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「天地明察」

2012年・日本
○監督:滝田洋二郎○脚本:加藤正人/滝田洋二郎○撮影:浜田毅○美術:部谷京子○音楽:久石譲○原作:冲方丁
岡田准一(安井算哲)、宮崎あおい(えん)、佐藤隆太(村瀬義益)、市川猿之助(関孝和)、笹野高史(建部昌明)、岸辺一徳(伊藤重孝)、渡辺大(安藤有益)、白井晃(山崎闇斎)、横山裕(本因坊道策)、市川染五郎(宮栖川友麿)、中井貴一(徳川光圀)、松本幸四郎(保科正之)ほか




 数学は決して得意ではない文系人間の僕だが、図形の証明問題はかなり好きだったし、数学史や科学史といったジャンルも結構好き。だからこの映画に出てくる関孝和(演:市川猿之助)なんかは以前からそこそこ知っていて、それが映画の中で生身の人間として登場した時にはなんだか懐かしい人に再会したような気分になったものだ。ついでに言えば大学の史学科ゼミで江戸時代の儒学にも首を突っ込んだので、やはりこの映画に出てくる山崎闇斎(演:白井晃)にもなじみがあり、これもまた懐かしかった。それだけにこの映画で彼があーなってこーなっちゃった時にはビックリしてしまったけど(映画のラストで「お断り」はしてた。ま、歴史映画では割とよくあることだけど)

 この映画は実在の人物ではあるが、よくある英雄政治家ではなく、数学者・天文学者を主人公としたところがユニーク。まずこの「安井算哲」という人物を主役にした原作小説の目の付けどころがよかったわけなんだけど、それを映画にしようというのはテーマ的になかなか難しいものだったはず。大合戦やら大規模豪華セットは必要ないけど、地味と言えば地味な話で映像向きとは言い難い気もする。この映画ではそこを何とかしようと映像的に派手な場面も組みこむなど工夫はしている。

 主人公の安井算哲(演:岡田准一)は、のちの「渋川春海」。僕も「渋川春海」の名前でしか知らなかったし、暦を作ったということ以外はほとんど何も知らなかった。だから冒頭が将軍の御前で囲碁の「本気勝負」をする場面から始まったからちょっと驚かされた。算哲は数学者である以前にまず幕府お抱えの碁打ちだったのである。算哲がいきなりど真ん中の「天元」(余談ながらアメリカのゲーム会社「テンゲン」はこれに由来するそうで。「アタリ」も碁の用語)に打つ奇策をとる場面も印象的だが、見た後で調べたらこれも史実なのだそうだ。
 もっとも碁の話はほぼ序盤だけで、あとは算哲が天体観測と数学の趣味(?)に走る話になる。日本の数学「和算」において、神社に数学の問題の絵馬を置き、解いてみろと挑戦を呼びかける風習(?)があったというのは僕も以前から知ってて非常に興味を持っていたのだが、こうして映像化されたのはほとんど初めてではなかろうか。それと複雑な高等数学の計算をするために算盤だけでなく「算木」を使っている場面も面白い。パンフレットによると主人公が携帯している小型の算木セットは小道具さんが想像で作った創作ものなのだそうだが。

 しかし映画は一般向けのものだけに小難しい数学の専門的な話ばかりしているわけにもいかないだろうし、主人公もガチガチの学者先生には描かれず、岡田准一らしい爽やか好青年。もう少し変人っぽくしてもよかったんじゃないかなぁ、とも思ったのだが(まぁあれでも一般人から見れば十分変人の域だろうけど)、この映画ではあくまで情熱的で人当たりもよく、それで何かと味方になってくれる人も多い。確かに実際に算哲には保科正之(演:松本幸四郎。有名な名君だけど映像で出てくるのは珍しい?)だの水戸光圀(演:中井貴一。「水戸黄門」よりはずっと史実に近い「元不良少年」な雰囲気)だのといった大物のパトロンがいたわけだからそう偏屈な人だったとも考えにくいが、主人公としてはピュアで爽やか過ぎちゃってやってることとのギャップも感じてしまった。映画では変人部分は市川猿之助(どうしてもまだ「亀治郎」の名前が頭に浮かぶんだよなぁ)演じる関孝和が担当していて、マッドサイエンティストの定番な印象ではあるけどなかなかの迫力を出している。
 
