でべろBOX

ジャンル:ハードウェア
媒体:開発機器
発売元:徳間書店インターメディア
発売:1996年2月
価格:10000円


外観◆最末期に発売されたPCエンジンソフト開発環境

 この商品は唯一一般向けに販売されたPCエンジンの開発環境。時期にもよるのだろうが、PCエンジンのような家庭用ゲーム機の開発環境はムチャクチャ高いのが普通で、HuCARD用の環境でも数百万円程度にはなっていたのではないかと推測される。CD-ROM開発環境にいたっては1000万円(!)もしたというのだ。それがなんと「一万円」で発売されたというのだから驚くではないか。もっとも開発に必須のパソコンの価格はそこに含まれていないが。
 この商品、さすがに秋葉原あたりのディープな中古屋でもめったに発見できない。なぜならこの「でべろBOX」は一般向けに販売されたとはいっても通販のみ、しかもPCエンジン最末期といえる1996年初頭にPCエンジン専門誌「PCengineFAN」誌上でのみ告知されたもので、実際の販売数もかなり少ないものと推測されるからだ。

 PCエンジン最末期になんでこんな商品が出されたのか。実はこの時期、家庭用ゲーム機向けソフトの個人開発というのがちょっとしたブーム(?)になっていた。正確に言えばブームを盛り上げようという一部の動きがあったのだが結局不発に終わってしまったというところだが。
 1994年に3DO、プレイステーション、サターン、PC−FXといった32ビットゲーム機が相次いで発売され、「ゲーム機戦争」となどと呼ばれて盛り上がった。その中で各陣営でソフト開発環境を個人に提供して個性的なゲームを作ってもらおうという試みがいくつか見られた。そのしょっぱなは序盤から苦戦が続いていたFX陣営が1995年末に出したFXソフト開発環境「PC−FXGA」だったと思われる。それと連動するかのように「PCengineFAN」誌編集部で企画されたのが「でべろ」なるPCエンジン開発環境だった。「でべろ」とはアルファベットでは「DEVELO」と表記され、「DEVELOPER=開発者」に由来する愛称だ。

 ここでなぜハードメーカーではなく雑誌編集部がこんな企画を立てたのか?という疑問がわく。あくまで推測なのだが、二つの理由が考えられる。
 一つは「PCengineFAN」という雑誌がPCエンジン専門誌の中でもとくにマニア度が高い雑誌で読者投稿記事も多く、「読者(=エンジンユーザー)と共にPCエンジンを盛り上げる」という姿勢がかなり強い雑誌だったということがある。一例としてごく少数しか販売されなかったシューティング「マジカルチェイス」(’91)が読者評価でものすごい高得点を得て入手困難を叫ぶ読者の声が高まると、なんと誌上で「マジカルチェイス」の再販(通販)を行ってしまったこともあるのだ。また1995年にもなるとPCエンジン市場の消滅が明らかとなり一時4つもあった専門誌は相次いで休刊あるいは総合誌への移行を進めていくが、「FAN」誌だけはしぶとくエンジン&FX専門誌の立場をつらぬいた。だが記事にするソフトが圧倒的に少ないわけで(涙)、それならゲーム開発記事・同人ソフト記事で生き延びよう、と考えた可能性もある。実際末期の「FAN」誌ではしばらく「でべろ」の解説連載記事があったのだ。

 もう一つの理由が、徳間書店インターメディアが「MSX−FAN」誌の発行元であったということ。この雑誌はもちろんあの「MSX」の専門誌だが、やはり濃い目でマニアックな路線でしぶとく最後のMSX専門誌として存続し、なんと1995年まで発行が続いていた。その生き残りの秘密の一つがMSXで開発された「同人ソフト」の紹介で、それをPCエンジンでもやってみようという流れになったのではなかろうか(MSX−FAN休刊により編集者がPCエンジンFANに流れ込んだようでもある)。実際、「でべろBOX」はPC98シリーズだけでなくMSXでのゲーム開発も可能な構造となっており、当時の記事でも明らかに「MSXの同人精神を引き継ぐ」といった空気が漂っていた。

 さてこの「でべろBOX」、僕も当時物好きだったから(笑。FXGAも持ってたし)、さっそく通販で入手した。今となってはかなり貴重品となってしまっている。
 見ての通り緑色の「箱」の形をしており、ひょろりと長く伸びるケーブルは、PCエンジン本体(CD-ROM2システム、DUOシリーズなどSCD環境が必須)のパッド端子に接続する。「でべろBOX」自体にパッド端子がついており、パソコンで開発したゲームをPCエンジン上で操作する際にはこちらにPCエンジンのパッドを接続して操作する。PCエンジン本体とパッドの間挟み込むように接続するという仕組みは「メモリーベース128」と似ている。
 パソコンとの接続用の端子は3つ用意されており、PC-98とはプリンタケーブルとRS232ケーブル(ストレート)、MSXとはプリンタケーブルとジョイパッドケーブルと、つまりそれぞれ2つのケーブルで接続する。パソコンとの接続に2つもケーブルがいるというかなり面倒な仕組みだし、当然PCエンジンからの出力はAVケーブルでTVにつながなければならないわけで、かなり複雑な配線になる。いかにも「開発環境」っぽいといえば確かにそうだが(笑)。

 「でべろ」の開発はこのBOXだけではもちろん不可能で、直後に書籍として発行された「でべろスターターキット・アセンブラ編」に同梱されたフロッピーディスクとCD-ROM(PCエンジンSCD専用)が必要だった。この「アセンブラ編」はスターターキットという名の割にはプロ向け仕様で、僕などは入手してもとても歯が立たず(笑)、むしろPCエンジンというハードの性能を知るための貴重な資料となっている。その後夏になって「でべろスターターキット・BASIC編」が発売され、初心者にも扱えるような環境が整えられたのだが、それと同時期にさしもの「PCengineFAN」も休刊(その後「スペシャル」としてムック形式で2号出るが)になってしまい、同誌の「でべろ」解説の連載も終わってしまう。その埋め合わせという面もあったのか、徳間インターメディアはその名も「DEVELO MAGAZINE」を発行、PCエンジン「でべろ」だけでなくサターンBASICやFXGAも扱う同人ゲーム開発総合誌を目指したが、これも2号であえなく轟沈。同時期にアスキー(エンターブレイン)も「ソフコン」という似たような趣旨の雑誌を発行していたが、これも長くは続かず、一時盛り上がるかにみえた同人ゲーム開発ブームもほとんど不発に終わってしまうことになった。

 そういう事情もあり、「でべろBOX」はその後音頭を取った側からのサポートがなかったのは痛かった。パソコンでゲームを作ったとしても「でべろ」無しではPCエンジンでプレイすることはできず、またCD−Rが一般化していなかったこと、さらにはPCエンジンCD-ROMが特殊なフォーマットであることもあって自力でCD-ROM化が出来るわけもない。ゲームを発表する場も雑誌以外では提供されなかったわけで(パソコン通信で情報交換の場などは置かれていたらしいが)、雑誌自体が消滅してはユーザーとしても手のようがなかっただろう。
 なお、PCエンジン末期にはハッカーのように特製システムカードを使わずにそのままSCD環境でプレイできるアングラソフトが数タイトル出回ったが、時期的に考えても「でべろ」を使ったわけではなさそうである。


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