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投稿時間:2011/01/13(Thu) 22:37
投稿者名:Ken
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ID論争 (1)
 それでは、こちらでIDの話をしてゆきます。発表の場を提供してくださった徹夜城さんに感謝します。

 冗長とも見える基本的な話からしてゆきますが、その理由は、米国でのID論争をみていると、ID論は非常に誤解されやすい主張であると思われること、またオープンなネット掲示板なので、進化論の知識も千差万別な人が見ていると思われるからです。初回は、そもそもダーウィンの進化論(ダーウィニズム)とはどういう考えであるかを、説明します。もちろん、学校等で習って先刻承知の人が多いでしょうが、IDを論ずる上での基礎ですので、どうか我慢して読んでみてください。

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 18世紀のヨーロッパで、いわゆる「啓蒙思想」が普及すると、神の存在を否定する考えも台頭した。これに対し、神の存在を「証明」するとして提議されたのが、有名な「時計作りのアナロジー」で、言い出したのは英国のペイリーである。

「君が道を歩いていて、時計が落ちているのを見つけたとしよう。君は、当然、その時計を作った者がいると思うだろう。時計のぜんまいや歯車、振り子や文字盤などが、ひとりでに出来て、時計に組みあがるなどありえないからだ。ところで、生物は、どんなに単純な原生生物でも、時計よりずっと複雑な構造を持っている。ヒトのような高等生物なら尚さらだ。単純な時計ですら、ひとりでには出来ないのだから、はるかに複雑な生物が出来るはずがない。必ず、意思を持つ創造者がいるはずではないか」

 というものである。
 ダーウィンとウォレスが提唱した進化論は、この「神の存在証明」に対する、無神論からの回答であった。その根幹をなすのは「突然変異」と「自然選択」である。

 例えば、ここに鹿に似た動物の一群がいて、主に木の枝に生える葉を食べて生きている。たくさんいる中に、ときたま変わった形質を持って生まれる突然変異体がある。特別に足が短かったり、ひづめがなかったり、アレルギー体質だったり、骨が歪んでいたり、と。厳しい野生の環境で、こういうハンディをもって生まれると、生存は極端に困難で、大半は子孫も作ることなく死んでしまう。

 ところが突然変異には、まれに有用なものがある。例えば、首が他の鹿よりも10センチほど長い個体が現われたとする。これはハンディどころか、他の鹿が届かない高さの葉まで食べることができ、生存競争で有利に働く。たかが10センチと思ってはいけない。野生動物は産児制限をしないから、その環境の限界まで個体数が増え、結果として個々の個体は常にギリギリの状態で生きている。いわば、慢性的な飢餓状態といってよい。そういう中では、10センチの差が生死を分けたりするものである。

 こうして優位に立つ「長首」の鹿は、生存の確率、ひいては多くの子孫を残す確率が高くなる。その子孫たちは「長首」の遺伝を受け継ぐから、やはり「長首」になるだろう。そして初代と同じ理由で、他の鹿よりも優位に立ち、より多くの子孫を残す。こうなると、「長首」でない鹿たちは、「長首」との生存競争に敗れ、数が減ってゆく。何世代かすると、一頭もいなくなり、「長首」だけが残る。すると、今度は「長首」の個体同士で生存競争が起こる。やがてその中の一頭に突然変異が起こり、さらに10センチ(元々の鹿よりも20センチ)首が長い個体が現われるとする。一度目と同じことが繰り返され、20センチの長首だけの群れになってしまう。こういうことが数千万年も続くと、ついに、元々の鹿とは似ても似つかない、キリンのような動物が登場する。

 上は、身体のサイズが変わる例であるが、身体構造自体が変わる例もある。

 心臓とは血液を送り出すポンプである。心臓から肺へ送られた血液は、肺が吸い込んだ空気から酸素を溶かし込んで心臓へ戻ってくる。その酸素豊富な血液が、こんどは身体各部へ送られ、生命活動を為す各種の化学反応で酸素が消費される。低酸素となった血液が心臓に戻ってくると、再び肺へ向けて送られ、同じサイクルが繰り返されるのである。

 さて、生物の中でも、哺乳類と鳥類の心臓は優れた構造を持っていて、血液を肺へ送るものと肺以外の全身へ送るものの二種類のポンプが備わっている。トカゲなど爬虫類の心臓はそうではなく、一種類のポンプしかない。このため、せっかく酸素を溶かし込んで肺から戻ってきた血液が、心臓の中で低酸素の血液と混ざってしまい、全身を回る血液の酸素濃度が、哺乳類や鳥ほど高くない。このため全体の身体機能が劣り、何よりも哺乳類や鳥のように、体温を一定に保つことができない。

 哺乳類も鳥類も、爬虫類から枝分かれして進化したのだから、元々は一種類のポンプだったのが、ある時、偶然の突然変異で二種類のポンプを持つ心臓を獲得した。獲得してみると、これは生存競争の強力な武器となり、これを持つ生物を繁栄させることになった。太古の地球には非常に大型の爬虫類もいたのだが、哺乳類との競争で淘汰され、今ではトカゲやヘビとして、細々と生きる存在になった。

 このように、ダーウィニズムとは、全く偶然に起こる突然変異の中に、生物にとって直ちに有利をもたらすものがあり、それを持つ個体が「自然に選択」され、それが何度も繰り返されることで、ついには、時計などよりはるかに精密な構造が現われたのだ、とする仮説なのである。

 19世紀に自然選択が提唱されると、人々はその一実例が、目の前で起こっていることに気づいた。当時、産業革命が進行して工場がさかんに煤煙を吐いていたが、その中で、黒っぽい蛾が増え、白っぽい蛾が減っていることが確認されたのである。煤煙に煤けて黒くなったのではない。生まれたときから黒い蛾が増えていたのだ。理由は、町全体が煤けて黒くなったため、蛾の黒い色が保護色となり、鳥に襲われにくくなったためである。

 20世紀の中頃になると、生化学の面でダーウィニズムはさらに補強された。いわゆる「遺伝子」の正体が、染色体中のDNA配列と判明したのである。DNAには4つの種類があり、その並び方で生物の体の作り方が決まる。DNA配列は生殖細胞(卵子と精子)を通じて親から子へコピーされるから子は親に似るのだが、このコピーの仕組みは精密なもので、数万個ものDNA配列が忠実にコピーされる。ところが・・・・

 ・・・・この精密なコピー機能をもってしても、「コピーミス」を完全に防ぐことはできないのである。そして、ごくまれに起こるコピーミスこそが、上記の突然変異となって現われる。生物は時計などよりはるかに精密な機械だから、ランダムに起こるコピーミス(=突然変異)は大半が機械としての不良品を作り、ごく僅かな例外のみが「改良品」たる幸運に恵まれる。ただ、厳しい生存競争の中で、不良品はただちに淘汰され、改良品はただちに優位に立つ。このため、長い期間で見ると、どんどん改良が進むことになるのである。
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 今回は、ダーウィニズムについて説明しました。冒頭に挙げた「時計作り」の話、そしてダーウィニズムが「自然選択」という仮説でこれを覆した、という点が特に重要ですので、覚えておいてください。
 次回は、自然選択と並ぶもう一つの進化の形態、「人為選択」について、お話します。

投稿時間:2011/01/14(Fri) 22:46
投稿者名:Ken
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ID論争 (2)
前回は、ダーウィニズムについて、特にその核心をなす「自然選択」についてお話しました。今回のテーマは「人為選択」です。

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 考古学研究によると、人類は、約1万3千年前に農耕と牧畜を始めたらしい。それ以前は、狩猟採取生活だったが、野生の植物を農作物とし、動物を家畜として飼育することが、最初はメソポタミアで、ついで世界各地で始まった。

 ほどなくして、農民や牧畜民は、自分たちが育てている動植物の中に、「好ましい」特質を備えたものが散見されることに気づいた。例えば、より大きな粒をつけるムギや、多くの乳を出す牛などである。そして、そのムギの種子から育つムギ、その牛が産む牛は、親と同様の特質を持つことも、経験的に分かった。そうなると、それら「好ましい」個体に優先的に子孫を作らせることを、誰もが考える。ここでもまた選択が行われるのだが、ダーウィニズムが提唱する自然選択に対して、こちらは、人の意思が介在して引き起こす「人為選択」と呼ばれる。自然選択と同様に人為選択も、それを続けることで、動植物の種が「改良」されてゆく。

 さて、自然選択と人為選択では、その目指すところが異なる。自然選択は、生物が野生の中で生き残り、多くの子孫を残す方向にのみ働くものである。一方、人為選択は、人間がその生物から得ようとするもの──おもに食料だが、被服・建築材料や、労働力なども──を最大化する方向に働く。選択の目的が異なるために、選択の結果生じる進化も、異なる場合が多い。

 例えば、家畜のブタは、野生のイノシシを人間が飼育し、改良したものである。何よりも、多くの食肉を得るべく人為選択を繰り返したため、ブタは、イノシシとは比較にならない、肥満形状となった。また、野生のイノシシは体を保護する豊かな体毛をもち、敵と戦う牙も備えているが、食肉として加工するのに体毛は邪魔になるし、牙などがあると人間にとって扱いにくい。そこでこれらをなくする方向へ改良され、我々になじみのブタの形状になった。

