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「スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ」
Star Wars: The Last Jedi
2017年・アメリカ
○監督・脚本:ライアン=ジョンソン○撮影:スティーブ=イェドリン○音楽:ジョン=ウィリアムズ○製作:キャスリーン=ケネディ/ラム=バーグマン
デイジー=リドリー(レイ)、マーク=ハミル(ルーク)、アダム=ドライバー(カイロ・レン)、キャリー=フィッシャー(レイア)、ジョン=ボイエガ(フィン)、ケリー=マリー=トラン(ローズ)、オスカー=アイザック(ポー・ダメロン)、アンディ=サーキス(スノーク)、ローラ=ダーン(ホルド将軍)、ベニチオ=デルトロ(DJ)、アンソニー=ダニエルズ(C−3PO)ほか




 この「栄耀映画徒然草」も始めてからずいぶんになるが、「スター・ウォーズ」シリーズについて書くのはこれが初めて。もちろんこのサイトが時々思い出したようにしか更新しないからそうなったのであって、同シリーズは当然大好きであり、これまでの全シリーズをちゃんと見ている。この2017年初めには外伝の「ローグ・ワン」も見てるから、一年のうちに劇場で二本もSWシリーズを見てしまっているわけだ。

 説明不要だろうが一応書いてしまうと、この「最後のジェダイ」はSWシリーズ本伝(?)の「エピソード8」である。そしてジョージ=ルーカスの手を離れてディズニー傘下で製作される新三部作(製作自体はルーカスフィルムだけど)の第二作目にあたる。ストーリーは前作「フォースの覚醒」のラストシーンからの即続きとなっていて、これは過去のシリーズが常に前作とは若干の時間経過を置いていたのと異なるので目を引いた。おかげでオープニングの例の「宇宙空間へスクロールしてゆく解説字幕」が前作の内容の復習みたいで意味のないものになってしまっていた。

 前作「フォースの覚醒」は新主人公レイ(演:デイジー=リドリー)らの魅力や最初の三部作のキャラクターたちの再登場、「エピソード4」をなぞるようなストーリーなどで、まぁそこそこ評価を得た印象はあった。少なくとも「久々のSW復活」でわいてた「エピソード1」が一部に酷評をくらった記憶と比べれば高評価だったと思う。ただ僕自身は、確かに「SW」でそれはそれで面白いけどさ、当初の原作者にして映画全体を総指揮してきたルーカスが完全排除されての続編製作ということ自体に疑問を感じていたので、どうもひっかかりを覚えていた。その「ひっかかり」はこの「最後のジェダイ」でも終始つきまとった。
 まぁルーカス本人が作ったからといって面白くなるとは限らないわけで…ただ、原作者が死んだわけじゃないんだから、その「意向」くらいは反映させたほうがいいんじゃないのかな、とは思う。僕が全然更新してないファンサイトやってるSF作家アイザック=アシモフの大河SF「ファウンデーション」シリーズ(これも映画化とかドラマ化とか噂は飛び交うんだけどねぇ)も作者死後に他のSF作家たちによる「正統続編」が発表されたことがあるんだけど、あの時の複雑な心境ににいたものがあるのだ。

 さて、本作はネタバレ回避で語るのがほとんど不可能なので、以下はネタバレ前提で書きます。




 前述のように本作は前作のラストからそのまま続いている。前作のラストでようやく登場、セリフもなかった旧三部作の主人公ルーク=スカイウォーカー(演:マーク=ハミル)は最果ての惑星の孤島で世捨て人生活をしていた。そのルークをようやく訪ね当て、ジェダイの象徴であるライトセーバーを差し出すレイ。この前作のラストに「父娘再会?」と思った人は多いのだろうが、感動の再会どころかルークは受け取ったライトセーバーをポイと放り投げてしまう!しかもレイなんて全く知らない様子で、出馬要請に対してもまったく反応なし。いきなり冒頭から観客の意表を突いたわけだが、この映画、監督の意向というかクセなのか、この「意表を突く」展開がやたらに多い。そのすべてが成功してるかどうか議論があるところなんだけど…

 映画はこのレイとルークのパートと、レイア姫(演;キャリー=フィッシャー)たちレジスタンス軍と帝国の残党「ファースト・オーダー」軍との戦いのパートに分かれ、さらに途中から前作以来の主役キャラ・フィン(演:ジョン=ボイエガ)とその相方になるローズ(演:ケリー=マリー=トラン)の冒険のパートが分かれて、大きく三つの話が同時並行する構成になっている。当初から「三部作の二作目」ということで、かつての「帝国の逆襲」に似たものになるのでは?との予想はあって、主役キャラたちがそれぞれ分かれて同時並行、というところは確かに予想どおりだった(「クローンの攻撃」も同様の構成だった)。多くの人が指摘してるが「最後のジェダイ」は何かと「帝国の逆襲」を想起させる、あるいは意識してるとしか思えない場面も多い。

