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「ロビン・フッド」
Robin Hood
2010年・アメリカ/イギリス
○監督:リドリー=スコット○脚本:ブライアン=ヘルグランド/イーサン=リーフ/サイラス=ヴォリス○撮影:ジョン=マシソン○音楽:マルク=ストライテンフェルト○製作:ブライアン=グレイザー/リドリー=スコット/ラッセル=クロウ
ラッセル=クロウ(ロビン)ケイト=ブランシェット(マリアン)ウィリアム=ハート(マーシェル)マーク=ストロング(ゴッドフリー)オスカー=アイザック(ジョン王)ダニー=ヒューストン(リチャード1世)ほか




 ロビン・フッドといえば誰しも名前ぐらいは聞いたことがある有名な伝説上の人物。シャーウッドの森に住み、悪代官をこらしめ貧しい人々を救う弓の名手で、「義賊」の世界的代表といっていい。実在人物というわけでもないのだがリチャード1世(獅子心王)やジョン王の時代の人という設定にされることが多く、これまでも何度となく映画化されてきた。一番最近でケビン=コスナー主演のもの(1991)があり、このときほぼ同時に別のロビン・フッド映画が競作になっていたはずだ。
 
 実は僕はまともな(?)ロビン・フッド映画を見たことはなく、唯一ロビン・フッドの「後日談」的内容の「ロビンとマリアン」(1976、リチャード=レスター監督)のみ見たことがある。これは初老のロビン・フッドをショーン=コネリー、オバサンになっちゃった恋人マリアンをオードリー=ヘップバーンが演じた異色作で、リチャード獅子心王と共に十字軍に参加して久しぶりにシャーウッドの森に帰って来たロビンと相棒のリトル・ジョンが、再びノッチンガムの代官(ロバート=ショー)と対決する、という話だった。これにもジョン王が登場するし、十字軍から帰って来たリチャードがフランスの城を攻撃中に死ぬところから始まるなど、今回のラッセル=クロウ主演版と構造に共通点が多い。ただしコネリー版が「後日談」であったのに対し、クロウ版は「ロビン・フッド誕生秘話」である。どうせ史実は判然としない人物なのでかまやしないわけだが、どうもこのクロウ版の脚本家は「ロビンとマリアン」をかなり参考にしたんじゃないかという気がする。

 ラッセル=クロウ主演、リドリー=スコット監督といえばアカデミー賞もとった「グラディエーター」の組み合わせ。主演・監督共にヒットメーカーで、この組み合わせならある程度のヒットは約束されるようなもの。ラッセル=クロウは出演料として製作費の5分の1ぐらいを受け取っているそうだし、本人も製作者(プロデューサー)の一人にクレジットされている。しかしこの二人の組み合わせで「ロビン・フッド」なんていう手あかのつきまくった古典的素材をどう映画化する気なんだ、とは最初に聞いた時に思ったものだ。
 
 今度の映画の「新機軸」は、ロビンが十字軍帰り以降に義賊になる過程を描いていること。だから映画の内容の99%ぐらいまで彼は義賊ではなくそもそも「ロビン・フッド」ですらない。ロビン=ロングストライドという弓の上手い一兵士にすぎないのだ。
 ロビンが従軍していたイングランド軍がリチャード獅子心王の戦死で崩壊、ロビンたちは勝手に帰国する途中でノッティンガムの領主の息子の戦死に立ちあい、彼が守っていたリチャードの王冠と彼の剣を父親に渡すよう頼まれる。ロビンはそのノッティンガム領主の息子になりすまして帰国し王冠をジョン王に届け、本来自分とは何の縁もなかったノッティンガムに赴いて領主に剣を届けるのだが、ここで死んだ領主の息子の妻・マリアンと出会い、領主の頼みもあって本当に領主の息子になりすましてマリアンと「夫婦」を演じることになってしまう。こういうロビンやマリアンの設定はロビンフッド映画史上でも初めてのものだと思う。
 ロビン・フッドの悪役と言えばノッティンガムの代官だが、一応この映画でも出てくるものの、マリアンに懸想するイヤなやつ、という程度でほとんど印象に残らない。映画ゴシップ系の報道によると、当初の脚本ではロビン・マリアン・代官の三角関係がメインになっていたそうで、その名残がここにあるようだ。しかし主演でプロデューサーも兼ねているラッセル=クロウがこの脚本ではツマラナイと言い出し、ロビンがもっと超人的な大活躍をするシナリオに変えさせてしまったのだという。

