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「スパイ・ゾルゲ」

2003年・「スパイ・ゾルゲ」製作委員会
○監督:篠田正浩○脚本:篠田正浩/ロバート=マンディ〇撮影:鈴木達夫〇音楽:池辺晋一郎
イアン=グレン(ゾルゲ)本木雅弘(尾崎秀美)椎名桔平(吉川光貞)永澤俊矢(宮城与徳)葉月里緒菜(三宅華子)榎木孝明(近衛文麿)大滝秀治(西園寺公望)ほか




 篠田正浩監督最終作品。これがこの映画の最大の看板かもしれない。実際、篠田監督はずいぶん前から自身の最終作として「ゾルゲ」を撮ると口にしていた。
 僕が初めて見た篠田作品は「少年時代」だったはず。ただこれはTV放映時のものだった。その後「写楽」は公開時に劇場まで足を運んで鑑賞している。すでに歴史映画ものをコレクションするようなマニアと化していたから(笑)謎の絵師・写楽とその周囲の化政文化人群像を見せてくれるこの映画は見ておかねばと思ったのだ。確かこのときすでに「ゾルゲ」の企画について発言していたのを目撃している。「写楽」では初歩的なCG処理が背景に使われていて、セットでは出せない江戸の町の遠景などがこれで描かれていたが、これもいずれ「ゾルゲ」で昭和の町を描くためのステップとか言っていたような記憶がある。その後本来「雇われ監督」的に参加したんじゃないかと推測する「梟の城」を監督しているが、ここでもCGがそこかしこに使用されていた。ただこの当時の技術・予算の限界もあってお世辞にも成功していたとは思えないCG背景のレベルだった。
 そしてようやく篠田監督念願の「ゾルゲ」企画にゴーサインが出た。撮影開始の情報には僕も映画ファン、特に歴史映画ファンとして期待に胸が高まったものだ。

 「ゾルゲ」とはひょっとすると史上もっとも名高いスパイかも知れない。スパイという人種はその職業の性格上、歴史の闇に埋もれる者がほとんどだが、歴史を左右するほどの大きな成果を上げ、なおかつ一味もろとも逮捕されたためにその全貌が明らかとなった希有なスパイとして「ゾルゲ」は名高い。
 この名高いゾルゲ事件は手塚治虫の晩年の傑作「アドルフに告ぐ」でもフィクションを混ぜつつではあるが取り上げられており、僕もそれでこの事件に関する知識を得ている。あとこの事件で逮捕され死刑となった尾崎秀実(ほつみ)の弟である尾崎秀樹の自伝(一応少年向け)でもこの事件に触れていたのを読んだこともあった。
 一般にゾルゲといえばコミンテルン(実質的にはソ連だが映画でも触れるように厳密には国際共産主義の組織)のスパイであり、東京のドイツ大使館にもぐりこんだ上に日本政界の中枢にも関わっていた尾崎秀美らの助けも借りて日本の国策の動向を調査したとされる。特に当時の日本軍部がソ連に向かって北進策をとるのか、それとも東南アジアを目指して南進策をとるのか、についての情報を収集、結局ソ連には向かわず南進策を取る方向であることを確信してスターリンにその情報を送り、第二次大戦の展開に少なからぬ影響を与えたと言われている。情報を送った直後に彼らの組織は一網打尽にされ、当時の日本人に大きな衝撃を与えた。篠田監督も当時衝撃を覚えた少年の一人だったという。
 ゾルゲと尾崎は戦中に処刑されたが、戦後になってソ連は言うに及ばず日本国内でも社会主義運動との関わりもあって彼らに対する評価は一気に高められることとなったソ連だったか東ドイツだったかのどこぞではゾルゲのでっかい像が建てられていて夜になると目が光るんだ、とか嘘か真かわからぬ話をどこぞで以前聞いたこともある(笑)。
 とまぁ、これだけ名高い事件なのだが本格的に劇映画化されるのは今回が初めて。スパイ映画といっても「007」みたいなものではないし、思想的背景や政治動向、さらには日本人としては依然として扱いづらい、戦前・戦中の時代を描かねばならないことなどがネックだったのだろう。それと結局CGで背景を処理しているように、なまじ近い時代であるだけにロケ撮影が困難であることもネックの一つだったかと思われる。
 
 3時間弱、日本映画としては少なくとも時間的には久々の大作と言って良いだろう。篠田監督の最後の入魂、と思えるこだわりは随所に感じられる。
 冒頭はいきなりゾルゲ一味が逮捕されるところから始まる。それからゾルゲと尾崎が取り調べを受ける過程でこれまでの経緯が語られる仕掛けで、歴史物・伝記物ではよく使われる映画的シナリオ展開だ。尾崎役の本木雅弘は特高の拷問を受けるシーンでいつぞや以来の?ヌードをチラッと披露(笑)。しかし特高刑事役の上川隆也は少々顔が優しすぎるかな。
 回想に入った物語は1920年代の上海に飛ぶ。ここで尾崎とゾルゲは知り合うわけだ。上海のシーンはCGではなく大規模な中国ロケを敢行して撮影されている。もっとも各国の戦艦などが映るシーンではバッチリCGになってたけど。このあたり詳しいいきさつは知らなかったので、八路軍の朱徳の取材などで有名なスメドレーが尾崎らと深く関わっていたという話には興味津々。大がかりなモブシーンも当時の時代状況を描き出し、歴史大作はこうでなくっちゃ、という盛り上がりを感じる。