 二つならともかく、三つの話の同時並行ということになると、観客が混乱するのでは…と心配になるが、この点ではシナリオはうまいこと混乱を回避して交通整理はできていたと思う。それぞれのパートで「さあ、次はどうなる?」と観客を不安にさせ、予想を裏切る展開になることもあって、飽きさせない工夫はあったし、「盛りだくさん感」は僕も覚えた。まぁいろいろと詰め込んじゃって…と。
 この三つのパートが紆余曲折の末に期せずして一か所に集まる展開は、なかなか燃えるところではあった。ただ、これも多くの人が言ってるけど、どうも展開に無駄が多いというか、「グダグダ感」があるのは確か。

 特にレジスタンス軍とファースト・オーダー軍の追跡劇で、司令部に直撃をくらって多くの指導者が失われながら(あのアクバー提督までアッサリと)、どう見ても死んだと思えたレイアがあんな調子で生き残っちゃうとか、やはり前作からの主役キャラの一人ポー・ダメロン(演:オスカー=アイザック)がホルド将軍(演:ローラ=ダーン)に疑念を抱いてクーデターまがいのことまでして指揮権を奪いながらあっさり奪回されるとか、敵の追跡を逃れるには腕利きのハッカーを連れてくれば、というフィンとローズのカジノ惑星への冒険も成り行き任せというか、ベニチオ=デルトロをこんなもったいない役で使うなよ、と思ってしまったし、そもそもこれらの作戦も結局何の意味もなく、ホルドの「特攻攻撃」で解決(?)することになってしまうとか、物語の作り方としてそれはどうなんだ、と思ってしまう点が多かった。
 なんでもこの「最後のジェダイ」、当初は脚本を「帝国の逆襲」「フォースの覚醒」を執筆したローレンス=カスダンが担当することになっていたが、監督のライアン=ジョンソンが自ら脚本を担当することにした経緯があるそうで、この「グダグダ」な感じは監督自身の趣味なのかもしれない。構成の失敗とかじゃなくて意識してやってるんだろう。実際の戦争だの冒険なのはそんなもんだ、ということなのかもなぁ。この「グダグダ」な感じが評論家受けしたらしいという点で、最近の「ダンケルク」と通ずるところがあるような。「ローグ・ワン」にもみられた、「華々しく活躍する主人公たちの陰で光も当たらず宇宙の藻屑になる多くの人たち」を描こうという、リアル志向でもあるんだろうけど、それって「スター・ウォーズ」な世界に合うものなのかなぁ。

 全体的にグダグダな中で比較的筋が通っているというか予定調和なのがレイとルークの孤島でのパートだと思う。世捨て人になってるルークだがチューバッカやR2D2ら懐かしい顔と再会(ここでR2が懐かしの「レイア立体映像」を出してきたのには、ルークだけでなく観客の多くも「ずるい」と思ったはず)、結局はレイのフォース修行の指導をすることになる。ルークが「帝国の逆襲」におけるヨーダの役回りになりそうだということは前作ラストでも予想はできたが、ここでの修業はより禅問答的というか精神論的というか、東洋神秘思想的。「宇宙の全てのものにフォースがある」という説明は、かつて日本の字幕で「フォース」が「理力」と朱子学的な訳され方をしていたのを思い出す。ルークが修行の最初に目を閉じたレイの指先を草でチョコチョコくすぐって「何かを感じます!」というくだりは笑ってしまったが、思えばヨーダも登場時は結構ギャグ調だったんだよな。

 しかしこの修行の間にレイは自らの出生について悩み、「宿敵」であるはずのカイロ=レン(演:アダウ=ドライバー)と宇宙を遠く隔てた精神交感を行って語りあってしまう。このくだり、実に映画的な演出で、まるで恋愛映画のようなやりとりだなぁと思ってみていたのだが、それがあとで二人が一時とは言え協力して戦ってしまう伏線にもなってはいる。しかし意表を突かれたのは確かだけど、ファースト・オーダーの首領(すっかり「中の人」専業のアンディ=サーキス)もえらくあっけない最期にされてしまった。前作でもどうもこの「ファースト・オーダー」の設定が納得いかなかったんだよな。
 前作で情緒不安定キャラの印象しかなかったカイロ=レンは今度の作品でようやく「キャラが立った」気がする。前作で父親を殺してしまい、今度は危うく母親まで手にかけそうになるが、そこでやはりためらいの顔も見せる。師匠であるルークとの過去、そして宿命の対面の場面など、「役者」として美味しいところが多かった。一方のレイの方は逆に何だかよくわからないキャラになってきてしまっているような…結局彼女の出自についても謎が完全に解けたようには思えないし、カイロ=レンともども次の最終章まで見届けないと全体像が分からないってことになりそう。

