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投稿日: 2014/11/16(Sun) 21:55
投稿者Ken
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タイトル申命記、ヨシュア記

『申命記』

申命記1章1節:これはモーセが語った言葉で、

 ヘブライ語では「言葉」に相当する「エレ・ハデバリム」が文頭に来るので、これがこの書のタイトルになっている。モーセが死を前にして、出エジプトと律法について再度語った言葉の記録であるという。

申命記17章18節:彼が王位についたならば、この律法の写しを作り、

 モーセはこのように「律法の写し」と言ったのだが、ギリシャ語への翻訳者は誤解して「第二の法」を意味する「Deuteronomion」をタイトルにした。英語でも「Deuteronomy」である。(※それなら「申命=命を申す」の方がヘブライ語の原題に近いわけか※)その申命記は前六二一年、ユダ王国のヨシヤ王の治世に、神殿で「発見」された一書である。

列王記二22章8節:祭司長ヒルキヤは書記シャファンに言った、私は主の神殿で律法の書を見つけた

 実はヨシヤの前には、ヤハウェを奉じない王が続いて、ヤハウェ信仰は苦境にあったので、年若く影響を受けやすいヨシヤが即位したのを好機に、「モーセの書が見つかった」と口を合わせて、用意していた書を持って行ったのに違いない。企ては成功し、古代王国史上初めてヤハウェ信仰が国教の地位を獲得した。ほどなくバビロン捕囚が起こるのだが、ヤハウェ信仰がそれを乗り切る強さを身につけたのはこの時である。そしてそこからユダヤ教、キリスト教、イスラム教が発生したことを思えば、申命記こそ人類史上の最重要文献かもしれない。

 この中でモーセは、神がイスラエル人に与えたカナンの地がどこまでを指すのか、その境界を明らかにすることから始めている。

申命記1章7節:レバノン、ユーフラテス川まで
申命記1章8節:見よ、私はお前たちにこの土地を与える。

 レバノンは元々カナンの北方で地中海岸に平行に走る二つの山脈を意味し、その間がシリア渓谷である。その後の歴史では、イスラム教の真っ只中に位置しながら、キリスト教徒が多数を占める珍しい土地だった。上質の杉を産することで知られ、ソロモンが神殿を作る材料として利用したこともあり、レバノン杉はバイブルの中でも尊貴さの代名詞になったり(士師記9章15節)、逆に自惚れの罪を象徴したり(イザヤ書2章13節)した。

 またモーセはカナンの歴史に言及し、先住民が外来の侵略者に代わられたことを述べるが、その中に

申命記2章23節:また、アビム人の居住はガザにまで及んでいたが、カフトル島から来たカフトル人は彼らを滅ぼし、代わってそこに住んだ。

 という一節がある。このカフトル人こそ、イスラエル史の次の段階でペリシテ人と呼ばれる人々で、これは例えば預言者アモスの記述からも分かる。

アモス書9章7節:わたしはペリシテ人をカフトルから連れてこなかったか

 それでは、ペリシテ人がそこから来たというカフトルとはどこだろう? ペリシテ人がカナンとその周辺に建国した他の諸民族と異なるのは、彼らが海岸沿いに国を作ったことで、あたかも海から侵入したように見える。事実、彼らはエジプトを襲撃した「海の民」の一派と思われ、それならギリシャが故郷になる。イスラエル人はペリシテ人を「割礼をしない者」と呼んだが、割礼はイスラエル人だけでなく、エジプト人にも、大半のセム系民族にも共通して見られた風習である。するとペリシテ人は、エジプト系でもセム系でもないわけで、出自がギリシャの可能性は非常に高くなる。

