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「ゼロ・ファイター大空戦」

1966年・東宝
○監督:森谷司郎○特技監督:円谷英二○脚本:関沢新一/斯波一絵
加山雄三(九段中尉=志津)、佐藤允(加賀谷)、千秋実(航空隊司令)、藤田進(神崎中将)ほか




 気が向くというのは不思議なもので、なぜかここんとこ戦闘機もの映画を見続けている。その皮切りとなったのが本作。タイトルのみは知っていたが見るのはこれが初めてとなる。
 まずこの映画の鑑賞前第一印象だが、パッケージには主演・加山雄三佐藤允といった東宝おなじみの顔ぶれが集まっており(「独立愚連隊西へ」と組み合わせは同じ)、ご存知円谷英二特技監督の名もあって、東宝お得意の「特撮戦争映画」の一本という印象がまず強い。もちろんそれで間違ってはいないんだけど、同時にこの映画は森谷司郎監督第一回監督作品」という点も目を引くところだ。
 森谷司郎監督といえば後に「日本沈没」(1973)「八甲田山」(1977)「動乱」(1980)「海峡」(1982)「小説吉田学校」(1983)といった、どちらかといえば話題性の強い大作志向の映画を多く手がけたことで記憶される。裏返すと監督個人の作家性はあまり感じない作品が多いという印象もある(むろん一部にそうでないのもあるが)。この「森谷司郎」の名は「用心棒」「椿三十郎」「赤ひげ」といった黒澤明監督作品でしばしば「監督助手」としてクレジットされており、このため「黒澤明の愛弟子」と言われることもある。まさに東宝生え抜きの映画監督だったが、惜しくも50代の若さで早死にしてしまっている。どこぞで小耳に挟んだ真偽不明のエピソードなのだが、「日本沈没」の企画が東宝で進められていた際、一時監督に黒澤明を、との話が上がったが東宝上層部は「とんでもない!黒澤じゃ町のセットを一つ作って破壊するかもしれん!」と強硬に反対し、その弟子筋である森谷を監督にしたとかで。黒澤明じゃあミニチュア特撮では我慢ならなかったろうなぁとは思う。

 さてその森谷監督の第一回作品だが、これが前述のように東宝十八番の円谷英二特技監督によるミニチュア特撮映画だったわけだ。しかも当時人気急上昇中だった「若大将」こと加山雄三(森谷さんが助監督をやった「赤ひげ」にもこの直前に出てる)が主演の青春スター映画という面もある。ただこの映画、女優は一人も登場せずあくまで戦場オンリー、ヒコーキばっかりという結構ストイックな題材の映画となっている。なお、1966年というこの時期でも白黒映画である点がストイックさに拍車をかけている。さすがに今見るとチャチに見えてしまうミニチュア空戦特撮だが白黒画面のおかげでそこそこごまかせているという気もする(笑)。

 映画のオープニングは真珠湾攻撃以来の太平洋戦争の展開を記録写真で綴るというドキュメンタリータッチのものとなっている。ミッドウェイ海戦、山本五十六長官の戦死といった日本軍劣勢の状況が語られて映画の内容に導入していく形だ。といって映画本編じたいはドキュメンタリーではなくあくまで創作なんだろうけどね。
 舞台となるのはブインの日本軍航空基地。確か山本五十六が戦死したまさにその地だったと思う。ここに配置されている「八生隊」という零戦部隊(全部で8人ぐらい?)が主人公となるのだが、制空権も米軍に握られ、「定期便」などと呼ばれる定期的な空爆にさらされて手も足もでない状態。おまけに冒頭でいきなり隊長が戦死してしまう。隊長不在の八生隊は曹長の加賀谷(佐藤允)が仕切っていて、こいつはいつも軍刀を手にうろついている、かなりひねくれ者のやり手パイロットだ。
 佐藤允という俳優さん、この時期東宝映画を中心にとにかくやたらに出まくっていてそれらを見るたび思うのだが、この人、日本映画史の中でもかなり特異な個性派俳優だ。特に岡本喜八監督による主演作「独立愚連隊」の主人公などは他に類例を見出すことが難しいほどの個性派キャラとなっている。この「愚連隊」から始まって、佐藤允といえば戦争映画には欠かせない俳優さんとなってしまい、なにやら日本軍あるところ佐藤允あり、状態になっちゃうのだ。それもそのほとんどで将官クラスではなく前線で戦う叩き上げの一兵卒役というのが定番。東映の「二百三高地」にまで同じような役で出征してたもんな(笑)。最近では「もののけ姫」タタリ神の声、なんてのもあったが…。

