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投稿時間:2002/07/15(Mon) 18:01
投稿者名:あき
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ガイアについて
別にガイアについてあれこれ語ろうというのでなくて、単純にガイアの一員になりたいかということを、みなさんに聞いてみたくて。前々から他の人は動なんだろうと思っていたことなので。ダニールには悪いけど、私は遠慮したいですね。それにいやがる人が、何人もいたとき第一条に対しどう整合性をつけるのかも気になります。みなさんの意見聞かせて下さい。
(1999年07月05日 月曜日 19時15分36秒投稿)

投稿時間:2002/07/15(Mon) 18:04
投稿者名:徹夜城
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ガイアだかゲイアだかについて(笑)
>あきさん。
 レスが遅れました。実は改めて「ファウンデーションの彼方へ」を電車の中で再読中でして(^^;)まだ読み終わってない…しかも「地球」も読まなきゃならんですが。
 で、ちょっとうろ覚えのところでひとまず書かせていただきます。ちなみに僕が持っているのは単行本でして「ゲイア」となっています。どうもこっちの方がなじみがありまして…

 僕も正直なところ「ガイア」のありかたに「全体主義」の匂いを感じてちょっとイヤな感じを抱いたことは否定できませんね。某国の社会主義なんかちょっと連想するところもあります。あなたもわたしも一体化してみんなハッピーといいますか…ちょっと乱暴なまとめかたかなぁ。
 たぶんアシモフも分かっててやっているところがあると思うのです。究極のところ、人間同士の争いや人間と環境全体との対決の問題を考えていくと解決策はあんな風にならざるを得ないのではなかったのかと。ああなれば少なくともその中では争いは起こりませんし、みんなハッピーというわけです。ただもちろん何らかの問題は起こってくるような気はしています。ガイアですらまだ過渡期の状態だと言うようなことが書かれていたような気もするんですが…この辺は再読せんとなぁ…僕は何となくそんな読後感があったんです。
 それとあくまで「SF」ですからね。あれはアシモフの理想を述べたと言うよりもSF的発想としての「究極の平和社会」を描いてみせたんだと僕は思っています。SFの設定として面白いことは確かです。
 この辺の話、例の「誕生」の田中芳樹氏の解説にありますね。「おいおい、あんたもそこへ行っちゃうのかい」ってな印象だったとか書いてましたよね、確か。だけどファウンデーション設立時のあたりを読むとそう単純なことではないアシモフの構想が浮かび上がってくるように思っています。

で、僕個人はガイアの一員になりたいかどうかってことですが…
なんかつまんない人生だな、などとひねくれ者は考えちゃうのでした。なんせ小学生の時の人生設計が「波乱の人生を送ってやる!」だったもんで(笑)
(1999年07月09日 金曜日 23時28分50秒投稿)

投稿時間:2002/07/15(Mon) 18:05
投稿者名:あき
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なるほど
SF的発想としての「究極の平和社会」かー。確かに。ただ、ファウンデーションの設立目的の一つに、科学技術の衰退を止めると言うのがあったわけですが、ガイアの思想はあらゆる意味での競争をなくしてしまいかねないのでは、と思うのです。戦争はない方がいいけれど、科学技術なんかは、競争によって発達してきた面がありガイアの思想はこれを妨げるのでは、と思うのです。このテーマは、SFによく見られますがいつも人類の新たなる進化と言う形で終わっていて、果たしてそうなんだろうかとこの種のテーマの小説を読むたび思うのです。

「波乱の人生」なんてすごいですね。私なんかぼへーっとなにも考えずに小学校生活送ってましたから・・・。うーん精進しなければ(何を?)
(1999年07月17日 土曜日 19時40分44秒投稿)

投稿時間:2002/07/15(Mon) 18:06
投稿者名:オナム・バー
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ガラクシアを全体主義体制と考えると
ガラクシアを全体主義体制と考えると、全体の方向性を決定する指導者が必要になるでしょう。ナチス政権においてヒトラーがそうであったように、ソ連においてスターリンがそうであったように。基本的に全体主義は「一君万民」的というか、超越者による全体の支配といったところがあって、「ガラクシア」においてはダニールがこれを果たすことになるでしょう。つまり銀河系が1つの有機体として完成した後もダニールは銀河系の支配者として機能しつづけることになります。超越者によって歴史が導かれるという運命決定論の中では人間の自由意志はないし、そもそもガラクシアは個性を抹殺する方向性を持っている。ガラクシア計画が続く限り、人類は永遠に全体(ダニール?)の奴隷となるわけです。
この辺りが「歴史とは、万能ではあり得ない人間たちが、試行錯誤しながら築き上げていくものである」というテーマの『銀英伝』作者の田中芳樹が反発するところなのでしょう。
(2000年07月14日 金曜日 10時40分26秒投稿)

投稿時間:2002/07/15(Mon) 18:07
投稿者名:だぁく・はんど
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第1条に対する整合性について
私も、"惑星くん"や、"銀河くん"(発音がはっきりしないようので、こう書きます)に組み込まれるのは嫌です。が、ダニールの様にある程度、独立した状態なら、いいかな・・・とも思います。まぁ、銀河そのものを背負わされる"超"人的な能力はいらないですが。

第1条に対する、整合性ですが"惑星くん"がロボットと同じ三原則および第0条が組み込まれているなら余り問題はないと思います。
確かに"銀河くん"に組み込まれると知ったら大多数の"人間"は嫌悪感を示し、無理に組み込む事も、嫌悪感を無理矢理取り除く事もどちらも第1条に違反するでしょう。
だったら、誰にも知らせずに下準備だけすればいいのです。いざとなったら"銀河くん"に一瞬、または数日でなれるよう、各惑星の人間以外の部分を組み込んでいくわけです。この事自体は、第1条に違反するどころか、トレヴィズの結論を知った"惑星くん"には"危険を看過する事によって〜"の部分に引っかかるため、絶対に行わなければならない事となります。

そして、実際に"銀河くん"になる必要が生じた場合は、第1条に優先される第0条により問題なく実行されるでしょう。
そうして"銀河くん"ができたあとは・・・・"人間"が一人もいなくなるので何の問題も無いはずです。(明らかに"惑星くん"は"惑星くん"に含まれる人間部分に対して第1条を適用していないですから)
(1999年09月04日 土曜日 07時05分57秒投稿)