PCエンジンDUO−R

ジャンル:ハードウェア
媒体:本体
発売元:NECホームエレクトロニクス
発売:1993年3月25日
価格:39800円
商品番号:PI-TG9


商品外見◆一挙に2万円も下げたDUO廉価版

 1991年9月に発売されたSCD一体型PCエンジン「DUO」は、SCDソフトの視覚的なパワーと、それまで混乱の極みだったPCエンジンを一体のマシンにまとめてわかりやすい「決定版」にしたこととでそこそこの売り上げを上げ、退潮気味だったPCエンジン市場をSCD路線で復活させることに成功した。1992年春発売の超大作ソフト「天外魔境II卍MARU」(’92)のヒットもあって拡大したSCD市場には多種多様なメーカーが参入し、1992年の秋以降はSCDならではの大作ソフトが目白押しとなり、PCエンジン史上のもう一つの全盛期(それ以前にHuCARD全盛期がある)が現出することになった。SCD隆盛は一方でアニメ系・美少女ゲーム(アダルト路線含む)の増加も招き、PCエンジンのオタクマシン的イメージがいっそう強くなってしまうのでもあるが。

 1993年に入るとNEC−HEはこの路線を進めてよりいっそうの拡大を狙った勝負に出る。光栄(現コーエー)やアートディンクなどのパソコンSLGの参入を実現する一方、当時大人気だった「ストリートファイターII’」(’93)の移植をHuCARDで他機種に先駆けて実現(開発はカプコンが請け負い、NEC-HEからの発売となった)、といった目玉をいくつか用意したうえで、メインハードである「DUO」の値段を5万円台から一挙に3万円台へと大幅に下げた廉価版「PCエンジンDUO-R」を発売したのだ。「DUO」は売れたとはいえ5万円もするゲーム機史上全体を見回しても大幅に高額のハードであり、一般に普及するには敷居の高いゲーム機だったことは間違いない。それを半額に近い価格まで下げちゃったんだから、NEC−HEがシェア拡大にかなり本気になっていたことをうかがわせる。つけくわえるなら、この時期はちょうど「バブル崩壊」が明白になり不況の波が押し寄せていたころでもあり、それまでやたらバブリーで高額なマシンを出し続けていたNECとしても考え直さざるをえなくなっていたとも思える。

 2万円もの値引きに成功した「DUO−R」だが、どこが変わっているだろうか。
 まずすぐ目につくのはカラーの変更だ。ノートパソコンを思わせる黒色で、大人向けのシックな感覚にあふれていた「DUO」から一転、全身クリーム系の真っ白カラーに変更された。「DUO」では色がかえられていた電源スイッチやカバー開閉ボタンもまとめて真っ白。「DUO−R」のロゴだけが水色である。この真っ白なボディから、ちょうど同時期に出ていた富士通の家庭用ゲーム機的パソコン「FM TOWNSマーティ」と混同する人も少なくなかったとかなんとか(笑)。
 またボディが全体的に分厚く、かつ丸みを帯びるようになった。基本的なデザインは「DUO」を踏襲しているが、「DUO」が屋外への持ち運びを想定していたのに対し(そんな遊び方をする人がどれほどいたやら)、「DUO−R」は完全に部屋の中に据え置きに徹し、厚く安定感あるボディになっている。一説には「DUO」は無理に薄くしてCD−ROMドライブの動作にトラブルが多かったと言われ、それを解消するためでもあったのだろう。
 カバーも含めた上面奥に「DUO」にはなかった何本もの並行した溝が入っているが、これは恐らく放熱効果を狙ったものだと思う。また「DUO」ではドライブ駆動中にカバーが開くのを防止するためのロックスイッチがあったが、これも持ち運びを想定したものであったため、「DUO−R」では削除されている。
 ほかに「DUO」にあって「DUO−R」で削除されたのはヘッドホン端子。確かにTVに映すんだからヘッドホン端子をゲーム機本体につけてる意味はあまりない。またCD-ROMドライブのカバーについていた半透明の窓もなくなった。ドライブ駆動中を示すBUSYランプはむしろ大きくなってより目立つようになっている。

 配置が大きく変わったのはAV出力端子の位置だ。「DUO」では後部に充電式バッテリーを接続できる設計のためAV出力端子は横についていたのだが、据え置きに徹した「DUO−R」では出力端子は本体後部中央に配置された。これもTVとの距離を考えると便利な変更と言えたが、どうも安価にするためにこの部分の端子の半田付けが甘くなっているらしく、しばしば位置を動かす使い方をしていると接続不良に陥るケースが多いらしい(我が家では実際そうだった)。同様のことは前方のパッド接続端子にも言える。

