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投稿日: 2014/11/09(Sun) 22:52
投稿者Ken
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タイトルレビ記、民数記

『レビ記』

 神がモーセに詳しく教えた祭祀の方法を収集したのがレビ記、つまりレビ族の記録である。古代イスラエルの祭司職は、モーセの兄アロンの子孫が世襲したが、アロンがレビ族だったので、レビ族は祭司と同義語となり、レビ記は祭司職の手引書となった。内容は儀式と律法の詳細ばかりで、バイブル全篇中、最も退屈な書といってよい。例えば、神への供物にするパンを作るのに、酵母を用いてはいけないという。

レビ記2章11節:主への供物には一切、酵母を用いてはならない。

 小麦粉をそのまま焼くと固いパンになり、長期の保存にはよい。一方、小麦粉を焼く前にしばらく放置しておくと、微生物が入って発酵が始まる。その過程で二酸化炭素ガスを発して無数の泡を生じ、焼き上がったパンは、保存には向かないものの、ふっくらと柔らかくなり、口当たりが良い。やがて、長時間放置しなくても、予め部分発酵させたパン粉を混ぜれば、同じ効果が得られることが分かった。それが酵母でイーストともいう。しかし古代のイスラエル人にとっては、この場合の発酵は腐敗と同じで(※たしかに化学反応的には同じ※)、腐ったパンを神へ捧げることはできないというわけである。過ぎ越しの祭の間は、人間も酵母を用いて焼いたパンを食することは許されない。後に、イエスが弟子たちと最後の晩餐を取ったのも過ぎ越しの祭の時で、彼が「私の体」といったパンも酵母を用いずに焼いたもの、カトリック教会のミサで与えられるパンも同様である。

 レビ記の多くの部分は、浄と不浄をいかに区別するかを説明している。とはいえ、近代的な衛生観念からのものではなく、いわば神秘的な区別である。例えば、

レビ記11章3節:割れた蹄をもち、しかも反芻する獣は、食してもよい
レビ記11章7節:豚は割れた蹄をもつが、反芻を行わないから、不浄である

 このような区別に何の意味があったのか、今では想像のしようがないが、おそらくはユダヤ人が周辺の文化に吸収されないように、区別を設けること自体に意味があったのだろう。とくに、11章7節で禁じられたブタは、不浄の象徴のように見られるようになり、ユダヤ人と異邦人を食生活上、最も明確に分けるものとなった。

 意味不明の禁忌は他にもある。

レビ記19章27節:頭を丸めてはいけない。ひげの端をそってはいけない。

 これは、エジプトの祭司が髪や髭を剃っていたことからきたのかもしれない。

 魔術のたぐいは、厳しく禁じられた。

レビ記19章31節:縁者の霊を呼ぶ者を頼るべからず。魔術師を求めるべからず

 魔術を用いる女性には、バイブルはとりわけ厳しい。

出エジプト記22章18節:魔女を生かしておくべからず

 バイブルのこの一節のために、歴史の中で大量の女性が最も残酷な殺され方をした。注意すべきは、これらの「魔術」が忌まれるのは、それが異教の行事であるからで、要するに競合する宗教との戦いなのだ。異教の神はすべて排除されるが、中でも特筆で名を挙げられているものがある。

レビ記20章2節:イスラエル人であれ、イスラエルへの訪問者であれ、自分の子をモレクにささげる者は、必ず死刑に処せ

 モレク(molech)は元来はメレク(melech)で「王」を意味し、多神教時代からすべての神をそう呼んでいたのだが、時代が降るほど、異教の神に尊称を用いることへの抵抗が増してゆく。こういう場合に古代のユダヤ人がよくやったのは、元の言葉の子音と別の言葉の母音を組み合わせて新たな語を作ることだった。「汚辱」を意味するボシェト(bosheth)の母音をメレクの子音と合成したのがモレクで、異教の神のことにほかならない。つまり、それまでメレク(王)と呼んでいたものをモレク(邪神)に変えたわけである。上の文章では、子供を異教の神に捧げることを特に禁じているが、実はイスラエルの王国史を通して、子供の人身御供は繰り返し行われ、ユダ王国のアハズ王にいたっては、自分の子供を焼き殺して生け贄にしている。

列王記二16章3節:彼は異教徒の極悪な行いをまね、自分の子に火の中を通らせた

 ヤハウェもまた「メレク」であって、アブラハムがイサクにしたように、子供をヤハウェへの生け贄に捧げるのは正しいと考える人々が後を絶たなかった。それに対して、いやそうではない、生け贄を求めるのはメレクではなくモレクなのだと説明するために、上記のレビ記の文章は書かれたのだろう。


