「マイノリティ・リポート」 Minority Report 2003年・アメリカ |
○監督:スティーブン=スピルバーグ○脚本:スコット=フランク○撮影:ヤヌス=カミンスキー○音楽:ジョン=ウィリアムス |
トム=クルーズ(ジョン・アンダートン)コリン=ファレル(ダニー・ウィットワー)サマンサ=モートン(アガサ)マックス=フォン=シドー(ラマー)ほか |
これ、劇場公開時に見に行くつもりが結局見逃し、公開から半年ぐらいかかってようやくDVDで借りてきて鑑賞する事になった作品だ。原作はフィリップ=K=ディックのSF短編小説。ディックはSF作家の中では意外に映画との縁がある人で(生きているうちはあまり恵まれた作家ではなかったのだが)、「ブレードランナー」「トータル・リコール」、最近だと「ペイチェック」なんかが彼の小説を原作にしている。これら映画化されたディック小説に共通しているのは「記憶」というキーワード。「ブレードランナー」はニセの記憶を植えつけられた人造人間の話だったし、「トータル・リコール」もやはりニセの記憶を植えつけられた男が本当の自分を求めて冒険する話だった。前者は原作から離れつつ(ディック自身不満だったとか)そのスタイリッシュな映像美と哲学性でSF映画史上の名作となったが、後者はシナリオはよく出来ているものの監督したのがゲテモノ好き(笑)のポール=バーホーヴェンであったこと、どう見ても普通の人間じゃないアーノルド=シュワルツェネッガーが主演したこととが災いし、かなり品の悪いB級アクション映画と成り果ててしまった。 さて、本作「マイノリティ・リポート」だが、これも設定はいかにもディック原作らしく(僕は原作は未読だが)やっぱり「記憶」の問題が絡んでくる。ただし、扱われているテーマは「予知」、言いかえれば「未来の記憶」だ。 時は近未来。「プリコム」と呼ばれる三人の予知能力者を使った犯罪防止システムが完成している。「プリコム」たちが殺人事件など凶悪犯罪を予知し、被害者と加害者の氏名を明示、そして殺人事件のイメージを描き出すのだ。主役のトム=クルーズはこの犯罪防止システムの捜査官で、「プリコム」たちが提示する情報から「被害者」「加害者」を割り出し、未然に殺人を防いで「加害(予定)者」を逮捕するのが仕事。この映画の冒頭20分ほどでこの犯罪防止システムが実際に機能している様子が描かれるが、これがなかなかに面白い。 そもそも犯行を未然に阻止するからには当然犯罪を行っていない段階で人を逮捕しなければならないわけで、ハッキリ言って人権問題(笑)。そこはさすがに「人権の国・USA」だから「プリコム」の予知が提示されると法律家と思しき立会人2名が「予知映像」を見届けて承認した上で「捜査」にとりかかることになっている。この「捜査」だが、「プリコム」たちの脳内から取り出した膨大な予知イメージ映像を大画面に表示・操作していくもので、さすがは近未来、キーボードもマウスも使わない、全部「手」で操作していくのだ。この場面、実にカッコいい映像なのであるが、なんだか体操しているみたいで(笑)実際に出動するまでに体力を大きく消費しちまう気がする(笑)。その一方で被害者・加害者の氏名はボールに刻まれ、大昔のSF映画の研究室セットを思わせる長いガラス管(?)をゴロゴロと転がって吐き出されてくるというえらくアナログな仕掛けなのが笑える。もちろん映画的表現というやつで、なかなか効果的に使った箇所もあるのだが… 「事件現場」と「犯人」が特定されると、トム=クルーズたち捜査官は現場に急行、すんでのところで殺人を未然に防ぎ、「犯人(予定者)」を逮捕する。この冒頭のシーンはハリウッドアクション定番の「時間がないぞ!間に合うのかっ?」的な緊張感が漲ってなかなかの見所なのだけれど、結局は事前阻止に成功する。しかし見ている側としてはやはり釈然としないものは残る。「犯行未遂」なのに逮捕しちゃっていいのか(実際すんでのところで考えを変える可能性はある)、結果的に阻止できたということはプリコムたちの「未来予知」との矛盾が生じるのではないか?など疑問は多々出てくる。まぁこういうのは時間テーマには常につきまとう問題で、この映画の中でもちょこちょこと「自己ツッコミ」をしてはいる。ただあくまでちょこちょことであって、深入りはしていない。 トム=クルーズ演じる主人公のジョンは幼い息子を何者かにさらわれたという悲しい過去をもっている。だから犯罪を未然に阻止するこのシステムに参加したわけ。しかし心の傷は癒せず、妻とも別居し夜には自宅で息子や妻の立体映像を見て自らを慰めたり、麻薬に溺れたりもしている。