郎が立ち上げた、いわゆる「スタープロダクション」の一つだ。映画が斜陽産業となり従来のスタジオシステムが崩壊する中、1960年代後半に三船敏郎・石原裕次郎・萬屋錦之介・勝新太郎といった、それぞれ東宝・日活・東映・大映の看板スターが独立プロダクションを立ち上げて映画・テレビ番組製作に乗り出していた。この四人は同じ立場ということで協力し合い、映画「待ち伏せ」で四人共演という奇跡を実現したほか、友情出演状態でお互いの映画によく出ていた。この「人斬り」では勝新と裕次郎が共演したが、同じ年の三船プロ製作「風林火山」では三船・萬屋・裕次郎が共演している。まぁ、そんな事情を背景にもった時期の大作時代劇映画の一本で、特に本作はフジテレビが参加(そもそも五社英雄監督がフジ出身)、映画製作にテレビ局が乗り出す走りともなっている。

 映画は土佐の海のそばに建つボロ家から始まる。そこに住むのは勝新太郎演じる岡田以蔵。風雲の世に踊りだしたくてウズウズしてるのだが、身分も低く教養もない荒くれ者。この男を、土佐勤王党の首領である武市半平太(演:仲代達矢)が手駒として拾い上げる。もっとも「初仕事」は幕政を牛耳る吉田東洋の暗殺…ではなく、その「見学」。物陰から以蔵は刺客たちが東洋を殺す一部始終を目撃するのだが(これがしっかりラストの伏線になる)、実際の暗殺というやつがなかなか簡単にはいかないもので、かなり無様でグダグダな斬り合いであるのを見て「俺ならもっとスパッと…」とつぶやくところでやっとオープニングになる。この場面のグダグダなチャンバラ、この時期のリアル志向チャンバラの流れの中にもあるんでしょうね。

 オープニングタイトルが終わると、いきなり舞台は血の雨が降る京都に移り、すでに以蔵は「人斬り以蔵」として名をとどろかせる時点へと飛んでしまう。う〜ん、名匠・橋本忍にしては飛ばしすぎじゃないか?と思ったのだが、どうも以蔵の頂点からの転落を描く方に力点を置いたものらしい。「人斬り」として実績を積んで有名になっていく過程を描く時間がなかったのか…それともアレか、勝新にあんまり「人斬り」やらせると「目の見える座頭市」になると危惧したか?斬るんじゃなくて絞殺してる場面もあったし。
 半平太の命じるままに暗殺テロを行う以蔵は、いずれ半平太が大名に出世して自分もその重臣くらいにはなれるだろうと考えてる程度で、低い身分出身ゆえの強力な上昇志向を持ちつつも時代の流れとか国際情勢なんてことにはとんと疎い。そんな以蔵に妙になれなれしく近寄って来るのが、裕ちゃん演じる坂本龍馬。幕臣の勝海舟に弟子入りしてるくらいだから土佐勤王党メンバーからは裏切り者と思われているが、以蔵とは互いに不思議な引力を感じる微妙な友人関係、といった感じになっている。以蔵が龍馬に頼まれて勝海舟のボディガードをやって刺客を返り討ちにした有名な実話もこの映画で描かれていて、確かに龍馬とは仲が悪くはなかったみたい。それにしても裕次郎って不思議と時代劇のカッコが似合わないんだよなぁ。この時期太り気味になってきたこともあり、数多い「龍馬役者」のなかでも太目な部類だ。

 「大活躍」してしまう以蔵に、コントロールが効かなくなることを恐れた半平太は、薩摩と組んだ大規模な襲撃計画からこっそりと以蔵を外す。自分抜きで襲撃が行われたことを知った以蔵は素っ裸で飛び起き、服を着ながら怒涛の勢いで走る、走る!この場面、次々と場所を変えて勝新の以蔵が全力疾走していて、特に強烈な印象を残すシーン。勝新といえば「座頭市」だが、あれじゃ全力疾走するわけにはいかないもんなぁ。なんか新鮮な光景だった。
 その全力疾走で現場に着くと、「土佐の岡田以蔵だ〜!!」と大声で名乗って斬りまくり、土佐が実行者であることを隠したい半平太の思惑をぶち壊しに(笑)。これがきっかけで一時的に半平太との縁が切れ、その間に勝海舟護衛をやったり、薩摩出身の「人斬り」仲間である田中新兵衛(演:三島由紀夫)の友情に助けられた里といったことになるのだが、喰い詰めて半平太にわびを入れて復縁したら、その新兵衛の太刀を使って姉小路という公家を暗殺しろと命じられてしまう。覚えのない暗殺の疑いをかけられた新兵衛は奉行所で太刀を見せられると何も言わずにその太刀で切腹してしまう。
 