『民数記』

民数記1章1節:荒れ野で主はモーセに語られた

 旧約聖書の第四書はこのように始まる。原書では、ヘブライ語で「荒れ野で」に相当する文頭の「ベミドバル」がタイトルになっている。しかしバイブルをギリシャ語に翻訳した者たちはこの書に人口調査記録が載っていることに注目し、数を意味する「Arithmoi」というタイトルを付けた。英語のタイトルも「Numbers」である。もっとも人口調査といっても、目的は徴兵なので、対象は成人男子に限られる。

民数記1章2節:衆を数えよ
民数記1章3節:戦にゆける二十歳以上の者を

 調査は四十年の間隔をおいて二度行われた。結果は以下のとおりである。

部族     第1回   第2回
-----------------------------------------------
ルベン    46,500   43,730
シメオン   59,300   22,200
ガド     45,650   40,500
ユダ     74,600   76,500
イサカル   54,400   64,300
ゼブルン   57,400   60,500
エフライム  40,500   32,500
マナセ    32,200   52,700
ベニヤミン  35,400   45,600
ダン     62,700   64,400
アシェル   41,500   53,400
ナフタリ   53,400   45,400

合計     603,550   601,730

レビ     22,273   23,000

 成人男子だけで六十万なら全人口は二百万くらいだから、ダビデ王国の最盛期の人口よりも大きくなる。まだ約束の地に着く前の、シナイ半島を移動していた時代の話だから、かなりいい加減な数字といわざるをえない。それでも注目すべき点が二つある。一つは最大の人口を数えるのはユダ族とヨセフ族(エフライムとマナセの合計)という、のちに南北の王国の中心になる両部族だということ。二つめはシメオン族の異常な減り方である。なおレビ族は宗教担当で兵士を出さないので、二十歳以上に限定せず、男子の全人口を数えているが、どこよりも少ない。以前に考察したように、やはり征服事業の過程で、この両部族が最も衰えたようだ。

※人口調査が民数記の本題ではない。出エジプト記でシナイ半島へ渡ったイスラエル人が、いよいよカナンの地を目指して開始した征服事業の、その前半部分を描いたのが、本書なのである。ただしアジモフの関心は、戦争の記述よりも、この頃のイスラエル人がどのような考え方をする人々であったか、後の時代と合わせて俯瞰しながら、考察することにある。※

 モーセは十二部族から一人ずつ兵士を出させて敵情偵察を行わせた。エフライム族から選ばれたのはヨシュアで、ユダ族からはカレブという人物だった。この二人は征服戦争の中で、特に重要な役割を果たすことになる。

民数記13章6節:ユダ族では、エフネの子カレブ

 これだけではカレブについてよく分からないが、ヨシュア記に次の記述がある。

ヨシュア記14章6節:ケナズ人エフネの子カレブ

 ケナズは創世記でエサウの孫とされているから、カレブはエドム系ということになる。つまりユダ族にはイスラエル以外の血統が入っていたわけで、そういえば創世記にもそれを思わせる記述がある。

創世記38章2節:ユダはそこでカナン人の娘を見て、自分のものにした

 これはしかし、後世のユダ族からモーセの時代を想像したのに違いない。ユダ族はカナン征服後に最も南寄りの地に蟠踞したから、隣接するカナン人やエドム人と混血したであろうし、それが特に北の諸部族から敵意と軽蔑をもって見られたことは想像がつく。王家を出したダビデの時代ですら、その敵意が消えることはなく、結局は王国の分裂をもたらした。

 さらに、預言者モーセといえども、すべての民から支持され続けたわけではない。カデシュまで来たイスラエル人は、前方の敵が強力なのでその地に留まったが、この時モーセの指導に不満を持つ者が反逆した。

民数記16章1節:イツハルの子コラと、ルベンの子孫ダタンとアビラムは、人を集め、
民数記16章3節:徒党を組んで、モーセとアロンに反逆した

 実際にはコラの反抗とルベン族の反抗は、原因も異なる別の出来事だった。コラはモーセとアロンの兄弟の従兄弟で、同じレビ族である。それなのに祭司の仕事がアロンの一族にばかり任されることへの不満が原因だった。コラの造反は鎮圧されたが、コラの子孫は神殿で音楽を奏でる仕事を世襲するようになる。

