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「A.I.」

2001年・アメリカ
○監督:スティーブン=スピルバーグ
ハーレイ=ジョエル=オスメント(デイビッド)ジュード=ロウ(ジョー)ほか




 今年の日本の夏休み映画は大作・話題作目白押しで異例の当たり年だったと言われる。終わってみると「千と千尋の一人勝ち」状態だったようだが、興行成績はおいといて確かに話題作は多かった。単に「話題」だけが先行しているようなものも見受けられたけど。
 そんな話題作の中の一本が、スピルバーグ監督久々のSF作品にして、もともとは「2001年」のキューブリック監督の長年の企画だったこの映画「A.I.」である。公開直前までその実態が謎に包まれた宣伝演出もあって、ひょっとするとあの「E.T.」並みの大ヒット感動作になるんじゃないかという期待すら上がっていた。で、ふたを開けてみるとかなり地味な印象の作品であり、アメリカでも思ったほどのヒットをしないまま日本での公開となった。決して日本での成績は悪いものではなかったらしいけど、公開後にそれほど世間で話題を呼んだ様子も無い。地味な印象の作品でも評論家の好評を受けることもあるのだけど、耳にする限りではあまり高い評価も聞かないな。いろんな意味で、巨匠スピルバーグ監督が自ら「集大成」と意気込んで臨んだほど結果を出し切れない、やや不幸な作品という印象を受ける。

 「A.I.」とは「Artificial Intelligence(人工知能)」の略語。この映画は母親をひたすら愛するように設計された子供ロボットの紆余曲折の遍歴の物語となっている。原作小説は読んでいないが、あのキューブリックが創作意欲を刺激されたのが分かるような気もする魅力的な設定である。
 映画では子供を事故で失った(死んではいないのだが絶望視されている)妻を気遣う夫が自分の会社で開発した子供ロボット「デイビッド」を家庭に導入するところから始まる。はじめおっかなびっくりの母親だったが、やがてデイビッドに愛情を抱くようになり、契約に従って彼を本物の子供になるようセッティングを行う。その途端、デイビッドはひたすら母親に愛情を抱き続ける存在になってしまうのだ。このセッティングのシーンなどは子役にして名優のハーレイ君の演技絶妙といったところ。プログラミングされた「愛情」を抱き続ける存在というのはハタから見ていると愛らしいというよりは切ない存在ですね。もちろん作り手も狙ってそうしているのだろう。
 しかしデイビッドが本物の子供になった直後、思わぬ事態が起こる。絶望視されていた本当の子供マーティンが奇跡的に回復し、家に帰ってきてしまうのだ。夫妻はマーティンとデイビッドを兄弟のように一緒に育てようとするが、当然ながらマーティンとデイビッドは母親をめぐって争い始める。そこはロボットより人間の方が頭はいいから、マーティンはあの手この手でデイビッドを陥れようと画策する。デイビッドは素直に騙され続け、そしてとうとう思わぬ行き違いからマーティンを瀕死の事故にあわせてしまう。ここでついに夫妻はデイビッドの「廃棄」を決意、しかし母親はデイビッドを廃棄するには忍びず、森の中に捨てて逃げるように諭す。かくしてデイビッドはクマのぬいぐるみロボットの「テディ」と一緒に放浪の旅に出る…とまぁ映画の「第一部」はこんな感じになっている。僕などはここまではかなり楽しめた。SF的にはロボット三原則とかうるさいツッコミを入れたくもなるが、素直に見ればなかなか良く出来た展開だと思う。

 第二部は捨てられたデイビッドとテディの遍歴編。人間によるロボット迫害シーンなどは「鉄腕アトム」など、どこか古典SF的なノリも感じる。デイビッドは「本物の人間の子供になってママに会いに行く」という夢を追い求めて旅を続けるなかで様々なロボットと出会っていく。この部分で登場する、ジュード=ロウ演じる男娼ロボット「ジゴロのジョー」が凄くいい。いかにもロボットっぽいメイクもいいし、女性客にサービスする際、首をカクカクッとやるとBGMが流れるアイデアも絶品。それとぬいぐるみロボット「テディ」の大活躍。この「テディ」の技術的なところはかなり気になるなあ…一見オモチャのくせに感情も思考力もしっかりあるようだし…。

 「人間の子供になりたい」と望むデイビッドが「手がかり」としているのが、ママに聞かせてもらった「ピノキオ」の物語。このへん、原作にあるのか、はたまたキューブリックもそう構想していたのか不明なのだが、実に実にスピルバーグ的な「ディズニーアニメになった童話作品」系要素。「未知との遭遇」「E.T.」「フック」などなどの流れを強く感じるところだ。ただ、僕などはこの要素が後半になって強調されるあまり、ロボットテーマSFとしてはついていきにくくなってしまった。デイビッドの思考回路がどうも単純に過ぎる気がするのだ。もう一ひねりしたほうが物語のリアリティが増したと思うんだけどな。

 物語は最終的にデイビッドが海底に沈んで、そのまま数千年の時が流れる。そしてなんと異星人たちが人類滅亡後の地球の遺跡を訪れ、デイビッドを「発掘」する。そしてデイビッドの希望はたった一日ではあるが実現される結果になる。ラストは正直言ってかなり切ない。
 それにしても最後に異星人登場ってのは(数千年の時を経ているとはいえ)唐突の印象を免れない。どうもこの映画、様々な要素の話を詰め込みすぎた観があり、構成の失敗を僕は感じる。様々な要素を詰め込むなら数千年の時間を超えたオムニバス映画のような形式をとったほうが効果的だったんじゃないかと思えるのだが…

 最後に一言。僕がこの映画で一番感心したのは実は宣伝用のロゴだったりする(^^;)。(2001/10/10) 





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