 ルークの方はあーだこーだと言いながら結局最後に出馬して、美味しいところをもっていってしまう。その出馬のふんぎりをつける役回りとしてヨーダ本人が出てきちゃったのにはビックリ。ジェダイの騎士たちは死んでも霊体(?)となって姿を現したりアドバイスをしたりということは過去作にもあったけど、このヨーダはかなり積極的に介入していて、これだとオビ=ワンとかみんな再登場して戦乱に介入できるんじゃないの、と思っちゃったくらい。
 宇宙戦艦特攻攻撃のクライマックスでもう話は終わったかと思わせて、さらに話は続いてこれまた「帝国の逆襲」の序盤を思わせる氷の星での土壇場へ。こういう「まだまだ終わりません」という展開、僕は大好きなのだが、時間が長くなりすぎちゃってるような。
 ここでついにルークがレイアたちの前に姿を現す。まぁ来るんだろうとは思っていたので、「いよっ!待ってました!」と昔の映画館なら声のかかりそうなところ。もっとも僕もこの出現時、「あんた、どっから出てきたの?」と首をかしげてはいたんだよな。これはちゃんと伏線になっていたわけだけど。

 かつての弟子であるカイロ=レンとルークの直接対決にはやはり燃える!というか、これってオビ=ワンとダース・ベイダーの決闘の再現でもあるわけで…広い宇宙のはずなのに狭い人間関係で同じ事を繰り返しているような…ともあれ、銃撃の集中砲火を浴びても傷一つなく、ふっとほこりを払うルークにはしびれてしまった。演じるマーク=ハミル、何十年ぶりかの花道、大見せ場である。作り手も「中の人」の役者人生を重ねつつ作ってる気がするな、このシーンは。まぁマーク=ハミル自身は本作のルーク像に不満を抱いてる様子だけど。
 このカッコいい見せ場であるが、カイロ=レンとの一騎打ちでなんと「映像」であったことが判明!はるか何光年だかの距離からフォースの念力により自身の本物そっくりの「映像」を送り込んで芝居をさせていたのである。タネを明かせば「なーんだ」という話なんだけど、フォースってそんなことまでできちゃうのか、というほとんど暴走気味という批判も出てるようで。面白いといえば面白いドンデン返しだったけどね。
 で、それで力を使い果たしてルークは「死ぬ」。そういう展開もなんだかなぁ、と思ったのだが、オビ=ワンやヨーダ同様の「姿が消える」死に方なので、おそらく今後も現世に介入可能なのだろう。見せ場を作ってもらったけど、その直後にかなり寂しい消え方をしてしまったのは、ルークってやっぱり父親同様不幸な人生なのかしら、といろいろ思うところはあった。

 その兄の死を知ることになったレイアの方は、僕の事前予想を裏切って映画の最後まで生存、最初の三部作主役三人組で最後の生き残りになってしまった。皆さんご存知のようにレイアは演じるキャリー=フィッシャーの方が死んでしまったので、次のエピソードで彼女をどうするのか大問題になってしまった。たぶん冒頭の解説内だけで「ナレ死」させるのもどうかと思うので、「ローグ・ワン」のようにCG合成するなどして話の冒頭でその死が描かれることになるんじゃないかな、と。

 映画のラストは、途中で出てきたカジノ惑星で、奴隷にされてる少年たちがルークたち「ジェダイ」の英雄伝説を物語、どうも彼らの中からもその後継者が現れそうな…というところで終わる。「帝国の逆襲」も公開時そうだったらしいが次を作るのが分かった上で多くの問題を未解決のまま終わらせてしまったので、見終えた側としてはいろいろ釈然としないというか…見てるうちは盛りだくさんの展開に結構満足させられたんだけど、終わった時の宙ぶらりん感もかなりあった。これが次の最終作を見終えた時にどうなっていることやら。

 もはや「スター・ウォーズ」は原作者ルーカスの手を離れ、いまやってる「7〜9」のあとも延々と製作されることが決まっている。ルーカス自身も一時「9部作構想」を語り、結局は6作で打ち止めとしたのだが、「7〜9」を自身の手で作る気もなかったわけではなく、独自の構想もそれなりにあったとされている。結局ディズニー側はルーカスのストーリー参加をいっさい認めなかったのだが、ルーカス自身はどういう構想をもっていたのか気になるところではある。
 そもそもルーカスって人は、ハリウッドの映画会社帝国軍に対する「反乱軍」のような立場で自主製作でこの大ヒットシリーズを作ってきた。そのルーカスがディズニー帝国に「SW」を売り飛ばしてしまったことには、かなり裏切られた気分になったものだ(そういや20世紀フォックスもディズニーに買収されてたな)。ここでひとつ、「反乱」を起こして「こっちが本来の構想だ!」という「SW7〜9」を作って本家争いを始めたりすると面白いんだが(「007」シリーズもそうなりかけたよね)(2018/2/8)




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