 ここで注意すべきは、イノシシからブタへの「進化」は、家畜としての進化であって、野生動物としてみれば、進化でもなんでもない、ということである。肥満のために動作は鈍重になるし、牙と体毛を喪失したことで、攻撃力も防御力も低下した。これが野生動物なら、たちまち肉食獣の餌食になり、淘汰されてしまうだろう。つまり自然選択ではこんな「進化」は起こり得ない。人為選択ならばこそ、起こったことなのである。

 農作物となった植物にも、同じことがいえる。例えば、トウモロコシは8千年ほど前から、米大陸の先住民が栽培していたのだが、人為選択による改良の結果、ヨーロッパ人がやって来た頃には、元来の原生種と比べて、粒の大きさが数倍にもなっていた。こんなことも、自然選択では起こり得ない。そもそも、我々が食するムギ、イネ、トウモロコシなどの実は、植物の種子が発芽して、根を降ろし、葉を広げ、光合成を行えるまでに育つための「つなぎ」の栄養分にほかならない。そのために必要な分だけあればよいので、それ以上に栄養分があっても、使われることなく腐るだけである。その植物が繁殖する何の助けにもならない。(繁殖のためなら、粒の大きさは元のままで、数を増やすことこそ、理にかなうだろう。)

 要するに、自然選択は、その生物の生存や繁殖に、ただちに貢献する場合にのみ起こると考えてよく、生存、繁殖に役立たない、ましてや逆効果となる変化は起こり得ない。(なぜなら、自然界で淘汰されるから。)これは、見方を変えれば、イノシシからブタを生じるような「進化」が起こったなら、それは人為──すなわち何者かの意思──が介在した結果と考えてよいことになる。

 ダーウィニストの主張は、地球に生命が発生してより、ずっと自然選択のみで進化してきたが、人類が農耕、牧畜を始めたことで、人為選択が登場した、というものである。これに対してID論者の主張は、人類発生以前の進化にも、人為としか考えられないものが見受けられる、ということで要約される。
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 なぜ、ID論者はそう主張するのか、次回から詳しく説明します。

投稿時間:2011/01/15(Sat) 18:04
投稿者名:Ken
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ID論争 (3)
いよいよ今回の核心、ID論者の主張について、説明します。

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 人類が発生するはるか以前に、人為的な進化は引き起こされていた・・・・
 ID論者が、その根拠として挙げる例をみてゆこう。

 おそらく最も分かりやすいのは、鳥の進化ではないか。始祖鳥の骨格を調べた研究者によると、鳥の先祖は、コエロサウルスのような、小型の2足歩行恐竜らしい。地上を走りながら、エサを取ったり、敵から逃げていた。(コエロサウルス参照ページ「http://en.wikipedia.org/wiki/Coelurosauria」)

 恐竜から鳥に進化する過程は、概略、以下のようなものである。

 まず、恐竜の体が羽毛で覆われた。保温のためであろう。
 保温のための羽毛だから、最初は体をぴったりと覆っていた。ところが、腕の羽毛だけは、真っすぐ突き立って生えるようになり、さらに、サイズも大きくなり、剛性も増して、いわゆる「飛行羽」となった。また、腕自体も長く太くなった。翼の誕生である。
 翼だけでは空は飛べない。翼を動かす強い筋力が必要である。これも進化を繰り返しながら、より強い筋肉ができていった。
 もう1つ重要なことは、体重を減らすことである。特に、空を飛ぶのに関係のない脚と尾は、必要最小限に抑えるべく、細く短くなっていった。
 これらの変化が進行して、ついには、大気中で体を支え得る段階にまで到達し、飛行する生物「鳥」が誕生した・・・・進化論は、このように説明する。

 しかし、自然選択の仕組を学んだ人なら、上記の説明には矛盾があることに、気付くのではないか?

 つまり、上に述べたような体の変化は、当然ながら、一朝にして完成したのではない。(それこそ、神が奇跡を起こさない限りは、である。)長い年月をかけて変化していったのであり、その間、その動物は依然として、地上を走ってエサを取り、敵から逃げていたはずなのだ。しかし、地上を走る動物が、肝心の脚を退化させたり、腕を大きく重くしたり、空気抵抗を増やすだけの翼をつけたりして、何の役にたつのだろう?
 ひとたび、飛行生物になってしまえば、これらの変化はたしかに有利な条件となる。しかし、飛行生物になるには、「その前に」これらの変化が起こらなければならない。これでは、自然選択とは、生存や繁殖にただちに役立つ方向に進むという、基本定義に反するではないか?

 恐竜から鳥への進化の説明を試みる学説には、強引、というより苦し紛れのものが多い。たとえば、2足歩行恐竜が、敵から走って逃げる際に、とびはねながら走った、という。とびはねる時に、翼をはばたくことで、ジャンプの距離が多少なりとも長くなる。最初はわずかな差であったが、続けるうちに距離がのびてゆき、ついには、翼のはばたきの方が主で、走る方が従になり、最終的に翼のはばたきだけで推進するようになった・・・・・

 奇妙な説である。そもそも必死で走る動物がなぜジャンプするのか? そんなことをしても、移動速度が増大しないことは、短距離走の選手がとびはねながら走らないことで自明だろう。足で走る動物にとって、推進力のもとは、足で地面を蹴る力であり、肉体構造が許す限りこれを頻繁に行うことが速度を向上させるのだ。しかも、そんなに発達した翼を広げたら、風の抵抗で減速するだけではないか? ダチョウは走ることに特化した鳥だが、翼をたたみ、足をせわしなく動かして走るのであって、翼を広げたり、ジャンプしたりなどしない。

 ID論者から見れば、現在の進化論が、鳥の進化をうまく説明できない理由はただひとつ。自然選択にこだわるからである。飛行生物を創造するというビジョンをもった何者かが、途中段階で生じる不利から生物を保護し(ちょうど、人間がブタを保護するように、である)、その進化を導いたと考えれば、もっともすっきりと説明できる。

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 ID論者が人為的な進化だと主張する例は、まだありますが、今回はここまでとします。次回は、ID論最大の論客、マイケル・ベーエ博士が挙げる例を紹介します。

投稿時間:2011/01/16(Sun) 18:41
投稿者名:Ken
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ID論争 (4)
今回はベーエ博士の主張を紹介します。

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 マイケル・ベーエ(Behe:米国での発音は「ビーヒー」)は1952年生まれ、生化学教授として教壇に立つ人物で、熱心なローマ・カソリック教徒としても知られる。1996年に著書「ダーウィンのブラックボックス」を発表して、ID論のチャンピオンというべき存在になった。
 「ダーウィンのブラックボックス」とは、進化論を唱えたダーウィンが、実は、生物の内部構造をよく理解せず、いわばブラックボックスとしてその表層のみを捉え、その結果、自然選択ですべての進化が説明できる、という誤った結論に達した、という意味で付けたタイトルである。

 「ブラックボックス」の好例として、ベーエは我々人類も持つ血液凝固機能を挙げる。
 我々が怪我をして出血すると、ほどなくして傷口で血が固まり、それ以上は血が流れなくなる。この機能が先天的に欠けている遺伝疾患が血友病である。さて、ダーウィニズムは、この血液凝固機能の発生を、当然ながら、突然変異と自然選択で説明する。つまり、太古の動物はこのような機能を有していなかったが、ある時、偶然の突然変異で、空気に触れると血液が凝固する個体が登場した。ひとたび登場すると、これは生存競争で非常に有利に働く。なにしろ、他の動物は、傷自体が治癒するまで出血が続くのに、この突然変異体は、はるかに少ないダメージで済むからだ。そして、自然選択のルール通りに、この突然変異体の子孫が、その他の生物を淘汰して、優位を占めるようになった。人類を含む、多くの陸上脊椎動物は、その末裔である、と・・・・。

 ところが、生化学者ベーエによると、我々の血液が空気と接触して固まるするのは、血液中に含まれる30種類の異なる蛋白質の協同作業で、30のうちどの1つが欠けても、起らない現象だという。そして、ここが肝心なのだが、1回の突然変異、つまりDNA配列の書き換えで、出来るのは1種類の蛋白質のみである。こんなことはダーウィンは知らなかったが、DNAの働きが解明された今、ダーウィニストを含めて、この点に反対する人はいない。
 つまり、血液凝固機能の発生は、1回ではなく、最低でも30回の突然変異が起った結果なのだ。もちろん、その間に、長大な時間が経過しただろう。
 最初の突然変異で1つ目の蛋白質ができても、血液凝固は起らない。2つ目、3つ目も同じ。29個の蛋白質がそろってもまだダメである。30個目の蛋白質が生じて、初めて血液凝固という有利な機能が生じる。
 ということは、ダーウィニズムで説明出来るのは、29個の蛋白質が揃っているところへ30個目が加わる、最後の1回だけではないか。これに先立つ29回の進化はどう説明するのか? 繰り返すが、自然選択とは、個体の生存、繁殖に、ただちに貢献する場合に働くものなのである。

 この「謎」に対するID論者の解答は、もはや想像がつくだろう。動物に血液凝固機能を与える「意思」をもった何者かが、進化を導いたのである。有利をもたらさない29回の進化が進行している間、その動物を保護して、計画通り30回の進化を完成させた、というのだ。これは、人類が行ってきた人為選択よりも、はるかに偉大な作業で、人類を超越した存在を暗示している。

