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「火天の城」

2009年・日本
○監督:田中光敏○脚本:横田与志○撮影:浜田毅○美術:西岡善信○音楽:岩代太郎○原作:山本兼一
西田敏行(岡部又右衛門)、椎名桔平(織田信長)、大竹しのぶ(田鶴)、福田沙紀(凛)、夏八木勲(戸波清兵衛)、西岡徳馬(丹羽長秀)、笹野高史(木曽義昌)、寺島進(平次)、山本太郎(熊蔵)、石田卓也(市造)、緒形直人(甚兵衛)ほか


 

 公開時、歴史物だけにちょっと気になったんだけどなんとなく見ないままスルーしてしまった作品。建築現場のお話なので「ガテンの城」なんてパロディネタを考えたりもしたけど、あまりいい評判を聞かなかったこともあり見に行かなかった。ようやく今年になって民放BSで放送されてたので鑑賞することになった。
 原作はなんかの賞もとった山本兼一の歴史小説。織田信長が築いたことで有名な「安土城」の建築を手がけた宮大工を主人公とし、権力闘争やら領土拡張やらに明け暮れる武将どもを描くのではなく、史上空前の天守閣をもつ壮大な城を築く技術者に焦点を置いたというところが新鮮だったのだろう。

 実は原作小説の方は読んでないので、あくまでこのコーナーでは映画の話だけするけど、原作は評価された様子だし、映画化までしちゃったんだからそこそこ面白いのだとは思う。しかしどうも映画を見た限りでは、面白い素材をよってたかってつまんなくしちゃったような、そんな印象を持ってしまった。いや、あるんですよ、そういうケースっていっぱい。特に日本映画の場合、「安っぽい感動の押し売り」要素を映画につけたがるヘンな悪癖があり、この映画にもそのケが凄く感じられたのだ。原作そのまんまなんです、っていうんならゴメンナサイの一言だけど。

 物語は熱田神宮の宮大工・岡部又右衛門(演:西田敏行)が、領主の織田信長(演:椎名桔平)から直々に「五層の天守閣」の建造を命じられるところからいきなり始まる。何かにつけ型破りな信長は城の縄張りの現場でも自分で馬で走って槍を突き立て、建築しようとしている安土城のスケールの壮大さを又右衛門に見せつける。しかも五層の天守閣は内部を「吹き抜け」にしろとの厳しい注文もつく。天守閣の設計は三業者の競合となり、又右衛門はあえて信長の意向に逆らい、「吹き抜け」のない設計図を作って提出。怒る信長に、又右衛門は自らの設計のものと他の二者の設計のものの三つの天守閣の模型に火を付け、「吹き抜け」のある構造では火の回りが早いことを実例で見せ、感心した信長から建築を任されることになる。

 ああ、これって「プロジェクトX系映画」を狙ってるんだな、とここまででよく分かった。特にあの番組の強い影響を受けて作られたVHS製造ばなし「陽はまた昇る」のビデオレコーダー比較ばなしをどこか思わせるし(あの場合はこの映画の信長が松下幸之助ということになっちゃうが)、だいたい主演が西田敏行演じる技術者ってところまで同じ。立ち位置はやや異なるけど緒形直人夏八木勲も出ていたし(ま、夏八木さんはもともと「よく顔を出してる」人はあるんですが)
 注文主の奇抜な趣向に逆らって「安全第一」な設計にするところは職人気質の技術者らしさだし、模型を燃やすことでそれを実証するというのも映画的に分かりやすい。「燃焼実験」を見た信長が「それなら落城しても舞を舞う時間がありそうだな」なんてセリフも、「その後」の歴史を知ってる観客向けに過ぎるとは思うけど、それがラストに出てくるならうまい伏線だった。伏線のつもりでないなら言わせた意味がまるでないのだが。

