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「人情紙風船」

1937年・P.C.L.映画製作所
○監督:山中貞雄○脚本:三村伸太郎○撮影:三村明○音楽:太田忠
中村翫右衛門(髪結新三)、河原崎長十郎(海野又十郎)、山岸しづ江(おたき)、助高屋助蔵(長兵衛)、橘小三郎(毛利三左衛門)、霧立のぼ


 

  山中貞雄は昭和初期に若き天才監督として活躍し、日中戦争に出征して29歳で戦病死してしまった伝説的映画人だ。その彼の遺作となったのがこの一本。もちろん本人は遺作にするつもりなんぞなく、死ぬ間際にも「紙風船が遺作とはちとさみしい」と書いているそうだが、数多くの作品を撮りながらも完全な形で残っているのはこの「人情紙風船」ぐらいしかないのが実情なのだそうだ。

 公開が1937年(昭和12)8月。この年の7月7日に盧溝橋事件で日中全面戦争に突入、結果的にそれが山中貞雄の命を奪うことになる。製作したP.C.L.映画製作所はこの映画の公開直後に東宝に吸収合併される(この映画の配給も東宝)。 このP.C.L.には前年に黒澤明が入社して助監督となっており、調べてみたら山中は黒澤よりたった一歳の年上だった。山中がその後も生きていたら…と思うと、実に惜しまれるというのもよく分かる。

 さてこの「人情紙風船」、河竹黙阿弥の歌舞伎狂言を下敷きに三村伸太郎が脚色した江戸時代長屋もの。「人情〜」とつくように一応人情小噺ものに分類されるのだろう。一つの長屋を舞台に、数人の登場人物たちのそれぞれの物語を一つに融合したような物語になっていて、先ほど名前を出した黒澤明の「どん底」や「赤ひげ」なんか、これに影響を受けてるんじゃないかと思えるところもあった。そういえばこの映画に出てくるヤクザの一人「猪助」を演じている市川筵司とはのちの加東大介のことで(というか、顔見りゃ一発で分かるよね)、「生きる」のヤクザ役とか、「用心棒」のヤクザ「亥之吉」役なんかはこの映画の役へのオマージュなのでは?と勘繰ってしまう。

 映画は江戸のボロ長屋で浪人の武士が首つり自殺をするところから始まる。いかにも江戸っ子な連中の集まる長屋の住人たちはこの浪人の通夜をしてやり、大家にも金を出させてみんなで楽しくドンチャン騒ぎ。「ひと月に一人ぐらい死なないかな」なんてブラックジョークも飛び出す始末(笑)。この場合は首つり自殺なのでブラックジョークになるけど、実際僕の先祖が住んでた田舎の村では年相応に亡くなった人が出ると葬式は完全に「お祭り」状態で、村人みんなで盛大にドンチャン騒ぎをやってたものだ。
 さてそんなオープニングから、物語は同じ長屋の住人である浪人・海野又十郎(演:河原崎長十郎)と髪結いの新三(演:中村翫右衛門)の二人にスポットが当てられてゆく。又十郎はなんとか士官の口を見つけようと父の知人・毛利三左衛門(演:橘小三郎)のもとを訪ね、ストーカー並みにしつこく追い回すが、毛利に煙たがられてヤクザ連中に袋叩きにされてしまう。髪結いの新三は髪結い業はほとんどしておらず、闇賭場を開いて稼いでいて、これがヤクザ連中の縄張りを荒らすことになって彼らからつけ狙われる。ところで毛利三左衛門は質屋・白子屋に出入りして、その家の美しい娘・お駒(演:霧立のぼる)を上司と縁組させようと画策中だが、お駒自身は番頭と恋仲になっていて縁談には乗り気でない。
 一見バラバラの物語は質屋・白子屋を連結点にしてつながってゆき、やがて新三がお駒を誘拐、長屋につれこんで話が動き出す。これに又十郎もささやかながら加担し、ヤクザや白子屋相手にひと騒動あってまんまと大金をせしめ、またまた長屋の人々とドンチャン騒ぎに。しかし物語は終盤一気に悲劇へと落っこちてゆく。

 原作となった歌舞伎狂言がどうなってるのか分からないのだが、映画は一応伏線は張ってあるものの、あれっと思うほど一気に破局的結末になってしまう。タイトルになっている「紙風船」とは、又十郎の妻・おたき(演:山岸しづ江)が内職で作っているもので、タイトルになっていながら劇中ほとんど筋に絡んでこないのだが、ラストがこの紙風船が水に浮かぶ物悲しいカットで終わっていて、それが人生のはかなさを象徴しているようでもあり、また当人は意図せぬことながら山中自身の生涯のはかなさをも象徴することにもなってしまった。

 舞台は江戸時代ながら、昭和前期のこのころではここで描かれたような極貧の生活、貧しい者たちが寄り集まって家族状態になっている長屋生活というものは実際にあった。だから観客は時代劇としてではなく自分たちが直面する現実をそこに重ね合わせて見られたのではないかと思う。その意味では社会の矛盾を訴える社会派作品とも言えそうだ。
 そもそもこの映画、「前進座」のメンバーが総出演している。「前進座」とは家柄主義・封建的な歌舞伎界を批判する歌舞伎役者たちにより1931年に結成された劇団で、戦前戦後にわたり「左翼的」スタンスの目立つ役者が多かった。この映画で主役をつとめている河原崎長十郎、中村翫右衛門ら前進座幹部も日本共産党など左翼運動との関わりが深く、警察にもにらまれがちな役者だった。そんな彼らの劇団運営はなかなか大変で、この時期山中貞雄の映画に総出演しているのは、使える役者が欲しい映画製作側と収入が欲しい前進座との利害一致ということであったらしい。余談だが、ずっと後年、日活の息の根を止めたとまで言われる珍超大作「落陽」にも当時の前進座俳優が総出演していたものだ。
 ともあれ、出演者もそういう人たちなので、山中貞雄自身も社会派的スタンスでこの映画を撮ったのではないかなぁ、と。

 凄く面白いというわけでもないのだが、冒頭からラストまで、先の読めない錯綜した展開と長屋連中のどこかとぼけた江戸ッ子調子のやりとりもあって(特に盲目の按摩さんがいい味だしてる)、ついつい引き込まれて見てしまう映画。テンポもよく、「語り口」がうまい映画なんだと思う。ただ僕が見たものは音声がかなり聞き取りづらく、一部繰り返し聞かないと何を言ってるのかわからないところもあった。戦前の映画だし、しょうがないといえばしょうがないんだけど。(2012/7/12)




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