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「利休」

1989年・松竹/勅使河原プロ/博報堂/伊藤忠
○監督・脚本:勅使河原宏○脚本:赤瀬川原平○撮影:森田富士郎○音楽:武満徹○美術:西岡善信/重田重盛
三国連太郎(千利休)山崎努(豊臣秀吉)三田佳子(りき)松本幸四郎(織田信長)中村吉右衛門(徳川家康)坂東八十助(石田三成)中村橋之助(細川忠興)井川比佐志(山上宗二)岸田今日子(北政所)田村亮(豊臣秀長)ほか


 

 映画興行ではライバル会社同士で企画が競合し、同じテーマの映画が同時期に製作・公開されてしまうケースが時々ある。いま僕がこの文を書いている時点でも探査機「はやぶさ」をテーマにした映画が3本も製作されている。「いま、何をすれば当たるか」を考えるのが映画ビジネスであるだけに、同じ時期に同じ結論に達してしまうことはままあるのだろう。
 とくに歴史上の有名人や有名事件を扱う映画は競作になりやすい。「映画百年」の年に東宝が「四十七人の刺客」、松竹が「忠臣蔵外伝四谷怪談」と忠臣蔵競作になったことがある。また宮澤賢治生誕百年の年には「宮澤賢治その愛」「我が心の銀河鉄道」の2作が競作となっている。そしてこの「利休」が公開された時期には熊井啓監督・三船敏郎主演の「千利休・本覚坊遺文」が公開されていて、「利休映画対決」と騒がれていたのだ。しかし調べてみた限り1989年という年が利休と何か関係がある様子もなく、なんで同じ時期に利休映画が作られてしまったのかはよく分からない(没後400年企画、ということになってるようだが2年ほどズレがある)

 この2作の利休映画、同じ人物を主人公としながら趣向はかなり異なっていて、それぞれに高い評価を受け、興行的にもまずまず成功した。両方見たという人も多かったのかもしれない。「本覚坊」の方は井上靖原作、「利休」の方は野上弥生子原作、方や三船敏郎、方や三国連太郎という名優対決、1989年度のキネマ旬報ベスト10では「本覚坊遺文」が3位、「利休」が7位にランクインし、興行成績ベスト10では「利休」が第4位につけて「本覚坊」に大差をつけた。この結果を見てもうかがえるように、三船版「本覚坊」の方は地味で難解ながら奥が深いとされ、三国版「利休」の方は全体的に派手で華やか、比較的とっつきやすく見える、という傾向があった。こちらも結構難解と言えば難解なんだけど。
 監督は勅使河原宏。お名前で察せられるようにただ者ではなく、華道の家元の出である。映画監督としては「砂の女」で名を馳せているが僕は今のところ未見。経歴を見ると映画から一時離れて陶芸に走ったり、華道の家元を継いで新たな華道の提唱をしたりと、映画以外でも幅広い文化活動をした人だ。この映画の中でも利休が独創的なやり方で華を生けるシーンや、茶器の製作場面などに勅使河原監督自身の芸術家ぶりが発揮されている。

 映画の原作となったのは野上弥生子の小説「秀吉と利休」なので、全編にわたって秀吉(山崎努)と利休の確執の過程が主軸に置かれている。映画の冒頭で描かれるのは、秀吉が利休の茶室を早朝に訪れると、利休がその茶室の周囲に咲いていた朝顔の花を全て抜き取り、茶室の中に朝顔の花を一輪だけ壁に挿しておいたという有名なエピソードだ。成り上がり者で派手好きの秀吉と、「わび」の美学を唱える利休のすれ違いを象徴する逸話で、これが物語の入り口となって回想に入って行く。