 CGの多用はいまどき当然ではあろうし、内容的にも使わないといけない。それでもそれほどCGくささは感じなかったし、アップになる建築現場はかなりの大きさでセットを組み、それなりに人の動員もあって、「安土城の建築現場」のリアリティはあったと思う。
 その建築に当たって巨大な柱が必要となり、それは木曽の山中にしかない。しかし木曽は織田の宿敵・武田の支配下にあり、そう簡単にゆく話ではない。又右衛門は自ら危険を冒して木曽へ向かい、最初はしぶる杣人の甚兵衛(演:緒形直人)を「これまでになく壮大な城を作って後世に残すためだ」と熱意をもって説得、結局甚兵衛は「ご神木」である巨大なヒノキを切り倒して又右衛門のもとに送ってしまい、そのために結局命を落とすことにもなってしまう。ここ、映画としては泣かせどころらしいのだが、安土城の「その後」を知ってるこちらとしては「なんだ、結局無駄だった上に自然破壊じゃあ?」などとツッコンでしまうのだった。

 この又右衛門の留守中に彼の娘が恋してる若者・市造(演:石田卓也)が戦場に駆り出されて行方不明になる(死んだと思ってたらラストに唐突に出て来て唖然とした。「キン肉マン」じゃないんだから)。そして又右衛門の妻・田鶴も病に犯され結局死んでしまい、「仕事人間」の父に対して娘の凛(演:福田沙紀)は反発する。しかし結局父娘で理解し合うようになっちゃうあたりは、まさに「プロジェクトX」的な、「家族の絆」で泣かせようという魂胆がミエミエで…こういうのが好きって人が多いからこういう要素を入れたがるんだろうけど、正直なところこういうウェットなノリは僕は苦手。テーマから言っても技術話に集中してほしかったなぁ。
 話を盛り上げようとしてなのか、巨大な岩を運ぶ大作業の最中に、職人たちの中に紛れこんでいた女忍者(!)がいきなり信長を襲撃する展開にも目がテンになってしまった。山本太郎はこの展開のためにわざわざああいう役どころに当てられてたのか。あのいきなりの場面、原作にもあるんかいな。
 そういえば椎名桔平の信長になぜかずっとヒゲがないのが気になっていたのだが、この暗殺未遂場面でようやくヒゲつきとなり、見た目にも信長っぽくなる。正直なところなんで最初からそうしなかったのか…

 クライマックスは安土城の木組みの一部にズレがあるってんでみんなで一緒に木組みを持ち上げ、その間に柱をちょっとだけ切ってしまうという離れ業を演じるという場面。いやぁ、大変なことをやってるんだとは思うんだけど、壮大な建築の話の割にはえらく地味な作業がクライマックスで…
 で、もっと呆れたのが、実質その場面で「終わり」になってしまうことだ。木組み状態から安土城はあっさりと完成してしまい、信長がそれを大量の松明でライトアップ(これは史実だそうで)する映像で映画はエンディングに。人々の苦労の末に安土城ができました、プロジェクト達成、万歳万歳、で終わっちゃうのである。「プロジェクトX系映画」の狙いである以上、それらの全てがすぐに無になってしまうという描写はやるわけにはいかなかったのか、はたまた単純にそんな場面を作るのが大変という予算の都合か。

 だけどねぇ、安土城をテーマにする以上、それが信長の死と共に炎上して無に帰してしまう、ってところは絶対に必要だったと思う。しかも調べてみたら岡部又右衛門は史実では安土の落城と運命を共にしているのだ(それも息子と一緒に)。それこそ映画みたいな劇的な展開であり、なんでそれをはずすかなぁ、と。苦労して作った安土城が燃えてなくなっちゃったからといってそれらの全てが無駄というわけではないし、そういうことをしてしまう人間の愚かさと凄さとを描くという素晴らしいテーマを自分から放り出してしまっているのには何を考えてるんだ、と。
 おかげで全体的にちんまりとした「いい話」の寄せ集めみたいな、およそ安土城と縁のなさそうな映画になっちゃっている。「火天の城」なんてタイトルを見たら炎上する安土城を連想する人が多かったと思うのだけど、ホントに燃えたのは模型だけでした、というあたりが象徴的という気もする。
(2013/3/15)
 



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