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「ジョーズ」
JAWS
1975年・アメリカ
○監督:スティーブン=スピルバーグ○脚本:ピーター=ベンチリー/カール=ゴッドリーブ○撮影:ビル=バトラー○音楽:ジョン=ウィリアムズ○原作:ピーター=ベンチリー〇製作:デヴィッド=ブラウン/リチャード=D=ザナック
ロイ=シャイダー(ブロディ)、ロバート=ショー(クイント)、リチャード=ドレイファス(フーパー)、ロレイン=ゲイリー(エレン)、マ−レイ=ハミルトン(ボーン市長)ほか


 

 言わずと知れた、サメ映画の大ヒット作。というか、この映画が出現したために「サメ映画」というジャンルができてしまった、と言っていい。そして監督が当時まだ28歳のスティーブン=スピルバーグで、彼がヒットメーカーの道を突っ走り始める契機となった作品としても映画史上に名を遺した。スピルバーグはテレビ映画(「刑事コロンボ」や「激突!)を除いた劇場公開映画はまだこれが2作目だったというから凄い。

 この映画、まずベストセラーになった原作小説が存在する。実際に起こったサメ襲撃事件をモデルに、サメの生態に関する記述も含めてまとめたリアル系動物パニック小説といったものだったらしい(僕は未読。なんとなく日本なら北海道のヒグマ被害ばなしの映画化に近い気がする)。ベストセラーとなれば映画化、というのは定番の現象で、原作者のピーター=ベンチリーは脚本製作にも参加はしている(あとリオイーター役でカメオ出演してる。祖父が俳優だったそうで)。しかし脚本化はかなり難航したらしく、クレジットされてるカール=ゴッドリーフが中心になってまとめたものの、ノンクレジットであのジョン=ミリアスらが参加、しかも撮影開始に間に合わなくなり、そのあとは撮影しながら夕食後にスタッフ・キャストが相談して翌日の撮影展開を決めてシナリオを同時進行で作るという、「香港映画方式」みたいな状態になっていたという。

 このため俳優たちのアドリブも増加、ストーリーも単純化(原作ではブロディの妻とフーパ―が不倫したりするそうで)および大幅改造が加えられ、原作者ベンチリーはおかんむり。「スピルバーグは永久に二流監督だ」と言ったとか言わないとかいう逸話まであるが、少なくとも映画としてはスピルバーグの狙いがまんまと当たった形。思えばスピルバーグがのちに撮る「ジュラシック・パーク」も原作からかなり単純化・変更して派手な展開やサスペンスで引っ張り、「ジョーズ」の再来みたいに言われていたものだ。どちらも人間が「喰われる側」にまわるという、生物の本能的恐怖に触れる映画だ。

 アメリカ東海岸に面した田舎町アミティ、その海岸で若者たちがキャンプファイヤーを囲んでるところから映画は始まる。そのうち一組の男女がふざけて海へ飛び込むが、そのうち女の子の方が突然海へ引きずり込まれる。やがて海岸で凄惨な遺体が発見され、地元警察署長のブロディ(演:ロイ=シャイダー)は捜査の上でこれが「サメの襲撃」であると断定、海水浴場の全面封鎖を支持する。ところが夏の海水浴客で潤っているこの町、町長は断固として海水浴場のオープンに踏み切る。そして恐れていた通りサメにより子供に犠牲者が出てしまうのだが、厳重な警備体制を固めたうえで海水浴場はオープンされ続ける。そしてそこへやはりサメの襲撃が。ブロディはサメ狩り名人の荒くれ男クイント(演:ロバート=ショー)、サメ専門家のフーパ―(演:リチャード=ドレイファス)と共にサメ退治のため海に乗り出す。そこで遭遇したのは、船が小さく思えてしまうほどの巨大なホオジロザメだった…

