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「ムルデカ・17805」

2001年・東宝・東京映像・「ムルデカ製作委員会」
○監督:藤由紀夫
山田純大(島崎中尉)保阪尚輝(宮田中尉)榎木孝明(片岡大尉)ほか




 「がきデカ」ではない、「ムルデカ」である。いやまぁ「死刑!」ってシーンはあったんだけどさ(爆)。ついでにいえばひところ話題となった某国会議員のコンゴ人秘書でもない。
 …というネタを長期中断中の連載「パロれるワールド」で描こうかな、と思ったりもしてこの映画を公開中に見るつもりだったのだが、結局ビデオ化を待つことになった。で、ビデオ化されてレンタル店にも回ってきたのだが一週間レンタル可能になるまで待って、しかもその間に会員期限が切れていて更新が面倒だったのでしばらくグズグズして…などとやって、ようやく今頃この映画を鑑賞した。長い道のりである。
 「ムルデカ」とはインドネシア語(ジャワ語?)で「独立」を意味する。そしてサブタイトルについている「17805」とは、そのインドネシアの独立宣言に記されている日付の数字で、「05年8月17日」のこと。「はて、05年って?」と思った方も多いはず。これは西暦でもイスラム暦でもない。日本がそのほんの一時期使っていた、神武天皇即位の年を元年とする年数、いわゆる「皇紀」の「2005年」を意味する。西暦に換算すると1945年、昭和だと20年だ。つまり日本が敗戦した2日後のインドネシア独立宣言が発せられた数字ってこってすね。
 この数字がインドネシア独立宣言に記されているのは事実だ。ここに、この映画の製作者達がタイトルにわざわざこの数字を付け加えた狙いがある。「ほら、インドネシアの人たちは日本のおかげで独立できたって、皇紀を使ってくれたんだよ!」という主張がそこに込められているのは明らかだろう(もっとも映画中ではほとんどこの件に触れてないので、恐らく何も知らないで映画だけ見た人には数字の意味がまるっきり分からないと思う)。映画とは離れるが、なんでインドネシアの独立宣言に皇紀が使われたかと言えば、日本占領下での文書ではごく普通にこの皇紀年号が使われており、またイスラム教徒の彼らが西暦を記す必然性を感じなかったことなどがあると思われる(イスラム暦を記す習慣自体あるのかどうかは知らないが)。なんかの本で見た限りでは、スカルノらがこの独立宣言にこの数字を記す際、その場にいた誰も特にこの数字を意識していたということはないようで、いつもの習慣でごく自然にこの数字を書いた、ということのようだ。もちろん、彼らがオランダに比べれば日本に共感を持っていた可能性は否定しない。それはその後のスカルノからスハルトと続くインドネシア独裁政権と日本の有象無象の結びつきにもつながっていくしね。

 で、映画の話に戻ろう。この映画は太平洋戦争の勃発から始まる。もちろん、「ABCD包囲陣による経済封鎖で…日本は自存自衛のために戦争を始めた」という説明である。そのこと自体がまるっきりウソとは思わんけど、どうしてそういう状況になったか歴史的な経緯を、たいていの太平洋戦争ものは語ってくれない。これもまぁその延長上にあるわけで。
 日本軍は当時オランダの植民地であったジャワ島に上陸し、主人公の島崎達夫中尉(山田純大)率いる部隊はある村に進駐する。これをノソノソと出迎える村民達。「黄色い人がやって来て我々を解放するという伝説があった」とか言い出して、島崎の足にキスし、神様のように伏し拝む村民達。このシーン、あとでインドネシア側から「インドネシア人はそんなことをする習慣はない」と突っ込まれていたっけ。確か製作者側は「これはあくまで映画だから」と誤魔化していた記憶があるが、やりたかったんだろーなー、これ(笑)。しかしなんなんだ、その「伝説」ってのは。
 上陸・進駐を無事果たし圧倒的優位に立った日本軍はオランダ軍に降伏を呼びかける。榎木孝明演じる上官に命じられてたった一人、軍刀一本片手にオランダ軍司令官のもとに乗り込む島崎中尉!「おいおい」と思ってみていたが、その後聞いたところでは一応元ネタはあるらしい。ただ、この映画みたいなムチャはせんだろう、いくらなんでも(どうも「ハリマオ」が入っちゃってる気配が)。映画のセリフによるとこの島崎君、あの特殊部員養成所の陸軍中野学校出身らしいが(市川雷蔵主演のシリーズ一作目は傑作だったな)、全編にわたって軍刀(もちろん日本刀)を振り回し、銃弾の雨の中だろうと戦車が走ってこようとサムライよろしく戦ってくれる。そういえば彼をはじめ出演者陣は時代劇でおなじみの顔が多いな。

