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投稿日: 2014/10/26(Sun) 21:16
投稿者Ken
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タイトル創世記

創世記1章1節:初めに、神は天地を創造された。

 「初めに」という書き出しは、ヘブライ語では「ベレシト」といい、ヘブライ語の経典では、これがそのままバイブル第一書のタイトルになっている。これだけでなく、各書の書き出しの言葉をそのままタイトルにするのが、旧約聖書に多く見られる特徴である。

 「神は天地を創造された」というが、ここでの「神」には、ヘブライ語では「エロヒム」という語が使われている。しかしエロヒムは「神々」に相当する複数形で、一神教では本来あり得ない言い方なのだ。人間が禁断の果実を食した後には、さらに複数神の存在を示す、神自身の言葉がある。

創世記3章22節:主なる神は言われた。見よ、人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。

 「我々」というからには複数が存在すると考えるしかない。もっともこれは一人の神と複数の天使のことだという解釈や、キリスト教では「父と子と聖霊」の三位一体のことだとする説もあるのだが、そんなもって回った解釈をしなくても、ヘブライ人は元来は多神教を信じており、エロヒムなどの言葉はあまりにも定着していたので、唯一神を奉じるようになってからも、変更も破棄もできなかったと考えるのが、最も自然であろう。

 この「主なる神」という言い方は、2章4節が初登場である。それまでは、ただ「神」だった。

創世記2章4節:これが天地創造の由来である。主なる神が地と天を造られたとき、

 「主」はヘブライ語では「ヤハウェ」という。のちに「エホバ」という誤った発音も行われるようになる。つまりヤハウェは普通名詞なのだが、長い間に固有名詞と誤解されるようになり、そうなると、神の名を口にするのは不敬であるとして、イスラエル人は代わりに「アドナイ」と言うようになった。これも「主」を意味する普通名詞にほかならない。この点は「アダム」も実は同様で、本来は「人類」を意味する普通名詞なのだが、後に最初の人間の名と信じられるようになった。

 そのアダムと妻のイブが住んだという「エデン」はどこにあるのだろう。というより、エデンのモデルになった現実の土地はあるのだろうか。例えば列王記に、アッシリア軍が発した、次のような警告がある。

列王記二19章12節:諸国の神は彼らを救ったか? ゴザン、ハラン、レツェフおよびテラサルにいたエデンの人々

 この中でテラサルとはアッシリアの一地方で、そこがエデンかもしれない。しかしこの辺り一帯はユーフラテス河畔で、すなわち文明発祥の地である。もしも文明の登場によって本当の人間が誕生したという解釈に立つなら、文明発祥の地こそエデンと考えられるではないか。また人類最初の文明を築いたのはシュメール人だが、エデンはシュメール語で「平原」を意味する。例えば、山岳地帯で狩猟採取生活をしていたシュメール人の祖先が、平原へ降りてきて農耕を始めたことで文明が起こったのなら、エデンはまさしく文明発祥の地ということになる。

 ただし創世記では、人間はエデンから追放され、罪を犯した罰として農耕を始めたことになっている。これは、農耕生活に入った人類が、昔の狩猟採取生活を懐かしみ、それをエデンという楽園の物語に仕立てたことを想像させる。もちろん、食料供給力で農耕に遠く及ばない狩猟採取を懐かしむなどおかしな話だが、人間の通弊として、過去の苦労を忘れ、現在の苦労がなかった時代を理想化するものである。農耕生活は単調だが、狩猟はエキサイティングで面白かったと、農民が空想するのは自然なことなのだ。

※もちろん、スポーツ・ハンティングならともかく、生活のかかった狩猟が面白いわけはない。狩猟民が狩りに失敗し続ければ、餓死するのだから。だからひとたび農耕生活へ入った部族が、狩猟生活へ戻ることなどあり得ない。それでも農民は決して戻れない狩猟生活を懐かしんだし、実はこれと同様のことは、農業が工業に主要産業の地位を譲った近代の産業革命でも起こった。農業社会よりも工業社会の方がはるかに人々を豊かにできるのだが、一方で、工場生産は喜劇王チャップリンが『モダン・タイムズ』で描いたように、人間を機械の一部にしてしまう一面がある。その中で生きる人々が、自然の中で人間らしく生きていた農耕社会にノスタルジアを感じるのは、ありうることなのである。さらには、現在の私たちが生きる二十一世紀は、工業社会から情報社会への変化が進行しつつあるが、本格的な情報社会が実現すれば、必ず工業社会を懐かしむ風潮が現れるに違いない。工場の仕事には『モダン・タイムズ』のような非人間性があるが、反面、忍耐力と勤勉さがあれば、誰もが参加できる仕事でもある。しかし情報社会となると、企画・分析の能力や科学知識こそが求められるし、それは万人が平等にもつ能力ではない。極言すれば、工場で働く数千人よりも、一人のビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズがいる方が、役に立つのだ。当然、格差社会になるし、格差がなかった工業社会を懐かしむ気持ちは、必ず現れるだろう。※