 回想の最初に出てくるのは織田信長(松本幸四郎)がまだ健在だったころ。信長は家臣や大名たち、西洋人たち、利休を初めとする当時の文化人たちを集めて茶会を催している。西洋人が地球儀を持ちこみ、信長らが「地球」について論じたりして、これがその後のストーリーにも絡んでくる。安土桃山文化を語る上で西洋人の視点が必要、ということだったんだと思うけど、映画全体としては利休の美意識とどう結びついてくるのか不鮮明だったようにも思う。
 このシーンでは実に多くの実在人物が登場しているのだが、誰が誰やらは出演者リストを見ないとまず分からない。注目は信長の弟で利休とも深くかかわった織田有楽斎を、こののち首相となる細川護熙(当時は熊本県知事かな)が演じていること。どういう縁で出演に至ったのかは知らないが、わずか1カットの出演でセリフもない(「本覚坊」の方では萬屋錦之介が演じる準主役だった)。のちに細川政権が誕生した時、外国メディアの一部がこの映画出演時の「殿さま姿」の細川護熙の写真(ちょっと志村けんの「バカ殿」に似ていた)をそのまま掲載してしまうという珍事が起きている。「日本の首相の就任儀式の正装かと思った」と弁解していたが、確かに外国から見るとそう思っちゃうかもなぁ。

 なおその細川護熙の先祖に当たる細川忠興は中村橋之助が演じている。他にも徳川家康に中村吉右衛門、石田三成に坂東八十助と、松竹映画ということもあってか歌舞伎役者が多数出演している。配役を良く見ると当時はまだ少年でまったく無名だった中村獅童も出演している。
 それ以外でも利休の娘・りきを三田佳子、利休の理解者・豊臣秀長を田村亮、北政所(ねね)を岸田今日子、秀吉の母の大政所を北林谷栄、となかなか豪華な顔触れ。このあたりも「本覚坊」が登場人物を絞って女優を一切出さないストイックな作りだったのと好対照。秀吉・秀長・北政所・大政所が「素」に戻ると名古屋弁をまくしたてる、というのも面白い演出だ。

 信長の茶会のシーンの最後のところで、まだその家臣の一人に過ぎなかった秀吉が登場する。そしてそのあとの本能寺の変、秀吉の台頭については字幕ナレーションやセリフでさらりと流し、権力者となった秀吉に利休が茶の指南役となって、成りあがり権力者の秀吉が利休に対して文化的コンプレックスを抱いていく過程が細かくエピソードを連ねて描かれてゆく。
 利休の理解者として秀長・細川忠興がいる一方、石田三成は利休を敵視する役回り。三成の指示で利休が家康に毒を盛ろうとしてやめるなんて展開もあるのだが、ストーリー展開からいうと余計な一幕という気も。最終的には価値観の違いというより秀吉の唐入り(明征服)戦争に対する利休のストレートな批判が秀吉の激怒を買う、という展開にも見えて、ややわかりやすさを狙ってしまったかも、とも感じた。あくまで秀吉と利休の美意識対決に話を絞った方が良かったんじゃないかと。この点でも、一見難解そうでストイックにテーマを絞り「質実剛健」な作りで筋を通した「本覚坊」に対して本作がぼんやりした印象を受けてしまう。

 どうしても比較してしまうのだが、この利休映画二作で共通して重視するエピソードが、利休の弟子・山上宗二(本作では井川比佐志。「本覚坊」では上條恒彦)の死だ。小田原包囲戦の時に秀吉によって処刑されてしまうのだが、当然ながら二つの映画は同じ話を描きながら雰囲気はずいぶん違う。こちらの映画ではあくまで秀吉の横暴ぶりを示す逸話で、利休の死の予兆を感じさせるという位置づけだ。同じ話と言えば古田織部がこちらの映画ではチョイ役でしかない、という特徴もある。
 「本覚坊」はストイックで質実剛健な作りであるのに対して、本作は絢爛豪華な桃山文化を再現する方に力を注いだ感もある。映画としてもイメージ、絵作り優先という印象が強く、実際撮影には国宝級の品物が多く使われているという。ただ素人にはそんな価値がは画面からでは分からないし、絵作り優先で話の方はなんだかよくわかんないうちに利休が死に追いやられてしまう、という感じだ。結局利休がなぜ切腹を強いられたのか、映画もはっきりとは結論を出さずに観客に任せているような気もする。

 ラストシーンは利休の切腹そのものは描かれず、刑場へ向かうのであろう利休が雨の降る竹林の中を一人歩いてゆく映像に、「天正十九年二月二十八日、利休自刃」とテロップが出ていきなり終わる。こういう締め方も「わび」なんだろうか。
 映画全体が一つの美術品状態になってることは間違いなく、それが海外でも高評価された理由なんだろうけど、茶道そのものの美意識もよく理解できない立場からすると、なんだか綺麗なんだけどよくわかんない映画、という感想だ。(2011/10/1)




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