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「許されざる者」

2013年・日活/オフィス・シロウズ/ワーナー・ブラザース
○監督・脚本:李相日○撮影:笠松則通○美術:原田満生/杉本亮○音楽:岩代太郎○原作:デイビッド=ピープルズ脚本「許されざる者」○製作:久松猛朗○製作総指揮:ウィリアム=アイアトン
渡辺謙(釜田十兵衛)、柄本明(馬場金吾)、柳楽優弥(沢田五郎)、忽那汐里(なつめ)、小池栄子(お梶)、國村隼(北大路正春)、小澤征悦(堀田佐之介)、三浦貴大(堀田卯之介)、佐藤浩市(大石一蔵)ほか




 クリント=イーストウッドが監督した異色の西部劇で、みごと1992年のアカデミー作品賞を取っちゃったのが「許されざる者」(Unforgiven)。その「日本版」、つまり翻案作品として製作したのがこの映画だ。困ったことにアメリカの西部劇にはもう一本、1960年公開でオードリー=ヘップバーンがインディアンの娘を演じちゃって監督のジョン=ヒューストンも「最悪の一本」と言ってしまった「許されざる者」(The Unforgiven)という映画も存在している。さらに2003年の日本のヤクザ映画にも「許されざる者」が存在していて、合計四本も同タイトルの映画が存在するという、実に許されざる状態になってしまっている(笑)。

 日本の時代劇、というより黒澤映画が「荒野の七人」「荒野の用心棒」に翻案されたことはよく知られているが、その逆というのは意外と記憶にない。スケールの大きいハリウッド映画を日本に翻案してもスケールがちっちゃくなるだけだから、ということもあるのかな。海外ミステリーを日本に移し替えてテレビドラマ化、というのはいくつかあったような気もするが。
 さて僕はオリジナル版の映画は公開時に劇場で見ているし、その後山田康雄の吹き替えが入ったDVDも購入している。そのぐらい気に入った映画なので、それを日本でリメイクする、という企画を聞いた時にはかなりそそられるものがあった。しかも主演が渡辺謙だ。助演に柄本明と聞いた時にはオリジナルのモーガン=フリーマンだなとすぐわかった(笑)。ジーン=ハックマンの役どころが佐藤浩市、というのはかなり意外だったけど。
 あの西部劇をどうやって日本に、と思ったら明治初期の北海道を舞台にすると聞いてなるほど納得。あの時期の北海道ならまさに開拓時代、時期的にも西部劇時代とほとんど変わらないし、無法者や先住民がいる点など共通するところは多いのだ。
 そんなわけで公開時にも興味はかなりあったのだが、時間の都合もあってついつい見逃していた。先日にBS民放でノーカット放映されたので、ようやく見る機会を得た次第。

 実際に見てみると、予想以上にオリジナルに忠実な翻案リメイクなのだなぁ、と驚かされた。事前のイメージでは「七人の侍」を「荒野の七人」にしたくらいの変化はあるかと思ってたのだが、かなり細かいところまで忠実に「日本版」に移植した映画になっている。もちろんいろいろ違いもあって、実のところ「まったく違う映画」になってしまうほどの改変部分もあるのだが、それは後述。
 
