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「海底二万哩」
20000 Leagues Under the Sea
1954年・アメリカ
○監督:リチャード=フライシャー○脚本:アール=フェルトン○撮影フランツ=プラナー○美術:ジョン=ミーハン○特殊効果:ジョン=ヘンチ/ジョシュア=ミードー○音楽:ポール=J=スミス○原作:ジュール=ヴェルヌ
カーク=ダグラス(ネッド)、ジェームズ=メイスン(ネモ)、ポール=ルーカス(アロナクス)、ピーター=ローレ(コンセイユ)ほか


 

 「哩」は「マイル」と読ませる。原題は英語で「League(リーグ)」、仏語で「Lieue(リュー)」となっているのだが、日本では昔から「マイル」になってることが多い。たまに「里」になってることもある。実際には「リーグ」と「マイル」はまったく別物なんだけど、日本では「リーグ」になじみがなかったこともあって「マイル」にしちゃっていたらしい。これを漢字で書いているところが1950年代公開映画の邦題らしいところだ。
 さて、原作はあまりにも有名なジュール=ヴェルヌの古典SF。なんだけど、恥ずかしながら僕はこれまでこの原作を全訳だろうが子供向け抄訳だろうがまったく読んだことがない。ヴェルヌというと「月世界旅行」と「二年間の休暇」(いわゆる「十五少年漂流記」)は読んだんだけど、なんとなく手を付けてこなかったのだ。この映画がBS民放で吹き替え&若干カット版で放映されていたので見てみたのだが、その前に原作を読んでおいたほうがいいかなぁ…とも思ったのだけど、結局読まずに映画を見ることにした。
 製作はディズニー。アニメで有名な会社だけどディズニー存命の頃から実写映画も結構やっている。それでもやや子供向け的な企画が多いのはやはり「ディズニー」のブランドイメージというものなのだろう。この映画も決して子供向けというわけでもないのだが、内容的には「ご家族みなさんで」っぽい作品になってることは間違いない。ヴェルヌの「海底二万マイル」の映像化はいくつか例があるそうだが、結局このディズニー版がもっとも有名、かつ成功作とされてるらしい。

 映画はジュール=ヴェルヌの原作本(英語版)が映され、それが開かれて冒頭部分が読み上げられ、そのまま本編内容に入っていくという作りになっている。じゃあ原作のままなのかというとそうでもなく、終盤ではほとんど別の話になってしまうのだが…。
 世界各地の海で次々と謎の海難事故が発生する。それも何か巨大な怪物のようなものに襲われ、沈められたという、ホラータッチな始まり方だ。フランス人海洋学者のアロナクス(ポール=ルーカス)とその助手コンセイユ(ピーター=ローレ)は事件の調査を依頼されてアメリカの船に乗り込む。その船にマッチョなモリ打ち船乗りネッド(カーク=ダグラス)が乗りこむのだが、この映画ではこのカーク=ダグラス演じるネッドがトップタイトルで主役扱い。原作どおりアロナクスが語り手役であり、謎の男ネモ船長(ジェームズ=メイソン)も実質主役みたいなもんだけど、やはりアメリカンなキャラが主役じゃないとダメ(原作ではカナダ人設定らしいが)だというハリウッドの法則にしたがったところもあるんだろう。
 このネッドが冒頭、西部劇セットそのまんまの町中で大立ち回りを演じる場面は、この話が1868年(明治元年!)という時代設定であることを実感させてくれるが(そういえばヴェルヌの「月世界旅行」も南北戦争直後のアメリカの話だったな)、この場面でネッドが娼婦とおぼしき女性二人を連れ歩いているが、この映画で女性が登場するのはここだけ。今やったら確実に全編通して出る女性キャラを作っちゃうだろうが、さすがにそこまではやらなかった。潜水艦映画に女性が出てくるのはどうも、という判断もあったかもしれないが。

 太平洋をくまなく探しまわったアロナクスたち、何も見つからずあきらめかけたところで、他の船が「怪物」に撃沈される場面を目撃、さらに自分たちの乗る船も撃沈されて、アロナクスとコンセイユ、そしてネッドの三人だけがかろうじてボートに乗って漂流。そして怪物の正体である超近代的な潜水艦「ノーチラス号」を発見して乗りこむ。艦長のネモは彼ら侵入者を冷酷に殺そうとするが、結局はこの三人をノーチラス号の「客」として扱うことになる。
 さて、このノーチラス号。原作小説でももちろん登場しているのだが、執筆当時、「潜水艦」は構想こそされていたけど(潜水艦のルーツで実戦で利用された最初の例は南北戦争にある)、この小説のように世界の大洋をまたにかけて自由自在に動き回るようなものはまさに「SF的存在」だった。しかしこの映画が製作された1950年代ともなると原子力潜水艦が実現しており、その世界初の原潜の名前がずばり「ノーチラス」であった。もちろん「海底二万マイル」にちなんでつけられたわけだが、アポロ計画にソックリな『月世界旅行』ともどもヴェルヌの先見性を示す事例とされる。この映画はその原潜「ノーチラス」が実現した直後に製作されているため、劇中のノーチラスの描かれ方はデザインこそちゃんと19世紀SF風味にしてあるけど、その動力はあきらかに「原子力」のイメージで作られている。直接的には示されないが、劇中の時代では本来ありえないOパーツ的な技術が使われているらしい表現がなされていて、現代人には「原子力」だとわかるようになってるわけだ。