 創世記には、もう一つ、農耕社会へのある種の反感を思わせる箇所がある。エデンを追放されたアダムとイブには、カインとアベルという二人の息子が生まれ、長じてカインは耕作、アベルは牧畜を仕事にするが、カインはアベルを殺してしまう。これは農耕社会が牧畜社会を征服する様を、牧畜側から見たのかもしれない。

 さて、時代が進んで人間があまりに悪辣になったので、神は一家族を除いて全人類を消すためにノアの洪水を起こす。実は、洪水神話はシュメールやバビロンにもある。シュメール神話のウトナピシュティムは自分と家族と動物たちを船に乗せて洪水から救ったから、明らかにノアの話の原型である。シュメールの地は二つの大河沿いの平坦地だから、ちょっとした氾濫でも大災害になっただろう。一九二九年に考古学者ウーリーは、ユーフラテス川近辺の発掘調査をしていて、紀元前三千年の地層に三メートルの高さまで水深が上がったことを示す痕跡を発見した。この種の災害は、時代を降るほど誇張をもって語られるから、世界を覆う大洪水に話が拡大してもおかしくない。なお、ユーフラテス河畔に大洪水を起こす原因に、大雨以外ではペルシャ湾への大隕石の落下が考えられる。とくに、ノアの洪水では方舟はアララト山脈へ漂着したというが、これは現在のトルコ共和国で、メソポタミアよりも川のはるか上流である。上流へ向けて流されるとすれば、大雨による氾濫よりも、隕石落下が引き起こす津波が海から襲うケースが想定できるではないか。

 洪水を生き延びたノアには三人の息子がいた。

創世記9章18節:ノアの息子は、セム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。

 このあたりから、創世記の人物はすべて歴史に登場する民族の始祖になる。創世記が書かれたのは前六世紀頃だが、当時知られていた各民族の起源を、特定の個人を創作することで説明したのだろう。まずセムはヘブライ人を始め、アッシリア人、アラム人、アラブ人などの始祖で、これらの民族はセム系と呼ばれる。ハムはエジプト人、ベルベル人、エチオピア人など北アフリカ系諸民族の始祖とされる。ただしバイブルに登場するカナン人はヘブライ人と同系統の言語を話すセム系にまぎれもなく、カナンがハムの子にされているのは、カナンの地が一時エジプトに支配されたことからくる誤解にすぎない。またヤペテの子孫はペルシャ人、ギリシャ人、スキタイ人のようなインド・ヨーロッパ語族のことだとされる。

 そのノアは自分の息子のハムを呪い、カナンの子孫はセムとヤペテの子孫に奴隷として仕えよと言う。これは、史実のカナン人がイスラエルの敵であったため、彼らを貶めるために創作された話に他ならない。同様の例は創世記に繰り返し現れ、敵対民族はすべて呪われた始祖を持つことにされている。最悪の書かれ方をしたのがモアブ人とアンモン人で、創世記19章37節と38節では、二人の娘が実の父と近親相姦して生まれたのが、彼らの始祖ということになっている。

 創世記の10章10節から12節を見てみよう。ハムの孫にニムロドという人物がおり、多くの町を支配したという。

創世記10章10節:彼の王国の始まりは、シンアルの地にあったバベル、ウルク、アッカド、カルネで
創世記10章11節:彼はその地方からアッシリアに進み、ニネベ、レホボト、カラ、
創世記10章12節:そしてニネベとカラとの間にレセンを建てた。

