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「聯合艦隊司令長官山本五十六」
―太平洋戦争70年目の真実ー

2011年・日本・「山本五十六」製作委員会
○監督:成島出○脚本:長谷川康夫/飯田健三郎○撮影:柴主高秀○音楽:岩代太郎○製作:小滝祥平○原作・監修:半藤一利
役所広司(山本五十六)、原田美枝子(山本禮子)、玉木宏(真藤利一)、坂東三津五郎(堀悌吉)、柳葉敏郎(井上成美)、柄本明(米内光政)、阿部寛(山口多聞)、香川照之(宗像景清)ほか


 

  太平洋戦争の開戦は1941年12月。2011年12月はそれから70年目に当たるわけで、この映画は当然「70周年記念企画」である。サブタイトルにまでわざわざ入れなくてもみんな分かってると思うのだが…この映画もそうだが、最近妙にサブタイトルつきの長いタイトルの映画が目につくような。
 映画会社の人たちが年表を見ながら「お、来年は○○から何周年か」と企画を立ててるんじゃないかとの憶測があるくらいで、だれだれ生誕何周年だのなになに事件から何周年だのと言った映画はほんとに多い。まぁ全く関係のない年に公開するよりは節目の年に公開した方が客の入りはいいんだろうけど、それにしても企画自体が安易だ、と思う例は多い。これが日本だけの現象でないことはフォークランド紛争30周年で「マーガレット・サッチャー鉄の女の涙」という映画が公開されている事でもよく分かる(そういえばこの映画の邦題もサブタイトルつきで妙に長いな)
 あえて言っちゃうがこの映画も企画自体はその安易な例になる。だが「70」という数字が中途半端なのか、はたまた「開戦」は記念したくない気分でもあるからか、終戦50周年の時のようには同種の企画は出なかった。また思いつきは安易かもしれないが、映画の制作体制自体はしっかりしたもので、今この時代に「山本五十六」を作る意義をスタッフが真剣に考えたことはうかがえる。

 太平洋戦争の悲劇の「名将」、山本五十六は過去に何度も映画に登場している。真珠湾攻撃を「成功」させたことと、その悲劇的最後、そして対英米開戦には反対だった事実とが、この戦争を否定した戦後日本でも彼をヒーローとして扱いやすくしている。敗戦わずか8年後の昭和28年に五十六を主役にした「太平洋の鷲」(大河内伝次郎主演)、昭和31年には新東宝で「軍神山本元帥と連合艦隊」(佐分利信主演。僕は未見)が作られ、さらに15年後の昭和43年には「連合艦隊司令長官山本五十六」(三船敏郎主演)が製作されている。映画のみならずテレビドラマ、さらに五十六が脇役で出てきた例まで挙げたらそれこそ大変な数にのぼる。日本だけの現象ではなく、アメリカにおいても「敵ながらあっぱれ」の感覚があるようで、ハルゼイを描いた「太平洋紅に染まる時」や、大作「トラ・トラ・トラ!」「ミッドウェイ」「パールハーバー」など「真珠湾もの」ではたいていかっこよく描かれている。このあたり、ドイツ軍ならロンメルのポジションと似ているかも。

 だから今度の映画、映画としては四度目の企画で、とくに三船敏郎主演のものとタイトルがほとんど同じであるため、どうしても役所広司版」と呼ばねばならない。この役所版五十六、実在人物の映画だけに大筋の展開は当然これまでの作品と同じであるが、「五十六の戦争体験」「甘党のマイホームパパ」「当時のマスコミと大衆」といった要素が散りばめられているのが大きな特色だ。昭和史・戦争史を中心に著作も多い半藤一利さん(戦争・歴史映画ファンには「日本のいちばん長い日」の原作者、というのが大きい)が原作および監修者となっていて、半藤さん自身が同郷(長岡出身)の縁もあって「五十六好き」であることがこの映画の五十六像の骨格を作っているといっていい。
 
 映画はいきなり長岡の町が戊辰戦争で炎上する場面で幕を開ける。歴史に詳しい方は知ってるだろうが戊辰戦争のとき長岡藩は家老の河井継之助の指揮のもと「中立」を維持しようと新政府軍と戦ってしまい、悲惨な「敗戦」を体験している。その燃える長岡の町を見つめる一人の少年――が五十六…のわけはない。どう考えても年齢が合わない。と思っていたらちゃんとナレーションで、これが五十六が少年時代に聞かされた「間接的敗戦体験」の映像表現なのだと分かる。
 映画の中で直接その場面が出てくるわけではないが、五十六は日露戦争の日本海海戦に一兵士として参加していて敵弾をくらって手の指を二本損傷している。日本海海戦自体は日本軍の圧勝に終わったのだが、五十六自身はその中でかなり悲惨な体験をした方になり、この映画の中ではそのことも五十六の「戦争体験」として重要な意味を持たされている。

 映画序盤はこれまでの五十六映画と同様、ドイツとの同盟や対英米戦に五十六が反対していた経緯が描かれる。だから僕みたいにこれまでの映画もチェックしてる者にはとくに目新しい話はないのだが、今度の映画ではこれまであまり描かれてこなかった同盟締結と対英米強硬論を唱える海軍若手の突き上げ、それらに同調するマスコミ、さらにそのマスコミと連動する(互いに煽り煽られ)大衆たちにスポットが当たっているのが特徴だ。

