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「マーガレット・サッチャー鉄の女の涙」
The Iron Lady
2012年・イギリス
○監督:フィリダ=ロイド○脚本:アビ=モーガン○撮影:エリオット=デイヴィス○音楽:トーマス=ニューマン
メリル=ストリープ(マーガレット=サッチャー)、アレクサンドラ=ローチ(マーガレット若年期)、ジム=ブロードベント(デニス=サッチャー)、ハリー=ロイド(デニス若年期)、オリヴィア=コールマン(キャロル)ほか


 

 これも立派な「歴史映画」、あるいは「伝記映画」の範疇に入るだろう。当人が生きているうちに伝記映画が作られるケースはスポーツマンのようなタイプの著名人には割とあることなのだが、政治家、ことに一国の指導者となるといろいろ政治的に微妙な問題が出てくるため生きているうちに作ることはめったにない。「クイーン」を見た時にも思ったのだが、イギリス人はよくこういう映画を作っちゃっうなぁ。一応こちらの主人公マーガレット=サッチャー元首相は生きてるとはいえ認知症状態なので抗議されるような心配はないんだろうけど。聞くところではお子様たちはこの映画の内容に批判的であるらしい。

 こういうことを言ってはナンだが、当人がお亡くなりになるまで待っても…なんてことも考えつつ映画を見に行ったのだが、見てみれば当人が認知症ながらも「健在」である今だからこそ作れる映画になっていたんで「そう来たか!」とちょっと驚いた。主人公の晩年の様子とそれまでの人生の回想をカットバックする手法自体は伝記映画の定番で目新しくはないのだが、その「晩年」の部分、認知症となったマーガレット=サッチャー当人が現実と幻想がないまぜとなった世界の中で生きているという、映画ならではの表現になっているのだ。
 具体的に言うと、「現在」のマーガレット(演:メリル=ストリープ)は政界からも身を引いてひっそりと、ごく普通の一般人のように隠遁生活を送っているのだが、その周囲に常に夫のデニス(演:ジム=ブロードベント)の姿があり、普段通りにマーガレットと生活している。しかし実はデニスはとうの昔にこの世を去っており、マーガレット以外の人間が現れる場面では全く姿を見せず、マーガレット一人きりの時だけ話し相手として登場するのだ。幽霊ではない、現実と幻想の区別が曖昧になってしまったマーガレットの見る幻覚なのだ。ただマーガレット自身もどこかでそれを意識しており、「あなたはもう死んだんでしょ」と言ったりする場面もある。実際のサッチャー元首相がそんな幻覚を見てるかどうかは知らないが、映画はこの亡き夫との対話で彼女の人生を回想し、再構成するという構造になっている。

 さすがのメリル=ストリープも若いころのマーガレットを演じるのは無理というもので、アレクサンドラ=ローチという女優さんが「小娘時代」の彼女を演じている。サッチャー元首相の人生についてはまるで知らないのでどこまで史実通りなのかは判断しにくいが、政治家にして雑貨屋の娘に生まれて同じ年頃の女の子たちと遊びもせず店番にいそしみ、やがて父にならって政治の道に進むという、生真面目で不器用な青春時代を送ったというのはだいたいその通りなのだろう。そんな彼女にもちゃんと恋してくれる男性が現れてめでたく結婚することになるのだが、その相手がデニス=サッチャー。この人と結婚したから「サッチャー」になったんだなぁ、と当たり前のことに今さら驚いたりして(笑)。

