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「大巨獣ガッパ」

1967年・日活
○監督:野口晴○原案・特技監督:渡辺明○脚本:山崎巌/中西隆三○撮影:上田宗男○美術:小池一美○音楽:大森盛太郎○企画:児井英生
川地民夫(黒崎浩)、山本陽子(小柳糸子)、小高雄二(殿岡大造)、雪丘恵介(船津)、藤竜也(ジョージ井上)、町田政則(サキ)、加原武門(長老)、和田浩治(町田)、桂小かん(林三郎)ほか




 日本の怪獣特撮映画といえば、東宝の「ゴジラ」、大映の「ガメラ」が今なお続くヒットシリーズとして君臨しているが、他の日本のメジャー映画会社である日活と松竹までが怪獣映画製作に乗り出したのがこの1967年という年。この年に東宝は「怪獣島の決戦・ゴジラの息子」、大映は「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」、松竹は「宇宙大怪獣ギララ」、そして日活が製作したのがこの「大巨獣ガッパ」である。よくまぁメジャー四社でそろいもそろってと驚いちゃうが、この時期はTVの「ウルトラQ」「ウルトラマン」の影響で怪獣ブームまっさかり。TVに押されて斜陽も見えてきた映画各社もそれに乗っかってひと稼ぎしなきゃ、ということになったらしい。
 怪獣映画は結構見てる僕だが、この日活と松竹の怪獣映画は未見だった。この夏にNHK-BSが放送してくれたおかげでこの「ガッパ」を初めて鑑賞することになったのである。

 映画が始まるといきなり主題歌が高らかに流れる。怪獣映画というよりは日活得意の無国籍青春映画系のようなムードの曲なのは、やっぱり会社の「色」というのは畑違いのジャンルでも出てしまうものだな、と思わされる。歌の終わりの「ガ〜ッパ〜ガ〜ッパ〜♪」の連呼はエンディングでも繰り返され、耳に残って当分離れない(笑)。
 雑誌「プレイメイト」(といっても別に男性誌ではなさそう)を発行する船津社長は、創刊5周年を期して「プレイメイトランド」なる南国テーマパークの建設を構想、南太平洋の島々にスタッフを派遣して珍しい南国の動物たちを集めさせる(なお、ついでに南国美女たちも従業員としてスカウト、「野性味あふれる手料理」「原始的なショー」を提供する、なんて言っちゃうあたり、今なら問題になりそう)。南太平洋・キャサリン諸島に向かった「プレイメイト」の記者・黒崎(演:川地民夫)とそのカメラマン・小柳(演;山本陽子)、生物学者の殿岡(演:小高雄二)らの一行はオベリスク島という火山島に到着、昔日本軍が来たので少し日本語が通じる現地住民と交流するうち、住民たちが崇める謎の石像を発見。その石像が突然崩壊したのでその奥の洞窟に入っていくと、そこには地底湖があり、巨大生物の骨と卵が見つかる。
 住民たちが「ガッパ」と恐れる怪物の卵が孵化すると、「ガッパ」の赤ん坊が誕生。一行はそれを捕獲し、日本へと連れ帰る。プレイメイトの船津社長は思わぬ目玉商品を手に入れたことで大喜び、さっそく秘密の研究所でガッパの子供を飼育し始める。ところが実はガッパの「両親」が存在していて、成長した子供ガッパが親へSOSを発すると、ご両親は子供を取り返すべく日本へ来襲。熱海、河口湖、そして東京の工業地帯へと暴れてゆくことになる。

 こうやって大雑把なストーリーを書いてみると、「どっかで聞いたような」話がいっぱい。ショービジネスのために南海の孤島から怪物等を連れてきて…という展開は「キングコング」以来のパターンだし、さらわれた存在を奪い返すために怪獣が日本を襲うという筋立ては「モスラ」とソックリ。ショービジネスやマスコミの儲かりさえすればいいという姿勢が批判的に描かれるくだりは「モスラ」「モスラ対ゴジラ」にもあるし、怪獣のスポンサーになっていかなる被害が出ようと雑誌がバカ売れすればそれでいい、という船津社長の姿勢は「キングコング対ゴジラ」のタコ社長を連想しなくもない(こっちはあんなにコミカルじゃないけど)。石像設定もなんだか「大魔神」っぽかったし…。そりゃまぁ怪獣映画なので同じような話になってしまうということはあるんだろうけど、それにしても、と思っちゃうほどパクリ感は強い。
 その一方で独自性を挙げれば、話の内容が意外に大人向け(?)という点だろうか。主役の黒崎・小柳のコンビは怪獣映画では珍しくはっきりと恋愛関係にあることが明示され、くっついたり離れたり三角関係になったり、といった日活的(?)な青春映画路線が節々にはさまる。これと船津社長とその娘の父子関係の揺れ動きが同時並行で描かれ、最終的にはガッパ一家を見て「仕事一辺倒で人間として大切なことを忘れちゃイケナイ」と登場人物たちが悟り、家族・恋人の関係が見事に修復してハッピーエンドになる。短い時間できっちりまとまっていく脚本は見事なもんだと思ったけど、カメラマンというキャリアウーマンな山本陽子が最後に「玉ねぎを刻んでおむつを洗う」ような専業主婦になるわ、とえらく保守的な結論になってしまうあたりは、まだまだ「時代」を感じてしまう。
 