 これまでの戦争ものでは陸軍悪玉・海軍善玉なイメージが描かれがちだったが、実のところ海軍にも強硬派がかなりいた。突き上げてくる彼らに五十六がヒトラーの著書「わが闘争」の原文を読んだことがあるか、と諭す場面(日本語版では日本人を二流民族扱いした記述が削除されていた)はフィクションだとは思うが、新鮮に感じた観客も多かっただろう。海軍内部が決して一枚岩ではなく派閥抗争があったとちゃんと描写しているのも珍しい。こういうところも半藤さんが監修だからこそ。それにしても井上成美を演じてる柳葉敏郎さん、不思議と海軍軍人役が似合うなぁと改めて思った。宇宙戦艦のほうの「ヤマト」にも乗っちゃったし(笑)。

 同盟締結と開戦を煽るマスコミを代表するのが香川照之さん演じる新聞社幹部。誰というモデルはなく、当時の新聞社全体を象徴させたキャラクターだ。ここんとこやたらに出ている印象の香川さん、「情けない人」「貧乏くさい人」を演じることが多いのだが、この映画ではふんぞり返らんばかりのエリートで、とことんヤな奴。こういう役も実に上手い人だなぁ、とその憎々しいばかりの存在感に改めて感心。ま、分かりやすさを狙ったかマンガチックにデフォルメしすぎという気もしたけど、報道の戦争責任を問うた意義は大きい。それが敗戦後、しっかり「民主主義喧伝」にコロッと切り替わる描写も皮肉が効いている。そうしたマスコミの姿勢に疑問を感じて行く玉木宏演じる若手記者、その名が「真藤一利」となっていることから半藤さんの視線であることは明白だ(ただし実際の半藤さんより10歳ほど上の設定で、半藤さん本人をモデルにしたというわけではない)

 そして、これまで「暴走した軍部の被害者」のように扱われがちだった日本の一般大衆が、実はマスコミともども対英米開戦を熱狂的に煽っていた、という最近になってようやく直視されるようになった事実がこの映画では大きく取り上げられる。五十六を主役にした映画なのでこういう声をシナリオに盛り込むのはなかなか難しかったと思うのだが、この映画では玉木宏の記者が出入りする一件の飲み屋を舞台に、瀬戸朝香演じる女将と常連客(踊り子、サラリーマン)たちが交わす世間話という形でそこそこ無理なく挿入している。こうした事実に触れたことも日本の戦争映画史の中では特筆していいことだと思う。
 この飲み屋のやりとりで慄然とさせられるのが、短命で交代する内閣のための政治不信やら、外圧・不景気による閉塞感やら近ごろもよく聞くような不満が叫ばれ、それらを軍事強硬路線で吹っ飛ばしてスカッとしちゃおうという声が出てくること。実際昭和前半の後世からみれば妙な空気は現在と通じるところがあるとの指摘もあり、この映画のセリフも明らかに現代を意識して作られている。今の日本が当時と同じことをするとは正直思ってないが(希望的観測とは承知してるが)、作り手が今の日本社会への警告を発しているのは明らかで、その点でもこの映画は画期的だ。
 ただ、映画はあくまで太平洋戦争に絞っているのでそこまで要求するのは難しいとは思いつつ、なんで対英米戦へ傾斜してゆくことになったのかといえばその前段階の東南アジアへの進出と、そのさらに前段階の日中戦争という歴史の流れがあったわけで、そこらへんが全く描かれないのはこれまでの日本の戦争映画同様の欠点だ。

 山本五十六のプライベートな部分はお決まりではあるが「家族愛」を中心にまとめている。そりゃまぁたいていの歴史人物は家庭に入れば普通に良き父、良き夫であったろうし、遺族も存命ということもあってこの映画で印象的に描かれる家族との食卓風景も恐らく実際にあったのだろう。ただ実際の五十六は外に愛人も囲っており(当時はある程度地位のある男性には当たり前にいたものでもあるが)、五十六という人間に迫るには彼女は実はかなり重要な要素だったらしいのだが、それこそ遺族もいる手前、その点に触れるわけにもいかなかったと思われる。

 役所広司は英雄豪傑からフツーのサラリーマンまで実に幅広く演じた経歴があるが、この映画の五十六像は過去のと比較するとより「フツーのオジサン」なイメージである。特に「名将」のような描き方もせず、あくまで「良識的」というよりは「常識的」な人として描き、それが周囲の状況に押されて真珠湾を実行し、ミッドウェーで敗北し、ブーゲンビルで戦死する、という悲劇へ受け身的に流されていく、といった感じ。悲劇の部分も「泣かせ」を好む日本映画にしては抑制的で、「悲劇の英雄」五十六を期待する向きには物足りなさを感じるかもしれない。

 かつて日本の戦争映画といえば円谷ミニチュア特撮によるスペクタクルが売りであったが、さすがに現在はCGバリバリ。CGのおかげで従来になくリアルな戦争映像も日本映画で可能になったのだから、やはりこれは恩恵であろう。この映画でも真珠湾、ミッドウェーなど見せ場がCGで再現されているが、あまりCGっぽくない、報道映像を意識したような客観的な絵作りでリアルさを狙っていて、僕は結構好感を持った。近ごろ流行の凄惨な戦場描写も抑え気味だ。
 阿部寛がミッドウェーで艦と運命を共にする山口多聞役で出ているが、これもかつて三船敏郎が演じた役。阿部寛は「坂の上の雲」で秋山好古を演じていたのをこの映画鑑賞の直前に見ていたもので、なんだか「転生」みたいでヘンな感じだった(笑)。「坂の上」出演組では他に柄本明(あっちでは乃木希典)、香川照之(あっちでは正岡子規)原田美枝子(あっちでは子規の母)がいて、こちらの内容は日露戦争で勝った日本のその後の末路ということもあって、「坂の下の泥沼」などと僕は言っていた(笑)。(2012/4/22)



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