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投稿日: 2014/11/30(Sun) 23:18
投稿者Ken
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タイトル士師記、ルツ記

『士師記』

 約束の地を征服した後のイスラエル史を語る士師記は、雑多なエピソードの寄せ集めで、ヨシュア記のようなはっきりとした筋書きもなければ、イスラエル人を英雄的にばかり書いてもいない。それが却って真実に近いことの根拠とされる。ヨシュア記のイスラエル軍は、常に全部族一致団結だが、士師記では部族間の結束ははるかに弱く、内戦すらも起こる。外敵にも苦戦することが多く、その一因に敵の優れた武器が挙げられている。

士師記1章19節:ユダは山地の住民を駆逐したが、盆地の住民は鉄の馬車を持っていたので、追い出すことはできなかった。

 金属の使用は前三五〇〇年頃に始まり、初めは銅だった。これに錫を加えるとずっと硬くなることが発見され、前二五〇〇年頃、肥沃な三日月地帯と呼ばれる地域は青銅器時代に入っていた。しかし銅も錫も容易に得られる資源ではなく、フェニキアの船は錫を得るため、イギリスまで行ったという。それに比べて、鉄ははるかに豊富に産するし、青銅よりも硬くなる。ただ、精錬に高温を要しプロセスも難しいので、普及が遅れた。鉄の精錬に成功したのは、前一四〇〇年頃のヒッタイトで、これより鉄器時代が始まる。しかし、後進部族イスラエル人は青銅器しか持たず、鉄を装備した敵には屈することが多く、よほど有能な指導者に率いられた時だけ、勝つこともあった。そのような指導者が士師である。

※英語ではjudgeといい、要するに非世襲の王と思えばよい。日本語聖書がなぜ「判定者」「裁定者」「審判者」といわず「士師」などという訳語を用いるのか、理解に苦しむ。イスラエル人やユダヤ教徒に、もし「士師」という字義がふさわしい存在がいるとすれば、ラビこそがそれではないのか※

 士師は全部で十二人が記録されているが、これも意図的に十二に合わせた可能性が非常に強い。一般には、十二人のそれぞれが全イスラエルを統治した、つまり一人が終わると次の一人が立った、と信じられることが多いのだが、それぞれの士師の活動年数は記されていて、全部をつなげると四百十年になる。士師の時代は前一〇二八年のサウル王の即位で終わるから、これではヨシュアのカナン征服は前一四四〇年頃、出エジプトはその四十年前で前一四八〇年頃になる。だが、これは到底あり得ない。いくら考えても、出エジプトは、メルエンプタハがファラオで、エジプトが海の民に苦しんだ前一二〇〇年頃、ヨシュアの死は前一一五〇年頃でなければならない。それなら士師の時代は百五十年を超えることはないだろう。つまりそれぞれの士師は一つまたはいくつかの部族だけを治め、互いの活動期間は重なっていたのだ。つまり分裂の時代だが、幸運にもエジプトはすでに西アジアに干渉する力はなく、新興のアッシリアはまだ真の大をなすにいたらない。士師たちはそういう時代背景の中で活動機会を得たとも言える。

 士師記を編纂した後世人は、モーセやヨシュアの戦いをあれだけ助けた神が、なぜ士師の時代にイスラエルが何度も敗れるのを許したのかを説明せねばならず、それは人々の背教の報いという、その後すっかり定型化した理論を持ち出した。

士師記2章11節:イスラエルの子等は悪を行い、バアルに仕えた
士師記2章13節:そしてアシュトレトにも

 バアルとアシュトレトはそれぞれセム語で主人と女主人を意味し、この場合は異教の神と女神を指す。アシュトレトは正しくはアシュタルテなのだが、メレクをモレクと言い換えたのと同様、ボシェト(汚辱)の母音を組み込んだ言葉にほかならない。アシュタルテはギリシャ語ではアスターテ、バビロン語ではイシュタルとなる。イスラエル人が異教の神を奉じると罰として戦いに敗れ、悔い改めると士師が現れて人々を救うというのが、士師記の基本プロットといってよい。すでに最初の士師オトニエルの記述で、そのことが簡潔に述べられている。

士師記3章7節:イスラエルの子等は悪を行い、バアルとアシェラに仕えた
士師記3章8節:主は彼らをメソポタミアの王クシャン・リシャタイムの手に売り渡された
士師記3章9節:イスラエルの子等が主を呼んだので、主はカレブの弟ケナズの子オトニエルを救助者として立てられた