 …というようなお話。僕もテレビ放送ばかりで何度も見ているが、今見るとパニック映画としてはおとなしい方で、その後の刺激性を増していったその手の映画群からするとかなり牧歌的にすら今回の鑑賞では感じられた。ただ、最初の犠牲者が出るくだり(あとで「1941」でスピルバーグ自身がパロった)から始まって、じわじわと犠牲者が出ていきながら、サメ本体がなかなか姿を現さない「じらし演出」はやっぱりうまいなぁ、と。サメの視線から海水浴客たちの脚が見えるカット、背びれだけ見せてその接近を見せるカット(これが「子供のいたずら」というアイデアにもつながってる)、ブロディの息子の脚をなかなか映さず「もしや」と思わせるカットなどなど、あの手この手のテクニックでサメの恐怖をジワジワと見せていくあたり、「激突!」でも発揮されたスピルバーグのサスペンス映像演出は冴えわたっている。
 何で読んだんだか忘れたが、当時鑑賞した橋本忍はこの映画について「すべてOKカットでつないでいる」と評したとか。どんな映画でも同じシーン、カットを何度か撮っていちばんいいと思ったものをつなぐわけだけど実のところ「すべてOKカット」とはいかないのだが、映画人の目から見ても「すべてOKカット」に見えてしまうほどこの映画の映像はすごかった、ということだ。

 だけど実際の現場の話を書籍などで知ると、こうした演出も「苦肉の策」なところもあったみたい。映画では後半に出てくる「作り物のサメ」は当時リアルな出来と話題になってたらしいが、実際には故障続出で(まぁ水につけるしねぇ)、あの水中からの「サメ視線」や背びれ演出はそうした事情でやむなく、という実態もあったみたい。また製作費がどんどんオーバーして一時はスピルバーグも降板しかけたこともあり、前述の脚本の泥縄状態やスタッフ・キャストとの軋轢(スピルバーグも「若造」でしたしね)、知れば知るほど多難な現場で、よく完成させたものだと思うし、ふたを開けてみれば大ヒットになってメデタシ、メデタシになることに映画造りって分からないなぁ、と思うばかり。

 あと、このサメがなかなか出てこないジワジワ感については「ゴジラ」(もちろん弟一作)の影響もささやかれている。最初から狙ってそうしたんじゃなくて上述のような現場の事情から「その手」を使ったということなのかもしっれないが、スピルバーグが「ゴジラ」をはじめとする日本怪獣映画が大好きだった、というのは知られた話。またスピルバーグは「ジョーズ」原作を読んだ際にもサメの方に感情移入してしまい、「サメが勝てばいいのに」と思ったという逸話があって、これも「ゴジラ」第一作で原作の香山滋がゴジラに共感してしまったという話を連想させる。映画の後半で全体像を現すサメについても原作以上にモンスター化していて、「ほとんど怪獣」と評されることもある。スピルバーグとしては事実上怪獣映画のつもりで撮ったんだろうな。

 本家ゴジラシリーズに関わってる大森一樹監督が民放のゴジラ特集番組に出演した際に「音楽が似てる」と発言していたことがある。「ジョーズ」は、作曲家ジョン=ウィリアムズにとっても出世作となり、その後の「スター・ウォーズ」およにスピルバーグ映画全ての音楽を担当するようになるんだけど、サメが出現する時に流れる「サ〜メ♪サ〜メ♪サメサメサメサメ…♪」(笑)という効果音のような音楽、言われてみれば「ゴジラ♪ゴジラ♪ゴジラが現れた♪」という伊福部昭節に似ている気はする。これもサメをあくまで「怪獣」と解釈していたスピルバーグの指示なんと違うかな。
 
