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「スターリングラード」
Enemy at the Gates
2001年・アメリカ
○監督:ジャン=ジャック=アノー
ジュード=ロウ(ザイチェフ)ジョゼフ=ファインズ(ダニロフ)エド=ハリス(ケーニッヒ)ほか



 

 近頃「第二次大戦映画ブーム」みたいなもんがある。ノルマンディー上陸作戦を描いたスピルバーグの「プライベート・ライアン」が一つの頂点をなす作品で、同じ年にガダルカナルの戦いを描いた「シン・レッド・ライン」も製作されてオスカー作品賞を争った。今年も史上最大の制作費をかけた大作映画「パールハーバー」が公開され、(いろんな意味で)話題を呼んでいる。その昔の「トラ!トラ!トラ!」もノルマンディー上陸作戦を描いた「史上最大の作戦」の太平洋戦線版として企画されたそうだから、今の現象もそれと似たようなもんかもしれない。
 で、ついに「スターリングラード」である。世界史の授業でも必須項目として習うターニングポイントとなった戦い「ノルマンディー上陸作戦」「ミッドウェイ海戦」と並んで重要視される「スターリングラードの戦い」だが、これまであまりまともに映画化されたことがない。少なくとも大作映画として製作されたことは無かったと思う。あのソ連ですらこの重要な戦いを正面切って描いたことがない(サイドストーリー的なものはあるが。ひょっとすると「スターリン」の名を冠していることがひっかかっていたのかも?)。この戦い、重要度が高いのは事実だが、長期戦でドロドロしてるので映画には不向きという見方もできる。
 最初にこの映画の公開の話を聞いたときは、「おおっ、ついにスターリングラードも本格映画化か」と騒いだものだが、蓋を開けてみるとやっぱりこれも「サイドストーリー」の一種というべき内容だった。もちろん金はそうとうにかかっていて、壮絶な戦闘シーンを見せてくれるが、メインはスナイパー同士の一騎打ち。時代劇や西部劇同様の手に汗握るプロフェッショナル同士の個人戦が主眼の映画なのである。だいたい「スターリングラード」ってのは日本の配給元がつけた「邦題」で、原題は「ENEMY AT THE GATE」なのだ。
 この「スターリングラード」、パンフレットによると「アメリカ・ドイツ・英国・アイルランド合作映画」。どこがどう絡んでるのか分からないのだが、金の出所が国際的なのは確か。そして監督はジャン=ジャック=アノーというフランス人(「薔薇の名前」「小熊物語」「ラマン」「セブンイヤーズインチベット」など代表作は多種多様)。ロシア人であるはずの主役二人を演じるはバリバリのイギリス人であるジュード=ロウとジョゼフ=ファインズのお二人。敵のドイツ人からフルシチョフまでみんな英米系。スターリングラードに見立てられた広大な市街セットは東ドイツ、とまぁ国際的というか混然とした状態である。セリフは全編英語で(スタッフロールなどの文字を無理やりキリル文字っぽくデザインしていたのには笑ったが)、よくみると当事者であるロシア関係者はキャスト・スタッフにほとんど見当たらない。ロシア人が観るとこの映画どう見えるんだろう?

 映画は冒頭、スターリングラードの戦場に送り込まれてくる新兵たちが体験するあまりにも壮絶かつ凄惨な描写から幕を開ける。この手法は明らかに「プライベート・ライアン」を意識したものだと思うが、こちらの凄惨さはよりどぎつい。「ライアン」のほうはまだ理性的な戦場なのだが、こちらの戦場はもっと狂気が満ちている感じだ。当時のソ連軍としては仕方が無いところもあったのだろうが、銃一丁を兵二人に与えて一人は空手で突撃させ、逃げる兵士は後ろから味方が撃つという、より人為的な戦争の狂気が浮き彫りにされる演出となっている。ほとんど何もしないうちにむごたらしく殺されていく若者たちの姿に、作り手は現代の平和な時代に生きる若者の観客を重ね合わせて、映画の中の「戦場」にいざなう役割を与えているのだろう。
 そんな中で出会う天才的スナイパーのヴァシリ=ザイチェフ(ジュード=ロウ)と政治将校のダニロフ(ジョゼフ=ファインズ)の二人。ドラマはこの二人と一人の女性をめぐる三角関係やら政治的利用やらを織り交ぜて2時間強を一気に描いていく。ドラマは複雑さはまるで無く非常に分かりやすい構造になっているし、観客を飽きさせないよう十分に一回ぐらいはハラハラドキドキの展開になるので2時間はあっとういう間に過ぎていく。この点に関しては脚本が教科書的にうまい。しかしその展開の妙にひきずられたせいか、ラストへの物語の絞り込みが足りないような気がしましたがね。
 先ほども書いたように、あくまで物語のメインはスナイパー同士の一騎打ちである。ドイツ貴族系と思われるケーニッヒ少佐(エド=ハリス…しかしまぁあっちゃこっちゃでよく顔を見る人だ)と貧しい羊飼いの子であるザイチェフとの対比。どちらもクールだが、ケーニッヒの方がより冷徹。西部劇の決闘と違って100m先からも撃って来るスナイパー同士の一騎打ちは緊張感満載で確かに手に汗握らされる。中盤で両者が対決し、ザイチェフがガラスを使ったトリックをするあたりなど、最高に面白いのだが、ちょっと「ダイ・ハード」が入ってるかな(笑)。
 プロフェッショナル同士の一騎打ちものってが面白いのは当たり前なのだが(もちろん上手い下手はあるけど)、冒頭にあれだけ戦場の不条理な悲惨さを強調した意味はあまり無いような気もしちゃう。途中から一騎打ちやら三角関係やらに気をとられて単に戦場を舞台にした西部劇を見せられているような気もしてくる。実際、ラストなどは西部劇の決闘そのまんまである。僕などはもう少し「戦争」についても踏み込んでもらいたかったところだ。ダニロフがからむザイチェフのプロパガンダ利用などの要素はあるが、今ひとつ突っ込みが無い。中途半端にやるくらいならスナイパー合戦に終始したほうがよかったんじゃないかと思うところもある。やっぱり「プライベート・ライアン」の影響下に作られている事が大きいのかな。(2001/9/20)


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