 ベーエが、また挙げる例に、原生動物の鞭毛(べんもう)がある。これは、各種のバクテリアや動物の精子から生えている鞭状の器官で、これのおかげで、これら微生物は泳ぎ回ることができる。これについても、ダーウィニズムは、あるとき偶然に出現し、泳ぎ回るという、大変な有利さを所有者に与え、大いに繁栄させた、と説く。
 ところが、鞭毛を仔細に見ると、多くの部品からなる精密機械なのだ。部品とは、本物の機械に例えるなら、固定子、軸、リング、継ぎ手、フィラメントなどに相当し、それぞれに異なる蛋白質で出来ている。どの部品を作るにも、最低1回の突然変異が必要で、すべての部品が揃い、鞭毛という機械に組み立てられるまで、所有者たる生物に、何の利益ももたらさない。つまり、ダーウィニズムでは、「途中経過」の説明ができない。
 どう考えても、機械の完成形態のビジョンをもった「意思」が働いて、進化を導いたと考える方が、理にかなうだろう、というのがID論者の主張なのである。

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 ID論者の主張を、2回に分けて紹介しました。
 次回は、このようなID論に対するダーウィニズムの反応(反論)について、お話します。

投稿時間:2011/01/18(Tue) 00:18
投稿者名:Ken
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ID論争 (5)
 IDに対して、ダーウィニスト達は、どういう反応をしているのか。また、反論をしているのか。その話をします。

 ひとつ断らねばならないのは、ここからの話は、世界で行われている論争をすべて網羅しているとはいえないということです。これまでに述べてきたこと、例えばベーエ教授の論説などは、それを紹介しているサイトを見れば、ほぼ正確に把握できます。しかし論争となると、いろいろな人が、いろいろな所でやっているもので、そのすべてをチェックすることは、私(Ken)個人の能力に余ります。また世界の学界は、IDを「疑似科学」と決めつけ、シンポジウムの対象にもしないので、体系的に是非が論じられることもありません。いわば、言いたいことのある人が、雑多な機会に、言っているだけです。

 これから述べるのは、私個人が見聞したことで、情報源は、インターネットの記事や、米国のTV番組、さらに私の個人的な友人だと了承してください。それと、あくまでも私見ですが、内容への批評を加えておきます。

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 IDに対するダーウィニズムの反応で、私個人が見聞きしたものは、次の5つに分類できるようだ。

(1)宗教論は相手にしない
 数の上では、この反応が最も多い。IDとは、ダーウィンにやりこめられた「創造論」が形を変えて復活したもの。ユダヤ・キリスト教の神の存在を匂わせる疑似科学で論ずるに値しない、というもの。
[私見]
 これって議論を逃げてないか? ID論は(少なくともベーエ達の議論は)、実際に起こった進化を観察して、その過程が自然か人為かを論じようとしているのだ。確かに多くのID論者の肚づもりは、神の存在を示唆することにあるのだろう。しかし、論旨が科学的手法で提議される以上、同様の姿勢で対するべきであり、相手の動機を理由に、論旨自体を排除するのは科学者の態度ではない。ダーウィンが進化論を提唱した時、教会を中心とする保守派は、ダーウィンを無神論者、西欧文明の破壊者呼ばわりして、それだけの理由で進化論を貶めたものだ。それから1世紀以上が経過し、今や攻守が逆転して、かつての教会と同じことを、ダーウィニスト達がやっている。

(2)IDは危険思想
 基本的に(1)と同じだが、より積極的な非難を向けており、IDとは人々の無知を煽り、愚民化することで、社会の進歩を逆流させようとするもの。
[私見]
 そこまでの悪意があるものか。少なくともIDを支持する私の友人は善良な人々で、みずから信じるところを述べているだけである。いずれにせよ、科学の議論に「危険思想」などという視点を持ち込むこと自体、ナンセンスである。危険思想とは、社会や人民にネガティブな影響を与える、という意味だろうが、科学的真実とは、そういう「人間の都合」からは独立したものである。
 ついでに言えば、「優勝劣敗」「適者生存」を説くダーウィニズムこそ、弱者切り捨ての危険思想という考えもある。いわゆる「社会的ダーウィニズム」を、極限まで推し進めたのがナチスで、進化論に反対する米国人の多くが、ダーウィニズムをヒトラーに繋がる思想と考えているのだ。(もちろん、これも、科学理論としてのダーウィニズムを否定する理由にはならない。)

(3)IDは証明不能、よって科学理論になりえない
 太古に起こった進化が人為的なものであったかなど、検証のしようがない。それゆえ科学の対象になりえない、というもの。
[私見]
 検証できないものは科学でない、というパラダイム自体は正しい。しかし、IDは検証不能だろうか? 自然選択と人為選択では、進化の結果が異なる、というのがIDの拠り所だし、IDを検証不能というなら、まず、この点を論破すべきである。
 さらに言えば、ダーウィニストがこの論法でIDを否定するのは、自家撞着、もしくはダブルスタンダードである。なぜなら、太古の進化が自然選択だったことは、どうやって検証するのか? いや、自然選択は、産業革命時の蛾のような実例がある、とダーウィニストは言うかもしれない。しかし、我々の眼前で進行している実例なら、人為選択の方がはるかに多い。人類はずっと農作物と家畜を改良してきたのだし、最近では、遺伝子組み換えまで登場しているのだ。

 以上の3つは、IDへのまともな批判になっていない。(しかし、数の上では、これらが圧倒的に多い。)それに対して、以下の2つは、科学的な批判といえよう。

(4)中立的進化は起こりうる
 ベーエは、血液凝固機能には30個の蛋白質が必要で、最初の29個までは、優位をもたらさないのだから、こういう進化は起こらないとした。しかし、29の蛋白質は有利にもならないが、不利になることもない。このような中立的突然変異は起こりうるし、起こっても淘汰はされず、個体が生存し続けることは、研究者の間で報告されている、というもの。
[私見]
 こういう専門的な話になると、門外漢の私には、仲々、批評のしようもないのだが、素人としての疑問を提出させていただく。これって、問題が「時計作りのアナロジー」にまで逆戻りしないか? 益にも害にもならない変化は起こりうるというなら、歯車や文字盤がひとりでに出来ても害はないのだから実際にもそうなった、と言ってるのと同じでは?
 もう一つ疑問がある。益にも害にもならない中立的変化は、研究所で観察されるとしても、自然界で長期にわたって存続しうるものだろうか? 有害でなくても有用でない器官は、現実には退化するように思えるのだが・・・
 例えば、陸上脊椎動物は、魚から進化したものである。水中でエラ呼吸をしていた動物が上陸し、肺呼吸をするようになった。しかも、かつてもっていたエラは退化してなくなってしまった。一生の内にこれを経験するのがカエルで、オタマジャクシのエラは成長するとなくなるから、カエルを水に沈めると溺死してしまう。しかし、肺呼吸になったとしても、エラの存在自体が害にはならないだろう。なぜ喪失しないといけないのか?
 もう一つの例として、人間の歯を考えよう。ヒトとチンパンジーが共通の祖先から別れたのは、600万年ほど前らしい。そのチンパンジーは、ヒトとは比較にならない、強力で鋭い歯を備えている。ヒトの遠い祖先も同様であったろう。それが、現在のように貧弱な歯になったのは、道具を使い出したからだとされる。チンパンジーは、食物を切るのも砕くのも歯で行うから強大な歯が必要だが、道具を使う生物はそうではない。さらに火を使用して、食物を煮たり焼いたりすることで、ずっと柔らかくなり、ヒトの歯はさらに退化したという。しかし、強力な歯は無用になっただけで、あれば有害というわけではなかろう。
 私からみると、有害でも有用でもない器官が退化するのは、自然に思える。なぜなら、有用でない器官を作るにも、材料やエネルギーが消費されるからである。野生動物が食物を得るのは大変な苦労を伴い、慢性的な飢餓状態にあるのだ。せっかく苦労して得た食物を、無用の器官のために使うのは、真に「中立」であろうか?
 専門家の意見を聞いてみたいものである。

(5)別目的で進化したものが流用された
 陸上動物の肺は、魚が水に浮くための空気袋が変化したものである。それと同様に、別目的で進化したものが「流用」されることがある。例えば、鳥の翼は「虫取り網」として進化した、とする説がある。眼の前の虫に、羽毛の着いた腕を叩きつけると虫が羽毛に引っ掛る。これをやっているうちに、網としての羽毛が大きくなり、腕を動かす筋肉も発達して、ついには、飛行のための翼という別目的で使えるようになった。ベーエが例に挙げた鞭毛は、元は、体内物質の排出管として進化したという説もある。つまり、翼にせよ鞭毛にせよ、進化の途中過程で、決して「無用」ではなかった、というもの。
[私見]
 ここに挙げたID批判の中で、最も真っ当なもので、これこそ科学的批判というべきだろう。
 これを再批判することは、私の手に余るが、ただ、虫取り網から空飛ぶ翼への変化が、はたして連続的なものなのかどうか。依然として大きな断絶があるように思えるのだが。私が小学生だった頃、虫取り網を持って、昆虫採集をやったものである。ああいうことを続けていれば、網を素早く正確に動かせるようになるのは分かるが、だからといって飛行に流用できるまでに発達するのは、それこそ飛躍のし過ぎで、そのずっと前に、虫取りの効率が限界に達するのではないか? 空を飛ぶというのは、それほどまでに大変な作業で、ケタ違いのエネルギーがいるものである。

 それでも、(4)と(5)は、科学的批判として、まともだと思う。すべてのダーウィニスト達がIDを門前払いせず、こういう理論をもって立ち向かえば、はるかに建設的な議論になるだろう。