 ロビンがどういう大活躍をするようになったかというと…なんと、「救国の英雄」である!
 ただの庶民だと本人も思っていたロビン=ストライドだが、実はその父親は石工ながら多くの人々に影響を与えた思想家にして指導者であったことが判明する。どんな思想かと言うと国民なくして王はいない、と国民の自由と権利を守る…という、何やら「国民主権」な思想なんである。それをまとめて各地の領主たちの同意サインもついた文書も出てくるのだが、どうやら後にジョン王が認めさせられる「マグナ・カルタ(大憲章)」を念頭に置いたものであるらしい。映画の最後でこの文書はジョンに焼かれてしまうのでマグナ・カルタそのものではないことは明らかなのだが、この時代に「人権宣言」みたいな内容ってのも…

 そして映画のクライマックスはイングランド国内の混乱に乗じて侵攻・占領を図るフィリップ2世率いるフランス軍との、海岸での大決戦だ。フィリップ2世がイングランド侵攻を計画したという事実はあるらしいのだが、実際に侵攻はしていない。それだけでも無茶なのに、そのフランスの侵略軍をジョン王も含め各地の諸侯、マリアン率いるシャーウッドの盗賊団までがロビンの指揮のもとに撃退するという、ビックリしちゃうような展開になる。ジョン王とロビンが一緒に侵略軍撃退、という光景には、日蓮と北条時宗が一緒に博多に行って元軍を撃退しちゃう「日蓮と蒙古大襲来」のトンデモ展開を連想してしまった(笑)。ラッセルさんの横車で悪役にされちゃったフランス人はさぞ怒ったのではあるまいか。
 しかもこの海岸での戦闘の描写が、「プライベート・ライアン」のノルマンディー上陸作戦、オマハビーチの激闘そのまんまなので失笑してしまう。ラッセル=クロウのわがままに引っ張りまわされてリドリー=スコットも開き直っちゃったのか、上陸した途端に矢の雨が降り注ぎ、カメラが海面の上に下に揺れるドキュメンタリータッチのカメラワーク、海中に矢が飛びこんでゆくカットなど、ホントに見事なまでに「プライベート・ライアン」の戦闘シーンの中世版パロディを演出してしまっている。よくまぁリドリーともあろう人が恥ずかしげもなく…などと思ってしまったが。

 この大活躍でフランス軍を撃退したロビンだったが、彼の人気に嫉妬したジョン王は「憲章」を破棄、ロビンをアウトロー(無法者)として追及すると宣言する。これでロビンはシャーウッドの森に入ってお尋ね者の義賊になりましたとさ、という結末になるのだが、もしかしてこれ、続編を作る気でもあるのか。映画公開の一年前から大々的に宣伝しながら結局ほとんど話題にならなかったところからして無理だとは思うけど。
 一応ほめるところを探すなら、リドリー=スコットの相変わらずの「絵作り」のうまさと、いかにも中世らしいリアルな薄汚さがある衣装や美術だろうか。リドリー=スコットは同時期に弟のトニー=スコットと一緒に中世物TVドラマ「大聖堂」も手掛けていて、こちらも同様の美術のうまさがあるのでスタッフもかぶっているのかも。「ロビン・フッド」のオープニングとエンディングに使われている油絵風味のアニメも「大聖堂」で使われていたし。
 
 最後に、これまた芸能ゴシップ記事で読んだ話なのだが、当初マリアン役は別の女性だったが、ラッセルが太り気味のため細身の女性ではつりあわないということで降板させられ、ケイト=ブランシェットに交代したとのこと。ケイトさんが太り気味ということではなく大柄なので、ということだと思われるが…(2011/10/12)
 



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