 ギリシャ人は前二〇〇〇年頃ギリシャの地へ入り、先進のミノア文明を取り入れて、独自のミケーネ文明を築いた。ところが前一四〇〇年頃、新たな蛮族の侵入を受け、押し出されるように海へ乗り出す。これが海の民にほかならない。その一部は小アジアを侵略し、これがトロイ戦争の伝説を生んだのだろう。では、バイブルのいうカフトル島とは、海の民の一大基地だったクレタ島なのか。多くの研究者がそう考えている。もっともカナン侵入後はセム系族と急速に混じりあったようで、彼らの言語も習慣も神の名もセム系の要素を多くもつ。あるいは、カフトルは、クレタよりもさらに近いキプロス島かもしれない。

 さらに、モーセはここまでの征服事業を回顧し、シナイ山上で受け取った律法を述べ、そして偽の預言者や異教の神の危険を語る。

申命記13章13節:ベリアルの子等が、他の神々に仕えようと言い

 ベリアルは元来「役立たず」「無用」という意味だったが、やがて「有害」という意味に拡大され、とうとう悪魔の固有名詞にされるにいたる。例えば、使徒パウロの時代には、まったく悪魔の名になっていたことが、彼の書簡で分かる。

コリントの信徒への手紙二6章15節:キリストとベリアルにどんな調和があろうか?

 締め括りに、モーセは、かつてヤコブが死の床でそうしたように、各部族に言葉を残す。その中でヨセフとレビへの言葉がとくに長く、祝福に満ちているのは、これらの言葉が(もちろん実際のモーセよりはるかな後世の作である)北の王国で作られたことを示す。一方で、ユダのための言葉は短く簡潔で、なによりも王権への言及が全くない。分裂した北王国では、南のダビデ王家を認めていなかったということだろう。それならヤコブが十二人の息子に残した言葉は、分裂前の統一王国で作られたということか。またモーセの方にはシメオンが出てこない。分裂王国の時代には完全に消滅し、部族の人々はユダ族に吸収されていたに違いない。ルベンはかろうじて言葉を残されるが、内容たるや、

申命記33章6節:ルベンを生かし、滅ぼさぬように。その数も減らぬように

 と、これだけである。ところが、この一節には後世の改変が入っており、オリジナルは、こうだったという。

〜ルベンを生かし、滅ぼさぬように。ただし、その数は減るように〜

 さすがに、英雄モーセにそんなことを言わせるわけにはいかないので、改変が加えられたのだろう。現実には、ルベン族もまた消滅し、モアブに吸収されていた。

 モーセはカナンの地を望見する山上に葬られ、彼自身はその約束の地に入ることなく、劇的すぎる生涯を終わった。それをもって申命記も終わり、イスラエル人の征服事業は、後半戦に入る。


『ヨシュア記』

 神はアブラハムにカナンの地を約束した。その征服事業が、稀代の名将ヨシュアの指揮で完遂されるのがヨシュア記である。とはいえ、この書も書かれたのはバビロン捕囚の時代つまり七百年も後で、大量に粉飾されているのは明らかだ。戦いの実態は、書かれているほど華々しいものではなかったろう。

 ヨシュアの最初の攻撃目標は、エリコの町だった。

ヨシュア記2章1節:ヨシュアは二人のスパイをシティムからひそかに送って言った、行って国を見てこい、エリコまでも

 エリコには非常に古くから人が住み着き、町の存在を示す痕跡は前五〇〇〇年頃まで遡る。もっともメソポタミア文明自体はさらに古く、一九六六年トロント大学の調査隊が、ユーフラテス上流で前八五〇〇年の遺跡を見つけているから、これと比べたらピラミッドもアブラハムも、はるかな後世の存在でしかない。エリコは破壊と再建を繰り返し、ヨシュア時代の町はおそらく三代目だった。頑丈な城壁に守られていたが、ヨシュアのスパイはエリコへ潜入し、ラハブという娼婦から城内の士気が異常に低いことを聞く。ラハブは身の安全と引き換えに国を裏切った「第五列」だった。