 話が飛んだ。とにかくこの加賀谷のもとで「八生隊」の面々はなかなか出撃できぬまま怠惰な日々を送っている。スコールが降るってんで素っ裸になって石鹸をぬりたくり、そのまま天然のシャワーを浴びてるシーンとか軍隊ものらしい愉快な場面が続く。そこへ新任の隊長が赴任するという情報が入り、加賀谷は米軍にも恐れられる「空戦の神様」、志津少佐がやって来るのではないかと期待する。
 しかし零戦に乗ってまずやって来たのはまだ少年の新兵で、しかも彼は志津少佐が戦死したとの最悪の知らせを持ってくる。加賀谷たちがガックリしているところへ潜水艦に乗って新任の隊長・九段中尉(加山雄三)が基地に到着。なんだかお坊ちゃん風で現場を知らぬエリート軍人っぽい九段に加賀谷は失望し、なんだかんだと対立するようになる。実際の戦闘機乗りたちがどうであったかは知らないが、この映画ではプロ意識の強いパイロットたちは上官だろうが司令だろうが平気で馬鹿にしたり食ってかかったりする。
 しかーし。主役が加山雄三である以上予想されたことだが、この九段がただ者ではないことがだんだん分かってくる。零戦の操縦技術、指導ぶりもさることながら「匂い」で敵の接近を感知するなど、実際の戦場をくぐり抜けてきた男ならではの能力を発揮してくるのだ。しかも次々と斬新な作戦(「定期便」の米軍機に上空から大型爆弾を投下して数機を一度に撃墜するとか)を立案・実行、しだいに加賀谷も彼に一目置くようになってくる。その一方で海辺でマンドリン(?)を奏でたりしてるあたりは「若大将」そのまんまですな(笑)。

 以下、ネタばれ注意報発令、と言いたいところだがどうせみんな予想できる話だから書いてしまおう。そう、加山雄三演じる「九段」は「空戦の神様」こと志津少佐その人にほかならなかったのだー!(笑)。そもそも「九段」って名前を初めて聞いたパイロット達が「縁起でもない」とつぶやくように、「九段」とは「靖国」の隠語。つまり「九段」とは「死んだ人間」という自嘲の意味を含んだ志津の偽名だったのですな。志津は命令違反のため降格され「死んだ」ことにされていた…ということなんだけど、これ、現実にはどうやっても無理だろー!!
 志津はなぜ命令違反を犯したのか。それは志津が徹底した合理主義者で、無駄なこと、無理なことは一切しないという信条に原因がある。志津はあくまで部下の人命を最優先にし、冒険主義・精神主義的な上官の命令には一切従わない。このあたり日本軍がしばしば陥っていた精神論的なものへの作者の批判があるわけなんだけど、「足りない燃料は大和魂で補え」とまで無茶を言う現地参謀がいたとはちょっと思えないんだが…。

 ともかく特攻精神なんてもってのほか、あくまで「生きて帰るんだ!」を信念とする志津。それに対してしばしば無茶な冒険に飛び込んでしまう加賀谷。この二人が後半うまいぐあいに絡んでいって話を盛り上げていく。中でも見所だったのは敵の銃撃を受けて重傷を負い、機体も油が噴き出して視界ゼロという絶体絶命の状態の加賀谷を志津が誘導して見事に生還を果たすくだり。最後の出撃に余分な零戦がないため出撃できなかった加賀谷が、ひそかに修理されていたつぎはぎだらけのオンボロ零戦で志津のあとを追いかけてくるクライマックスなんかは佐藤允キャラならでは、の感も。


-------------------以下、本気でネタバレ注意。-------------------------








 クライマックスの敵基地攻撃は、「八生隊」の隊員たちが次々と散っていく。そして標的を破壊し「さあ、帰ろう!」と素晴らしく爽やかな笑顔を見せる志津…この笑顔のシーンが妙に長い…と不安を抱いたら案の定、直後に志津機も撃墜されてしまう。志津にとめられたのに強引に出撃、出撃に際して自慢の軍刀を整備兵に形見に残していった加賀谷のほうが絶対死ぬと思っていたのにこちらが生き残ってしまう。最後に加賀谷は志津の信念を引き継いで「俺は、生きて帰る!」とナミダ涙で飛び去っていくのだ。これは二重に意外なラストだった。まぁこの方が戦争の虚しさと、ともすれば命の使い捨てに走りがちな日本軍の体質へのアンチテーゼとしての「なんとしても生きる」という信念とを強く表現できたとは思うんだけど…ちょっとそこに至る経過の説得力がもう一つ、という気もした。 (2004/7/3)



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