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次回が最終回です。これまでに言い足りなかったことを補足して、まとめてみます。

投稿時間:2011/01/18(Tue) 22:16
投稿者名:Ken
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ID論争 (6)
 今回が最終回です。私自身が、日頃思うことを述べて、まとめとします。

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 この機会に、いわゆる「超自然現象」に対する、正しい態度、科学的に向き合う姿勢とは、どういうものか考えてみよう。対象は神でもいいし、魔術でも、幽霊でもよい。

 米国では、臨死状態から蘇生した人が、「幽体離脱」を経験したと報告した例がいくつもある。多くの報告に共通するのは、患者が気が付くと、自分は病室にいるのだが、目の前のベッドに、意識の無い自分自身の体が寝ており、周囲には医療スタッフや家族がいる。それらの人々には、そこに立っている自分が見えない、というものである。空中に浮遊して、人々を見下ろしているケースも多いらしい。ある人は、やがて自分の肉体に戻って目覚めたと言うし、別の人は、その後、暗いトンネルのようなところを通り抜けて、やがて光輝く世界が現われ、その光の中に、自分を迎えてくれる「何者」かを見た、という。

 このような「幽体離脱」の報告を聞いた人々の圧倒的多数は、頭から信じるか、頭から否定するかのどちらかだそうだ。頭から信じる人は、これこそ、人間の霊魂が肉体の死後も残ることの証明だし、光の中に現われた存在こそ、天使または神そのものに違いないと言う。頭から否定する人は、臨死状態で脳の機能が衰えた時に見た幻覚にすぎないと決めつける。しかし、故カール・セーガンは、こういう態度は、どちらも正しくないと言い、真実に近づくために、次のような実験を提案した。

 ある患者が臨死状態になったら、その人が、それまで見たことがないのが確実な本を取り出して開くのだ。あるいは、ノートを開いて何か書き込んでもよい。その本なりノートなりを、ベッドの患者からは、絶対見えない場所と角度で開いておく。やがて、覚醒した患者が「幽体離脱」を語るとき、その本やノートの内容を正しく言い当てたなら、強力な証拠になるだろう。

 これこそ、正しい態度、科学的姿勢というものである。

 残念ながら、多くの人が、幽体離脱など幻覚と片付けるのが、科学的態度と信じている。科学の本質とは疑うことなのに、「幻覚説」を頭から信じて疑わないのだ。そして、まったく同じ姿勢で、IDに対しても臨んでいる。もし今、セーガンやアジモフが生きていたら、ID議論にどう反応するか、私の興味が尽きないのは、この理由による。

 今回の投稿では、IDや幽体離脱など、主に米国で論議されているテーマを取り上げた。ひるがえって、日本はどうだろう? 日本にも、私などがみて、非常に気になる社会現象がある。いわゆる「血液型による性格診断」である。これに関連する本を置いてない本屋を見つけるのは、ほとんど不可能といっていい。

 血液型で性格が決まるという説が、正しいのか、誤りなのか、ここでは論じないが、一つだけ言えることは、これを支持する人々のアプローチは実に非科学的であるということだ。私もさんざん経験しているが、はじめに「あなたの血液型は?」と尋ね、答えると「〜型だから、あなたの性格は〜」と言い、その線に沿って私の言動を解説してみせる。しかし、最初に血液型を尋ねるばかりでは、血液型性格診断の仮説が正しいかの検証にならないではないか。

 もちろん、いかなる仮説も、事実を観察し、データを集めることから始まるから、多くの人に血液型を尋ね、その人たちの言動を観察し、そこから「A型に共通するのは〜」「B型の共通項は〜」という仮説を立てるのは、正しい作業である。しかし、それだけなら、仮説を立てたに過ぎず、仮説の検証をやっていない。この場合、仮説の検証とは、個人の言動を観察し、血液型を当ててみせることでなければならない。百発百中でなくても、統計的に信頼できる精度で当ててみせて、始めて、仮説は証明されるだろう。しかし、私の知る限りで、どんな本を読んでも、そんな検証が乗ってるものはない。これでは、日本の血液型性格診断は、米国のID論などより、はるかに程度の低い、幼稚な議論というしかないだろう。要するに、一人のベーエもいないのだ。

****************************

 これにて、連続投稿を終了します。最後まで読んでくださった方には、感謝します。読んでて分かりにくい点、疑問点などありましたら、どうかおっしゃってください。「何が何だか分からん!」というお叱りでも結構です。(笑)
 IDは正しいかもしれないし、誤りかもしれない。しかし、いわゆる「疑似科学」とは、性質を異にするように思うのですが、どうでしょうか?

 また、あらためまして、発表の場を提供いただいた、徹夜城さんに感謝します。

投稿時間:2011/01/19(Wed) 01:32
投稿者名:コルサンター
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Re: 学問に「超越者」を持ち込む是非
Kenさん、お疲れ様です。楽しく拝見させていただきました。

議論幅が広いので、どこから話したらよいのか迷うところですが、今回はID論の根本について問題提起をしたいと思います。

それは、「学問に超越者の存在を持ち出すのははたして良いのか」ということです。

こんな話があります。
「前近代の地図は、未知のエリアに想像の陸地や生き物を描いていた。対して近代以降の地図は、未測量の地域は空白にして発行するものである」
これにあるように、近代学問とは「証明可能なものの範囲内で物事を追究する」という大原則のもと成立しています。

これは何も自然科学に限った話ではありません。
昔の歴史叙述では、説明困難な出来事を神などの意思によるものと説明していました。
トロイア戦争をヘラ、アテナ、アフロディテの嫉妬が原因と説明するギリシア神話、日本列島を神々が創ったと説明する古事記、社会の混乱を妖怪や天狗の仕業と説明する太平記など、多くの例が挙げられると思います。

もちろん、現在の近代の流れをくむ歴史学において、歴史の出来事を神の仕業として合理化することは許されていません。

なぜ近代学問において神の存在を持ち出してはいけなくなったか、これは、神を持ち出してしまったらそこから先へ追究する道が絶たれてしまうからです。
先述したように近代学問では、現時点で説明できないものには推測から結論を出すことはせずに、「未解明」という形にしておきます。そして、それを解明できるよう学者たちは研究を行うわけです。

ID論者は、ダーウィンの進化論では説明できない事象を取り上げて「ゆえに何者かによる意思が介在している」という論理を組み立てていますが、これがおかしいことは前記のことよりわかるはずです。証明できないからといってそれを「神」のような存在を持ち出して正当化するのは、近代学問の範疇においては許されない行為であることを。

もちろんID論者が、IDを仮説として「ならばその『何者か』が本当にいるのか、いるとしたらその正体は何であるのかを追究しようじゃないか」という方向で研究を始めれば、これは近代学問の手法に則っているといえるでしょう。しかし、その「何者か」の存在を追究することなしにIDを唱えるのは、科学的姿勢ではありません。

もっとも、この「証明できる物事しか扱えない」というのは近代学問の限界であるとも言われてはいます。
例えば、かつての古い書画の鑑定というのは、目利きの職人がそれまでに培ってきた鑑識眼や勘をもとに、「誰の作品である」ということを判定していました。
しかし、現在ではそういった「職人的な勘」で判断することは学問の世界では認められず、文献による裏付けなどの物証が求められるようです。
ただし、ID論者たちが近代学問の土俵の上で議論をしようとしている以上は、上記のことを口実にすることはできないわけですが。


最後に、関連してちょっとした問題提起をさせていただきます。

「科学者たちは聖書の記述だからといってID論に正面から取り組まない」というID論者による批判について。

私はこの批判に疑問を抱きます。確かにそのようにID論をあしらう人はいるでしょうが、普通の科学者ならそのような懐疑的精神の欠如したことは言わないはずです。

例を挙げましょう。
今や宇宙誕生の定説となったビッグバン。これは聖書の天地創造の話に似た説です。だからといってこれを批判する学者がいるでしょうか。
他にも、現在の人類進化の定説となった「アフリカ単一紀元説(これについては『イブ仮説』という完全に聖書を意識した通称もあるくらいです)」。これは、それまでの主流だった多地域進化説を押しのけて定説に登りつめました。これを「聖書の記述とそっくりだから」といって学会は否定しているでしょうか。

ではなぜID論が、多数の科学者たちの間で受け入れられていないか。それは、「聖書の記述だから」ではなく、「ID論に説得性がないから」だといえるのではないでしょうか。
ID論に科学的説得性があれば、それが聖書の記述に酷似していようが学者たちは受け入れます。それが受け入れられていないのは、単にID論に説得性がないからなのではということです。



とりあえずのところ以上です。自分でも書いていて「整理されていないなあ」「説明不足だなあ」と感じていますので、疑問点、批判などどんどんお願いします。

投稿時間:2011/01/19(Wed) 21:31
投稿者名:Ken
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Re^2: 学問に「超越者」を持ち込む是非
 コルサンターさん、ご無沙汰しています。
 どうやら、投稿をすべて読んでいただいたようですね。有難うございます。

 ご指摘の点に関する回答ですが、次のように整理してみました。

 まず、ID論者は、地球上の進化に干渉したのが「神」であるとは、言っていません。もっとも、ここが一番ややこしい点なのですが、彼等の大半は、間違いなく神を意識しているでしょう。ただし、提出する議論の中には、神を持ち込んでいない。それゆえ、我々もまた、彼等が提出する議論のみにもとづいて、これを評価すべきかと考えます。