 さて、ここでこの映画の、作り手の意図とは別の「見どころ」がこの新兵衛切腹場面だ。演じているのがなにせ作家・三島由紀夫である。この人は作家業以外でも各方面に露出が多かったマルチタレントの走りで映画出演もこれが初めてではない。この映画でも少ないセリフではあるけどそれなりに存在感を示している(ただ顔の造作が妙にアンバランスに感じるのは気のせいか?)。この映画の3年前に三島は自作の小説「憂国」を自ら監督・主演で映画化していて「切腹フェチ」ぶりを自らの演技で披露している。この映画ではそれほど強烈というわけではないが、史実の通りに一瞬のスキを突いた切腹を見事に演じて見せている。
 …そしてこの映画公開の翌年、1970年11月に三島は本当に切腹し、介錯されるというショッキングな死に方をしてしまう。この映画に出ている時にすでにその兆候があったのかどうかは映画を見てもわかりゃしないのだが、この事件があったためにこの映画は「三島の切腹リハーサル」が見られるという妙な「おまけ」がつくことになってしまったのだ。
 なお、この映画では半平太が暗殺の黒幕で、新兵衛はまったくの濡れ衣だったことにされているが、最近の研究動向ではやっぱり新兵衛が真犯人だったという見解が有力らしい。この映画ではこのくだりを時間をかけて描くことで半平太の策士ぶり、というより謀略家ぶりがいっそう強調され、仲代達矢の無表情な演技とあいまってかなり「ワル」な半平太像になっている。

 半平太の「ワル」度は終盤にいくとますます露骨になり、ついには自分のコントロールが効かなくなった以蔵を完全に放り出す。「これからは刺客の時代ではない、もっと大勢の軍隊を動かす戦争の時代だ!」というセリフは脚本家・橋本忍の意図を強く反映したものだと思うが、実際こうした個々人を狙うテロというのが大規模殺人である戦争へとしっかりつながっているわけだ。そしてこのセリフは当然日本人が駆り立てられた侵略戦争を連想させ、それをさかのぼると幕末維新にそのルーツがある、というところまで連想をつなげられる。それがこの「ワル」な半平太の口から出るものだから、かなり怖いのだ。

 映画の終盤は司馬の小説とはかなり変えている(だから「参考」なんだろうな)。半平太が以蔵の口封じのために毒殺を図るというあたりは共通するのだが、この映画では以蔵を慕ってついてくる土佐勤王党の純朴な若者(「左翼運動家」役が多い山本圭というのが配役の妙)が無情にも犠牲にされてしまうことで以蔵の半平太に対する踏ん切りがつく展開になる。また、以蔵が京でなじみにしていた遊女(演:倍賞美津子)のキャラをふくらませて以蔵が束縛された者同士の共感を抱く展開になっていて、最後に以蔵は半平太をカネで売り、そのカネで彼女を自由にしてやる、という、「泣かせ」なオチがつくことになる。うーん、いい話とは思うんだけどさ、そのためにカネだけ受け取ってまだ出頭しなおすという不自然な展開にもなっちゃってるな。
 以蔵は切腹も許されず、磔・獄門に処される。司馬の小説だと半平太が見事に切腹してみせるのと対照をなすように描かれるのだが、この映画では半平太の最期はまったく描かれなかった。仲代達矢の切腹といえば、同じ橋本忍脚本の「切腹」で主演しながら切腹はしないんだよな。別にそれにちなんだわけではないだろうが、この映画のかなりワルな半平太だと、その最期をきっちり見ておきたかった気がする。

 そうそう、書き忘れていたことを最後に。全編シリアスで貫かれた本作だが、以蔵が入った牢屋に当時大人気だった「コント55号」の二人、萩本欽一坂上二郎が囚人として登場しさりげなく笑いをとっている。これも今となっては三島由紀夫の切腹と並んで歴史的シーンになってしまってるなぁ。(2016/5/25)




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