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「空の大怪獣ラドン」

1956年・東宝
○監督:本多猪四郎○特技監督:円谷英二○脚本:村田武雄/馬淵薫○撮影:芦田勇(本編)/有川貞昌(特撮)○音楽:伊福部昭○原作:黒沼健○製作:田中友幸
佐原健二(河村繁)、白川由美(キヨ)、小堀明男(西村警部)、平田昭彦(柏木博士)ほか




 僕が東宝特撮作品にハマったのは「ゴジラVSキングギドラ」(1991年公開)を劇場で見てからのことだから結構遅い。それをきっかけにあれこれ古い作品を見るようになると、それを聞き知った大学の同じ学科の後輩の特撮マニアが「では、ぜひこれを見て」と何本か怪獣映画のビデオテープを貸してくれた。その中にこの「空の大怪獣ラドン」が紛れこんでいたのだ。それ以来、実に20年ぶりくらいにこの映画をDVDで鑑賞したのだが、公開当時に見ているわけはないのにそういう事情もあって、非常に「懐かしい映画」だった。

 1956年公開作品で、東宝特撮怪獣映画初のカラー作品。画面もまだ4:3のスタンダードサイズなので、今になって鑑賞するとなんだか一昔前のTV特撮ドラマを見せられているような感じもある。だが内容的には最初の「ゴジラ」同様になかなかに恐怖映画チック、かつ大人の鑑賞に堪えるものとなっていて、「怪獣映画」がまだ子供向けではなかった時代というのがよく分かる。
 なにせ怪獣映画のくせに主役の怪獣が出てくるまでの時間が長い。物語は九州・阿蘇地方の炭鉱から始まり、その坑内で怪事件が続発。主人公の炭鉱労働者・繁(実質デビュー作だった佐原健二)は坑内を調査するうちに「メガヌロン」というヤゴの怪物に出くわす。そして坑内で何かもっと恐ろしい物を目撃するのだが、酸素不足かショックのあまりか記憶を喪失してしまう。やがて超音速で飛ぶ未確認飛行物体の目撃が相次ぎ、阿蘇に観光に来て行方不明になったアベックの写真に大きな鳥のような影が映っていた…

 という調子で話は進み、怪獣映画の第一作「ゴジラ」と同様に謎の怪事件で観客の恐怖をあおり、なかなか怪獣本体が姿を現さない。実のところメガヌロンだけでも一本映画が作れそうな気もするのだが(笑)、それはあくまで主役登場前の「前座」に過ぎない。ウィキペディアに出ていた話では人間と同じくらいの怪獣を出して巨大怪獣と対比させようというアイデアは黒澤明から出たものだったとか。黒澤自身は特撮映画は撮ったことがないし、後年「連合艦隊」の時に「本物の軍艦があるわけでもないのに」と企画に批判的な発言をしたと聞いているのでちょっと意外な気もするが、本多猪四郎監督とは助監督時代からの大親友で、「海底軍艦」の試写をこっそり楽しげに見てた、といった逸話もあるので「俺がやるなら…」くらいのことは考えていて、アイデアだけ提供したのかもしれない。「キングコング対ゴジラ」に出た藤木悠の証言だと、本多監督に「黒澤さんがゴジラを撮ったらどうでしょうね?」と藤木が聞いたら本多監督は「面白いんじゃない?」と答え、それを聞きつけた東宝幹部が「黒澤さんが本気にしたら会社がつぶれるぞ」と怒った、なんて話もあったそうだし。