 かなりゴジツケになるが、「ゴジラ」と「ジョーズ」は「核兵器」というキーワードでも結びつく。ゴジラは水爆実験で生まれた怪獣で、その暴れっぷりに原爆投下や空襲のイメージが重ねられているのは明らかだが、「ジョーズ」では、決戦前夜の三人の語り合いの中で、原爆の部品を運んだ巡洋艦「インディアナポリス」が日本の潜水艦に撃沈され、漂流した兵士たちがサメに喰われてしまったという逸話が語られる。一応これは史実をベースにしていているが原作にはなく、ノンクレジット参加の軍事オタク・ジョン=ミリアスが付け加えた部分だという(別史料だとサッカレーのアイデアとなってたけど)
 最近この「インディアナポリス」の船体が発見されて、この映画がまた連想されたんだけど、サメの襲撃自体は事実ながら映画で言ってるほど大勢の犠牲が出たわけではないらしい。だが映画でこのクイントの思い出話は彼がどうしてサメを憎みかつ恐れているかの理由説明になって翌日の決戦が盛り上がる仕掛けになっていて、同時に「インディアナポリス」が原爆の部品を運んでいたという事実が人間の原罪的な破壊行動に対する自然からの「罰」のようにも見えてくるわけで、いろいろと印象に残されてしまうスピルバーグはこのあと「太陽の帝国」で中国大陸から見えるはずのない原爆投下を象徴的描写で見せてしまうのだが、こんなところも「ジョーズ」からつながってる気もする。ずっと後には「インディ・ジョーンズ」4作目で「冷蔵庫」なんてのをやっちまうわけですが(笑)。

 三人組とサメの戦いの末、巨大ザメが漁船を沈めてしまう展開はだいたい原作どおりらしい。だが死ぬ人物や死に方は大きく変更され、特にラストの決着の付け方は映画的に派手なやり方になった。それと合わせて主役のブロディ署長のキャラも原作とはだいぶ違うそうで、映画では水や船を苦手とする、どちらかというと他の二人の足手まといになりがちな「情けないオッサン」になり、それが最後の大逆転で…と書いてたら、それって「激突!」とおんなじような。
 なんでも映画会社は当初ブロディ役にチャールトン=ヘストンを希望したとか。スピルバーグ自身はロバート=デュバルを望んだそうだが結局どちらも実現せず、「フレンチ・コネクション」以後いまひとつ仕事のなかったロイ=シャイダーに落ち着いたのだが、この頃からスピルバーグって有名スターを敬遠する傾向があったようで。ヘストンについては「1941」の時にオファするんだが、内容から拒絶されてる。まぁ合わなそうな気はするな、この二人は。

 散々な苦労や予算と時間のオーバーの末に映画は完成。公開されるや記録的大ヒットとなり、「ゴッドファーザー」を抜いて(なおスピルバーグは「ゴッドファーザー」を見て映画監督をあきらめかけたとか)興行新記録を打ち立てた。その記録も間もなく親友ジョージ=ルーカスの「スター・ウォーズ」に抜かれるわけだけど、スピルバーグのヒットメーカー街道爆走はここから始まる。彼にとっては間違いなく出世作だったし、ここで当てなかったらその後の彼はなかったかもしれないんだが、どうもスピルバーグ自身はその後「ジョーズ」を「暴力的」とネガティブにとらえているようで。
 大ヒットした映画の常で続編「ジョーズ2」が製作され、計4作も作られるシリーズとなるのだが、スピルバーグは以後は一切タッチしていない。現場で懲りたんだろうし、基本的に「頼まれ仕事」だったからでもあろう。「ジョーズ」撮影にとりかかる時点でもう「未知との遭遇」の脚本を進めていたそうだし。ただプロデューサーとして関わった「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2」の中で2015年に「ジョーズ19」をスピルバーグの息子が監督してるというギャグはあった(笑)。いしいひさいちの漫画でも「第三次世界大戦、そして核の冬…それでも『ジョーズ』は作られる」とからかわれてるが、4作どまりなら今となってはそう長いシリーズとは言えまい。続編製作がそんなネタにされてるのは、やはり1作目の傑作ぶりとその後の激しいギャップが目についてしまうからだろうなぁ。(2018/3/18)



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