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「日本沈没」

2006年・「日本沈没」製作委員会
○監督:樋口真嗣○脚本:成島出・加藤正人○撮影:河津太郎○音楽:岩代太郎○原作:小松左京
草なぎ剛(小野寺俊夫)、柴崎コウ(阿部玲子)、豊川悦司(田所博士)、石坂浩二(山本総理)、滝田裕介(幸長助教授)、二谷英明(中田)、及川光博(結城)ほか




 そのまんまのタイトル(ロゴまで一緒)のリメイクである。1973年に製作され、大ヒットとなった「日本沈没」のリメイクはこれ以前にも企画されていて、1995年の阪神淡路大震災の経験をふまえて被災者でもあった大森一樹監督による松竹での製作が発表されていたことがある。しかし資金難からかこの企画は流れ、気がついたらTBSが主体となって、特撮監督出身(というかアニメ畑出身でもある)樋口真嗣監督によりリメイク映画化が実現していた。「ガメラ」シリーズの特撮監督から昨年の「ローレライ」で本編監督に進出、「特撮のできる映画監督」ということで「日本沈没」リメイクにはうってつけの人選だったとも思える。樋口監督当人も子供の時に森谷版「日本沈没」を見て映画監督を志したそうだから、「宿命のリメイク」だったとも言える。

 過去の大ヒット作のリメイクばやりは今に始まったことではないが(近年多い気がするものだが、振り返ってみれば昔から結構やってる)、この映画の公開時にはいまさら「日本沈没」をねぇ?という思いが強かった。最近地震が多いし、ヘタすると公開間近に大地震がどっかで起こって当分公開延期なんてことになるんじゃないかと思いもした(笑)。
 ともかく無事に公開されたこのリメイク版「日本沈没」、見ながら最初に感じた印象は「これはリメイクじゃなくて換骨奪胎ってやつなんじゃなかろうか」ということ。「原作・小松左京」と謳いつつストーリーはまるっきり旧作と異なり、登場人物の名前だけおんなじだが設定はことごとく変更された。
 なんつっても旧作の、あの当時でも濃すぎるキャラだった藤岡弘の役どころが、今回は男が弱くなったと言われる現在においても明らかに頼りなげな感じがする草なぎ剛になっている(この人、本名からして草食系イメージだよな)。共通するのは潜水艇乗りという点だけ。同じ潜水艇乗りの結城も前作に続き登場したが、夏八木勲から及川光博へと、やはり草食系の変身ぶりだ。
 ヒロインの玲子も、前作ではいしだあゆみ演じる個性の薄いお嬢様だったのが、今度は柴崎コウのレスキュー隊員。もう完全に女のほうが強いキャラになっており、カップルの初顔合わせシーンが「女が男を救助する」場面であるのも象徴的だ。柴崎コウとか米倉涼子とか、最近は「強い女」キャラが実際増えて来てるよな。
 前作と共通するキャラといえば田所博士もいる。旧作で小林桂樹が演じた田所博士は日本沈没を予言するマッドサイエンティスト気味のキャラだったが、リメイク版では豊川悦司が演じ、マッドっぽさはかなり消えて見た目にもカッコいい学者先生になってしまった。旧作で丹波哲郎が主役級で演じた山本総理も石坂浩二により再登場しているが、前作のキーとなるセリフを唐突にオマージュっぽく口にしただけでアッサリ序盤で死んでしまう。彼の代わりに政府の災害対策の指揮を取るのが女性であるというのもこの映画のスタンスの一つを示しているようだ。

 旧作はその当時の時代の空気を反映して、全体的に暗く悲惨で、破滅的なパニック映画となっていた。それに対して今度のリメイク作品は明るいとは言わないが、暗さ・凄惨さはかなり少なくなっている。そもそも「日本沈没」という現象が映画の冒頭から研究者によって予見されており(それが途中で予想より早くなると分かるけど)、実際に災害が起きてもある程度対応がとれるようになっている。このため前作では少々オカルティックな重要キャラとなっていた「政界の影の大物」の渡老人の出番はなくなってしまった。
 クライマックス、見せ場になるところの東京水没シーンも住民はとっとと避難していて人っ子一人いない都市が水没するだけだ。まぁ実際のところ予知が出来ていればそうなるんだろうけど、映画としては(観客ってのは残酷なもので)面白くない、とも言える。似たような話で大森一樹監督が「ゴジラVSビオランテ」で住民が避難して人っ子一人いない大阪にゴジラがやってくるシーンを作ったが、不評であったため次の「VSキングギドラ」からは人が大勢いるところへ怪獣がやって来るように戻したという逸話がある。
 この映画のシナリオ、総じて「理詰め」に過ぎるところがあるな、とも思う。旧作は穴の多い荒っぽい脚本だったのでそれを「改善」した形だし、旧作と同じことをしてもしょうがないから逆をやってみた、というのも理解はできる。だがその「理詰め」で考えたシナリオが必ずしも映画的快感には結びついてない気もする。

 旧作とこのリメイク作の最大の違いは、なんといっても「日本沈没」というタイトルそのものに偽りあり、という点だ。僕などは映画のクライマックスにさしかかったところで「こりゃ『日本寸止め』とすべきだ」などとツッコんでいたものだ。
 旧作では日本沈没という事態になすすべなく、せいぜい国民を避難させるので精一杯だが、こちらでは沈没そのものを阻止してしまう(それでも全体の半分ぐらいは沈んだ感じだが)。では旧作と違いハッピーエンドなのかというとそうでもなく、主人公らの自己犠牲により日本が救われる、というお話になった。同じ小松左京原作でいうなら「さよならジュピター」のパターンであり、日本人が結構こういうの好きなのも確かで、そこらへん商売的に「狙ってるな」と感じたところ。
 だけどこの自己犠牲というやつ、僕は正直なところ苦手で…そういうのを美化する傾向ってのは日本人の悪い癖とすら感じている(もっとも「アルマゲドン」の例もあるから日本以外でもその手の気分はあるわけだけど)。そしてこの映画の監督の嗜好から言っても本音のところあまり気が進まなかったんじゃなかろうか…という気もしている(あくまでこちらの勝手な憶測)。また、結城が家族写真を取り出す絵に描いたような「死亡フラグ」シーンもあるが、これだって作り手も自分でツッコんでいそうなんだけど、ベタベタなまでにストレートに表現していた。というか、あまり深刻にやると気恥かしいのでさらりと工夫もなく流したって気もした。だからあまり感動がない。

 特撮がCG時代になったことで、リアルな絵は手間さえかければいくらでも作れるようになった。このリメイク「日本沈没」でも旧作では作り得ないようなスペクタクルな「絵」」は多い。ただ、それもミニチュア特撮のオモチャっぽさにむしろ心ときめいてしまう世代にはかえって安っぽく見えてしまうのが残念なところ。(2011/9/18)



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