 シンアルとはシュメールのことである。人類最初の文明を起こしたシュメール人の言語は解読されているが、創世記にいうようなハムの子孫つまりハム語族の言語ではないし、セム語族や印欧語族とも異なる、世界のどこにも近縁関係のない言語である。ウルクはユーフラテス河畔の町で、十九世紀に発掘され、前三六〇〇年頃まで遡る歴史をもつことが分かっている。伝説のギルガメシュはここの王だが、史実の支配者には、前二三〇〇年頃のルガルザゲシがいる。ルガルザゲシはシュメールの多くの町を征服し、メソポタミアで広域を支配した最初の王になった。しかしその覇権は長くは続かず、次にアッカド人が強力になる。アッカド人はセム族だがシュメール文化を取り入れ、サルゴン王は前二二六四年にルガルザゲシを打ち破り、帝国を立てた。しかし前二一五〇年頃、東方の蛮族が侵入してアッカド帝国を倒し、メソポタミアを支配する。それから一世紀ほどして、ユーフラテス中流域に起こったアムル人がバベルを都として勢力を拡大する。その六代目の王が、前一七〇〇年頃君臨したハンムラビで、以後二千年、支配民族は変遷したが、バベル(バビロンともいう)は、世界の大都であり続けた。アムル人の支配も長く続かず、前一六七〇年頃カッシート人が侵入して、約五百年の暗黒時代が始まる。これらは南バビロニアでの推移だが、北バビロニアではアッシリアが力を伸ばし、やがて首都をニネベに据える。アッシリアが飛躍するのは前一二五〇年頃、シャルマネセル一世のときカラ市を建設し、小アジアから製鉄技術を取り入れたときで、以後カッシートを滅ぼし、バビロニアの外にまで広がる大帝国を立てる。こうして見ると、創世記10章のこの部分には、二千五百年にわたる興亡の歴史が凝縮されている。

 ヘブライ人の始祖アブラハムが生まれたのは前二〇〇〇年頃と思われる。彼が始祖とされるのは、ただ血統的な先祖であるだけではなく、彼の時に一族はカナンの地へ移り、ヤハウェを奉じる一神教徒になったからである。彼の誕生の地はシュメール文明の最古の中心ウルの町だが、アブラハムの父の代にその地を去ったという。ティグリス・ユーフラテス川が運ぶ土砂の堆積で、ウルの港としての機能が低下したこと、バビロニアの台頭でシュメール文明自体が衰退しつつあったことが理由なのだろう。

創世記11章31節:彼らはカルデアのウルを出発し、

 「カルデアのウル」というのは、アブラハムより千数百年も後、創世記が書かれた時代に、ウルの地がカルデア人の支配下にあったからそういう言い方をしているので、アブラハムの時代にはカルデアの地などではなかった。目的地のカナンは前四〇〇〇年頃に文明が起こり、前三二〇〇年頃青銅器時代に入った土地である。前述のように、カナンの先住民がハム族というのは誤りで、彼らはセム族、それもヘブライ語を話す人々だったことが分かっている。むしろこの地を征服したイスラエル人が彼らの言語を採用したのではないか。アブラハムはカナンの地に居を定めるが、ある時カナンを襲撃した敵と戦って撃退し、その祝福に訪れた王がいた。

創世記14章18節:サレムの王メルキゼデクも、パンとワインを持って来た。

 この「サレム」こそ、後のエルサレムで、これがバイブル初登場である。

 さてアブラハムは老齢になっても子がないことを嘆いていたが、神はやがて彼に子が生まれること、今のカナンの住民はすべて排除されて、彼の子孫がその地を受け継ぐことを約束する。そして排除されるべき現住民族が列挙される。

創世記15章19節:ケン人、ケナズ人、カドモニ人、
創世記15章20節:ヒッタイト人、ペリジ人、レファイム人、
創世記15章21節:アムル人、カナン人、ギルガシ人、エブス人・・・

 第20節でいうヒッタイト人は、バイブルでは弱小部族として現れるので、長くそういう存在と思われてきたが、二十世紀の研究で、ヒッタイトはアッシリアより前に鉄器や戦馬車を用い、最盛期のエジプトと覇権を争った大帝国だったことが明らかになった。それがバイブルでは弱小部族になっているのは歴史の偶然で、ヒッタイトが強大だった時代は、イスラエル人がエジプトにいた時代と重なるからである。つまりアブラハムの時代はヒッタイト興隆前で、モーセやヨシュアがイスラエル人を率いてカナンへ来た時は、ヒッタイトの没落後だったというわけだ。

 アブラハムには息子ができた。最初は妾腹のイシュマエル、次が嫡出のイサクでイスラエルの先祖とされる。後のイスラエル人は近隣の諸民族への優越の証明として、自分たちだけが本妻の子の子孫であることにした。しかもイサクが生まれる前に、神はアブラハムと特別の約束を交わしたことになっている。