 明治初期の北海道、とある開拓村の女郎屋で、客に入った男が女郎にバカにされたことに激昂して、その若い女郎なつめ(演:忽那汐里)の顔を刃物で切り刻んだ。現場にやって来た警察官の大石一蔵は犯人の開拓民兄弟に馬を女郎屋の主人に弁償として引き渡すことで話をまとめてしまうが、お梶(演:小池栄子)率いる女郎たちは馬と引き換えにされることに納得せず、開拓民兄弟に懸賞金をかける。以上、話の発端はまったくオリジナルのまんまで、小池栄子が失礼ながら意外なほどオリジナルの役にバッチリの存在感を出している。こういう「強い女」の役、今後も合いそうな。
 一方、かつて戊辰戦争で幕府方につき、その腕と残忍さから「人斬り十兵衛」と恐れられた釜田十兵衛(演:渡辺謙)は、今や北海道の僻地で幼い子供二人を抱えて細々と農業を営んでいた。そこへ知人の馬場金吾(演:柄本明)が開拓民殺しの懸賞金の話を持ってくる。すでに人殺しはしないと決めていた十兵衛は最初は断るが、生活の必要に迫られて結局話に乗ることになる。こちらもほぼオリジナルと同じ展開だが、オリジナルでは本作の柳楽優弥の役どころの若者が懸賞金の話を持ってくるところが異なる。
 この柳楽優弥演じる「五郎」というキャラクターが原作と大きく異なっている。やや不良っぽく、本当は何の「実績」もないくせにイキがってワルぶり、この殺しで一発当ててやろうともくろむ若者、というのはまったく同じなのだが、この日本版では彼が和人とアイヌとの混血という設定になっていて、彼の目を通して明治初期のアイヌに対する迫害・同化の問題がかなりクローズアップされるのだ。原作ではモーガン=フリーマンの役の妻がインディアンという設定があったのみで先住民問題はいっさい絡んでこなかったが、こちらでは主人公の死んだ妻もアイヌ女性という設定になっていて、その父親のアイヌ酋長も登場する。原作ではイーストウッド演じる主人公の妻について特に説明はなかったが、こちらでは渡辺謙の主人公の人生を変えたこの女性がアイヌ人であることが直接的ではないもののかなり重くのしかかることになる。

 原作では何やら重要人物そうに登場して、アッサリと敗北退場するリチャード=ハリスがいい味をだしていたが、こちらではその役は國村隼。これもあってるなぁと思ったんだが、それにしてもこの人、いささか出すぎという気も(汗)。佐藤浩市にボコボコにされる展開とか、「伝記作者」を引き連れているところまでオリジナルとまったくおんなじだが、彼らのセリフの中で薩長閥の話や大久保利通の暗殺がさりげなく触れられ、この映画に現実の歴史背景を持たせてもいる。アイヌのことと合わせて、こうした歴史背景をちゃんと描きこんだところは本作に原作にない新たな魅力を加えたと思う。
 このあと十兵衛が大石にボコボコにされ、金吾と五郎が「前借り」で女郎と寝ていたところを大慌てで逃げ出し、復活した十兵衛が賞金首を殺しに行く展開などなど、おおむね原作そのまんまの展開。原作でも妙に印象に残る、「賞金首」にされた弟の方の、決して悪人ではないのに命を狙われる理不尽さもそのまんまだった。

 そのまんま、といえば、全編に広がる北海道ロケの雄大で美しい風景もかなり原作チック。特に渡辺謙と柄本明が馬を並べていくシーンなんか、かなり原作を彷彿とさせた。北海道だとおよそ日本らしくない「大陸風味」な風景が撮れるので昔から満州や中国が舞台の日本映画は北海道で撮ることが多かったのだが、これは北海道そのものを舞台にしながら話はアメリカ西部劇翻案、というケース。まぁ北海道以外でこの話を成立させるのは難しい気はするな。


 以下、やや終盤のネタバレ込みなのでご注意を。


 途中脱落した柄本明演じる金吾が大石につかまり、それをきっかけに十兵衛が殺し屋の本性を現して殴り込みをかけるクライマックス。これもほとんど原作そのまんまなのだが、原作が銃の世界であるのに対してこっちはまだ「刀」の世界なので、当然ラスト決闘の味わいはずいぶん違う。あっちはほぼ一瞬でケリがつくのだが、こっちはそうはいかない。なんだかんだで結構長く、主人公もそこそこ重傷を負う。おまけに女郎宿にも火を放ち、「絵」として原作より派手になった。
 また十兵衛が傷を負ったままその場を立ち去って家には帰らず、アイヌとのハーフである五郎と顔を切られた娘のなつめがどうも今後夫婦になって十兵衛の子供たちを育てることになりそうなラストが原作と大幅に異なる。これはさすがに当時の北海道では追及が厳しく、アメリカの西部のようなわけにはいかないから…という変更だったのかもしれない。僕は原作のラストにちと疑問を感じたクチなので、こちらのラストの方がより「許されざる者」という感じになってよかったんじゃないかと思う。
 で、あの渡辺謙の元武士が士族反乱に加わって「ラスト・サムライ」になっちゃったり…するわきゃない(笑)。(2015/11/21)
 



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