まぁこの辺もこの手の刑事もの(?)ばなしの典型の一つではあるだろう。 そしてここからいよいよディック的世界へ突入。「プリコム」がある殺人事件を「予知」するのだが、その「犯人」はなんとジョン=アンダートン、彼自身だった!全く身に覚えが無い(そりゃそうだ、未来のことだもん)、しかも自分が殺すことになるらしい相手の男も全く見ず知らずの人間。驚いた彼はとりあえず逃げる(笑)。ここからはまさにSF版「逃亡者」みたいな展開で、近未来の都市を舞台にした追いかけっこ&真相究明のドラマが展開されてゆく。 しかし厄介な事にこの近未来世界では町のいたるところに角膜チェックのセンサーがあり、あちらこちらで瞬時に個人を識別してしまうのである。凄いのは街中の広告までが角膜チェックで個人を識別、その人向けの宣伝文句を言ったり勧誘をしたりしてくること。こんな社会が実現したら鬱陶しいったらありゃしないだろうなぁ… とにかくこのままではすぐに身元がバレるってんで、ジョンは目玉の交換手術という思い切った手段に出てしまう。そして真相究明のため「プリコム」に接近するため取り出した自分の目玉を手に(ビニール袋に入れているだけ…要冷蔵でお願いしたいところだ)自分の職場へと潜入していく。ここでも関係者のチェックは角膜で行っているから外した自分の目玉を使ってそのチェックを通過するというわけなのだが…目玉単体(笑)でこういうチェックを切り抜けられるのか、かなり疑問を感じちゃったんだけど。さらにはいざ使おうとして目玉を取り出そうとしたら、袋から落っこっちゃって坂道をコロコロコロ…というシーンには大爆笑。転がる自分の目玉を必死で追いかけるトム=クルーズ、というなんともシュールなシーンだったのだが、このあたりから「この話、作り手は真面目に作ってるのかどうか」という疑問が頭をよぎり始める。実はこの目玉、話の最後まで適当に駆使されていて、まさにこの映画の「目玉」となっているのであった(映画中でもこの手の寒いギャグを使ってました)。 この手の予知・予言話というやつは主人公がそれから逃れようとあがけばあがくほど結局予言どおりになってしまう、というのが「オイディプス王」以来の定番。この話もご多分にもれないわけだが、主人公ジョンはシステムの開発者から「プリコム」の予知のうち「少数派の意見(=マイノリティ・リポート)」は破棄されることになっていて、それが正しかった場合「冤罪」もありうるとの話を聞きだして、それに一縷の望みをかけてプリコムのうちもっとも優秀な能力を持つ女性「アガサ」を連れ出す。この「少数派の意見」がタイトルの由来であるわけなんだけど、話が展開するうちそれはどうでもいいことになってっちゃうんだよな。このあたりはかなり肩透かしをくらった思いだ。 さて、以下はネタばれ込みで。 逃亡しつつ真相を追ううち、ジョンは自分の息子の誘拐の背後事情に迫っていく。そして自分が何者かの罠にはめられていることに気づいてゆくのだが…実は彼を追い詰める「真犯人」は犯罪予防システムの管理者であり彼にとって父親的存在でもあるラマーなのだ!…ってビックリしたように書いたけど、映画で見てると最初から丸分かりです(笑)。一見悪役に見える、いわばダミー悪役としてコリン=ファレル演じるウィットワーがいるが、彼はいち早く真相に近づいてしまい、ラマーに殺されてしまう。 この殺害場面でラマー自身が「殺人が予知されてない」ことに言及しているが、どうもこのあたりからシナリオに破綻が目立ってくるような…見ていていろいろとツッコミ疑問がわいてくるのだが、置いてけぼりのまま話は大急ぎで終局に向かい、なんかよくわからないうちにハッピーエンド?なラストになってしまう。ジョンさんの息子さんは結局殺されていたようなんだけど、その辺の説明もキチンとしてくれてなかったような… それと終的にシステム推進者がそれを利用した犯罪を行っていた事で犯罪予防システムは廃棄される事になっちゃうんだけど、こんな美味しいシステムをアッサリ廃棄するというのもどうか。実際犯罪予防にはてきめんの効果があったわけで、裁判・刑罰関係さえちゃり有用なシステムに思えるんだけど 見終えた感想としては、スピルバーグ監督作品としては異例なほどの駄作、というところ。モチーフは面白いのに、ただの追いかけっこアクション&ご都合展開の娯楽サスペンスに堕ちてしまった。本来のテーマ「予知による犯罪防止」に話を絞って練り込めば傑作SFになったかもしれないので残念。まぁシナリオが大変なのは分かるんだけどさ。(2004/3/18) |