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「黄金の七人」
Sette uomini d'oro
1965年・イタリア
○製作・監督・脚本:マルコ=ヴィカリオ○脚本:マリアノ=オゾレス、ノエル=ギルモア○撮影:エンニオ・グァルニエリ○音楽:アルマンド・トロヴァヨーリ
ロッサナ=ポデスタ(ジョルジャ)、フィリップ=ルロワ(「教授」ことアルベール)、ガストーネ=モスキン(アドルフ)、ガブリエレ=ティンティ(アルド)、モーリス=ポリ(アルフレッド)、マヌエル=サルツォ(アルフォンソ)、ジャン=ピエロ=アルベルティーニ(アウグスト)、ダリオ=デ=クラッシ(アンソニー)、ホセ=スアレス(頭取)ほか




 イタリア映画というと人生の哀歓を感じさせるなんとやら、といった「感動名作」なイメージがあるのだが、もちろんそれはそういう作品が世界的に評価され、日本でも受けがいいので多く輸入されるため。当然それ以外にも娯楽性の強いノーテンキな作品だってたくさん作られている。これはそんなイタリア映画の一本で、なおかつ国際的にも知名度の高い作品だ。僕も見ないうちから名前だけは長いこと知っていて、NHK衛星で放映してくれたのでようやく初鑑賞することになった。

 「七人」というと誰もが黒澤明「七人の侍」を連想する。製作者が明言してるかは未確認だが、この「黄金の七人」もある程度「七人の侍」を意識したのだと思う(他に「宇宙の七人」「地獄の七人」の例あり)。ヨーロッパ各国から泥棒のエキスパートをスカウトして集めるあたりなんか、明らかにそう感じる(映画冒頭から集まってるので「集める」場面はないけど)
 映画はその泥棒エキスパートの七人(全員「ア(A)」から始まる名前になってる)+美女一人が、リーダーの「教授」(フィリップ=ルロワ)の指示のもと、スイスの銀行の前の道路に穴をあけ、地下トンネルを掘って金塊の山が眠る金庫室を目指す。それと同時に銀行側に隙を作るため、他のメンバーが客や作業員として銀行に表から乗り込み、あの手この手の作戦を展開。どっちのチームも、また同時に指揮をとる「教授」の方面も次々とトラブルが起こり、スリルの連続。これで面白くないはずがない。OPから流れる軽快でノリのいい音楽も一度聞くと忘れられない。

 以前から耳にしてはいたのだが、なるほど「ルパン三世の元ネタ」と噂されることに納得。まずドロボーさんたちの話であるのは当然として、狙うのが最新鋭の鉄壁の防御をもつ銀行の大金庫に眠る金塊の山で、それを奪取するためにスパイ映画を思わせる秘密兵器の数々を駆使、見事なチームワークを見せるところも確かにルパン三世チック。
 だがなんといっても極め付けがチームの紅一点ジョルジャ(ロッサナ=ポデスタ)が露出度過多(当時としては)なグラマー美女、出てくるたんびに服装や髪形が変化し、しかも金を見れば目の色が変わり(続編では比喩ではなくホントに変わる)、金塊奪取が成功した途端に平気で金塊をネコババしてしまう裏切り者というあたり、明らかに「不二子ちゃん」の原型である。それにだまされたように見せかけて…という二転三転もまた「ルパン三世」でおなじみの展開だ。さんざん苦労して大泥棒を成功させながら結局は元の木阿弥となってしまうところもアニメ版ルパン三世に通じるところだ(子供向けのアニメの場合、泥棒を「成功」させるわけにはいかないという事情もあったといい、恐らくこの映画も似た事情がありそう)

 ひとつ難を挙げるなら、せっかくメンバーを「七人」も登場させながら、その各自の個性の差がもう一つハッキリしないことがある。リーダーの「教授」とお色気美女ジョルジャ以外ではドイツから来た「アドルフ」ぐらいしか際立つ個性がなく(続編ではこいつモロにナチスネタやるんだよな)、それぞれ泥棒のエキスパートらしいんだけどそれを発揮する描写もとくにない。元祖の「七人の侍」や、それこそ「ルパン三世」にあるような個性がぶつかり合うアンサンブルの面白さが薄いのだ。金塊という一つの目的に向かっては結束するが、本来はそれぞれ一匹狼でお互いに出し抜こうとしているドライな関係であるところがこの映画の面白みではあるんだけど。

 映画のラストはまた最初の状態に戻り、また次なる銀行強盗に乗り出すというエンドレスなしめくくりになるのだが、すでにそこに「続編に続く」と表示されているので、最初から2作製作するつもりだった、ということなんだろうか。1作目の成功を受けて2作目は大きなスケールアップが図られるが…という話は「続・黄金の七人 レインボー作戦」の方で。(2012/2/15)



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