 第4章にはこんな記述がある。

士師記4章2節:主はハツォルの王ヤビンの手に彼らを売り渡された。その軍を指揮するのが、ハロシェトに住むシセラで

 ところが、ハツォルはヨシュアの手で完全に滅ぼされたはずなのだ。

ヨシュア記11章10節:ヨシュアはハツォルを陥落させ、王を剣で殺した
ヨシュア記11章11節:そして全住民を殺し、滅ぼし尽くしてハツォルを焼いた

 これは、ヨシュア記の記述が大掛かりに粉飾されていることの証拠でなくてなんであろう。とはいえ、ヨシュアのエフライム族が軍事面のリーダーで、カナン征服後も最強の部族だったことまでは否定できないし、むしろヨシュアの英雄譚は、エフライムの力を個人伝説にしたものかもしれない。

 イスラエルの文化では非常に珍しいことだが、そのエフライムの指導者が女性だった時期がある。

士師記4章4節:女預言者デボラが、その頃イスラエルを裁いた
士師記4章5節:彼女は、エフライム山地のラマとベテルの間に居住した

 そのデボラは将軍バラクと遠征軍を進め、シセラのハツォル軍を粉砕。今度こそハツォルを滅ぼす。あるいはヨシュア記の記述は、この時の出来事を、英雄ヨシュアの功績に変えたのかもしれない。勝利の後、デボラとバラクは有名な『デボラの歌』を歌い、その中で参戦した部族の名が讃えられる。エフライム、ベニヤミン、マナセ、ゼブルン、イサカル、ナフタリの六部族で、地理的には北部連合である。参戦を拒んだルベン、ガド、ダン、アシェルは侮蔑を投げられるが、注目すべきはユダ族とその属国というべきシメオン族の名が出ないことだ。もしかしたら、士師の時代のユダ族はイスラエルの一部と見なされていなかったのではないか。ユダ族とイスラエルが統一政体にあったのは、のちのサウル、ダビデ、ソロモンの三王のときだけで、イスラエルのサウル王にユダ族は反乱を起こし、ユダ族のダビデ王にイスラエルは反感を持ち続けた。ソロモンの後、両者は分裂し、二度と一緒になることはなかった。

 敵はカナンの残存勢力だけではない。外ヨルダンから襲う遊牧民とも戦わねばならなかった。ミディアンとアマレクを中心とする東方の部族が襲来したとき、迎え撃ったのがマナセ族のギデオンである。彼が率いたのは、マナセ、アシェル、ゼブルン、ナフタリ族だが、当然中核となるべきエフライムが抜けている。おそらくギデオンは、初めからエフライムを加えれば正面攻撃に固執し、無用の犠牲を出すと考えたのだろう。ギデオンは小部隊で敵に夜襲をかけ、音と光で驚かせて敵を潰走に追い込む。敵が逃げる先には、エフライムを含む大部隊が待ち伏せていて敵を殲滅するが、明らかにギデオンは、エフライムに連絡する時間を調節して、この第二段階だけ参戦させたに違いない。これがエフライム族を怒らせた。

士師記8章1節:エフライムの人々は、なぜミディアンとの戦いに行くとき、我々を呼ばなかったかと、ギデオンを激しく責めた

 ギデオンは、自分の夜襲などは小さなことで、エフライムが参加した戦いこそ重要だったのだと言って相手をなだめ、イスラエルの内乱を回避した。

 ギデオンの名声は高まり、彼は諸部族から、より高い地位に登ることを求められた。

士師記8章22節:イスラエルの人はギデオンに言った、君も、君の子も、そのまた子も、どうか我々を治めてほしい

 これは世襲の統治者、つまり王になってほしいという頼みである。しかしギデオンは回答した。

士師記8章23節:私は諸君を治めない、主が諸君を治められる

 実際には、ギデオンは終生マナセの統治者だったし、彼の息子もそうだったので、少なくともマナセ族の王になった可能性はある。世襲の利点は後継者争いが起こらないこととされるが、実際は王子たちの激しい争いが起こることは、のちにダビデの後継者を争う内戦が示すとおりだし、ギデオンの家も息子たちの争いで、その政権は短命に終わった。

 次は、ガド族の士師エフタの話である。アンモン人との戦いを前に神に祈った彼は、戦勝の暁には、凱旋する彼の前に最初に家から現れたものを犠牲として捧げると誓い、いざ凱旋帰宅すると、最初に飛び出したのは彼の幼い娘だった。エフタは悲嘆の中でも、娘を生け贄にするしかなかった・・・・。