 このジワジワと恐怖がつのっていくところが、面白いと言えば面白いんだけど、さすがにこの映画では「ため過ぎ」という気もする。派手なスピード感が売りの空飛ぶ怪獣だけに、出し惜しみしないでもっと早く出してもよかったんじゃないかと。実際、このあとの怪獣映画でここまで「ため」ている例はない。メガヌロンのアイデアはあとで「ゴジラ」(1984)のショッキラスに流用されてる気はするけど。
 なんだかんだで主役のラドンが姿を現すのは実に1時間近くが経ったころ(残り30分ちょっとしかないんだよね)。姿を現したラドンは佐世保を襲撃(二度ほど行ったことがあるのでチラッと映る当時の駅前の光景が興味深かった)、当時完成したばかりの西海橋を真っ二つに破壊する。このシーンはこの映画の最初の見せ場(もう映画後半だけど)で、単独の建物を破壊する場面としては非常に手間のかかったスペクタクルシーンになっている。水しぶきの大きさからもあからさまにミニチュアと分かってしまうのでCGを見なれた今から見ればチャチに見えてしまうのは仕方ないが(まぁ当時はそれはそれとして割り切っていたのだと思う)、模型マニアとしては嬉しくなっちゃうほど精巧な手作りミニチュアが重厚感をもって破壊される名場面となった。本多監督作品にはつきものの、「避難する人たち」の本編映像もばっちり挿入されていて、結構人やバスを動員したおかげもあってこのシーンのリアルさに貢献している。

 そしてラドンは大都市・福岡を襲撃する。怪獣映画史においては首都東京を除くとこの福岡市がなぜかしばしば怪獣に襲われるが、これがその第一弾だった。この映画では西鉄福岡駅にラドンが舞い降りる当たりが最大の見せ場で、時々紛れこむ実写、破壊されるミニチュアビルの窓に映しこまれた逃げる人々、自走するミニチュア戦車などなど、当時におけるミニチュア都市破壊の最高の成果を見せてくれる。初のカラー作品ということもあってぼんやりしている白黒よりもアラが目立ってしまうからよけいに気合をいれたんだろうと思う。破壊された商店街が燃えあがるカットなどはまさに実写と見まがうほどだ。それにしてもまだこの当時は建物が低かったんだなぁ、とも思わされる。炭鉱のシーンともども高度成長の入り口のころの日本が見られるということでは「歴史映画」でもあったりする。

 この福岡襲撃シーンで、突然ラドンがもう一匹(一羽?)出現する。これは前フリも何もなかったので観客も混乱してしまうということで海外版では二匹いることを明示するカットも挿入されているという。なんで二匹にしたのか不思議なのだが、原作の段階でそうなっていたからだろうか。あと、ラドンの設定で気になるのは「放射能」の件。ゴジラ同様の設定なんだろうけど、阿蘇にいるラドンがどうして眠りから覚めて「怪獣化」したのか今一つ明確ではない。核実験を世界各地でやってるから地球環境が変化して…ということなのかもしれないけど。そういえばこの時期に「地球温暖化」がささやかれていることを示唆するセリフもある。
 ま、いろいろと疑問もわくけど東宝怪獣映画の世界では平田昭彦の博士がもっともらしく説明しちゃえばそれで納得されられちゃうのであった(笑)。

 今さらネタばれというほどでもないから書いてしまうが、最後に二匹のラドンは噴火した阿蘇山に落ちて死ぬ。帰巣本能が使われるあたりは1984年版ゴジラと構造は一緒だったりする。このシーンでは溶岩を描くために溶けた鉄を使ったそうで、ラドンを釣るピアノ線が切れて予定外の落ち方をしてしまったがそれがかえって哀れさをもよおす名シーンになった、というのは語り草だ。
 しかしラドンもゴジラ同様に死んでなかったことにされ、「三大怪獣地球最大の決戦」であっさり復活。その後もゴジラシリーズにチョコチョコと端役で出ることになるが、モスラのように一本立ちはとうとうさせてもらえなかった。「速く飛ぶ」というだけでこれといった特徴もなく、個性が今一つなかったのが原因なのかも。
 ところでラドンはなぜか英語版では「Rodan」にされている。理由は明確には分からないらしいが、たぶん元素の「ラドン」と紛らわしいからではなかったか、と英語版ウィキペディアでは説明されている。あと「プテラノドンの怪獣だからラドン」というのが日本語的な省略なので向こうの人にはピンとこなかった、ということもあるのかも。僕はこの英語名をPCエンジンの格闘ゲーム「ゴジラ爆闘烈伝」で知ったのだが、最初に「Rodan」と表記されているのを見た時は事情も知らずに「誤植だ!」と喜んじゃったりしていたっけ(笑)。(2013/3/1)




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