創世記17章7節:私(神)は、お前(アブラハム)及びお前の子孫と契約を交わし、お前とお前の子孫の神となる。

 そして、その約束の証として、アブラハムの子孫は特別の儀式を行わねばならない。

創世記17章10節:お前たちの男子はすべて、割礼を受ける。

 割礼はヘブライ語では「ベリト」、約束という意味である。つまり割礼を行わないのは、神との約束を反故にするのと、字義の上でも同じなのだ。このことがアブラハムより二千年の後、パウロの布教における最大の懸案となり、結局はキリスト教がユダヤ教と決別して、異邦人(非ユダヤ人)の宗教になる歴史を作った。もっとも、現実には割礼はエジプト人やカナン先住民の間で普通に行われていたことが分かっており、むしろイスラエル人が彼ら先進民族から学んだ習慣であろう。また、ユダヤ人が割礼を厳格に実行するようになるのは、バビロニアに国を滅ぼされたことで、強烈な民族意識を持つようになった前六世紀以後で、神とアブラハムの約束を記述する創世記は、その時代に書かれたことを忘れるべきでない。

 いよいよアブラハムが、神への絶対の忠誠を示すため、嫡子イサクを犠牲に捧げようとし、最後の瞬間に神が止めるという、有名すぎる話が語られる。実のところ、子供を生け贄として殺す事例は、旧約聖書に繰り返し現れる。その大半は異教の神への生け贄であって、邪教徒ゆえの蛮行とされるのだが、アブラハムとイサクの話は「真の神」を奉じる者でも人身御供を行うことを示している。アブラハムは神の使いに止められたことになっているが、最後まで実行して、娘を生け贄にしたのが数百年後のエフタである(士師記11章39節)。神の使いは、エフタを止めなかったようだ。

 アブラハムとイサクの話から一世代進めて、イサクと二人の息子エサウとヤコブの話をしよう。二人は双子だが、エサウが先に出てきたので兄とされ、イサクの世継ぎとなるはずだった。しかし兄弟の母リベカは弟の方を愛し、夫イサクを欺いて、ヤコブを世継ぎにしてしまう。後にヤコブは「イスラエル」、エサウは「エドム」という別名を持ち、創世記の多くの登場人物がそうであるように、この兄弟も、ヤコブはイスラエル人の、エサウはエドム人の始祖となったという。このような兄弟の話は、実は、各部族の歴史を説明するために、創作されることが多い。後にイスラエル人はカナンの地を征服するが、エドム人はそれ以前に近隣に勢力を確立していたのだ。このことがエサウ(エドム)が初めに世継ぎにされていたのを、ヤコブ(イスラエル)が取って代わったという、始祖の物語になったのだろう。同様のことはヤコブの十二人の息子の間で、さらに複雑に行われることになる。

 そのヤコブであるが、彼の四人の妻が十三人の子を産み、うち十二人が男の子だった。十二人を母親ごとに分け、かつ生まれた順序をまとめると、このようになる。

レアの子:1.ルベン、2.シメオン、3.レビ、4.ユダ、9.イサカル、10.ゼブルン
ラケルの子:11.ヨセフ、12.ベニヤミン
ビルハの子:5.ダン、6.ナフタリ
ジルパの子:7.ガド、8.アシェル

 これ以外に、レアはディナという娘も産んだ。この息子たちがまた始祖で、彼らの子孫がルベン族やユダ族などイスラエルの十二部族になる。ただしレビ族だけは祭司の家系とされ、十二部族に数えない。代わりにヨセフの二人の子マナセとエフライムが、二つの部族の始祖とされる。この十二部族が後にカナンを征服し、それぞれの領地を得て蟠踞するのだが、十二人兄弟の子孫が連合して戦ったというよりも、連合した十二の部族が結束を固めるため、先祖が兄弟だったという話を創作したのに違いない。もう一つ推測できるのは、連合に加わった順序である。レア、ラケル、ビルハ、ジルパはこの順序でヤコブの妻になるのだが、おそらく最初はルベン、シメオン、ユダ、イサカル、ゼブルンの五部族が連合軍を構成し、後からマナセ、エフライム、ベニヤミンの三部族が加わったので、当初の五部族は先輩格として自分たちは始祖の最初の妻の子孫、三部族は二人目の妻の子孫という伝説で区別をしたと思われる。ダン族とナフタリ族はその次の段階で参加し、ガド族とアシェル族はさらにその次というわけだ。