 ID論者の問題提議は、あくまでも、地球で起こった進化は自然選択なのか、それとも人為的なもの(人為選択や遺伝子操作)なのか、というものです。進化はこのどちらかの場合しかない、というのは広く支持されていることだし、その中で、自然選択には、生物個体の生存、繁殖にただちに寄与するという、はっきりした特徴があります。それゆえに、その特徴を示さない進化は人為的なものである、と結論するのは、真っ当なロジックではないでしょうか? 説明できないから超越者を持ち込む、というのとは、違うと思うのです。

 IDを実行した者の正体ですが、ID論者は、追求できないとは言ってません。もちろん、彼等が内心では神を意識してる以上、自分たちで追及することはないかもしれません。(あるかもしれません。)とにかく、その追求を否定しない以上、彼等のスタンスに問題はないでしょう。進化が人為的なものだと証明する人と、その人為的所作の実行者を追及する人が、同一である必要はないからです。

 例として適当か分かりませんが、かつて科学者の間で、光は粒子なのか波動なのか、という議論がありました。粒子説を唱えたのがニュートン、波動説を唱えたのがホイヘンスです。ホイヘンスは、光が回折や干渉という波動に特有の現象を示すことから波動説を主張したわけですが、当時(17世紀)の波動説には重大な弱点がありました。太陽や星から真空の宇宙空間を通って来る光が波だとしたら、いったい何が振動しているのか?という問題です。ホイヘンスも含め誰にも分からず、とうとう「エーテル」などという観測不能の物質(?)まで提唱される始末でした。(光の媒質としてエーテルを持ち込むのは、進化の問題に神を持ち込むのと、ちょっと似ています。)結局は19世紀に電磁場の存在が確認され、光は電磁場の強さが振動する電磁波の一種であるとして、決着するわけですが、ホイヘンス達が、たとえ媒質の正体が分からぬにせよ、波動説を唱えたことには、やはり意味があるでしょう?

 ダーウィニストは、IDが聖書に似てるから拒絶する、という表現は、厳密には、正確さを欠くと思います。ダーウィニストのID批判を簡潔に言えば、
 「ID論者は、ユダヤ・キリスト教の神を信じるあまり、科学者としての客観的・合理的判断力を失っており、だからダーウィニズムを認めないのだ」
 ということでしょう。これに対してID論者は、
 「我々のどちらが客観的・合理的な判断をしているか、具体例をもって検証しよう」
 と応酬し、その具体例として、鳥、血液凝固、鞭毛、眼などの進化を持ち出しているのです。ID論に説得力があるかどうかは、これら具体例をもって論ずべきものでしょう。

 重要な点を付け加えさせてください。現在のダーウィニズムvsID論争は、かつてのダーウィニズムvs聖書論争と、大きく異なる点があります。かつての論争では、「聖書派」はダーウィン流の自然選択を一切認めず、すべての生物は神の被造物だと主張しました。しかし、ID論者は、自然選択の全否定はしてません。ただ、地球上の進化の中に、人為としか考えられないものが含まれる、と主張しているのです。これに対して、ダーウィニストはIDを全否定しており、すべての進化は自然選択と主張します。しかし、実際には、自然選択がまだ説明できない例が観測されています。こうなると、コルサンターさんが挙げられた「未知領域」を空白として認識せず、想像で埋めているのは、ダーウィニストの方ではないでしょうか?

 どうでしょうか? コルサンターさんのご質問に答えられましたか? 説明のおかしなところ、至らない点がありましたら、どうぞおっしゃってください。

投稿時間:2011/01/22(Sat) 01:24
投稿者名:ウェンデル・アース
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Re^3: 学問に「超越者」を持ち込む是非
Kenさんの投稿とコルサンターさんの投稿を拝見しました。
ID論はSFでは古典的なネタですよね。
結局サイエンティストとID論者の対話が成立しないのは「不在証明」が関与しているからではないでしょうか?
サイエンスが「不在証明」を取り扱えないのは周知の事実で、不在証明を持ち出した/持ち出された時点で議論が不可能になり、そのあとは単なる口喧嘩になってしまいます。
例にあげられている「時計」の話ですが、無限の時間をかければひとりでに時計が組み上がらないとも限らない、ただそれを証明することは(肯定にせよ否定にせよ)誰にも出来ない訳です。もちろん何らかの淘汰圧がかかれば別ですが。
「眼」の例に関して言えば、ただ光を完治するだけの受光期間だけでも生存競争に大幅に有利になることは指摘されていますし、構造に付いてはそれこそ受講期間にすぎない眼点からピンホール型の眼・複眼など様々なバリエーションがあることはよく知られています。
私見ですがID論の主張としては人間の持つ構造が最善のものであるという前提が間違っているように思います。人間の体なんて不完全極まりないと思っていますので。

投稿時間:2011/01/22(Sat) 11:37
投稿者名:Ken
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Re^4: 学問に「超越者」を持ち込む是非
ウェンデル・アースさん、ご無沙汰してます。

 はじめに少々苦情を(笑)
 投稿の冒頭でも述べたように、ID論は、きわめて誤解を受けやすいので、私自身も、細部の用語にも注意を払って、書いてきました。その立場からいうと、「サイエンティストとID論者」という対比は、これ自体が議論の対象だと思います。ID論者の中にもベーエ教授に代表される本職の科学者が含まれます。対比は「ダーウィニストとID論者」とするべきでしょう。

 もっとも、ダーウィニストの多くが、IDを疑似科学といっているので、彼等の主張どおりなら、ID論者は科学者の名にあたいしないことになります。ただ、私は、今回の投稿で、その主張が誤りだと述べてきました。IDは科学理論として正しいかもしれないし、誤りかもしれない。しかし少なくとも疑似科学ではない、ということです。ですから、今回の議論の中で、もしもIDは疑似科学であると主張されるのであれば、私の論理の「ここがおかしい」という説明をいただけると、たすかります。

 ウェンデル・アースさんが、「不在証明」で、具体的に何を意味されているのか、今ひとつ掴めなかったのですが、時計作りの例に関しては、いささか補足説明をさせてください。

 まず、時計作りのアナロジーは、無限の時間は想定していない、ということです。地球が誕生して46億年。生命の誕生から約40億年。我々脊椎動物の最も原始的な生物が登場するのは、約5億年前のカンブリア紀と言われる時代です。本格的な進化はここから始まるとして、生物学者はカンブリア以後の時代を「古生代」「中生代」という大きなくくりや、「石炭紀」「白亜紀」といった、より細かい区分に分けています。この程度の「有限」な時間で、我々が知る進化は起こったのです。

 次に、時計にせよ生物にせよ、ひとりでに組みあがることはない、というのは、ダーウィニストとID論者の双方に共通する前提で、この点は、両者の議論にも口喧嘩にもなっていません。この前提に立って、ダーウィニストは自然選択を提唱し、ID論者は、それに人為的進化も加えています。両者の対立点は、人為的進化を加えることの是非なのです。

 ID論が、人間の構造が最善と主張しているとは、私には初耳です。ID論者の中に、そういうことを言っている人がいるのでしょうか? ただ、それはIDの本質ではありません。IDの基本は、地球生物の進化に干渉したものがいる、ということに尽きるでしょう。

投稿時間:2011/01/23(Sun) 02:50
投稿者名:ろく
Eメール:tasiroku@hotmail.co.jp
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Re^5: 学問に「超越者」を持ち込む是非
まずはKenさん、ありがとうございます。
ID論の話大変面白く読ませて頂きました。

ここまで読んでいるうちに皆さんの的確かつ論理的な文章に圧倒されまして(笑)
自分の言いたいことはほぼ言い尽くされている感がありますが、せっかくですので少し感想を述べさせて頂きます。他の方々と重複している点もあるかと思いますがご容赦下さい。


まず、これまで何度かその言葉の出ている<時計作りのアナロジー>について。
確かに時計も生物も、ひとりでに組みあがることはない、その通りです。
しかし少々こまかい話になりますが、この場合の<ひとりでに>という言葉の遣い方からして、時計に関するときと生物に関する時とでは異なってきます。

時計の部品が道端に落ちていても、そこに例えば強い風が吹き、部品同士がかみ合わされたとしても、そこには何の規則性もありません。

しかし自然界においては、こちらを読まれている方々ならよくご存知でしょうが、例えば酸素原子が2個あれば結合してO2に、またはNOxやCO2などの様々な分子に、なろうとする力が働いています。

そしてこのように、規則性を持ち結合された分子が更に結合してゆき、アミノ酸などを形成し、たんぱく質となり最終的には生物が発生する・・・と私は認識しているのですが、これは当然時計が人為的にしか作られない、時計の自然発生はない、という場合とは異なってきますよね。

時計のネジや歯車が組み合わさる事には自然の法則は働きませんが、原子や分子の結合は一定のパターンに沿って(放っておいても)行われます。(もちろん全く刺激のない場合はこの限りではないでしょうが、地球上では太陽からのエネルギーや地球内部の熱などが表面の分子・原子を刺激してエントロピーの減少を見る事が出来るわけです。)