 その艦長のネモ、原作でもよく知られる特異なキャラクターなのだが、この映画では名優ジェームズ=メイスンが演じていてなかなかのハマり具合。メイスンというとロンメル役でも知られるが「北北西に進路を取れ」の悪役も印象的で、こういうかなり屈折した変人もなかなかサマになる。未読ながら原作でもそうらしいのだが、陸上を徹底して嫌い、何でもかんでも海から得て海の中で生活することをポリシーとしているのだ。
 アロナクスたち三人が「客」として扱われ、食事をふるまわれるシーンが面白い。子牛の肉やラム肉かと思って美味しく食べていたら、その正体は海ヘビの切り身やフグにホヤのドレッシングをかけてあぶったもの。クリームはマッコウクジラの乳、デザートはナマコの砂糖煮とかタコのハラコのソテーである。材料を聞くまでは美味しく食べているのだが、正体を聞いたとたんに「オエッ」と食欲を失う三人。しかし日ごろ海産物を食ってる日本人からするとそれほどショックは受けない材料ばかりで、この辺は欧米人との食文化意識の差であろう。むかし聞いた話だが、ノリ巻きを欧米人に美味しく食わせてから「ノリは海藻」と教えると激しく拒否反応を示された例があるらしい。ま、最近は寿司が世界的に広まったからそこまでのことはないかもしれないが…逆に僕なんかは「子牛の…」とあからさまにやられると拒否反応を起こすだろうな。

 後半、「巨大イカ」がノーチラス号を襲ってくるシーンがなかなかの見せ場になっているのだが、西洋においてこういう巨大なイカやタコの化け物が船を襲うというイメージが昔からあるのも、やっぱりそういう海産物に今一つなじみがないからかもしれない。日本だとタコとかイカというとどうもユーモラスなイメージが先行しちゃうし。
 もちろん「ダイオウイカ」という巨大生物が実在するからこそ、そういう伝説が生まれたという背景もあるだろう。ダイオウイカは先ごろNHKなどが深海で生きている様子を初めて撮影して話題を呼んだが(劇場公開までするんだってねぇ)、あれは海の中だからこそあのデカい図体で動けるのであって、海上にあがったとたんに自らの重さを体を支えきれず崩壊してしまうはず。この映画のようにSF風触手怪物のように派手に暴れることはできないはずなんだよな。
 この巨大イカに襲われる場面は原作にもあるんだそうだが、ヴェルヌは想像で勝手に書いてるわけで…あの「二年間の休暇」の島だって動物関係は滅茶苦茶だったもんな。映画の中である島に上陸したらそこの「土人たち」(あえてこういう書き方をした方が的確だと思う)に襲われる描写なんかも、今だといくらか配慮が必要と言われそうだ。
 それはそれとして、この映画は製作時期から考えれば特撮面でも結構見せてくれる。巨大イカの襲撃シーンの動きもそうだが、水中探索の場面やノーチラス号が船を撃沈するミニチュア撮影もなかなかリアルなものだし、ノーチラス号内部のさまざまなメカデザインもいかにもそれっぽく秀逸。

 映画の後半になると原作とだいぶ違ってくるらしいのだが、原作未読でもあるしあまりネタばれは語りたくない。ただ、ラストの島の大爆発は明らかに「核爆発」だよなぁ…時期的に言うとビキニ環礁の水爆実験なんかが生々しいころでもある。
 そういった科学文明のなんとやらを考えさせるテーマも含んではいるし、主人公たちは助かるとはいえ悲劇的要素も多いラストになるんだけど、そこは明るく楽しいディズニー映画。やたら芸達者なアシカくんが出演して笑いをふりまくし、カーク=ダグラス演じるネッドもチョコチョコ細かいギャグをやってくれてそこそこに飽きさせない工夫はある。しかし標本を漬けているアルコール、確かにアルコールではあるんだろうけど「酒」として飲むのはまずいんじゃなかったっけ?

  最後に監督について。リチャード=フライシャーなんですなぁ、これが。特に大監督扱いされる人ではないのだが、SFならこの「海底二万哩」のほか「ミクロの決死圏」「猿の惑星」もやってるし、戦争大作「トラ・トラ・トラ!」(当初共同監督だった黒澤明は相手がフライシャーと聞いて不満だったと言われる)、主人公の死後たった2年で作った「ゲバラ!」まで手がけていて、なかなか器用な映画作家だったんじゃないかと思える。彼の父親がウォルト=ディズニーのライバルだったアニメ作家「フライシャー兄弟」の一人・マックス=フライシャーだというのは実はつい最近この「海底二万哩」を見たあとになって知ってちょっと驚いたのだった。この映画の監督を手がけることになったのもディズニー本人の抜擢だったそうだが、そこにアニメ関係の個人的な思いが絡んでいるのかどうかは知らない。(2013/7/10)




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