 士師記を編纂した後世の編者が、こんな話を抹消しなかったのは驚きだが、異教の習慣をヤハウェ信仰と習合させるため、あえてそうしたという説がある。

士師記11章39節:イスラエルにしきたりができた
士師記11章40節:イスラエルの娘たちは、毎年、年に四日間、ギレアドのエフタの娘を悼むのである

 原始農耕社会では、植物が枯れる冬は神が死に、新たに芽吹く春は神が蘇ると考えることがある。そこで冬には神の死を悼み、春にはその復活を祝うのだが、こんな異教の習慣でも、生活に深く定着したものは廃することができず、それは異教の神ではなく英雄の娘を悼んでいるのだという説明をするため、あえて生け贄の話を残したのではないか。

 エフタは勝ったが、ギデオンのようにエフライム族に花を持たせなかったので、両者の間に戦いが起こった。エフタは、まず退却を重ねて敵を深く引き入れ、別働隊を送ってヨルダン川の渡し場に伏兵を置いた上で、長距離を遠征してきたエフライム軍を激しく叩いた。潰走したエフライム兵はヨルダン川でエフタの伏兵に捕捉されたのだが、エフタの兵は敵兵を区別するために、Shibboleth(流れ)と言わせたという。

士師記12章6節:Shibbolethと言わせ、正しく発音できずSibbolethと言うと、捕らえて殺した

 エフライム方言にはsh音がないのだ。(※siとはいえるのに、shiといえないとすれば、現代日本人とは逆のケースになる※)

 士師の最後はダン族のサムソンだが、他の士師とは全く異なり、将軍でも政治指導者でもない、いわばロビン・フッドかスーパーマンみたいな存在で、ペリシテ人を相手に超人的腕力で渡り合う人物である。そのエピソードを考察すると、太陽神話ではないかと思われる部分がある。まず、サムソンは誕生から神話的で、彼の母親に天使が告げたという。

士師記13章5節:見よ、あなたは身ごもって男の子を産む。その子は胎内にいるときから、神に仕えるナジル人なので、頭にかみそりを当ててはならない

 ナジル人については、民数記で説明されている。

民数記6章2節:男でも女でも、ナジル人の誓願を立て、主に仕えるとき
民数記6章3節:ぶどう酒も強い酒も飲まず
民数記6章5節:かみそりを当てず、髪は伸びるままにし
民数記6章6節:死体に近づいてはならない

 このような戒律を守って宗教的な修養を行う。後世の修道士を想像すればよいだろう。そしてサムソンはバイブルに登場する最初のナジル人なのだが、彼には修道士的な特徴は皆無である。それどころか死体には接触するし、大酒を飲む。ただし髪を伸ばしていた。太陽神話というのはその点で、長い髪は太陽光線を表す場合が多いからである。おそらく士師記の編者は、サムソンの髪を説明するのに、異教の太陽神話を持ち出すわけにもゆかず、彼の実態とは正反対のナジル人に仕立てたのだろう。

 サムソンは、素手でライオンを殺し、賭けに負けた腹いせに三十人のペリシテ人を殺し、尾に松明を結んだ狐をペリシテ人の畑に放つ。士師がこんなことをしても、イスラエルには何の役にも立たないのだが、古代の太陽神話にはよく見られる特徴である。そしてある日、彼は一人のペリシテ人女性と出会う。

士師記16章4節:彼はソレクの谷にいるデリラという女を愛するようになった

 実はデリラはペリシテの女スパイで、サムソンの超人的な力の秘密を探っていたのだ。デリラにせがまれたサムソンは、秘密を打ち明けてしまう。

士師記16章17節:私は頭にかみそりを当てたことがない。もし髪の毛をそられたら、私の力は抜けて、私は弱くなり、他の人間のようになってしまう
士師記16章19節:彼女は膝の上でサムソンを眠らせ、人を呼んで、彼の髪の毛七房をそらせた。彼の力は抜けた

 ナジル人に関するどの文章にも、髪を切ったら怪力を失うなどという記述はない。ところで、今の我々が彼をサムソンと呼ぶのは、バイブルがギリシャ語に訳されたときに、彼の名がギリシャ化されたからで、ヘブライ語では彼はシムションというが、これは太陽を意味するシメシュに通ずる。一方、デリラのリラは夜を意味する。この話は、明らかに太陽神話において夜が太陽に勝ち、太陽の光(髪)が失われることを言っている。

 ペリシテ人は捕らえたサムソンの目をつぶし、彼らのダゴン神を祀る場へ引き出した。ところが、この時サムソンの髪はまた伸びており、怪力の戻った彼は、建物の屋根を支える柱を倒し、崩れた屋根の下敷きで、彼自身も多くのペリシテ人とともに死ぬという結末になる。