もしこの分子・原子の結合こそが人為的な進化の証明、超越者のいる証明だと言われてしまえば反論は不可能です。話はここで終了です。

しかし逆に言えば、もしそこまで、超越者が操作出来得るものならば、なぜその後の進化にこれ程欠陥が多いのか。

ウェンデル・アースさんのおっしゃるように、眼など、人体(のみならず地球上の様々な生物の様々な部位)は、人為的な操作の結果作られたものとするには余りにも杜撰な作りに思われます。


そして、<現在の進化論では(一例として挙げられたのだと思いますが)恐竜から鳥への進化は証明できない、だから人為的なものだ>という論においては文章自体が破綻しているようにさえ思えます。
AではないイコールBであるという証明は、他に選択の余地がないことが先に証明されている時のみ成り立つのであり、そして現在の進化論科学が世界の全てを証明しているわけではないことはもちろんです。

これは「わからない→神様の仕業だ」という原始のアニミズムから一歩も出ていない論に思われます。

以上のような論点の破綻を考えると、残念ながら、こちらを読む限りではID論には説得力を感じられませんでした。


最後に、ウェンデル・アースさんのおっしゃる不在証明は「そこに何かがいない事を証明する」という意味かと思いましたがいかがでしょうか。

何かが「ある」事を証明するのと違い、「ない」事を証明するのは困難で、場合によっては不可能に近いため、「ある」事を主張する側がその存在を証明する必要がある、という原則の事だと思います。

この場合はダーウィニストが超越者の不在を証明するのではなく、ID論者の側がその存在を証明しなければならないわけです。

投稿時間:2011/01/22(Sat) 22:03
投稿者名:徹夜城
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タイトル:
一通り読ませていただきました
管理人として、こちらに誘導した以上、コメントを。

まず冷静な筆致で議論を読みやすくまとめていただいたと思います。それ自体はいろいろと勉強になりましたし、ID論が一応進化論そのものを取り込む形であることも理解はできました。kenさんの「疑似科学として門前払いするのはいかがか」という主張も一定の理解をします。
ただ、やはり煎じつめると「自然選択・淘汰の積み重ねではこうならない。人為的なものだ」ということになると、ID論以前の創造論と何ら変わりはないのではないか?という印象を僕は受けました。そしてすでにご指摘が出てますが、「進化に介入した何らかの知性」を設定する必然性を僕は感じなかったんです。それを持ち出したとたんに「じゃあそれはいかなるものであり、いかなる方法で介入したのか、またその目的は何なのか」ってことを論じなければいけなくなるのではないでしょうか。また進化の方向に介入するにしても現在における人間という一生物のみた価値観から見た「進化コース」に沿うようにその何者かが介入するというのもSF的に考えたとしても僕はひっかかりを感じます。
挙げられていた「ダーウィニズムの疑問点」にしても僕がちょこっと読んだドーキンスの著書の論法からするとすでにそれ以前の創造論派とのやりとりであがっていたものと似ている気がするのです(だから彼らには新鮮味がないとも言えるかも)。直接は読んでませんが、ドーキンスはID論についてもかなり詳細に批判をしているようですが。

セーガンやアシモフがどう批判しただろう?と想像するのは確かに楽しいのですけど、こればかりは実現しない話ですしねぇ。

投稿時間:2011/01/23(Sun) 13:07
投稿者名:Ken
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タイトル:
回答します。
 いやあ、皆さん、活発なレスポンスをいただき、感謝です。意見発表の場をもてただけでも幸運なのに、このような議論に発展するとは、望外の喜びです。とくに、ろくさんは、皆さんの意見を的確にまとめてくださり、たいへん助かりました。

 ご指摘の点に回答する前に、私がこれまでに述べたIDの特徴のうち、最も肝要な点を、あらためて列挙します。

 (1)IDは、地球生物の進化に干渉したのが、神とも超越者ともいっていない
 (2)IDは、進化も自然選択も認めている
 (3)IDとダーウィニズムの唯一の対立点は、地球の生物進化に、人為的な干渉が含まれるか否か、の一点である

 まことに簡明だと思うのですが、世の多くの人には、これがなんとしても理解されません。特に、徹夜城さんが名前を挙げたリチャード・ドーキンスは、ID論者が、これを何百回繰り返しても、頑として認めず、IDが進化も自然選択も全否定しているとした上で、自己の反論を構築します。地球の歴史の中で生物が形体を変えてきたことは、大量の化石が証明しているにもかかわらず、ID論者は進化を認めない・・・このように言い張った上で、IDは創造論と同じだと断言するのです。ドーキンスは多くの著作をなし、あちらこちらで発言をしているので、この人物の考えに接するのは、実に簡単です。たとえば、これ、

http://www.guardian.co.uk/science/2005/sep/01/schools.research

 英語で恐縮ですが、ドーキンスが英ガーディアン紙に投稿したコラムです。彼の主張が、簡潔に要約されており、上記の3点と比較すると、いかに議論がかみ合ってないかが分かります。(私見ですが、ドーキンスは上記の3点が理解できないのではなく、理解した上で、IDの論点を自己に都合よく歪曲してると思います。)

 それでは、主にろくさんのご指摘に対応する形で、回答をしてゆきます。

 まず、上記の(1)。IDは地球生物の進化に干渉したのが神とも超越者とも言ってません。進化に干渉するのは、人類が過去1万3千年に行ってきたことで、その主体者が神であることを必要としません。ゆえに、生物の構造が不完全だから、干渉がなかったとはならないでしょう。また、干渉者が仮に神のような超越者としても、そのことと、干渉者が必ず神の完璧さでもって進化を導くこととは、ロジックの問題として同等ではありません。

 上記の(3)。地球生物の進化に人為的干渉が含まれるか、が争点です。「AではないイコールBであるという証明」は、ここからきます。つまり、

 A:地球生物の進化には、人為的干渉はなかった
 B:地球生物の進化には、人為的干渉があった

 これなら、この2つの場合以外には、ありえないでしょう。そしてダーウィニストが、「干渉はなかった」「すべての進化は自然選択」と主張する以上、あらゆる進化を説明し尽くす責任は、ダーウィニストの方に生じます。言い換えれば、ダーウィニストはこれをやればよいので、干渉者の不在を証明する必要はありません。
 上記のコラムにもありますが、ドーキンスはここでも論点を歪曲しており、

 「進化には大量の証拠がある。IDの証拠を出したいなら、神が進化に干渉している記録映像でも持って来るべきだろう」

 と述べています。しかし、干渉の記録映像に対応するダーウィニズム側の証拠は、すべての進化が自然選択で起こったことの記録映像であって、進化が起こったことの証明ではありません。(そこが対立点ではないのだから。)

 太陽や地球のエネルギーを受けて、蛋白質等が合成されるのは事実でしょうが、これは、今、問題になっている進化とは別物です。これらは、生物を作る材料ができることを意味しているので、時計に例えるなら、鉄、銅、シリコン等が、星の内部の核融合でできることに相当します。しかし、今問題になっているのは、これらの材料が歯車や文字盤として加工され、協同して働く機械に組みあがるか、ということなのです。エネルギーだけでは、それが起こらないことは、ダーウィニストも認めており、だからこそ「自然選択」という別のメカニズムを提唱しています。エネルギーの流入は、エントロピーが減少する必要条件ですが、十分条件ではありません。

 最後に、徹夜城さんが言われた、

それを持ち出したとたんに「じゃあそれはいかなるものであり、いかなる方法で介入したのか、またその目的は何なのか」ってことを論じなければいけなくなる

 についてですが、論じればよいのではないでしょうか? 今のところ、追及の手がかりすらありませんが、未来永劫そうだと結論する理由もありません。私が、ホイヘンスの光=波動説を例に挙げたのは、そのためでした。媒質の正体が不明のまま光が波動だと主張するのと、干渉者の正体が不明のまま人為的干渉があったと主張するのとは、同じ性質のものであり、ホイヘンスが波動説を唱えたことに意味があるのと同様、干渉があったと主張するのも、それ自体に問題はないでしょう。

投稿時間:2011/01/28(Fri) 04:09
投稿者名:Ken
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ID論争 (7)
 皆様こんばんわ。
 ここまでの、皆さんからのご質問やご意見を伺って、私の説明不足、プレゼンテーションの稚拙な点が、自分でもみえてきました。そこで、明らかにできる点は明らかにし、その上で、ダーウィニズム対IDの論争が、なぜ今のようにかみ合わなくなったのか、歴史的経緯を踏まえながら、考証してみようと思います。当初の予定になかった第7回をアップしますので、ここまで読んでいただいた方々には、いま少し、おついきあい願えれば、幸いです。

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 今回の質疑応答を通じて、多くの人が、
 「合理的に説明のつかないことに、超越的存在をもちこんで、解明を放棄するのは科学ではない」
 と、批判されていることが分かってきた。なによりも、この点について、補足説明が必要であろう。

 このような指摘自体は至極真っ当なものだし、現実にこの誤りを犯す人々がいるのも事実である。例えば、17世紀以降、光は波だと主張した科学者たちは、

「波とは媒質を伝わるものだ(音声が大気を伝わるように)。光は真空の宇宙空間を通ってくるが、そこには媒質となるべき物質が何もないではないか」

 と批判されて、困ってしまった。中には、

「光は媒質がなくても伝わる波なのだ。神がそのように決められたのである」

 と主張した人もいるだろう。これなど、この誤りの典型的な例といえる。多くの科学者たちは、神こそ持ち出さないが、「エーテル」という、決して観測できない、いわば超越的な物質が宇宙を満たしており、これが光を伝える媒質だと主張した。これでは、神がそう決めた、というのと本質で変わるところがない。