 パッドと言えば、「DUO−R」同梱のターボパッドは「DUO-R」のボディカラーに合わせた「白+青」のカラーリングになっている。歴代ターボパッドはそのときそのときのメインマシンのカラーと合わせてあり、マニア心をくすぐる(笑)。なお、DUO−R色のターボパッドは単体売りもされていたようだ。
 なお、PCエンジン各マシンでもどこかに必ずつけられていた「NEC」ロゴが、このマシンから変更されている。それまでは赤色でイタリックにした「NEC」ロゴだったが、1992年以降現在も見られる横長っぽい「NEC」ロゴになったのだ。

◆我が家に最初に来たPCエンジン

 以下、個人的思い出話。
 1993年当時、僕はファミコンしかゲーム機を持っていなかった。しかも遊ぶのは光栄の歴史SLGが中心。そもそも我が家には長いことゲーム機自体がなく、ゲーム機を買った動機が歴史SLGをやってみたい、というものだったのだ。僕のサイトをくまなく見ればお分かりのように、歴史マニアの史学科専攻でしたから(笑)。

 しかし天下の光栄でもゲーム化されているのは戦国時代や幕末、あるいは三国志や水滸伝といった中国ものばかり。日本の南北朝時代が大好きという僕には南北朝時代のゲームがファミコンでは存在しないことが不満の種だった。そんな1993年の秋(11月だったかな)、近所のゲーム中古売場を何気なくのぞいていた僕の目に、「太平記」(’91)というゲームソフトが棚に並んでいる光景が入ってきたのだ!手に取ってみると音楽CDケースの形状で、一見ゲームには見えないのだが、パッケージの売り文句を見ると200名以上の武将が登場し全国を舞台にした正真正銘の南北朝ゲームであることが分かった。狂喜乱舞した僕だが、これをプレイするためのハードは何だ?と首をかしげてしまったのである。CDケースには「PCEngine」と書かれていたので名前ぐらいは知っている「PCエンジン」用ソフトだとはわかったのだが、その売場ではPCエンジンハードは売ってなかった。しかも「CD−ROM」とかよくわからんマークもついているし…ということで、まずはハードの調査をしなければならなかったのだ。当時周囲にPCエンジンで相談できる人もいなかったので、全部独自調査だ。

パッケージ箱 うまい具合にこの年末、徳間インターメディアから「スーパーPCエンジンファンVol.1」というムックが発売された。知る人ぞ知る、PCエンジンのそれまで発売されていたハードとソフトをすべて網羅し解説した壮絶なカタログ本である。これのおかげでどのハードを買えば何ができるのかをおおむね把握できた僕は、当時最新マシンであった「DUO−R」を秋葉原の中古屋で購入(確か29800円で買った)、ソフトは近所の中古屋で念願の「太平記」(インテック発売のもの)と、ついでにHuCARDも何か買っておこうと「ナグザットオープン」(’89)も合わせて購入した。帰宅後さっそく「太平記」のCD−ROMを「DUO−R」にセットし、起動させたときの驚きといったら…あの長時間のビジュアルデモは今のゲーマーが見ても結構ビビると思う。まして生の音声が聞こえてくるゲームじたいが初体験という人間には当時ムチャクチャインパクトがあったのだ。まぁゲームじたいはいろいろと文句がつけたくなる出来ではあったが、貴重な南北朝ゲームとしては大満足させてもらった(専用コーナーはこちら)。またたまたま同時購入した「ナグザットオープン」が、これが実は「隠れた名作」というやつで、ずいぶん遊ばせてもらったものだ。
 その直後、ちょうど書店に並んでいた小学館のムック「PCエンジンハイパーカタログ4」を買ってしまい、これがまた素晴らしいボリュームの体験版を収録していて、すっかりPCエンジンにハマっちゃうこととなったのである。

 その後しばらくDUO−Rは我が家で激しく酷使され(笑)、1年もしないうちにCD-ROMドライブの読み込みの調子が悪くなってしまった。ちょうどそんなころ、さらに値段を下げた後継の「PCエンジンDUO-RX」(1994年6月発売)が発売されたので、そっちを新品で買って乗り換えた。その「RX」もやがてCDの読み込みに難が出るようになったので、試しにしまっていた「R」を引っ張り出して動かしてみたら、これがちゃんと動くんだなぁ(笑)。なんだかんだでかなりの長期にわたって「DUO−R」は遊ばせてもらった。僕をPCエンジンワールドに引っ張り込んだ、購入ハード第1号として、個人的に思い入れの深いマシンである。


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