 最初は落選するもやがて国会議員となるマーガレット。しかし当時は女性政治家の数はまだまだ少なく、国会は完全な男社会。女性議員用の部屋が別に設けられている時代だった。そんなところへ飛び込んだ小娘が、のちにイギリス史上初の女性首相になるんだから歴史というのは分からない。その辺、もう少し事情を詳しく描いてほしかった気もするのだが、映画の時間配分の都合か、あまり深入りせずに話が進行するので、あれよあれよという間に女性首相になっちゃった、という印象も受けてしまう。
 政治家としての彼女と家庭人としての彼女をだいたい均等に描こうという努力は感じる。だからどっちも薄味になっちゃった気もするけど。多少の葛藤は描かれるけど、基本的に旦那さんが一歩引いてしっかり支えてくれてるので女性首相への道が開けた、という感じだろうか。史上初の女性首相を意識して党首選に出るあたりで発声やしぐさ、ファッションの「特訓」をするあたりも史実がベースなのだろうが、興味深いシーンだ。

 さて女性首相となったサッチャー。当初は不人気だったが、1982年にあの「フォークランド紛争」が勃発する。アルゼンチン軍事政権がかねて領土主張をしていた英領フォークランド諸島に侵攻、これを占領したのだ。この島に住んでいるイギリス人の数は決して多いものではなく、当時はまだあった「東西冷戦」構造の中ではアルゼンチンは一応「西側」になることもあって、アメリカ政府はサッチャー首相に穏便に話をまとめるよう直接的な圧力をかける。映画ではアメリカの国務長官が派兵を思いとどまり話し合いをするよう要請すると、サッチャー首相が「1941年にハワイを攻撃された時、貴国はトージョーと話し合いをしたのですか」とやり返す場面があり、本当にそんなセリフを行ったかどうかは知らないが日本人としては興味深いシーンだ。
 結果的にサッチャーの強硬策は成功、そこそこの犠牲は出るがフォークランド諸島は奪回される。戦死者の遺族にあてた手紙でサッチャーが「首相および母親として」とイギリス史上初めての立場でお悔やみをしたためる場面も恐らく事実なのだろう。この紛争で「圧勝」したことで、イギリスは久々に大国の自身にわきたち、サッチャーは圧倒的な支持を獲得、野党も彼女を批判しにくくなり、サッチャー長期政権が確立することになる。

 さすがにまだ存命の人なので、僕もこの辺りの歴史はリアルタイムで見ている。フォークランド紛争は恐らく「これは歴史的事件だ」とすでに歴史好きだった僕が明確に意識した最初の大事件だったと思う。当時我が家では雨戸の隙間にスズメが巣を作ろうとし、それを阻止せんとする我が家防衛隊との戦いを「アマドランド紛争」などと呼んでいたので、よけいによく覚えている(笑)。それもあってその舞台裏が映画になってこうして見られるような時代になった(つまり、自分が年をとったと)いうことだな、と思いを馳せもするのだった。考えてみたら今年はフォークランド紛争30周年で、この映画も明らかにそれを意識して作っているのだ(だから存命中の伝記映画になっちゃったのだろう)

 映画で一番盛り上がるのもやはりフォークランド紛争で、あとは長期政権で国民にも飽きられ、自分の党内からもけむたがられるサッチャーの姿が描かれて政治家としては少々さみしい身の引き方となる。ちと不満なのはサッチャーの「新自由主義」傾向がアメリカのレーガン(映画中にもチラッと出てくる)とか日本の中曽根といった政治家たちに影響を与え、一時ひとつの流れを作ったことや、同時進行で冷戦構造の崩壊が進んだ(ゴルバチョフを早期に評価したのはサッチャーだった)ことなど、サッチャーの「歴史的位置づけ」についてはあまり踏み込まなかった点だ。あくまで「初の女性首相になった一女性の伝記映画」という狙いの映画なので、そこまでは突っ込まないことにしようとしたんだろうが…。

 「クイーン」のヘレン=ミレンも相当なものだったが、本作のメリル=ストリープも本人にしか見えないほどの名演で、これは確かに見もの。アカデミー主演女優賞も取っちゃったので、この手の映画にしては客が入っていた。邦題は何の映画なのか分かりやすくしようと思ったんだろうけど、「涙」ってわざわざつけちゃうあたりが邦画タイトルの困ったところ。原題「鉄の女」だけで十分だったと思うんだけどねぇ。(2012/6/17)




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