 しかし、自然選択で説明のつかない進化は人為的干渉の結果と主張することは、この例には該当しない。なぜなら、進化への干渉は、超越的なわざではないからである。人類は、農耕・牧畜を始めてより1万年以上もこれを実行してきた。干渉の具体的手法は、「好ましい」個体にのみ子孫を作らせる人為選択だったが、ごく最近になって、遺伝子組み換えという新しい手法も加わった。つまり、IDには、人類とよく似た意思と能力を有する、人類以外の存在を仮定すればよいのである。それは異星人かもしれない。異星人が現実的な可能性としてありうることは、SETI(地球外知性の探索)をNASAがやってることでも分かる。
 また、ある特定の進化──例えば鳥の出現──が、自然選択では説明できず、IDと結論されても、それがすべての終りではない。やがて、自然選択でこれをきれいに説明する理論が現われるかもしれない。もし現われたら、それに合せて我々の考えを変えればよいので、そのような例は、科学史上枚挙にいとまがない。むしろ、人為的干渉という、人類が現にやっていることを、人類以外がやるとなると、「疑似科学」として根拠もなく排除することこそ、科学の発展を阻害するものである。

 それにしても、なぜ、ダーウィニズムにまつわる論争では、良識が支配せず、誤解と歪曲と強弁が横行するのだろうか? 私は、それは、歴史の偶然が生んだ不幸な事態だと思う。

 19世紀来の論争のそもそもの発端となった「時計作りのアナロジー」を考えてみよう。生物の複雑な構造が自然発生するはずがなく、意図的な創造者がいるという主張自体は、いわば常識論にすぎない。
 問題は、その創造者が神であると短絡した点にある。それも一般名詞としての「神」ではない。当時のヨーロッパ人が考える神──宇宙を根源的に創造し、地球を生命で満たし、自分になぞらえて人間を作り、自分の息子を救世主として遣わした存在──という、きわめて具体性の強いものである。冷静に考えれば、進化の干渉者が、このような神でなければならない理由はどこにもない。

 それゆえ、無神論者が「時計作り」に論駁するとき、何よりもこの点を衝くべきだった。そのとき「聖書派」から出るであろう「神でもない者が、かくも偉大な生命体系を作れるか」という主張に対して、ダーウィニズムを補強理論として提出すればよかったのだ。生物自身が自己進化する仕組があるから、すべての進化を干渉者が導く必要はなく、ゆえに神でなくてもよいのだ、と。

 ところが、当時の無神論者は、「時計作り」の干渉者は神以外にあり得ないと、彼等自身も短絡してしまった。この点で、無神論者も当時の典型的なヨーロッパ人だったといえる。そうなると、神を否定する立場上、進化への干渉を全否定するしかない。それはつまり、ダーウィニズム(自然選択)で、あらゆる進化を説明できるという主張につながる。こんなことは、ダーウィン自身も想定したか疑問である。自然選択で進化が起こり得るのと、進化は自然選択でしか起こらないのでは、ロジックとして全く別物なのだ。

 「自然選択で進化が起こり得る」ことには大量の証拠がある。「進化は自然選択でしか起こらない」ことには何の証拠もない。ベーエ達ID論者は、後者の点を追及し、ドーキンス達は、前者の証拠で後者も証明されると強弁するのだ。ブッシュ前大統領は、学校でダーウィニズムとIDの双方を教えるのがバランスが取れてよいだろうと言ったが、ドーキンスはIDを学校に持ち込むことに断固反対する。その理由として、IDは「自然選択で進化が起こり得る」ことも否定する疑似科学だというのだ。「そうではない」という抗議には一切耳を貸さない。

 さて、われらがアジモフ博士が今の論争を見たら、何と言うだろうか?
 私の個人的意見だが、やはりドーキンス流の論法は論理的に破綻しているし、アジモフとしても支持するわけにはゆかないだろう。ただ、ここで悩ましいのは、ID論者が表に出す主張の背後にある意図である。彼等自身は、干渉者の正体がユダヤ・キリスト教の神だと思っているし、IDを耳にする多くの人が同じ結論へ至ることを期待しているだろう。(私がIDの主張を詳しく読むことができたのは、宗教系のサイトだけだった。)ドーキンス達がIDにいかなる譲歩もできない理由もここにあるだろう。つまり「時計作り」の賛否双方が犯した誤りは、実質的に今でも続いているのである。
 アジモフとしては、IDの表の主張と裏の意図を厳密に区別し、「表」の妥当性を認めつつ、「裏」の方が人々を惑わさないように注意を促すのではなかろうか?
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 どうやら、今回の投稿で、私が言うべきことは言い尽くしたように思います。もちろん、疑問や批判があれば、これからもお寄せください。

投稿時間:2011/08/31(Wed) 12:55
投稿者名:Bail Hoshikuzu Channis
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Re: ID論争 (7)
…実はこのID論争のスレッドでの討論、タイムリーに拝見していたのですけれど、当時は、私見を奇麗に立論しつつ投稿することは、私には出来ないと、いったん諦めてしまいました。
…徹夜城さんのサイトを訪問する都度、このID論争のスレッドが思い起こされて気になってしかたがなく、思い切って、ポストさせて頂きたく存じます。ただし、奇麗な立論は不可能ですし、また、Kenさんはじめ皆様の論議に沿ったものでもありません、申し訳ございません。
===
『知性ある何かによって生命や宇宙の精妙なシステムが設計されたとする』『宇宙自然界に起こっていることは機械的・非人称的な自然的要因だけではすべての説明はできず、そこには「デザイン」すなわち構想、意図、意志、目的といったものが働いていることを科学として認めよう』 (Wikipediaより引用)
===
私の感覚では、IDerの皆さんは、例えば、人類という種の現在の様態を「完成品」としてみなしている、そのように感じます。
「完成品であり優れている」からこそ、知的デザインが働いているのだとご主張なさっているに違いない、そのように私は感じるのです。
「完成品」であるならば、これ以上、現生人類は進化しないはず、つまり、IDerの皆さんは、進化はすでに終わっている、とお考えなのではないのかと。このように愚考する次第なのです。
===
逆に、IDerの皆さんは、人類はさらに進化する、とお考えなのでしょうか? だとするならば、人類という種は、未完成であり、不具合がたくさんあり、「知的な存在」によって改善される余地があるということになります。
===
以上により、IDerの皆さんのご主張には、以下のふたつのいずれかが含まれているはずです。
・人類の進化は終わっている
・人類は不完全でありまだ進化の途上である。
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後者であるとすると、その「知的存在」は、ほぼ万能の力を持ちながらも現時点に至るまで人類を不完全なままにしている、という意味で、倫理的正当性を得ているとは思いがたく、また、前者であるとすると、人類はこれ以上素敵な種にはなれないと「知的存在」が決めていることになり、やはり倫理的正当性を得ているとは思いがたいのです。余談ですが、前者後者の、いずれにせよ、私は、そのデザイナーにたいし、山ほど文句を言いたいと思います。
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おそらく、IDerの皆さんは、人類は完成品でありこれ以上種の進化は起きないととらえているのだろうと勝手ながら想像しております。そうでないとすると、IDerの皆さんが知的デザイナーに期待している役割が、はてしていったい何なのか、私には理解できないからです。
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科学なのかそうでないのか、といった視点からでなく、IDerの皆さんの動機づけを問題にしたかったのですが、無能力故、残念ながら尻切れトンボです。つたない私の感想は以上です。駄文を失礼いたしました。

投稿時間:2011/08/31(Wed) 22:39
投稿者名:Ken
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忘れた頃のID論争(笑)
Bail Hoshikuzu Channisさん、
はじめまして。このサイトにID論争を持ち込んだKenです。

「進化が偉大な存在に導かれたのなら、今の生物は、もっと完成されたものであるはず」と主張する人は、たしかにいるだろうと思います。本サイトでの議論でも、そのような指摘がありました。

でも、この点で、私の見解は、出発点から異なります。私のID知識は、主にMichael Beheの論旨から得たもので、IDを実行したのが、「偉大な存在」とも、ましてや「神」とも言ってません。

先の投稿で書いたように、人類が行ってきた、動植物の品種改良は、すべてIDです。人間が干渉することで、自然選択では起こり得ない進化が起こりました。イノシシからブタが創られたのがよい例で、先祖のイノシシと比べて、ブタは鈍重だし、敵を攻撃する牙も、体を保護する体毛も亡くしました。これが野生動物なら、淘汰されるでしょう。人間という干渉者がいたからこそ、ブタは登場しました。

そこから類推するなら、IDの実行者は、偉大な存在でも、超越者でもある必要はないのです。それゆえ、生物が「完成」されたものであるはずという論点も、論点自体が無意味です。現存の家畜や農作物が「完成」されていると考える人はいないだろうし、だからこそ世界中の研究者が、更なる改良をめざして、努力を続けています。

さらに言えば、生物にせよ、あるいは機械にせよ、なにかの存在が「完成」されているというのは、そもそも定義が曖昧です。イノシシとブタでは、どちらが「完成」されているでしょうか? 野生環境で生きるならイノシシですが、食肉を得る家畜としてならブタでしょう。また、野生環境だけを想定しても、環境が変われば、有利な形質も変わります。例えば、3億年前の石炭紀には、大気中の酸素濃度が現在より70%も高く、皮膚呼吸をする昆虫が大型化しました。なんと翼幅75センチのトンボが飛んでいたのです。でも今の地球の酸素濃度では、昆虫は小さいことが有利になります。

