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投稿日: 2014/11/02(Sun) 22:41
投稿者Ken
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タイトル出エジプト記

『出エジプト記』

 ヤコブの子孫はエジプトで栄えたが、やがて運命が変わる時が来た。

出エジプト記1章8節:ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトを支配し、

 ヨセフたちを親しく受け入れた王から、イスラエルに敵意をもつ王に代わったことが語られる。エジプト史を見ると、前一五七〇年にヒクソスの異民族王朝が倒れ、エジプト人の王朝が興る。これが第十八王朝で、まるで前代の屈辱を晴らすかのごとく、対外強硬路線に邁進する。まず、国内ではイスラエル人のような前代に特権を持っていた外国人を奴隷の立場に落とす。

出エジプト記1章13節:イスラエルの人々を酷使し、
出エジプト記1章14節:彼らを辛い奴隷の境遇に置いた

 バイブルの関心は主にイスラエル人の物語なので、この時代にエジプトの外で起こったことは記録されてないが、同時期にトトメス一世は西アジアへ進撃してカナンの地までを支配化に置き、前十四世紀のアメンホテプ三世のときエジプト帝国は最も強大になる。ところが息子のアメンホテプ四世はエジプト伝統の神々を否定して、アトンという唯一神を信仰し、自身もイクナトンと改名する。しかし伝統派の反撃で彼の改革は失敗し、国内の混乱が外敵の攻勢を招く結果になる。悪いことにこの時代のエジプトの主敵が、ヒッタイト大帝国だった。結局第十八王朝は倒れ、前一三〇四年にラムセス一世が第十九王朝を始める。この王朝も対外積極主義で、前一二九〇年に即位したラムセス二世のとき最盛期を迎え、ヒッタイトと激しい戦火を交えることになる。ラムセス二世の在位は六十七年に及び、首都を美しく飾り、自身の巨大像をいくつも建てる。ラムセス二世の後、エジプトは斜陽してゆく。

 こう見てくると、バイブルに描かれる「弾圧のファラオ」とはラムセス二世と考えると符合するようである。ヒッタイトと戦う彼には、国内のアジア人が獅子身中の虫に見えたであろうし、事実ヒッタイトにすれば、敵国内に同族がいると思い、利用も試みたろう。イスラエル人が弾圧や虐殺の対象になる条件は十分にあったのだ。そしてラムセス二世の後エジプトは衰退するが、その機会を捉えてモーセたちが脱出し、それに続くカナン征服をエジプトの干渉なしに行えたと考えれば、やはり弾圧者のファラオはラムセス二世だろう。実は出エジプト記に次のような記述がある。

出エジプト記1章11節:彼らはファラオのために貯蔵の町、ピトムとラメセスを建設した。

 ラメセスがラムセスのことだとすれば、王が新しい町に自分の名を付けさせるのは、普通に考えられる。

※アジモフは、これ以降、このファラオがラムセス二世と決めて、話を進める※

 バイブルの記述では、そのファラオ(ラムセス二世)は、イスラエル人の赤子のうち男の子はすべて殺すように命じたという。このときレビ族に生まれた男の子の母親は、息子を救うため、葦の舟に乗せてナイル川に流し、その子は偶然エジプトの王女に拾われ、モーセと名づけられる。その名の由来をバイブルは次のように説明する。

出エジプト記2章10節:ファラオの娘は彼をモーセと名付けて言った、水の中からわたしが引き上げたのだから。

 たしかにヘブライ語で「引き上げる」を意味する「マーシャ」という言葉があるが、エジプトの王女が子供にヘブライ語の名をつけるはずがないし、そもそも奴隷の言葉を知っていたはずがない。それよりもモセがエジプトの言葉で「息子」を意味するのが真の理由と考えるべきだろう。例えば「トトメス(トト+メセ)」はトト神の息子、「ラムセス(ラ+ムセ+ス)」はラー神の息子という意味である。

 捨てられた赤子が奇跡的に生き延びて、長じて英雄になる話も、ギリシャのペルセウス、オイディプス、パリス、ローマのロムルス、ペルシャのキュロスなど、古代の諸伝説にはありふれている。中でもアッカドのサルゴン王の話は、バビロニアの石版に書かれているのが発見されており、バイブルを書いた者たちは当然その伝説を聞いていたはずで、モーセもまた同様の英雄伝説で装飾されたのだろう。