 ヨシュア軍はヨルダン川を越えてエリコに向かうが、攻撃前に、川底から取った石で儀式を行った。

ヨシュア記4章20節:ヨルダン川から取った十二個の石を、ヨシュアはギルガルに置いた

 ギルガルは「石の輪」を意味し、地名として幾つもバイブルに登場する。ストーンヘンジが有名だが、石で作った輪の遺跡は世界各地で発見されており、石器時代人が天文観測と宗教儀式を合わせ行うのに用いたと思われる。ここに登場するギルガルの地も、カナン古来の宗教と結びついた、いわば聖地だった。ヨシュア記を書いた後世のヤハウェ教徒は、その異教の名残りを消し去るよりも、ヨシュアの征服事業と結びつけることを選択したのに違いない。これは、歴史の中で生き残り繁栄する宗教には頻繁に見られることで、イスラム教はカーバの所在地つまり異教の聖地だったメッカを自己の教義へ取り込んだし、キリスト教は冬至を祭る異教の習慣をクリスマスにした。

 部族数が十二だから十二個の石を用いたと考える必要はない。一年が十二ヶ月ある(季節が一巡する間に月が十二回満ち欠ける)ことから、十二が聖なる数とされたのだから。のちのイエスの弟子たち、いわゆる十二使徒も同じ。十二という数が大切なので、だからこそユダがイエスを裏切った後、別の人間を選んで、数を十二に戻している。

※よく似た例が中国古代史の春秋の五覇。初めに五という数があり、誰が五人の覇者なのかはその後の議論になる※

 エリコへの攻撃は、よく知られた物語である。神の契約の箱を担いだ祭司たちが、ラッパを鳴らしつつ町を周回する行為を七日間続けると、七日目に堅固な城壁が突然崩れ落ちたという。そのとおりなら神の奇跡そのものだが、奇跡を認めない人は、地震が起こって城壁が壊れたのだろうという。しかし、それもあまりにタイミングが良すぎるではないか。そんなことよりも、エリコ市民の戦意が初めから低かったことはラハブが語っているし、祭司たちの行列とラッパの音に気をとられて、ヨシュア軍の城壁破壊工事に気付かなかったか、報告しなかったと考える方が、よほどありうる話である。

 こうしてエリコは陥落した。町は破壊と殺戮と略奪を被ったのみか、ヨシュアに呪いの言葉をかけられる。

ヨシュア記6章26節:ヨシュアは言った、この町エリコを再建する者は呪われるべし

 戦争で陥落した町が破壊され、二度と再興しないように誓われるのは、歴史上いくつも例がある。よく知られているのはローマに破壊されたカルタゴだが、のちにローマ自身がカルタゴ市を再建したし、エリコもアハブ王の時代にイスラエルが再建した。当然のことで、ある場所で町が栄えるのは、たとえば交易路がクロスするような地理的理由があるからだ。そこに町があることで利益が得られるのだから、いつまでも空地にしておけるはずがない。イスラエルのエリコ市は、七世紀にアラブ軍に破壊されるまで続き、その後も十字軍に再建され、これは現代まで続いている。

 次の攻撃目標はアイの町である。この戦いでイスラエル軍は偽って敗走し、敵軍が城を空けて追ってきた時、別働隊を送ってアイの町を占領した。

※まるで諸葛孔明みたいな作戦だが、こういう講談的なことが、現実に起こるのだろうか?※

 次の目標になるはずのギブオンは異なる作戦に出た。彼らはヨシュアの陣営を訪れ、自分たちは遠国の使節で、ぜひ平和条約を結びたいと申し出たのだ。それを信じたヨシュアは平和条約を結び、やがて嘘が分かった時も、既に誓ったことを反故にはできなかったという。到底信じ難い話だが、要するにイスラエルのカナン征服は、ヨシュア記が描いたような完勝ばかりではなく、多くの町が生き残った事実があったので、恥知らずな敵と名誉を重んじる英雄ヨシュアのせいでそうなったということにしたのだろう。

