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「ダンケルク」
Week-End a Zuydcoote
1964年・フランス/イタリア
○監督:アンリ=ヴェルヌイユ○脚本:フランソワ=ボワイエ○原作:ロベール=メルル
ジャン=ポール=ベルモンド(ジュリアン)、カトリーヌ=スパーク(ジャンヌ)、フランソワ=ペリエ(アレクサンドル)ほかか


 

  「ダンケルク」といえば、第二次世界大戦の序盤、怒涛のようにフランスへ押し寄せたドイツ軍に海岸に追い詰められたイギリス軍が一兵の捕虜も出さずに撤収した戦場として名高い。だから「ダンケルク」の地名がついたこの映画はその有名な戦いを描いた戦争超大作…のイメージを誰もが持ってしまうはず。実際日本の配給元もそれを狙ってこのタイトルをつけたんだろう。しかし原題は「Week-End aZuydcoote」と、フランス映画のくせになぜか英語まじり、しかも観光地のズイドコート海岸の週末、というおよそ戦争映画とは縁遠そうなイメージをうけるものなのだ。
 もちろんそういう楽しげな場所での終末が悲惨な戦場となってしまうという逆を突いたタイトルなんだけど、少なくとも「ダンケルク」と聞いて予想するような内容では全くなく、かなり嘘つきな邦題である。「ズイドコート」はダンケルクの近くといえば近くで劇中にもセリフで一度か二度言及されるから全く無関係ではないし、僕もそうだが「ダンケルク」というタイトルにしたからこそ見る気になる人もいたことも間違いない。
 この手のことは昔からよくあることで、日本の映画も海外ではビックリするようなタイトルで公開してる例もあるので世界共通の現象でもあるのだが、あんまり繰り返されると映画のタイトルそのものに不信感を抱いてしまうよな。

 時は1940年6月のある週末。ドイツ軍の大挙侵攻によりフランス軍は崩壊、残存部隊はイギリス軍ともども大西洋の岸辺に追い込まれていた。部隊が全滅してしまい、一人観光ビーチのあるズイドコートにやってきた主人公のジュリアン(演:ジャン=ポールベルモンド)。ズイドコートにいる英仏軍は状況の悪化は知りつつもまだどこかのんびりしているが、ジュリアンはもはや敗戦は必至と悟っていて海の向こうのイギリスに逃げることしか考えていない。劇中のドイツ軍はもっぱら空からの爆撃ばかりで勇ましい戦闘シーンなど皆無。こういう状況になれば実際こんなものなのだろうが、登場人物たちは半ばあきらめのような、投げやりのような気分で右往左往しているばかり。とくに盛り上がる展開もないのでハリウッド製戦争映画みたいなのを期待していると確実に拍子抜けする。

 そもそも主人公にまるで戦う気などない。英語ができるのをいいことにイギリス軍に紛れこんで一緒に逃げちゃおうとするんだから。しかしその輸送船が爆撃を受けて沈没して逆戻り。この船に一緒に乗ったイギリス兵とフランス女性の悲劇も救いがない。ズイドコートの町で知り合った娘ジャンヌ(演:カトリーヌ=スパーク)とちょっといい仲になってほっと一息つくところもあるが、このジャンヌが押し入って来たフランス兵二人に襲われ、ジュリアンがその二人を射殺、でも結局そのあとジュリアンも…(一応合意の上だけど)という展開になり、終盤に行くほどに鬱展開。とにかく戦争が起こってしまうと何の脈略もなく不条理な悲劇がたくさん起こるのだ、ということをこれでもか、これでもかと見せてゆく。

 こういう厭戦気分満載の戦争映画を作っちゃったのは、やっぱりこの部分においてはフランスは「敗戦国」だからなんだろう。このあたり、日本の戦争映画と似ていなくもない。そういえば戦争がほとんど自然災害同様の雰囲気で、敵兵がほとんど出てこないあたりも似てるかも。一人だけ飛行機を撃墜され落下傘で落ちてくるドイツ兵が出てくるが、哀れにも問答無用で兵士たちに惨殺されてしまう場面など、ドイツ軍悪者戦争映画とは明らかに一線を画す。戦場のドサクサに略奪暴行の悪さをするのも故郷に戻ればごくごく普通のフランス兵士であるところも珍しい描写だと思ったし、実際そういうケースは多々あっただろう。
 
 ただしフランスの戦争映画としてはカネはかかってる方だと思う(ま、他に例をほとんど見てないんだけど)。どこでロケしたかはしらないがいかにもフランスの観光ビーチといった土地を背景に結構大がかりな人や車の動員をして陣地を建設し、それを爆撃で盛大に破壊するなかなかスペクタクルなシーンもある。逆に言えばこんな気分の高揚しない戦争映画によくカネをつぎこんだもんだ、とも思ってしまうんだけど。

 こういう展開の映画だけにラストは予想通り。あそこまでいけば必然といっていいし、そもそもヨーロッパ系戦争映画はこの手のラストが結構多い。まぁハリウッド製戦争映画じゃ絶対にやらないだろうな。(2013/3/2)



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