 ヒロインの「えん」に宮崎あおい。「えん」とはまぁ、いかにも数学者に好かれそうなお名前で(笑)。映画では出会った当初から結構いい雰囲気になり、算哲も観測調査に出かけるにあたって「一年待っていてくれ」と事実上のプロポーズまでしてしまう。ありきたりの話なら彼女は何年遅れようが待っててくれそうだが、ここでは半年遅れただけで割とあっさり嫁に行ってしまうところが観客の意表を突く。もしかすると史実だからなのかもしれない。この時代のことだから縁談が重なって来ると断れなくなるのが実態だったんだろう。結局「出戻り」してきて元の鞘におさまることになるのだが、「変わり者」カップルで気が合うところもあったのかな…なんて想像もするが、映画ではそこまで踏み込んではいない。

 映画の中盤から、算哲は「改暦」の問題に熱中することになる。驚くべきことに日本では平安時代に導入した唐の暦を江戸時代までまったく変えることなく使っていたため、月食・日食の予測が当たらず「ずれ」が生じてしまっていたのだ。それでも日常生活で大きな問題はないということだったんだろうけど…映画の中でも出てくるが、中国においても何度も暦が改めて作成されていたことと比べると日本はのんびりしたものであり、さらには独自の暦を作成するというのは大変な技術と労力がいる作業だったということでもあるのだろう。
 算哲は中国歴代の暦を比較検討して元の時代に作られた「授時暦」が一番正しいと考え、どれが正確であるかを競わせる「日食勝負」のイベントをしかける。ところが彼の意に反して授時暦すらも日食の予測をはずしてしまう。いったいどういうことだと頭を抱える算哲……というところで、現代人で多少知識のある人は気がつくだろうけど、日食だって世界中で一斉に起こるわけではなくごく一部の限られた地域で、それも地域的に時間や食の具合の変化をつけて起こるものだ。中国で観測・計算して作った日食予測がそのまんま日本で使えるということの方がおかしい。もちろんそうだと分かるのは現代人だからであって、この時代の人たちは学者レベルでも地球が丸いとは一応分かっていても…という程度。主人公たちが終盤になってようやく気付く「日本と中国の経度差」の問題なんて今なら小学高学年くらいでも知ってる話だけど、当時はそれ自体が大変なことだったわけだ。

 この映画を途中まで見ていて、「ははぁ、経度差だな」と僕も気付いたのだが、実は似たテーマを扱った韓国ドラマを見ていたため。数年前の韓国の大河ドラマ「世宗大王」で、やはり中国の暦(やはり授時暦だろう)をもとに日食が予測され、朝廷で厄除けの儀式の用意をしていたら肝心の日食が起こらず、登場人物がやはり「中国と我が国では暦が違うのでは?」と気付き、独自に観測をして暦を作るという、この映画とよく似た展開があったのだ。

 この映画では暦の利権を握る京都貴族が悪役で、主人公の支持者である保科正之を演じた松本幸四郎の息子・市川染五郎がそちらを演じているのが面白い(なお、この映画はあの奈落転落事故の前に撮影された)。原作も未読なのでそういう実態があったのかは分からないのだけど、平安時代以来まったく暦を変えてなかったのは事実だし、授時暦について「日本を攻めた元の暦だからよろしくない」なんて言い出すあたりはいかにもありそう。公家の悪役というと「柳生一族の陰謀」の成田三樹夫を思い出してしまうが、こちらはよりおっとりとして陰湿(笑)。そうした「保守頑迷な抵抗勢力」に対して合理的かつ先進性のある若者が挑戦するという構図は分かりやすく、確かに終盤の展開を盛り上げていて、最後の切腹をかけた日食予測なんかは明らかに映画的なウソなんだけど、映画としてはそれでまとまりがいいには違いない。
 大河ドラマなんかと違って2時間枠でまとめなきゃいけない歴史映画、伝記映画はこの手のフィクションはよくあることだ。ただ全体としては風変りで面白いテーマを、きれいに分かりやすくまとめすぎちゃったかなぁ、という気もする。そもそも映画にするにはかなり難しいテーマなので、作るとしたらこういう感じになるだろう、とは思うのだけど。(2013/3/21)




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