 士師たちの物語はこれで終わるが、最後に士師記は、この時代のイスラエル諸部族がそれぞれの利益を優先して、他部族を略奪したり敵に売り渡した事例を述べ、

士師記21章25節:そのころ、イスラエルには王がなく、誰もが自分の目に正しいと映ることをおこなっていた

 と説明するのは、あたかも次にくる王制時代を予言するかのようだ。士師記の最後も、イスラエルがどれほど無法状態になっていたかを示す話である。エフライム族の旅人が、ベニヤミン族の町ギブアで宿泊した時、地元民に襲われ、一緒に旅をしていた女を殺されてしまう。その後、諸部族会議で、全イスラエルが一致してベニヤミンを討伐する決定をしたというのは、時代を考えればとても信じられない。あるいは、士師記の最後に来るこの話は、実は士師の時代の初め、ヨシュアの下に諸部族が団結していた記憶の新鮮な時代に起こったのかもしれない。この時、諸部族連合軍はベニヤミン族を大量に殺し、ベニヤミンは大打撃を受けるのだが、やはりそうなると、これが士師の時代の最後に起こったというのはおかしい。次に来る王国時代の最初の王は、ベニヤミン族のサウルなのだから。



『ルツ記』

 ルツという一人の女性の生涯を記すルツ記は、古き良き時代の心温まる一挿話として書かれている。時代設定は士師記と同じだが、ユダヤの経典では歴史よりは文学として扱われ、同じカテゴリーの他の書と一緒に収録されている。一方キリスト教ではこの話は非常に重要な歴史的意義を与えられ、士師記のすぐ後に挿入されたのである。

ルツ記1章1節:士師たちが治めていたころ、ユダのベツレヘムに住む男が、妻と二人の息子を連れて、モアブの国へ移住した
ルツ記1章2節:彼の名はエリメレク、妻はナオミ、二人の息子はマフロンとキルヨンといい、

 移住先のモアブでエリメレクは死ぬが、息子たちは妻を迎えた。

ルツ記1章4節:息子たちはモアブの女を妻とした。一人はオルパ、もう一人はルツといった。彼らは十年ほどそこに暮らした
ルツ記1章5節:そしてマフロンとキルヨンの二人は死んだ

 マフロンは「病気」、キルヨンは「無駄」を意味する言葉で、子供にそんな名を付ける親はいない。早死にした人間にふさわしい名として思いついたわけで、この話全体がフィクションならではである。

 夫と二人の息子に先立たれたナオミは、一人で故郷へ帰ろうとするが、義理の娘のうちルツは、一緒に行くことを申し出た。

ルツ記1章16節:ルツは言った、あなたから去れなどと言わないでください、あなたの行かれる所に私も行きます、あなたの泊まる所に私も泊まります、あなたの民はわたしの民です、あなたの神はわたしの神です

 こうして、ベツレヘムへ移ったモアブ女性のルツは、その地でボアズという人物と出会い、ナオミの応援もあって、やがて二人は結婚した。二人の間には息子が生まれ、ルツはまったくイスラエルの女になり、イスラエル人は彼女を讃えた。

ルツ記4章14節:女たちはナオミに言った
ルツ記4章15節:あなたを愛する嫁は、あなたにとって七人の息子にもまさる

 そして、物語の最も肝心な部分が述べられる。

ルツ記4章17節:女たちは、ルツの子をオベドと名付けた。オベドはエッサイの父、エッサイはダビデの父である

 ルツは英雄王ダビデの曾祖母なのだ。

 ルツ記が書かれたのは、バビロン捕囚の後、ユダヤ人が極端に排他的になり、民族の純潔を守るため異民族との婚姻まで厳禁した時代で、すでに結婚していた夫婦でも容赦なく引き裂かれた。ルツ記の著者は、それに真っ向から反対した。全人類は兄弟ではないか、と。

 実はダビデには本当にモアブの血が入っていた可能性がある。身の危険が迫った時、彼は両親をモアブの地へ連れて行った。

サムエル記一22章3節:ダビデはモアブの王に言った、神がわたしをどのようになさるか分かるまで、父母をあなたのもとに居させてください

 ダビデがそれほどの信頼をモアブに持っていたのは、血縁関係が背後にあったためかもしれない。そしてルツ記の著者は、それを最大に潤色して物語に仕上げた。バイブル全篇を通してルツほど理想化された女性はいないし、その彼女がモアブ人だったことの意味は測り知れない。かつて、全モアブ女性がイスラエルの男を悪の道に誘うだけの存在として描かれたのに。(民数記25章1節、2節)

 モアブ女性ルツがいなければ、ダビデもいなかった。キリスト教徒にとって、この意味はさらに大きい。イエスはダビデの家系に生まれたのだから。


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