 成人したモーセは、あるときエジプト人を殺して、ミディアンの地へ亡命する。その亡命中に、エジプトでは王が代わる。

出エジプト記2章23節:それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。

 ラムセス二世は前一二二三年に死に、メルエンプタハが王位を継いだ。出エジプト記では、この王の時にエジプトが災厄に見舞われ、おかげでイスラエル人は脱出できたというが、エジプトだけでなく東地中海全体が、大災厄に襲われたのがこの時なのである。ただしそれは、出エジプト記に書かれたような天災や疫病ではなく、大規模な民族移動だった。南東ヨーロッパを蛮族が襲ったことがきっかけで、ギリシャやクレタの住民は逃れてエーゲ海に押し出し、小アジアを襲うことになる。おそらくトロイ戦争はその中で起こったのだろう。するとその小アジアでフリギア人という民族が立ち上がり、ラムセス二世との戦いで傷ついていたヒッタイトは、ここで大打撃を受けて、バイブルに描かれるような弱小民族に凋落してしまう。

 そして民族移動の波はエジプトも襲った。エジプト史にいう「海の民」である。エジプトは大混乱に陥り、イスラエル人が脱出できただけではない。同じ時期、カナン地方には海の民の一派のペリシテ人が襲来し、トトメス一世以来三世紀にわたるエジプトのカナン支配も崩れた。カナンへ移動したイスラエル人の最大の敵は、もはやエジプトではなく、ペリシテ人だったのである。

※アジモフはこのように、イスラエル人の赤子を殺したのがラムセス二世で、モーセたちが脱出したときのファラオがメルエンプタハと考察している。だが、チャールトン・ヘストンが主演した映画の『十戒』では、一代ずつ繰り上がっていて、幼児虐殺の責任者がセティ一世、脱出の時のファラオが、ユル・ブリンナーが演じたラムセス二世となっている。映画のおかげで、おそらくはこちらの方が広く信じられているであろう。※

 出エジプト記に話を戻そう。ミディアンの地で暮らすモーセは、山の上で燃える柴を見つけ、その中から、エジプトへ戻ってイスラエル人を連れ出せと命じる声を聞く。あなたはだれかと尋ねるモーセに返答がきた。

出エジプト記3章14節:わたしはわたしだ

※英語では「I AM THAT I AM」となっているこの言葉を、日本聖書協会では「わたしはある。わたしはあるという者だ」と、意味不明の翻訳をしているのは、どういうことだろうか? 「わたしはわたしだ」と訳せば、はるかに自然に通じるではないか。要するに、神は神であって、人間の言葉で説明できるような存在ではないことを、このように表現しているのである。※

 モーセは兄のアロンと一緒にエジプトへ行き、イスラエル人を解放するよう王を説得するが、王は聞き入れず、モーセは神の力を示すために、次々と奇跡を演出する。杖をヘビに変え、ナイルの水を血に変え、さらに十の災いをエジプトにもたらす。その十番目が、すべての家庭で最初に生まれた息子が死ぬというもので、イスラエル人の家庭だけは難を避けるために、羊を屠ってその血を戸口に塗りつけておけば、子供は無事という指示を徹底させる。

出エジプト記12章23節:主がエジプト人を撃つために通るとき、血を御覧になって、その入り口を過ぎ越され、撃つことがないように

 これが「主の過ぎ越し」で、イスラエル人は毎年これを記念するようになった、とバイブルに記す。おそらく真相は、過ぎ越しの祭りの起源は異教の収穫祭だろう。現代アメリカのサンクスギビングと同じである。(※日本の新嘗祭=勤労感謝の日とも同じ※)本来、イスラエル人がヤハウェの一神教に帰依した時点で、異教の祭りも廃するべきなのだが、既に深く定着していた習慣は、このようにバイブルの物語と関連付けて再定義するしかなかった。後のキリスト教徒が、冬至の祭りをイエスの生誕と関連付けたのも、ゲルマンの春の女神イースターの祭りをイエスの復活と関連付けたのも、同じ事情である。

