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「ファイナル・カウントダウン」
The Final Countdown
1980年・アメリカ
○監督:ドン=テイラー○脚本:デイヴィッド=アンブローズ/ゲイリー=デイヴィス/トーマス=ハンター/ピーター・パウエル○撮影:ビクター=J=ケンパー○音楽:ジョン=スコット
カーク=ダグラス(イェランド艦長)、マーティン=シーン(ラスキー)、ジェームズ=ファレンチーノ(オーウェンズ)、キャサリン=ロス(ローレル)、レチャールズ=ダーニング(チャップマン上院議員)ほか




 ずいぶん前にレンタルビデオで借りてみたことがあったのだが、つい先日BSイレブンで放送していたので再鑑賞した。意外にも二度目に見た方が面白く感じた。

 一応「SF映画」ってことになるだろう。タイムスリップを扱っているから間違いなく「SF」なのだが、なんとなくSF映画と呼ぶのを躊躇してしまう映画だ。なんでかというと全体的に「SFっぽさ」が感じられないから…としか言いようがない。むしろ「アメリカの原子力空母と戦闘機見学会映画」と言った方が適切という気もしちゃう。いや、別に悪い意味で言ってるつもりはない。見た感想として率直にそうとしか思えなかったし、実際タイムスリップネタよりも現代軍事マニア(といってもすでに30年も前のものだが)が大喜びしてみる映画という性格が強いと思う。SFになってるのは当時「スターウォーズ」のあおりでSF映画花盛りだったからと思われる。

 作り手がどこまでそのつもりだったかは分からないが、アメリカ海軍と原子力空母「ニミッツ」が全面協力してくれたおかげで「空母」そのものの見せ場がやたらに多い。海軍側も宣伝になると思ったからなんだろうけど、空母上の離艦・着艦だけでなく非常時着艦の場面や、空母艦内各所の実態(艦内テレビまであるのね)、戦闘態勢に入る時の乗員たちの動き、当時最新鋭の戦闘機の空中給油、編隊を組んで飛び回るシーンなど、とにかく「大サービス」としかいいようがない場面の連続。機密も多いであろう艦内のシーンについては恐らく本物ではなくセット再現も多いのだろうけど、ストーリーの本筋そっちのけでこれらのシーンに力が入っちゃってて、どうしても「空母見学会映画」と見えてしまうのだ。

 アイデアそのものはなかなか秀逸だ。現代軍隊のタイムスリップを扱った映画といえば日本では「戦国自衛隊」(1979公開)があって公開ではこちらが先行しているしさらにその原作小説が存在しているが、恐らく欧米でも同趣向のアイデアの先行小説があるはず。だからこの映画もその亜流ではあるのだが、現代の最新鋭兵器、原子力空母がまるごと一隻タイムスリップ、しかもよりによって1941年12月7日(現地時間)の直前に飛んでしまうというのは「出来過ぎ」とも思うが面白い思いつきだ。

 航海演習に出かけた空母「ニミッツ」が謎の嵐(この光のタイムトンネルっぽい描写は大河ドラマ「独眼竜政宗」OPに影響を与えてると思う)に巻き込まれる。周囲との無線連絡が取れなくなり、入って来る海軍ラジオ放送はえらく古い歌ばかり(「海軍ラジオはなつメロ特集でもしてるのか」というセリフには大笑い)。聞いたこともない選手のボクシング実況も流れるし、さらにはニュースでは「ソ連軍とドイツ軍が衝突」なんて話が流れている。これを聞きかじった乗員が「ついに第三次世界大戦がはじまっちまった!」と勘違いする場面も。異常な現象のあとで周囲と連絡がとれなくなったことで「核戦争勃発か」とカーク=ダグラスの艦長も一時疑ってしまうほど。この辺、潜水艦映画「クリムゾン・タイド」を連想させられた。

 タイムスリップものとしてみると、この映画の面白さは舞台が洋上のせいもあって「自分たちがタイムスリップしたことがだんだん分かって来る」ところにある。真珠湾に飛行機を飛ばして写真を撮影させたら真珠湾攻撃で撃沈されたはずの「アリゾナ」が映っている、さらには近くを日本軍の「零戦」が飛んでいるのを発見、その零戦に襲われた上院議員とその秘書を救出したことで、艦長たちは自分らがまさに真珠湾攻撃直前の時点にタイムスリップしたことを悟ることになる。見ている側は初めから百も承知なので、彼らがだんだんとそれに気づいていく過程に優越感を覚えるためか(笑)、見ていてワクワクしちゃうのである。