今の人類が「完成」されているか、という疑問についても、まず評価基準を設定しないと、始まりません。

人類が今後さらに「進化」するか、という設問なら、まだしも考えやすいかもしれません。

一般には、人類のこれ以上の進化はないだろう、という意見が優勢のようです。進化が起こるには、ダーウィン流の自然選択にせよ、IDにせよ、特定の形質をもつ個体だけが生き残り、子孫を残すことが必要です。でも、そんなことは、現在の人権思想と、相いれません。もし、何かの不利な形質をもつ人がいても、手段を講じてその人を守るべき、という思想が、世界の主流をしめています。

ただし、人間の思想は変わることがあります。例えばヒトラーは、ダーウィンが説く「適者生存」を政治思想に取り入れ、優秀な民族が、劣等人種を支配または淘汰するのが、自然の摂理と考え、現実の政策として実行しました。わずか70年前のことです。

ナチスは極端な例としても、「問題」のない人間にだけ子孫を残させるという考えは、歴史上何度も現われたし、おそらく今でもあるでしょう。私は、昨年H・G・ウェルズの世界史を読んだあと、この作家に関心をもち、作品を順次読んでいるところですが、1905年に発表された「現代のユートピア(Modern Utopia)」には、問題のある人間には子孫を作らせないことが、ユートピアを実現する条件の1つに挙げられています。政治思想では、ウェルズはヒトラーの対極に立つ人ですが、いわゆる「優生学」について、程度の差はあれ、同じ方向を考えていたのは、興味あることです。実際のところ、ダーウィン流の「適者生存」理論から、ウェルズやヒトラーの思想へいたるまでの道筋に、あきらかな論理的矛盾はありません。

ついでに言えば、人間は皆平等で、不利な形質を持つ人でも、これを保護するべき、という考えは、元々は、宗教から発生したものです。これは、ダーウィニズムと宗教の「対立」を考えるとき、留意すべき点です。ダーウィニストが宗教勢力を批判するのは、一部の原理主義者が、万物は神が創造したなど、科学的根拠のないことを主張するせいであるのは、たしかです。しかし、多くの宗教者がダーウィニズムを批判するのは、必ずしも、神による創造を否定されるからではありません。最大の問題は、ダーウィニズムを突き詰めてゆけば、ヒトラーに繋がるではないか、という点にこそあるのです。その点では、両者の議論は、噛み合わないことが多いのです。

投稿時間:2011/09/13(Tue) 16:58
投稿者名:Bail Hoshikuzu Channis
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Re: ID論争 (7)
> Bail Hoshikuzu Channisさん、
> はじめまして。このサイトにID論争を持ち込んだKenです。

こんにちは。よろしくお願いいたします。

実はKenさんのご投稿を拝読してからいろいろと考えるところがありまして、書き込みを保留していました。
Kenさんに、お聞きしたいことがあり、お答えを踏まえまして、さらに考えたいところがございます。ではお尋ねいたします。よろしければご教示ください。


Finding design in nature ( www.guardian.co.uk/commentisfree/belief/2010/nov/29/religion-evolution ) で、Michael Behe 氏がおっしゃるには、

intelligent design is essentially indistinguishable from Darwinism 「インテリジェントデザインは本質的にはダーウィニズムと区別できず」のようです。

Michael Behe 氏の意図はなんでしょう?

投稿時間:2011/09/15(Thu) 22:41
投稿者名:Ken
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「区別不能」と言ってるのは?
Bail Hoshikuzu Channisさん、

ご指摘のあったガーディアン紙の記事を読みましたが、この記事の内容だと、IDとダーウィニズムが区別できないと主張しているのはBeheではなく、Beheの論争相手と思われるAndrew Brownでしょう。要するに、Brownの主張は、BeheたちがIDの結果と考える進化は、実はすべて自然法則で説明がつくのだから、わざわざ干渉者など想定する必要がない、というものだと思われます。つまり、「IDとダーウィニズムが区別できない」とは、IDとダーウィニズムどちらの場合でも、結果として起こる進化は同じだから、「より簡潔な」説明である、ダーウィン流の自然選択で説明すればよい、というわけです。

これに対して、Beheは、自然選択とIDでは、結果として起こる進化が異なり、それゆえ両者は区別可能である、と主張しているのです。どのように異なるかは、上記の「ID論争(4)」で紹介していますので、参考にしてみてください。

投稿時間:2011/09/16(Fri) 13:02
投稿者名:Bail Hoshikuzu Channis
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ありがとうございます。
Kenさん、解説をありがとうございました。難解な英文だったものでして、構文がよくつかめませんでした。

さて。茫漠とした考えで大変に申し訳ありませんが、ポツポツと書き記したく思います。

推理小説についての分析に仕方において、以下の3つがあることが有名です。
1:フーダニット (Whodunit = Who (had) done it)
誰が犯人なのか
2:ハウダニット (Howdunit = How (had) done it)
どのように犯罪を成し遂げたのか
3:ホワイダニット (Whydunit = Why (had) done it)
なぜ犯行に至ったのか

【進化という名前のついた犯行】に例えて、進化を事件として取扱かった推理小説であると考えると、上の3つについて考えたくなります。
誰かが部屋の中で死んでいた時に、「死に方が鮮やかだから誰か知的なデザイナーによって殺された」のか、反対に「いや自殺だろう」なのか…フーダニットですね、これでは。
そして、08/31-12:55 の投稿は…いわば、ホワイダニットなんです。視点は。 
また、まだ私は記していませんでしたが、ハウダニット的な部分も興味深いところなのですよね。
このように、あまりにも大風呂敷ですので、考えもまとまらず、茫漠としたものになってしまっているのです。

ただ、ハウダニットの部分については、検出可能でなければ科学ではなかろうと…そのようには思います。 ここが最大の難関であろうと考えます。知的デザインであるならば・・・ですが。
「犯人はお前だっ」と指摘したとしても、犯行手順がわからなくて物証がなければどうしようもありませんし、立件して裁判に勝てる見込みもありません…科学の法廷では。

このごろたびたびID論vs進化論の討論を見て回っていたのですが、ハウダニットについてはあまり意見をみていません。 どこか見なくてはいけない情報リソースがあれば、ご案内いただくければ幸いです。
よろしければご教示くださいませんでしょうか?

投稿時間:2011/09/16(Fri) 23:55
投稿者名:Ken
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私見ですが
Bail Hoshikuzu Channisさん、

はじめに断りますと、私(Ken)自身はID論者、つまり生物の進化が干渉を受けたと、信じている者ではありません。ただ、(ドーキンスなどが典型ですが)、IDに反論している人たちの論旨が、あまりに支離滅裂で、論理よりも感情が先行してるように思えるので、結果的にIDを「弁護」することが多くなってしまいます。(アジモフが存命ならなんて言うだろう・・・・・かえすがえすも早世が残念です。)

> ただ、ハウダニットの部分については、検出可能でなければ科学ではなかろうと…そのようには思います。 
> ここが最大の難関であろうと考えます。知的デザインであるならば・・・ですが。
> 「犯人はお前だっ」と指摘したとしても、犯行手順がわからなくて物証がなければどうしようもありませんし、
> 立件して裁判に勝てる見込みもありません…科学の法廷では。

この点について、私の見解は以下のとおりです。

もしも世のID論者が、進化への干渉がどのように(How)行われたのかについて、探究をまったく放棄しているのなら、IDが科学であるかどうかはともかく、そのような人たちは、まともな科学者とはいえないでしょう。ただし、探求の手がかりが現時点でないことと、その探求が未来永劫不可能であることとは、意味が異なります。科学者が、ある仮説を唱えながら、その仮説の最も根幹な部分を説明できない、あるいは物証がない状態が長く続くことは歴史に無数の例があります。上記(1/19付)の投稿で紹介した「光=波動説」などを、参照してみてください。

私個人の意見を言うなら、IDのHowについて、最も有力な候補は、やはり人類が1万年以上も実行して、効果が立証されている、人為選択だろうと考えます。もちろん、今はその物証がない、というのはそのとおりです。進化の研究は、記録のない過去の出来事を探求するわけだから、非常な困難を伴うのは、やむをえません。ただし、この点では、IDもダーウィニズムも、同様の困難をもっているのです。

例えば、恐竜が鳥へ進化したプロセスについて、ダーウィニズムでは「樹上から飛び降りる行為を繰り返すうちに、滑空能力を獲得した」とか「走って逃げるときジャンプしていたのが、次第にはばたきの効果が加わるようになった」等の仮説を立てています。でも、このような仮説だって、何の物証もない、いわば空想である点はかわりません。それでは、ダーウィニストはなぜこんな仮説を立てるかといえば、私たちの眼前に、同様の実例があるからです。例えば、樹上から滑空するムササビのような生物がいるので、過去の地球にも同様の生物がいたのに違いない、という想像を働かせるわけです。

しかし、私たちの眼前に実例がある、という点では、IDも同じなのです。先に書いたように、人類が実行してきた品種改良はすべてIDです。言い換えれば、IDを批判する人達は、過去を推測するモデルとして、ムササビを認めるくせに、ヒトは認めない、という立場をとっているのです。そのくせ、ムササビとヒトで異なる扱いをする根拠を挙げようとはしません。こういう姿勢こそ「非科学的」だと、私は考えます。