 そして話はその後の日本へ。尾崎は朝日新聞の一記者からその能力を買われて首相となる近衛文麿(榎木孝明)のブレーンへと、絵に描いたようなエリートコースを進んでいく。ゾルゲはコミンテルンの指示で日本へ潜入し、ドイツ大使オットーと親密になってドイツ大使館にまんまと潜り込む。ここで面白いのがソルゲとオットーの関係。ゾルゲがオットーの妻と密通するのだが、オットーはそれでかえって夫婦仲がうまくいくということで黙認どころか奨励し、なんだか奇妙な友情関係を持つことになる。ゾルゲはこれだけでなく他にも日本人女性・華子(篠田作品常連・葉月里於菜…元祖「魔性の女」でしたな。「写楽」がその発端だった)を愛人(日本妻というか)にしており、なかなかのプレイボーイぶりが描かれている。それでいてモスクワに残している妻のことも気遣って…となかなか忙しい(笑)。ゾルゲ本人にそっくりということで選ばれたイアン=グレンだが、スパイ活動以外の部分ではただの女ったらしの外人っぽいこともあり、しかもどっちかというと悪役顔なので鑑賞者には感情移入しにくい面も多かったように思う。
 尾崎はこれと対照的なキャラクターになっていて、ひたすら真面目で控えめなエリートさん。こっちはこっちでもう一つ感情移入できないんだよなぁ。なぜ彼がゾルゲに協力していくのか、という説明は上海時代から描くことである程度できているのだが、今ひとつピンとこなかったような。

 ゾルゲと尾崎はやがて「2.26事件」に遭遇する。ゾルゲはこの事件でいっそうドイツ大使館に食い込み、なおかつ事件の実態・背景を分析。尾崎は勤めていた朝日新聞社にクーデター部隊が襲撃してくるのを目撃する。
 で、この襲撃部隊の指揮官を石原良純が演じている。ちょいと余談だが、僕が日々「愛読」(笑)している某右派系サイトでは「都知事の息子が『国賊!』と叫んで朝日新聞を襲撃するシーンがある」「支那という言葉が連発されてる」として「お奨め映画」にしている書き込みがあり、大笑いさせてもらったものだ。これ、某巨大掲示板で同趣旨のあくまで「ギャグ」としての書き込みがあり、それだけ見て真に受けて書いちゃったようなのだ(本人は見てきたフリをしていたが見てないのは明白)。「支那」は時代考証上当然使うし、朝日新聞が「国賊」として襲撃されるシーンはむしろ「朝日は軍国主義の被害者」を強調するものだ。そもそもこの映画、朝日新聞が協力企業なんだがこの人はそういうことも目に入ってなかったらしい。
 それはそれとして、この映画は2.26事件を当時の政界の動きまで含めて舞台裏をかなり詳しく描いていく。中でも昭和天皇がしばしば登場し、かなり政治的な動きをしている描写がある。これなどは「ゾルゲ」を主役としたストーリーの本筋からは明らかに離れてしまっており、篠田監督個人の「こだわり」を感じるところ。総じてこの映画、「ゾルゲ」を軸にしつつ「戦前昭和史」を描くことが主目的なのではないかと思える。そのため全体的に散漫な印象を受けちゃうんだよな。多くの歴史上の人物が登場し(竹中直人の東条英機の登場にはちょっと笑った)、歴史的事件が次々と再現され、ちょっとした歴史評論的な部分もあって歴史趣味の鑑賞者にはいろいろと面白いのは事実なのだけど一本の映画としてはやはりまとまりが悪い。

 あとはちょこちょこと細かいツッコミを。
 ドイツ人・ロシア人も含めて全員英語を話しているというのはいかがなものか。イアン=グレンの都合があったのだろうとは思うが、他の部分で徹底的な考証をしているだけに残念なところ。
 篠田監督の「写楽」で若き北斎を演じた永澤俊夫がゾルゲ組織メンバーの沖縄人を演じているが、ゾルゲと初めて会うのが展覧会場の北斎の絵の前で、というのはさりげなく配役マニアへのサービスなんだろうか(笑)。
 篠田作品といえば夫人の岩下志麻さんが毎度のように登場するが、今回は「役不足」…というより無理矢理の特別出演だよなぁ。近衛文麿の妻役なんだけど彼女を登場させるためだけに近衛自殺シーンがとってつけたように出てくる。
 ラストシーンは時代を一気に飛んで、ゾルゲが信奉していた社会主義の総本山、ソ連が崩壊する90年代に行ってしまう。ソ連崩壊の映像をTVで見ながら、かつて「妻」だった華子が「あの人は私の恋人なんかじゃない、もっと大きな人だった…」とつぶやくのだが、これが蛇足の上に意味不明。いろいろと解釈をしてくれ、ということなのかもしれないが…。(2004/2/9)



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