 また「クリムゾン・タイド」を連想しちゃうのだが、真珠湾攻撃の直前にタイムスリップしたと断定された時点での艦長の決断も注目点。これから日本軍による奇襲攻撃があることは分かっているのだが、さて「アメリカ海軍空母」としてはどう行動すべきなのか。劇中で忠告する人物がいるように、ここで歴史に干渉してしまうとタイムパラドックスが起こってしまうが、それは許されるのか。下手すると自分たちの存在自体が消滅するかもしれないのだ。
 艦長も初めのうちは慎重で、零戦発見時も攻撃許可をなかなか出さない(だってやっちゃうとアメリカ側が「先制攻撃」したことになっちゃう)。民間人救出のためやむなく攻撃を許可してからは開き直ったか、迫りくる日本軍相手に真珠湾攻撃阻止のため戦おうと決断を下してしまうのだが、ここで「アメリカ海軍空母としてはアメリカ合衆国大統領の指示に従うべき」という「原則」が持ち出されるところが面白い。当然「その大統領ってF=D=ルーズベルト?」とツッコミが登場人物が入っているが(笑)。そういえば1941年時点の上院議員が空母の名前が「ニミッツ」であると知って「あいつはまだ現役の大将じゃないか」とつぶやく場面もタイムスリップものならではの細かいギャグ。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のロナルド=レーガンとおんなじですね。
 あと映画の最初のほうでアリゾナ記念館が映るあたりで伏線になってるが、やはり真珠湾攻撃はアメリカにとって屈辱の「敗戦体験」であり、これはその汚辱を晴らす大チャンスだ!と考えてるらしきセリフも出てくる。実際にそういうシチュエーションに置かれることはまずありえないが、もしかするとアメリカ人の多くはそういう発想をしちゃうのかもしれない。

 さあ空母ニミッツが日本連合艦隊と大決戦だ!と盛り上がったところで現代にまた舞い戻っちゃうんで見事なまでの肩透かし。といっても実際にそれをやっちゃったら歴史は大混乱だし(オチは「そもそも歴史は変わるようで変わらない」というタイムスリップの一つの解釈をとっている)、そもそもそんな場面を予算的に映像化できるはずもない(笑)。肩透かしなのは見ていて予想できるはずだ。真珠湾攻撃の場面は記録映像と「トラ・トラ・トラ!」からの拝借で済まされている。
 映画的見せ場は零戦とF14の世代ギャップ空中戦ぐらい。例によって零戦の本物ではなく「零戦役者戦闘機」の異名まであるAT6テキサン改造。ハッキリ言って勝負にならない一方的展開で零戦は撃破されちゃってるが、これこそタイムスリップ映画ならではの場面だ。ところでこのニセモノ零戦のコクピット下に何かカタカナで書いてあるのが見えるのだが、スロー・静止画で見ても読みとれない。気になる人はいるようでネット上でもいくつか同じ発言があったが、解答は見つかっていない。
 捕虜になる零戦乗りの日本軍人の日本語が妙なのは太平洋戦争映画ではよくあることで…日系人俳優を使っている例も多いのだが、この映画でこの役を演じたのはコリアン系アメリカ人。聞くところでは日本留学経験もあるそうなので、イントネーションはヘンだが聞きとるのに苦労するものではないのはそのためみたい。

 ところでこの映画の時点は1980年だから、1941年はまだ39年前のこと。それでも映画中では大昔のように語られる(乗員の大半が生まれる前というセリフあり。カーク=ダグラスの艦長は記憶にある世代と見た)。開戦70年が過ぎた今からするとずいぶん近い時代にも思えてしまうのだが…。
 艦長のカーク=ダグラスにしても狂言回し的存在のマーティン=シーンにしても、僕の世代ではマイケル=ダグラスとチャーリー=シーンのお父さん、として知ってるようなもんだし(息子同士は「ウォール街」で共演)。それにしてもマーティンさん、その後スターになった時期の息子さんと瓜二つですな。あちらのカードのCMで、チャーリー=シーンがレンタルビデオ店でビデオを借りようとして(しかも「ウォール街」に「プラトーン」!)カードがないんで本人確認に手間取って待たされてるうちに老けてマーティン=シーンになっちゃう、という凄いのがあるのだが、なるほどそもそも瓜二つの父子だからこそなのだった。(2012/4/23)



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