 この映画ではガッパが「夫婦」二体で襲ってくるので破壊被害は単純計算で二倍。ガッパはジェット機並みの速さで空を飛び(ラドンみたい)、口から放射火炎を吐き(ゴジラみたい)、ひたすら子供を求めて足や手で手当たり次第に行く手をさえぎる建物を破壊する(この辺はモスラみたい)。これまでに出てきた怪獣の寄せ集めみたいな能力なのだが、二足歩行で目や口の動きで表情もあり、かなり人間臭くもある。
 未確認なのだがこのデザイン、おそらく日本の「カラス天狗」を下敷きにしてるんじゃなかろうか。そう思ったのは姿の類似性もさることながら、あの「ウルトラマン」も企画初期段階ではカラス天狗をモチーフにしたデザインも検討されていたという事実があるから。カラス天狗は悪さをする妖怪の一種ではあるけど、日本人にとっては「神」あるいは「神の使い」でもあり、人間たちが恐れつつも親しみを感じてしまう怪獣の原型としてうってつけ、ということなのかもしれない。(…と、書いてから調べてみたらウルトラマンの初期段階「ベムラー」も「ガッパ」も同じ渡辺明がデザインしていた。となれば当然同じ発想があるだろう)

 怪獣映画の見せ場と言えば都市破壊。日活としては初挑戦ながらヒットをあてこんだ怪獣映画だけに結構力は入っていて、同時期のゴジラやガメラの映画と比較しても遜色はないと思う。そりゃま、CGに慣れた今となってはミニチュア特撮がチャチに見えてしまうのは仕方ないが、最初のスペクタクルとなる熱海襲撃シーンはミニチュアも精巧につくられ、細かく砕けるように破壊されていく映像はなかなかリアル。自衛隊か米軍の戦車が出動してガッパの放射火炎に燃やされてしまうシーンも、ゴジラシリーズの類似シーンのパクリには違いないが、戦車のミニチュアもなかなか精巧で壊れ方も結構迫力がある。原案および特撮を担当したのは長年円谷英二の片腕をつとめ、この時期独立の特撮専門会社を興していた渡辺明であったと聞けばその出来とゴジラシリーズとの類似に納得する。戦車にマニアックにこだわる人だったと知れば、あのシーンも納得だ。
 ミニチュア以外に多用されるのが実景との合成画面。熱海の町を逃げ惑う温泉客たちのバックにガッパの巨大な姿がさりげなく入るカットは今見ても遜色ないと思うし、直前まで芸者さんをあげてにぎやかだった宴会場(こういう描写があるところも他社と違うところ)の天井が崩れて破壊されるカットも、一瞬なんだけど「おおっ」と驚かされる。熱海と言えば「キングコング対ゴジラ」で熱海城が破壊された前例があるけど、温泉観光地の楽しい夜が怪獣の襲撃を受けるというシチュエーションは組み合わせの妙を感じる。
 このあと京浜工業地帯を破壊するスペクタクルもあるけど、予算を熱海破壊に注ぎ込んだのか、スケールがある割には描写に手抜き感が。そして羽田空港でガッパ親子は再会、なかなか空を飛べない子供を両親が手本を見せたりして(この辺は「ゴジラの息子」っぽくもあるけど同年公開なので参考にできたかどうか)、ようやく親子三人で空を飛んで去っていく光景は結構泣ける。怪獣たちに人間的な「感情」を表現させた異色のシーンで、怪獣ブームに便乗しつつ「ファミリー映画」ならではという気もする。

 ところでこの「ガッパ」が住んでいた南太平洋の島にあった石像について「イースター島の石像とソックリ」というセリフがあるのだが、なぜかどう見てもモアイには似ていない。特撮スタッフがモアイの姿を知らなかったのか、はたまた分かっちゃいたけどこの場面には似つかわしくないと思ってあえて変えたのか。この石像がイースター島のモアイに似ていることから「太平洋の島々はむかし陸続きであった」という話、いわゆる「ムー大陸伝説」がチラッと語られるのだが、本筋にはほとんど絡んで来ない。「平成ガメラ」みたいに超古代文明が怪獣を作った、みたいな話に行くのかな、と思ったらそれはなかった。味付けくらいに考えていたけど、1時間半を切る時間内でそこまでは踏み込めなかったのかな。(2015/11/6)




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