 ところで十二人兄弟のうち、その事績が最も詳しく語られるのは、ユダとヨセフの二人である。後に、ダビデが建てた王国がソロモンの死後南北に分裂するが、南のユダ王国はユダ族が、北のイスラエル王国はマナセ族とエフライム族が支配した。創世記は両国とも滅びた後で書かれたのだが、両国で語り伝えられた話が元になっているからである。その他の兄弟では、シメオンとレビが、妹のディナを手籠めにしたシケムへの復讐でその一族を全滅させたら、父のヤコブに激しく叱責された話(創世記34章25節)、ルベンが父の妻ビルハと密通した話(創世記35章22節)がある。想像するに、イスラエル人がカナンを攻める時、まずディナ族が抜け駆けの攻撃をして敗れ、救援したシメオン族とレビ族も多大な損害を被って、この三部族はその後弱体となったことを始祖の逸話にしたのが第一の話。またルベン族は当初は最も強大で、だからこそ始祖が長男とされたのだが、やがて部族間抗争に敗れて没落したことを、始祖が女性問題で失態を演じたことにしたのが、第二の話になったのだろう。

 創世記の最後はヨセフの物語である。父ヤコブから特別に愛されたため、兄弟の反感を買った彼は、兄たちの罠に落ち、奴隷としてエジプトで売られることになる。

創世記37章36節:ミディアン人は彼をエジプトへ、ファラオの役人であったポティファルへ売った。

 エジプトについては、既にアブラハムが一度訪れ、妻をファラオに取られそうになって去ったという簡単な記事があるが、ヨセフの物語ははるかに詳細だし現実性も高い。例えば「ポティファル」という名は「ポティフェラー」の短縮形で「ラー神の賜物」を意味する。たしかにエジプトの名前であって、エジプトを知らない人物の創作ではない。エジプトの地でヨセフは、奇妙な夢を見て悩むファラオに、その夢は大飢饉を予知するものだと解説し、飢饉への備えを提言して、宰相の地位に登る。やがてヨセフは自分を裏切った兄たちと再会し、最後には和解して、ヤコブの一族をすべてエジプトへ迎えるのである。

 それにしても、奴隷として売られてきたヘブライ人を、そこまで信頼し、重用したファラオは何者だろうか。本来エジプトは砂漠と海で周囲の文明から孤絶した、きわめて閉鎖的な社会で、そこでファラオは神と考えられていた。そのファラオが、アジアから来た外国人を重用するとしたら、特別の状況があったとしか思えない。

 エジプトの歴史を辿ると、前一九九一年から前一七八六年までが中王国の時代で、アブラハムやイサクの時代と重なる。その後エジプトは混迷に陥り、前一七三〇年以降は、西アジアから襲来したセム系のヒクソス(エジプト語で外来の王を意味する)に征服されてしまう。エジプトの第十五、第十六王朝はヒクソス王朝なのである。このヒクソスがヨセフを重用したファラオとすれば、話の現実性は一気に増す。自分と同じセム系民族をエジプトの被征服民の上に置いただけなのだから。もちろんこのことは、ヨセフの物語が史実であることを保証するものではない。エジプト史のどこにもヨセフの名は現れない。

※もっとも、マルコ・ポーロの名も中国史のどこにも現れない。要するに、ヨセフの物語のようなことが起こりうる状況が当時のエジプトにはあった、とアジモフは言いたいのだ。ここまでの創世記が語ってきた、天地創造やノアの洪水はもちろん、十二部族の先祖が同じ親から生まれた兄弟という話と比べても、はるかに現実性の高い、あってもおかしくない物語ということである。もちろんヨセフの物語にも神話的な部分はある。ファラオの夢が大飢饉の到来を告げるというのは、現代の私たちが受け入れられるものではないだろう。とはいえ、この程度のことは歴史時代の話としても珍しくはなく、真相はもっと合理的な方法で(例えば統計的な記録を調べて)飢饉を予測したのを、ファラオの夢に仮託しただけかもしれない。後醍醐天皇が南の木の夢を見て、楠木正成を召し出した話を思い出してみよう。※

 ヤコブ(イスラエル)はエジプトへ来て十七年目に歿するが、死の直前に息子たちを集めて、それぞれの運命を言い渡す。初めは長子のルベンで、

創世記49章4節:水のように落ち着きがなく、これではひとの上に立てない。お前は父の寝台に上った

 たしかにルベン族は、ダビデの時代にはすっかり没落していた。それは始祖が不始末のせいで父から見放されたためという話が作られたわけである。その事情はシメオン族とレビ族もまったく同様である。

創世記49章5節:シメオンとレビの兄弟、暴虐の具が同居し
創世記49章7節:彼らの怒りは呪うべき

 第四子のユダは一転して最大の讃辞を受ける。

創世記49章8節:ユダは兄弟から称えられる。
創世記49章10節:王笏はユダから離れず、統治の杖は足の間から離れない。

 古代王国を打ち建てたダビデ王はユダ族だった。そして滅亡までの五百年、王家はダビデの家系だった。たしかに王笏は、ユダの子孫を離れることはなかったのだ。


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