 ルベン族の反抗は勢力衰退への危機感が背景にある。かつてルベン族は最も力が強く、だからこそルベンはヤコブの長子とされたのに、この頃には宗教はレビ族(モーセとアロン)軍事はエフライム族(ヨシュア)の指導が確立され、栄光の過去をもつルベン族には我慢がならなかった。しかしルベン族の造反も鎮圧され、彼らはいよいよ衰退してゆく。

 この頃のイスラエル人は、どのような宗教観を持っていたのだろうか。それを窺わせるいくつかの記事がある。まず、上記の反逆の話の結末だが、大地が開いて反逆者たちを呑み込んだという。

民数記16章32節:大地が開いて彼らを呑み込んだ
民数記16章33節:彼らは生きたまま、穴へ落ちた

 「穴」に相当するヘブライ語は「ショル」で、死者の国を意味する。ただし、ショルはすべての死者が行くところで、悪人だけが落ちる地獄ではない。反逆者が受けた罰はショルへ行くこと自体ではなく、そこへ行くのが(死ぬのが)早くなることだった。このような冥界の発想は、ギリシャ神話のハデスも(※日本神話のヨミも※)同様である。善人と悪人は天国と地獄に分かれるという、ユダヤ・キリスト・イスラム教の根幹を成す考えは、この時代にはなかった。

 次は、あるときヘビの大群が人々を襲い、モーセはヘビの像で被害者を治癒したという。

民数記21章9節:モーセは青銅の蛇を作り、竿の先に着けた。蛇にかまれた人でも、青銅の蛇を見ると、死ななかった

 しかしこれでは偶像崇拝である。こういうところにも、この時代のイスラエル人が、後世のユダヤ教徒と相当に異なる事実が現れている。後のユダヤ人は、いかにモーセが作ったとはいえ、偶像を認めることはできなかった。ヘビの像も数百年後には破壊されたことが列王記二18章4節に書かれている。

 三つ目は、シホンとモアブの戦いを描く場面で、モアブ人への呪いの言葉が記録されている。

民数記21章29節:モアブに災いあれ! お前は滅びる、ケモシュの民よ

 ケモシュはモアブ人の神である。イスラエル人がヤハウェの民であるように、モアブ人はケモシュの民なのだ。それがバイブルに書かれるということは、全人類が唯一神ヤハウェの民という思想はまだ現れていないことになる。ヤハウェ以外の神は、たんに他部族の神であって、ただちに悪魔とは見なされない。もちろん戦争となれば話は別だが、それは現代人が他国の国旗にもつ感情と酷似している。戦時には敵軍の旗は恐怖と憎悪の対象だが、平和な時代なら外国の国旗には礼をもって接するだろう。

 四つ目が、呪術師バラムの話である。モアブの王は、イスラエルの侵略を防ぐには、呪術師の力に頼るのがよいと考え、高名なバラムに依頼した。

民数記22章6節:私のために、この民を呪ってもらいたい。君が祝福する者は祝福され、君が呪う者は呪われるのだから

 注目すべきは、民数記がバラムの呪術をいかさまの類として退けていないことである。一神教の考えに立てば、そんな力をもつのは真の神だけのはずなのに。たしかにヤハウェはバラムの行為に干渉してイスラエルを守るが、それはバラムに呪いの代わりに祝福の言葉を言わせるという形をとる。呪いであれ祝いであれ、呪術師の口から出る言葉には力があることを認めればこそであろう。

※これらの例から分かるように、民数記は創世記や出エジプト記より後の時代を扱うが、書かれたのは明らかにずっと早い。アジモフは、創世記や出エジプト記はバビロン捕囚より後で書かれたものだと、繰り返し言っている。古い時代ほど、実は後から書かれたものだというのは、神話にはよくあるパターンらしい。※

 呪術でイスラエルに勝つことが叶わなかったモアブ王は、今度は友好政策に転じて、国民にイスラエル人と仲良くせよと求めたようである。そして、イスラエル人は、モアブの女性に魅了され、彼女らの祭祀にまで参加した。モアブはイスラエルよりも経済と文化の先進地域だから、モアブ女性の方が美しかったのだろう。

民数記25章1節:イスラエルはモアブの娘たちと背徳の行為を始めた。
民数記25章2節:彼女らは自分たちの神々への儀式に民を呼び
民数記25章3節:イスラエルは、バアル・ポルに加わり

 バアル・ポルとはケモシュ神のことだろう。この種の出来事が、異民族との婚姻を許さないという、のちの姿勢に繋がるのである。

 このあと民数記は、いきなりミディアン人との戦いの話になり、モアブとの戦いがどう決着したのか、記述することなく終わる。モアブ人の勢力はその後も長く続いたので、結局イスラエルは勝てなかったのだろう。


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