 次の戦いでは、決着がつく前に日が沈みそうになったので、ヨシュアが太陽に命じて動きを止めさせ(※平清盛みたい※)イスラエル軍が完勝したという。この話は、はるかな後世に、コペルニクスの地動説が誤りである証拠とされた。太陽が止まるというのは、本来は動いていることが前提ではないか、というわけである。もちろん、相対運動の原理を知っていれば、こんな反論は反論にもならないのだが、物理法則を語るのが本書の目的ではない。

 ヨシュアの快進撃は続く。

ヨシュア記11章8節:主のおかげでイスラエルは彼らを撃ち、大シドンまで追撃し、

 シドンの地は現在のレバノン共和国で、さすがにそんなところまで征服したとは信じ難いし、後の王国の最盛期でもこの地を支配してはいない。それはともかく、シドンの特産は紫の染料で、これが非常に有名だった。なにしろ「カナン」は紫を意味する古いセム語という説があるほどだ。その真偽は不明だが、ただギリシャ人がカナンのことを呼んだ「フェニキア」とは、間違いなく紫の意味である。

 そのフェニキア人(=カナン人)は、この時代に人類史上の大貢献をした。アルファベットの発明である。文字の発明は、シュメールでも、中国でも、中央アメリカでも行われたが、それらの文字はすべて一つ一つが意味をもつため、文字の量は膨大になる。ところがフェニキア人は、意味ではなく音を文字で表すことを思いつき、彼らの言語で使用される子音の一つずつに文字を当てていった。これはイスラエルを含むヘブライの各種族に広まり、さらにギリシャへ伝わった時、母音を表す文字が加えられた。世界中のアルファベットは、すべてフェニキア文字から派生したといってよい。

※そうだろうか? 日本の仮名や韓国のハングルも音を表す文字なのだが。アルファベットの厳密な定義はなんなのだろう?※

 さて、ヨシュア記がイスラエルの征服事業をどれだけ飾り立てても、多くの土地が征服されずに残った事実は動かない。中でも最も重要なのは、

ヨシュア記13章2節:残っている土地は次のとおりである。ペリシテ人の全地域と、

 ペリシテ人は申命記にもカフトル人の名で登場している。前一一九〇年にエジプトで即位したラムセス三世は、ようやく海の民を撃退するが、エジプトを追われた彼らがカナンの地へ入ったのがペリシテ人で、彼らの沿岸部征服と、イスラエルの内陸部征服は同時期であり、両者はその後の数世紀、最大の宿敵同士となる。なお、パレスチナの語源はペリシテである。ヨシュア記13章3節では、ペリシテの主要都市に、ガザ、アシュドド、アシュケロン、ガト、エクロンを挙げている。ギリシャ諸都市のような、独立性の強い都市国家だったと思われる。ガザは現代史でイスラエルとエジプトの係争地であり続けたことは、よく知られている。

 ヨシュアは征服事業の締め括りに、各部族に土地を割り当てた。
 ルベン、ガドそしてマナセの一部はヨルダン川の東に。本来のカナンである、川の西側は最も南がユダ族でエルサレムも含まれる。そのさらに南の辺境は消滅寸前のシメオンに。シケムを中心としたカナン中部はマナセの残り。マナセとユダの間の地は、海側がダン、内陸側にエフライムとベニヤミン。マナセの土地より北は、海側がアシェル、内陸側は南から順にイサカル、ゼブルン、ナフタリと並ぶ。

 ただし、この時点でこれらの土地をすべて征服できたわけではなく、エルサレムがイスラエルのものになるのはダビデの時だし、ペリシテ人の土地もユダとダンに割り当てられたが、やはりダビデ以前には支配できなかった。アシェル族に割り当てられた土地などは、ついにイスラエルのものにはならなかったのである。

 これまでカナンと呼んできた地を、以後はイスラエルと呼ぶことにする。


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