 この十番目の災いが、ついにファラオを屈服させ、イスラエル人はエジプトを去ってよいことになる。まず彼らは紅海を目指して東へ進んだ。まっすぐにカナンを目指すなら地中海岸を辿りながら北へ進路をとるべきだが、そうなると海の民とりわけペリシテ人の占領地を、まともに通過することになる。

出エジプト記13章17節:神は彼らを、近道ではあっても、ペリシテの国へ導かれなかった。人々が戦いを見て後悔し、エジプトに帰るかもしれないからである。
出エジプト記13章18節:神は民を、紅海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。

 神がイスラエル人を逃すために、紅海を二つに割ったかはともかくとして、すくなくとも彼らは、紅海の真っ只中を渡ってアラビア半島へ着いたわけではない。この後、モーセがシナイ山へ登って十戒を授かる話から明らかなように、彼らはシナイ半島を目指したので、それなら紅海の北端のスエズ湾を渡ったはずだし、なによりも「紅海」とは実は「葦の海」の誤訳で、そのとおりだとすれば、葦が茂る浅瀬だったのだろう。

 シナイ半島へ渡ったイスラエル人は最初の敵と遭遇した。アマレク人である。戦いはイスラエルの完勝に終わるが、この戦いで、イスラエルの新しい軍事指導者が登場する。

出エジプト記17章9節:モーセはヨシュアに言った、男たちを選び、アマレクとの戦いに出陣せよ、と

 この場面でのヨシュアの登場が唐突すぎ、彼に関する説明が何もないので、この場面ひいてはアマレク人との戦いは、本当はもっと後で起こったのが、編集ミスで、エジプト脱出直後に混入したのではないかと疑われている。実際、

民数記13章16節:モーセは、ヌンの子オシェアをヨシュアと呼んだ

 のように、ずっと後にヨシュアが何者かが説明される。いずれにせよ、現存するバイブルでは、アマレク人との戦いの後、人々はシナイ山に達し、モーセは山に登って神から十戒を含む多くの指示を受けるにいたる。その中で、十戒を刻んだ石版を収める契約の箱は最も神聖なアイテムで、特別の装飾を付けるようにと指示があった。

出エジプト記25章18節:黄金のケルビムを二つ作り、贖いの座の両端に
出エジプト記25章20節:ケルビムは翼を前へ高く掲げ、贖いの座を覆い、かつ互いに向き合い

 一体ケルビムとは何だろうか? アダムとイブがエデンを追われた後、神は彼らが戻らないように番人を置いている。

創世記3章24節:エデンの園の東にケルビムと炎の剣を置き、あらゆる方角を

 これがケルビムの初出だが、ケルビムの正体はここでも説明がない。おそらく創世記や出エジプト記が書かれた時代の読者は、説明なしでも理解したのだろう。記述から読み取れるのは、ケルビムには翼があるということだ。とすれば翼がある人間の姿、つまり天使なのか。一方で、ケルビムは聖なる物の護衛である以上、恐ろしげな外観をしているはずという考え方もできよう。アッシリア人は、王宮や神殿の入り口に、人の顔、牛の胴、鷲の翼をもつ怪獣の像を作り、エジプト人は、人の顔、獅子の胴、鷲の翼を持つスフィンクスを作った。ケルビムがそういうものだと考えても矛盾はない。ではどちらだ? その答らしきものが、エゼキエルの書にある。

エゼキエル書1章6節:それぞれが四つの顔と四つの翼を持っていた。
エゼキエル書1章7節:足の裏は子牛の足の裏に似ており、
エゼキエル書1章10節:四つとも人の顔を持ち、右に獅子の顔を持ち、四つとも左に牛の顔、四つとも鷲の顔を、

 これがケルビムだとエゼキエルはいう。どうやらケルビムは天使などではなく、翼を持つ怪獣のようである。ここで思い出してほしいのは、モーセがシナイ山に入っている間、イスラエル人が牛の鋳像を作ったことである。偶像崇拝の罪としてモーセを怒らせた行いだが、ケルビム像も同じようなものではないか。

 なお、シナイ山は神の山というが、そのわりには創世記にはまったく登場しない。むしろシュメール神話の月の神シンにまつわると考えた方がよい。


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