 まぁとにかくそんなこんなでオランダ軍は降伏、撤退し、日本はインドネシア統治を始める。アジア解放の理想に燃える島崎は司令部に提案して、インドネシアの青年達を教練する「青年道場」を開設、仲間の軍人達と共にインドネシアの青年達を日本流に軍事教育し始める。この辺は汗と涙、敵意と友情、教師と生徒が繰り広げる一昔前の青春スポ根ドラマそのまんまである。
 ただ、この辺りから理想に燃える島崎とは別に、日本側の自分勝手な思惑(実際、日本は石油資源供給地であるインドネシアについては当面独立させる気はなかった)、日本軍人のインドネシア人に対する横暴などが描かれ、ドラマとして一応練りこまれてくる。意地悪く言えば製作側のアリバイ工作的な匂いがする挿入描写ではあるのだが、さすがに「解放者日本軍」ばかりで描くことに躊躇があったかな。これらを挟み込むことで戦後の島崎らの行動が、必ずしも日本軍・政府の思惑とは一致するものではなかったと切り離すことができるわけだが、この辺もハッキリとはさせないので(いや、意識してさせてないのだろう)、この映画製作のスポンサーと実際に映画を作る側とでのせめぎあいがあったのかもしれない。
 そして、日本敗戦。戦後処理が始まり日本軍が去ると同時にオランダ軍が再進駐してくる。青年道場で島崎らに教育を受けたインドネシア青年達は「ムルデカ」を勝ち取るためオランダ軍に対しゲリラ戦を展開し、島崎らに日本軍の武器を渡すよう要求する。島崎らは結局これを渡してしまい、このために島崎および仲間の宮田(保坂尚輝)はオランダ軍に捕まって激しい拷問を受けることになる。この拷問シーンがまた強烈でねぇ…(^^;)。インドネシア人・日本人の描写にはある程度の躊躇が感じられたのだが、この場面でのオランダ軍人たちの描かれ方は、昔懐かしのプロパガンダ映画そのまんまの悪辣ぶりだ。ここでは躊躇はいるまい、と凄まじいまでに憎憎しい描き方で、近年中国・香港製作の「鄭成功」(日本では「国姓爺合戦」のタイトルで公開)でのオランダ人描写を思わせるところがあった。いや、オランダ人を悪く描くことがいけないとは言わないが、余りにも狙いすぎかつ定番の悪役ぶりだったもんで。
 これと並行して、日本での島崎と宮田の家族達の様子が、じーつに情緒的、かつ美しい日本の風景と共に描かれる。ああ、こんな家族達を残して異郷の地に…という泣かせの演出であるわけだが(日本戦争映画の定番である)、映画中悪の権化としてブッ殺されていくオランダ人達にも故郷にそういう家族がいるわけなんだよね。フィリピンで作った対スペイン独立運動家の映画「ホセ・リサール」なんかにはスペイン人たちの支配を極悪に描きつつも、そういう配慮があったんだけど。

 絵に描いたようにご都合な展開でゲリラ達に救い出された島崎(笑)は、成り行き上(?)インドネシア独立のために戦うことを誓う(なぜかボロブドゥール寺院でロケ)。おかげで日本へ帰ることを夢見ていた部下の兵士達もそれに同調し(一応本人達の意思、ということなんだけど)、オランダ軍との戦いで次々と凄惨に死んでいくことになる(日本軍お約束のカミカゼ特攻もあるよ!)。なんとなく上官の意思に巻き込まれた気配を感じなくはないが…。客観的にみて、このくだりの一連のシーン、かなり大掛かりで迫力があるのは確か。全体的に言えることだが、個々の場面の撮影技術、演出、俳優達の演技など、レベルは決して低くはないのがかなりの救い。演技の下手な奴が独りもいないだけで、ずいぶん印象がいいのは確かだ。

 なお、映画中でも語られているが、敗戦後日本軍兵士の一部がインドネシア独立のために戦い、千数百人の戦死者を出しているのは史実だ。この史実はしばしば「日本はアジア解放のために戦った!」と主張する人たちによって「証拠物件」として引き合いに出されてきた経緯があり、この映画の製作を進めた人たちもおおむね「そっち系」の人たちと言っていい。製作した東京映像およびスポンサーの東日本ハウスは以前一部で物議をかもした東条英機を主役とする「プライド・運命の瞬間」を製作したこともあり、この映画も「プライド」同様に太平洋戦争時の日本を正当化しようという意図があるのは確か。
 ただし、さる保守系評論家も言っていたが、いずれも「プロパガンダ映画」としては(としても?)まるっきり面白くないんだよな。そう、バックボーンの意図とは別に映画製作を実際にする側にどうも躊躇が感じられるのだ。「プライド」も「おいおい、それじゃ昭和天皇がいちばん悪者じゃん」などとツッコミが入れられそうな箇所があったし、無理やりインド独立と話を結び付けようとしてストーリーを破綻させていたりした。この「ムルデカ」は「プライド」に比べればすっきりした感じがあるのは一応兵士たち個人と国家としての「日本」を切り離しているからかもしれないが。いや、そうしないと物語として成立しえないところがあったというべきか。ロケ先のインドネシアから何言われるかわからんぞ、とビクビクしている感じすら僕には感じられた。もっともそのバックボーン側はそういう細かい「問題点」には気が付かないようで、勝手に感動作を作ったつもりでいるらしい。
 ついでながら、この同じテーマはその昔東宝が企画し、インドネシア側と話がつかず(理由は知らないが)お流れとなり、帰国する田中プロデューサーが機内で水爆実験の記事を読んで代替の企画として「ゴジラ」の原案を思いついたという裏話がある。「ゴジラは南洋の戦場で死んだ日本兵たちの怨霊」と解釈する説があるのもそんないきさつがあるようで(ホントかよ)

 ラストでインドネシアは無事独立を達成する。多くの部下を死なせながら生き残り、勝利に喜ぶインドネシア人たちを見つめる島崎。「あ、こいつ死ぬな」と思ったら、ご要望に応えて(?)いきなり銃弾が飛んできて、唐突に死ぬ島崎。ネタばらしの罪悪感はないです、最初っから丸わかりだもん、このオチ。それにしてもホントに見事なタイミングで飛んできたなー、銃弾(笑)。
 なお、歴史映画を集めたカタログムック「シネマスペクタクル」によりますと、この島崎のモデルとなった軍人さんは、しっかり戦後帰国しているそーです。ちったぁ残っていた感動が、それ知って一気に吹っ飛んだな(-_-;)。(2002/11/21)

 

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